Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第357夜

夏をあきらめる



 いや、気づいたら 10 月だよ、おい。
 なんだったんだろうなぁ、今年の夏は。今年は、夏はやらないことにしたのかなぁ、労使協定かなんかで。
 おかげで、寝苦しいという思いをせずに済んだ。扇風機の起動回数は 1 回、冷風扇は 0 回。
 米が心配だが、秋田というところの常で、そういうときでも、そこそこ取れる。青森や岩手なんかは大変な状態なんだが、秋田はそれほど深刻でもない。
 と言ってしまうと、これまた不正確で、北東部の鹿角地区はかなり厳しいらしい。

 そうは言いながら、9 月はちょっと暑かった。台風絡みのフェーン現象で、新潟が 35 度なんてのをご記憶の方もあるかと思う。残暑が厳しい、というよりは、残暑しかない、という感じか。「冷やし中華また始めました」という張り紙が出たとか出てないとか。

「涼しい」の俚言形はみあたらない。「するしい」「そぞしい」というような、ちょっと音が変わっている、というのならあるが。
すーすーする」というのが富山にある。風とは関係ないらしい。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』には、「しんじげる」というのがあったが、これも「涼しい」の系列だろうなぁ。
 なんで、全く形の異なる俚言がないんだろう。「暑い」のときもそう思ったが。
 大辞林によれば、源氏物語や今昔物語に「涼し」があるそうだ。となると、「涼し」が全国で使われるようになった後、京都では新しい表現が生まれなかった、ということだろうか。
 そう思いながら大辞林の説明を読むと、古語としては「見た目にすっきりしていて清らかな感じ」が主流らしい、ということがわかる。「目元涼しい」とかいうあれだ。「涼しき方」というと「極楽浄土」のことだそうだ。
 つまり、「涼しい」の意味が変わった、ということになる。「温度が低く心地よい」という意味の「涼しい」自体が、新しい表現なのだ、ということだ。
 夏の季語になってるところを見ると江戸時代にはもうそうなってたんだろうか。それにしても、「涼しい」が夏の季語、って。まぁ、確かに冬の単語ではないが。
 では、「涼しい」の前はなんだったんだろう。それの変化形が各地に俚言として残っている、ということがありそうだ。だが俺の調査能力では、ここで躓いてしまう。
 まさか、涼しいことはなかった、ということはあるまい。いくら住宅事情が悪かろうが、夏の盛りを過ぎればほっとするだろうし、氷を保存しておく仕事 (「氷室」) すらあったんだから、「温度が低く心地よい」を表現する言葉がなかった、ということは考えにくい。

「めっきり涼しくなって」という場合は、必ずしも心地よくはないのか。今、思ったが。これは「寒い」に寄っているような感じがする。

『角川新版古語辞典(1989, 角川書店)』を引いて見る。こっちは、最初に「(大気が) ほどよく冷ややかだ」とある。「涼しき方」は地獄が熱いことからの対比だそうだ。わけわからん。

 大体、現代でも「涼しい」の同義語・類義語って思いつかない。「暑い」「寒い」もだが。
 基本的な単語だから変化形が生まれる余地が少ない、ということだろうか。
「寒い」には「しばれる」という俚言形があるが、これは「寒い」と同義語ではない。にも書いた通り、「凍る」という意味の「凍みる」と同源で、「命に関わるほど寒い」状態を示す語だ。つまり、類義語ではあるが同義語ではない。
 で、「涼しい」や「暖かい」は、それ自体が「寒い」と「暑い」の中間域だから、こういう幅がない。「非常に涼しい」「とてつもなく暖かい」という状況が (臨時の強調表現としてはともかく) ありえない。これも、バリエーションが生まれない理由だろう。

 日本で今作られている米は、あきたこまちも含め、コシヒカリの系列が多いそうだ。全作付面積の 1/3 がコシヒカリ (「系」ではなく「コシヒカリ」そのもの) だという。これは、確かに旨いのだが、病気に弱いとか、倒れやすいとかの欠点があり、必ずしも栽培が簡単ではないらしい。
 それはつまり、コシヒカリに不利な条件が発生すると被害が全国に広がりかねない、ということである。そういうことはあるまいが、極端な話、米の収量が 2/3 に減る、ということになりかねない。
 兼業農家の増加がこれに拍車をかける。冷害は確かに怖いが、比熱の高い水の量を調整することによって、かなりの程度まで対処が可能なのだ。だが、兼業の場合、平日の昼間にそれをやることは不可能だ。
 などということを、前回の米不足のときに買った寸胴を見ながら思う今日この頃である。




"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第358夜「感傷雑司が谷」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp