Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第198夜

いい濁々



 俺の職場では、秋田弁がほとんど使われていない、という話をしたことがある。
 が、こないだ、その痕跡を発見した。
 アキラという人がいるのだが、彼が呼ばれるときの発音が「アギラ」なのである。
 「アギラ」と書くと、なんだかカプセル怪獣みたいだが、この「ギ」の発音は難しい。
 息が漏れないし、音も弱い。母音は、英語で言うところの shwa である。あの、“e”をひっくり返したような発音記号だ。
 これをマスターできたら、あなたも一人前。

 大体、濁点のつき方にはルールがあるのか?
 長年、ほったらかしにしてきた問題を検討してみることにする。
 不本意ながら、標準語形に濁点がつく、というスタンスで考えを進めざるを得ないことを断っておく。
 とりあえず例を挙げていこう。山ほどあるから。
 今回の話は、できれば秋田衆を横において、発音を確認しながら読んで欲しい。
肩・型・片 かだ
吹雪 ふぶぎ
酒・鮭 さげ
 まず、この辺で、語頭はにごらないのではないか、という推論が可能だ。
 「方」は、「俺たち」という意味の「おれがだ」になると濁る。
書く かぐ
慌てる あわでる
わかる わがる
落ちる おぢる
落とす おどす
叫ぶ さがぶ
運ぶ はごぶ
担ぐ かづぐ
叩く ただぐ
果たす はだす
無くす ねぐす
返す かえす
 前半はいいのだが、後半が不思議だ。動詞の活用語尾たる「す」は濁らないのだろうか。
 命令形や仮定形でエ段になると、「はだへ」「ねぐへば」と「せ」が「」になってしまう、というのは別の現象なんだろうか。
使う つかう
啜る すする
 これは濁らない。違いは何か。
 先頭が無声音だから、ということだと思われる。
 「行きたい」というのは、秋田県内でも地域によって「いきて」だったり「いぎで」だったりする。この場合、「*いきで」や「*いぎて」が無いこともあわせ、「き」が有声音かどうか、というのが決め手になると考えると、話が符合する。
 「尽くす」は「つ」が有声音なので濁る、というわけだ。しかし、「使う」の「つ」が無声で「尽くす」の「つ」が有声になる理由はわからない。

 あ、例外を見つけてしまった。「こする」は濁らない…。
月 つぎ 
柿・牡蠣 かぎ 
書く かぐ 家具
 これを比べてみると、あることに気づく。
 もともと標準語形が濁っているのは鼻濁音だが、秋田弁では濁っているという語は鼻濁音ではない、ということである。
 上の例の「担ぐ−かづぐ」と「叩く−ただぐ」も同様。
不調法 ぶじょほ
 これなんぞは連濁ではないか。標準語形では発現しない、ということか。
 しかし、「不細工」「不摂生」は「ぶさいく」「ふせっせい」のままだ。
 大体、漢語は方言形が現われにくいのが普通だ。音だけとはいえ、この語に限って変化するのはなぜだ。
ほとんど ほどんと
 なんてユニークなのもある。
 「秋葉原」「山茶花」あたりと一緒か?
重たい おぼで
寒い さび
黍 きみ
 に、“m”と“b”は仲間だ、という話をしたことがある。
 「も」に濁点はつかないが「」にはなる、ということ。逆もまたしかり。

 こんなのもある。
 「みつ」。
 音自体は普通の「」である。
 意味は「三つ葉」。春先の野菜も、トランプのカードにも使う。
 しかし、植物が芽を出したときの「双葉」は「ふたば」だし、幸運を運ぶのは「よつば」で、「ふたぱ」でも「よつぱ」でもない。「大葉」も「おおば」。尤も、どっちかっつーと「しそ」を使うため、「大葉」は半ば理解語彙だが。
 不思議な単語だ。「葉っぱ」からの連想かとも思ったのだが。
 以上。ここで息切れ。
 解明までの道は遠い。




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