方言には古語が残っている、というようなことがよく言われる。
言葉が空中ではなく地上を伝わっていたころは、現象や地域にもよるが、1km/年程度の伝播速度だったそうだ。東北自動車道を走破するのに 679 年かかる。今年、青森市に届く言葉は、鎌倉幕府が滅亡した年に東京で使われていた言葉だ。その頃には、発信源では別の表現になっている、というわけである。
文字ができると別の要素が絡んでくる。書くと、それは残る。文字は知識階級のものだったから、権威を与えられることも少なくない。したがって、書かれた表現はある程度、固定される。
伝播も早い。その紙を誰かが持って歩くだけでいいから、どんなに遠くても 700 年はかからない。つまり、広い範囲で固定化するのである。
文章語が古臭いといわれたりするのはこんな背景もある。
秋田弁で「
かでる」という表現がある。前にも取り上げたが、「
かだへる」という形もある。
意味は「仲間に入れる」である。
というと、「肩」を「へる (入れる)」か? と想像したりするが、それは間違い。「糅てる」と書いて、「まぜあわせる。まぜる」という意味の単語がある。これが元。万葉集にもでてくるらしい (
大辞林)。
「かでる」系列の単語の通用範囲は、青森・岩手・秋田・新潟・中部各地・東京大島・大分・長崎と広い。
さて、勘の言い方はお気づきかと思う。この「かてる」は「かてて加えて」という形で残っている。恐らく現代では、「かてる」はこの形でしか使われないと思う。
「うで卵」という単語がある。大阪では「煮抜き」と言ったりするが。
俺はなんか江戸弁っぽいなと思っているのだが、少なくとも俗語臭はある。言うまでも無いが、「うでる」は「茹でる」が変化したものだ。少なくとも、「全国共通語」「標準語」というレベルでは使われない単語である。
と思うと、さにあらず。「うでる」そのものではないが、その自動詞形は「うだるような暑さ」という形で残っている。
これは文章語ではなくて、「思い思いのシュプール」と一緒で、今やメディアの人間しか使わない「放送語」とでも呼ぶべきものか。
これも方言とは言いにくいが、「うたぐる」というのもある。
Internet の検索エンジンで探してみたが、使用例は非常に少ない。
goo で 10 件、
Lycos で 0 件、
Google で 20 件(どれも検索語の解析を行わないフレーズ検索での概数)。
じゃ、死にかかってる単語かというと、そうではなくて「うたぐり深い」というのがある。
秋田弁に戻るが、「
余す」というのがある。「余らせる」という意味。
大辞林には載っているのだが、「弁当を余す」というのは全国的に認知された使い方なんだろうか。ニュアンスは違うが、「残す」といったりしないか。
これも「余すところなく」「を余すのみ」「も余さず」のみと言っていいだろう。あるいは「持て余す」という熟語。
Internet で検索すると「余すところなく」の用例は非常に多い。情報提供メディアであることを考えると当然の結果か。
文字にすることは固定することである、と書いた。
つまり、会話の言葉であり、地域的な変化がアナログ (デジタルなこともあるが) で、かちっとした形を決めにくい方言とは相容れない面がある。
これが大量に文字化されている。地方の時代ということで方言を調査している自治体は多いようだが、それよりも、ホームページである。計った事はないが、これまでに発行された出版物に比較しても、ひょっとしたらいい勝負をする量なのではないか。
作成する方に、ごく一部の地域の、一時的な様相を切り取っただけなのだ、という意識はあるのだろうか。
俺も上の方で、秋田には「
かでる」という表現がある、などと書いているが、その「秋田」とはどこをさすのか。県境を接している青森や岩手では言わないのか。江戸時代から使われているのか。
読む方は普通、秋田県全域で使われるものと思うだろう。明確には意識しないまでも、山形では使わないのだ、という印象をもつだろう。
そういうヤバさがこういうホームページにはある。
逆に Internet の面白さもある。
「ゆで卵/うで卵」の用例を調べていたら、料理のホームページ、昼ご飯が話題になっている掲示板にまじって、SM 関連のサイトが並んだ。
こういう意外な出会いが、Internet の面白さの一つである。
詳しくはご自分でお調べください。
"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る
第230夜「こみっと」へ
shuno@sam.hi-ho.ne.jp