Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第228夜

地に足



 各地域の名前を冠した食品は多い。ラーメンなんてのは有名なところだろう。札幌・東京・博多とすぐに出てくる。喜多方なんつーのもあるな。
 インスタント ラーメンやソバ・ウドンの類に東西差がある、というのはもう有名な話だが、昨今ではホームページから西版とか東版とかを指定して購入できるらしい。札幌ラーメンの西日本版とか、博多ラーメンの東日本版とかあるのだろうか。
 こないだコーヒーをみつけた。仙台・金沢・横浜・博多あたりがある。
 メーカーのサイトに行って調べてみたら、地域イメージだけではなく、その地域での売れ筋の豆や炒り方なども加味しているようだ。*1
 北海道出身の人が言っていたのだが、「室蘭ラーメン」という看板を見たことがあるのだそうだ。が、室蘭がラーメンで有名というのは聞いたことがない、とのことで、「北海道ならなんでもいいや」とか思ってないか? と憤慨していた。
 聞くところによると「ロシア ラーメン」というのもあるらしい。

 秋田県横手市は、目下ヤキソバでの展開を図っている。濃い目のソースで目玉焼きとかが乗っているらしい。

 こないだ『日本風景論 (春秋社)』という本を読んだ。
 昭和 39 年生まれのライター・切通 理作とカメラマン・丸田 祥三が彼らの源風景を語る、という本である。
 この中で、都会と地方の関わりが繰り返し語られる。
「あ」と思ったのは、我々が都会のものだと認識しているファミリー レストランは、都心で育った人から見れば、田舎の臭さを帯びている、という指摘である。
 確かに、ファミリー レストランは、車で行くことが前提で、広い駐車場を持っている。都心に作ろうと思ったら大事業である。
 同じように、彼らは、高速道路に対しても田舎のイメージを抱いている。
 俺の実家は、秋田空港までも、高速道路の IC までも車で 10 分という場所にある。昔は夜になると虫と蛙の声しか聞こえない所だったが、数年後には日本海沿岸道路が開通し、高速道路 2 本という場所になってしまう。
 これはつまり、ド田舎だ、ということである。

 この本の中に、都会を忌み嫌う人々が登場する。
 昔は、東京から人が田舎に来ると、「まぁ、わざわざこんな田舎まで」と自嘲を込めた言葉で迎えることがほとんどだったが、今はそれがない。東京帰りなんてのは憎悪の対象だ、と言うのである。
 幸か不幸か、俺はこういう人に会ったことがない。なんか知らんけど劣等感を持ってるようだな、という人は何人か見たが、ここまで嫌う人というのは記憶にない。

 同じように、方言を嫌う人、というのもほとんど知らない。一人だけである。卒論の材料としてアンケートをお願いしたら、拒絶反応を示したのだが、後にも先にもこの人だけだ。
 自嘲気味に「標準語しゃべれねもん」と言う人なら見たことがある。そのあたりが標準的な反応ではないかと思うのだが。

 なぜ都会を憎むのか。二人は、高速道路などで繋がってしまったからだろう、と言う。その気になれば行けるのに、なぜ自分はここにいなければならないのか、という意識があるからだ、というのである*2。また、どんなに開発しても、結局、ここは都会ではない、ということを確認するだけだ、とも言う。
 つまり、昔は「行きたいけど行けない」であったが、今は「行けるのに行けない」、能力可能と状況可能を使い分けることのできる秋田弁で言うなら「行ぐにいいのに、行げね」なのであろう。
 これが言葉に反映すると、方言ナショナリズムになってしまうのかもしれない。

 言葉の方は、居住地に比較すると簡単に捨てることができる。だから、春に都会に出て行った奴の言葉が夏休みに帰ってきたときにがらっと変わってたりする。
「国の手形」という言葉は、もはや負の意味でしか成立しないのではないか。

 この本を読むと、今、ものを言っている人たちや、世の中を動かしている (つもりの) 人たちがいかにいい加減で、いかに地に足がついていないかがわかる。ご一読をお薦めする。




*1
 それにしてもわかりにくいサイトだった。商品リストから、このコーヒーにたどり着けない。プレスリリースのページでやっと確認した。


*2
 本の中で出てきたのは四国の人であった。この点、大昔から現代にいたるまで虐げられてきた東北地方とは違うのではないか。






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