Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第224夜

当たらぬやんケ



 に、一字の表現だけを並べたことがある。その中で最も多様なのは「」であろう。
 なんでだろう、と考えて見た。

 元になるのは、「来い (koi)」「かゆい (kayui)」「食え (kue)」である。「かゆい」については、「かい」という前段階があると考えられる。前に「かゆい」が「かえ」になったのだろう、と書いたが、これは撤回する。
 それぞれが「け」になるについては、ネイティブとしては、とりたてて疑問は無い。なぜ「なんでだろう」と考えるのかというと、類例が少ないのだ。
「下位」は「け」にはならないし、「犀」も「さい (「しまった」に相当する間投詞)」も「せ」にはならないし、「杖」は「て」にはならない。
 全て「カ行動詞の命令形」であることも気になる。

 他に、エ段一字というのを検討してみると、「家」が「」、「しろ (サ変動詞)」が「 (あるいは「」)」、「無い」が「」、などがある。
「家」は、「いえ」から、“ye”を経て「え」という過程が考えられる。
「せ」については、「しろ」ではなく「せよ」なのかもしれない。ただ、「出よ/出ろ」などにも見られるが、「よ」で終わる命令形が関西由来のものであることは要注意である。
 サ行音がハ行音になるについては前に取り上げた。

 考えてるだけだと堂々巡りなので、表にしてみる。
-ai
 語頭 語尾
あい − 
かい 「貝」「痒い」が「」 「赤い」が「あげ
さい − 「臭い」が「くせ」。「くしゃ」とも
たい − 「硬い」が「かで」、「会いたい」が「あいて
ない 「無い」が「」 「汚い」が「きたね」、「来ない」が「こね
はい 「灰」が「」。「ひゃ」となる地域もある
まい 「枚」が「」 「甘い」が「あめ
やい − 「早い」が「はえ
らい − 「暗い」が「くれ
わい − 「恐い」が「こうぇ」にはなるが、秋田弁本来の語は「おっかね
がい − 
ざい 「在 (田舎)」はそのまま。 
だい 「台」が「」になることがある。 
ばい 「倍」「杯」が「」になることがある。 
ぱい 「杯」が「」となることがある。 
 
-oi
おい 呼びかけの「おい」は「」 
こい 「来い」が「」。「濃い」などはそのまま 「しつこい」が「しつけ
そい − 「遅い」が「おせ
とい 「遠い」は「とぎ」 
ほい 掛け声はそのまま 
のい − 
もい − 「重い」は「おぼで
よい 「良い」は「」 
ろい − 「黒い」が「くれ
をい − 
ごい − 
ぞい − 
どい − 「しんどい」は秋田弁固有の語彙ではない
ぼい − 
ぽい − 「色っぽい」の「色っぺ」は秋田弁固有の現象とは言いがたい
 
-ue
うえ − 
くえ 「食え」が「」 
すえ − 
つえ 「強い」は「つえ」である。 
ぬえ − 
ふえ 「笛」はそのまま 
むえ − 
ゆえ 「結え」はそのまま 
るえ − 
ぐえ − 
ずえ − 
づえ − 
ぶえ 「おぶえ」が「」になることがある
ぷえ − 
 まず、「類例が少ない」とは言いながら、“ai”→“e”のパターンは少なくない、ということがわかる。語尾も考慮にいれれば、該当する単語さえあれば百発百中といえる。
 この型は、秋田弁に限らず変化し易い型で、名古屋弁で「無い」が「ねゃー」に、「枚」が「めゃー」になり、関西で「来るかい」が「くるけ」になる、などというのは有名な例であろう。
 また、「態」も「ほうほうの態」などとすると「てい」となる。
 つまり、よくある現象なのだ。
 ちょっと、ゆっくりと発音してみたが、確かに“ui”や“ei”と比べると“ai”は唇や舌の移動が大きいように思う。
 余談気味だが、“ayi”にすると、舌の移動が少なく発音が楽。口語の面目躍如という感じである。

“oi”は、語頭で一例しかないが、これはもともと“oi”という語がないのが理由だと考えられる。発音時の唇や舌の移動が大きいのは“ai”と同じだ。

 語頭で 2 例ある“ue”→“e”だが、語尾の例も見ると、寧ろ少数派であることがわかる。これには特殊な事情がある。
 というのは、普通、「タ行」や「ハ行」と一くくりにするが、「フ」と「ツ」は別の音なのである。
 英語に慣れた人だと、例えば「土」を“tuti”と書くと違和感を覚えるはずだ。これは“tsuchi”などと書かないと落ち着かない。“tuti”では「トゥティ」である。同じ事がサ行の「シ」にも言える。“sit”と“shit”の笑い話を聞いたことがある人も多いと思う。
 ハ行でも、「フ」は“hu”というよりは“fu”である。
 というわけで、「杖」が「て」にならず、「笛」が「ふぇ」に聞こえることはあっても「へ」になったりしないのは、ここで問題になっているのとは別の事情なのである。*1
 そんなこんなで、これも、単語が無い。

 上の表では、基本的に名詞は割愛した。ほとんど変化しないからである。
 あんまり、過去から現在にいたるまで生活に密着し続けてきた単語が無い。「語彙」という単語が毎日の生活に欠かせないという人は少ないだろうと思うし、「愛」は意外に新しい単語である。「灰」「枚」が例外なのであろう。
「台」「倍」「杯」の助数詞は「となることがある」とした。
 例えば、来年度決算の赤字はどれくらいだろうか、という予測をするとき、楽観的な観測で「にべぐれだべが (二倍くらいだろうか)」ということはあるが、「はぢべもなるべか (八倍にもなるだろうか)」となると、言わないことも無いのだが、若干の違和感が出てくる。「よんじゅうななべ」あたりだと辛くなってくる。*2
 上の表を見ると、ほとんどが形容詞であることに気づく。形容詞が「い」で終わる単語であることが大きい。
 動詞も少ない。これは、「イ」は五段動詞の、「エ」は一段動詞の連用形であることが理由ではないか。
 後ろに語を伴わない連用形は中止法と呼ばれる。「本屋で本を買い、八百屋で野菜を買う」の「買い」だが、これは、口語表現ではない。
 安物のドラマで、叙述でもないのに、中止法の台詞が出てくることがあるが、気持ち悪くないのか、作ってる方は。*3

 それから、そもそも俚言であるものは変化しない。最初に挙げた「さい」や「」が相当する。

 というわけで、長々と書いてきたが、実は何一つわかっていない。「食え」→「」が例外らしい、ということがわかっただけである。
「しつこい」が「しつけ」なのに「濃い」が「け」ではないのは何故か、単語の長さの問題なのか。「赤い」が「あげ」なのに、「青い」を「あえ」と言わないのは何故か。「食え」が「」なのに、昔は生活に密着していたであろう「縫え」「結え」が「ね」「いぇ」でないのは何故か。関連して、「重い」ではなく「重たい」の変化形であろう「おぼで」が使われるのはなぜか、などなど謎は山ほどある。
「貝」「痒い」を「」と表記するのにはいささかの無理があることも付記しておく。“kye”という風に“y”の音が入ることも少なくない。「貝」については、「きゃっこ」という形で、はっきり「きゃ」と言われることもある。

 んなわけで、久しぶりに謎をほったらかしにして終わる。
 秋田弁プロパーの回も久しぶりだけど。




*1
 「へ」が「ふぇ」になることはある。これは、現在のハ行の音が、昔はファだったことに由来する。
 なお、五十音図が、発音の面から見ると綺麗なマトリックスではない、ということについては、割愛する。


*2
 人数を数えるとき、「ひとり」「ふたり」までは専用の単語なのに、それ以降は「さんにん」「よにん」と、数字と助数詞の組み合わせになる (秋田弁では、一人おいて「よったり」という語がある)。
 英語でも、回数や倍数を数える場合、2 度目/2 倍までは、“once”“twice”と専用単語である。
 この辺と関係あるのかな、と思ったりする。


*3
 「そして貴様は CD 屋に寄って CD を買い、アリバイを作ろうとしたのだろう。どうだ、白状しろ!」というケースではいいが、「じゃぁ、授業も終わったことだし、これから CD 屋に寄って CD を買い、一緒に聞くことにしようか」は不自然である。




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