富山県−
見てみられ (3/18)−
ゲストは立川志の輔。
前に、お笑いの世界では、西日本の人は大阪へ、東日本の人は東京へ、という話をした。岩手出身の酒井くにお・とおるが大阪に行ったのは珍しい例ではないか、と書いたのだが、志の輔が東京に行ったのも珍しい例か。それとも、実は多いのかね。
本人は、江戸落語をはじめてしまったのでアクセントで苦労した、と言っていたが。
この番組に落語家が出ることは多いが、立川流は二人目だ。
志の輔はしゃべりを抑えている感じがある。特に前半。さすがに NHK 慣れしていると言うか。
北陸で、どこからが西日本か、というのも興味深いところである。
蓑島氏によれば、その境目は、昔は新潟と富山の県境付近にあったのだが、今は西へずれて富山市付近にある、ということである。正しくは、東日本ではなく、東京が進出してきているのだろう。
富山県は、中央部の呉羽山を境に、呉東・呉西とわけるらしい。
呉西の新湊出身の志の輔に言わせると、呉東のしゃべり方は「東京の人じゃないか」なんだそうである。東日本イコール東京というイメージが、ここでも確認できる。
魚津市のおばあちゃんによれば「
まめで息災そりゃ面倒」というフレーズがあるんだそうな。元気な年寄りは近所迷惑である、という話。
俺が言ったんじゃないぞ
面白いのは「
つかえん」。
「このパソコン使っていいですか」「
つかえん」という風に使う。
これは、「差し支えない」で、使ってもいい、ということなんである。外から来た人にはわかりにくいなぁ。
五箇山地方の平村では、敬語としての「
おまえ」が残っている。
これは前に長野でも出てきた。新潟との県境付近だから、近いといえば近いが、行き来があったとも思えないなぁ。
「旧正月」のことを「
ちょんまげ正月」と言うんだそうな。何故だ?
富山といえば薬売り。昔のものだと思っている人もいるようだが、乗り物が車に変わったとはいえ、今でも現役である。こないだ女性の「
ばいやくさん」を見た。
相手を思いやる気持ちがある、ということを熱弁していた。どの方言にもないんじゃないかと思う、とも。
「ありがとう」という意味の「
きのどくな」などを指しているのだが、「ありがとう」と言うときに相手を思いやる気持ちがない、ということはあるまい。
「『食べろ』でいいのに『
食べられませ』と言う」と言っていたが、「食べられませ」に対応するのは「お召し上がりなさい」であろう。
「『食べろ』でいいのに」と言うあたり、志の輔も意外に「標準語」に囚われているようである。