と言うときの「うるさい」は「言うことがいちいち細かい」ってことである。「ソバは三たて」とか小声で言っても、こう言われる。
そのため、子供が落ち着かないでいるとき、「うるさい!」と叱ると、「ぼく声だしてないよ」と反論されたりする。
それぞれの地域の「うるさい」は「騒々しい」「せわしない」を兼ねていることがある。津軽の「
しゃしね」あたりが典型か。これは「せわしない」だろうから。
秋田の「
しょわしね」は間違いなく「せわしない」だろう。ただ、これは音量に関するニュアンスがない。秋田では「
やがまし」「
やがましね」となる。
この「
ね」は、「せわしない」の「ない」で、形容詞を形作る語尾だ。「無い」ではない。
九州で、というのを最初に挙げたが、「音量」と「せわしい」を別の単語で区別しているところ、その区別は無いが同じ語を使って「うるさい」「とてもうるさい」を分けるところがある。この辺は、上の、「
せからしか」と「
やぐらしか」を検索してみるとわかる。
尤も、この使い分けは、「新方言」に類する意味変化の場合もある。実は「
かったるい」という単語がこれに似た経緯で広がったことがわかっている。
埼玉辺りに起源をもつ「
かったるい」は、本来は「腕
(かいな) だるい」なのだが、「何かをして疲れた」という意味である。だが若者がその雰囲気と音だけを取り上げて、「何かをする前の、おっくうな感じ」という新しい意味で使い始めたのが、現在の「
かったるい」である。
同様に、「うるさい」という意味の‘α’という単語がほとんど使われなくなって、現在は‘a’が主流だとする。で、若者層がたまたま‘α’という表現を耳にし、それに新鮮さなどを感じて、‘a’よりもっとうるさい、という意味で‘α’を使う、ということはありうる。
さて、「うるさい」は更に、「うっとうしい」という意味をも持つことがある。
大辞林に「うるさい問題」という例文があるが、これなんかがそう。「問題」が音を立てるはずはない。
津軽の「
かちゃまし」なんかがそうなんだが、秋田で「
かちゃくちゃで」と言うと、「ややこしい、混乱している」という意味。ほかに「
うたてい」なんてのがそのようだ。
ここまで来て、反対語の「静か」の俚言形がほとんどない理由に思い至る。
相当、
前に書いたような気がするが、方言語彙には、怒ったり、罵倒したりするときの表現が豊富である。これほど強い感情の発露はないからだろう。つまり、大声をあげて不快な空気を撒き散らしてでも静かにさせたいことはあっても、相手の気持ちをねじ伏せて騒々しくしてもらいたいケースってほとんどないのである。その結果、滅多に使われないからバリエーションが生まれない、ということだ。
「キモい」が、「気持ち悪い」の短縮形であって、「気持ち良い」から生まれたのではないのと同じ理由である。
小音量の音楽って、実は耳障りなのだ。他人がヘッドホン ステレオを聞いているところを思い出してもらえればわかる。低中音域の、心地よい部分が真っ先に聞こえなくなって、甲高い音だけが残る。
俺もロック小僧だからそういう音は聞くが、歪みまくったエレキギターだって、中音域プラス歪みだからいい音なのであって、中音域を落として歪みだけ聞いたら、それは「歪み」でしかない。
同じことが、例えばフルートにも言える。フルートはちゃんと聞けばいい音だが、そういう聞き方をして、管に空気を吹き込む音だけになったら、それは不快極まりない。しかもフォルテとフォルテッシモだけ。
この BGM には、オフィスの騒音――空調なり、機械のファンなり――を隠すのも目的もあるのだそうだ。それは、オフィスの騒音を抑えるのが本筋だろう。それを BGM で消そう、っていうのは、トイレに消臭作用のない香水を置くのと一緒だ。
そうか、あの会社、トイレなのか。