Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第292夜

ダートムア弁の謎



 一応、シャーロック・ホームズのファンでもあるので、パスティシュも結構、読んでいる。
「パスティシュ」という単語は耳なじみが無いかもしれない。「パロディ」とは違うのか、という人もあるだろう。
「パロディ」というのは笑いを狙ったものだ。ウケ狙いに限らず、結果的に泣ける話、というもあるかもしれないが、基本的には大方の人が考えているう通りである。
 これに対して「パスティシュ」というのはマジな話。辞書によるとそうは明記されてはいないが、「パロディ」と比較するとそういうことになる。
 ホームズには発表直後からパロディが出ていて、「シュロック・ホームズ」「シャーロー・コームズ」などが知られている。あらゆる段階で間違った推理を展開するのだが結果的には事件を解決に導いてしまうとか、宇宙人と対決するとか、実は名探偵はワトスンのほうだった、とか色々とある。*1
 これに対して、まったく別の事件を想定して、それをホームズ本人に解決させる、という話もたくさんある。
 ホームズの話の冒頭では、その年には前後にあった事件を回想したりすることがある。次のような具合である。
折々、ホームズの活動を風のうわさに聞くことがある。トレポフ殺人事件でオデッサに招聘されたとか、トリンコマリィでアトキンソン兄弟の奇妙な惨劇を解決したとか、ひいてはオランダ王室のために秘密裏に任務を遂行したとか。
ボヘミアの醜聞』コナン・ドイル作、大久保ゆう訳。青空文庫より。
 この「トレポフ殺人事件」とか「奇妙な惨劇」はドイルの書いた作品には無いため「語られざる事件」などと呼ばれたりするが、他の人がそれを書くことがある。これなんかが「パスティシュ」と呼ばれる。*2
 で、その一冊『バスカヴィルの謎 (集英社文庫)』を読んだ。ローリー・キング作で、訳したのは山田 久美子氏。

 タイトルでわかる通り、長編の『バスカヴィル家の犬』を踏まえたストーリーである。ロンドンからは南西方向 (プリマスとブリストルの間くらい) のダートムアが舞台。
 なので、目撃者たちは方言を話す。それがちとひっかかるのだ。
 例を挙げてみる。
んだ、バスカヴィル家の犬を追っがけてった。
ハワード夫人の馬車を見だって話、聞いだかね?
あんたがたがもうトアへ行っできちまったのは惜しかったな
もっども狩りには乗らねえけんど。
足元がしっかりしでるちゅうか。
 どうだろう。
 日本北部の方言を下地にしているのだとは思う。雰囲気もそんな感じ。
 だが「行っで」なんて言うか?
 上の例をちょっと声に出してみていただきたい。「追っがけてった」「しっかりしでる」なんて、かなり発音が難しいと思うのだがどうか。

 試しに、「行っだ」を Google で検索してみた。10 件ほどがヒットしたが、ミスタイプと思しい例ばかり。方言形は 2 つだけ。2 例というのはいかにも少なくないか。*3
 とは言え、これだけで断定するのもどうかと思うので、「っだ」を検索してみた。約 150 例。もちろん、ミスタイプ込み。多いのか少ないのか微妙な線。
 が、なんか「山形」という地名が散見される。「疲っだ」「見っだ」などという例もある。
 はっ、と思う。
 前にも書いたような気がするが、「擬似方言」「ドラマ方言」の類は、南東北の方言がベースになっている。間違っても秋田弁や津軽弁ではない。だとすれば、この本に出てくる方言が山形弁に似ている、というのは理に叶っているのだ。
 そういうことなのかも、と納得する。

 それを踏まえて、落ち着いて考え直してみる。
 二番目の「ハワード夫人の馬車を見だって話、聞いだかね?」は秋田でも言う。「聞いだがね」の方が近いが、これはまぁいいのだ。
「しっかりしでる」も、ちょっと十文字出身の知り合いの顔を思い浮かべてみたら言いそうな気がしないこともない。
「もっども」も、「ど (do)」なんではなく“motdmo”と「もっとも」の「と」が有声化している、ということなんだとするとそれはわかる。
「追っがけてった」も「追っがげでった」だと耳にするような気はする。
 だがやはり「行っできちまった」は辛い。

 訳の山田氏がどこの出身なのかは不明だが、もし自分が使っている (た) のでない方言を使ったのだとすれば、その苦労は並大抵のものではない。書くのはしゃべるのよりも楽ではあろうが、大変なもんだったと思う。
 が、つらつら考えるに、こういうケースで、地域を特定できる方言を使う、というのも問題である。迂闊なことをすると、秋田は日本のダートムアか? とか言われてしまう。*4
 となると、嘘の方言とか言われることを覚悟の上で、どこかの方言をベースにした架空の方言を構築するしかないわけだ。キツいなぁ。
 に、「シュレック」という映画で、ダウンタウンの浜田氏が大阪弁で通した、という話を書いた。これなんかは逆のケースで、オリジナルでは方言じゃないのに、浜田氏を活かすために大阪弁で台詞を当てたわけだ。これなんか、今にして思えば、原文尊重の立場から言ったら大問題である。
バスカヴィルの謎』では、主人公が聞き取るのに苦労する (「シャーロック」が「ザーロック」になるんだそうだ) という描写があり、『砂の器』と違って謎の解明に絡むというわけではないものの、方言であることを出さずに訳す、という選択肢は無かったものと思われる。

 さんざんケチをつけておいてなんだが、ここはやはり「お疲れ様」と言うべきなのかもしれない。




*1
 順に、『
シュロック・ホームズの冒険シュロック・ホームズの回想 (早川文庫)』『シャーロック・ホームズの宇宙戦争 (創元推理文庫・絶版)』「迷探偵シャーロック・ホームズ 最後の冒険 (これは映画。原題は“Without a clew”)」
リュパン対ホームズ (創元推理文庫)』なんてのは「パスティシュ」に入るのかなぁ。 ()

*2
 これに対して、ドイル自身が書いた長編 4 作、短編 56 作を「聖典 (canon)」と呼ぶ。
「正典」という表記もあるが、
Google で検索した範囲では、2:3 で「聖典」の方が多いようだ。 ()

*3
 このミスタイプが多いのはちょっとした驚きである。
 と、思ったら自分でもやっていたので大慌てで直した。(
)

*4
『バスカヴィルの謎』にしろ『バスカヴィル家の犬』にしろ、ろくな書かれ方をしていない。(
)






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