82.塩見岳 (3047m)
('56/8,'59/1'61/1登頂)

 「塩見岳の特徴は、漆黒の鉄の兜、あるいはズングリした入道頭、こうおぼえておけば、遠くの山から南アルプスを眺めても、その中の塩見岳を見落とすことはないだらう。
 登山の対象としての南アルプスは明治末年に開かれたが、その頃の少数の登山家はまだ塩見岳という名を知らず、これを
間ノ岳と呼んでいた。白峰山脈の同名の山と区別するため、赤石の間ノ岳と呼んでいた。おそらく仙丈から赤石まで続く山稜の間で、最も顕著な三千米峰であったからだろう。
 また荒川岳とも称された。三峰川上流の一支流南荒川が、この山から発しているからである。しかし荒川岳という名前も、同じ山脈上に別にあるのでまぎらわしい。そこで
間ノ岳も荒川岳も大正初年に廃されて、以後もっぱら塩見岳が用いられるようになった。しかし塩見岳という名は新しい発明ではなく、ずっと古くから山麓には存していた。
 塩見岳という名は、おそらく山麓の名前と関係があるだろう。鹿塩川沿いには、大塩、小塩、塩原などという部落があり、その中心地は鹿塩である。鹿塩から塩川に沿って少し上った所に塩湯という食塩鉱泉がある。その含有量は一リットル中に二十五グラム(海水は三十グラム)わが国最高の強食鉱泉だそうである。昔はこの地方で食塩の製造が行われたというが、この奥深い山中で、海の塩より山の塩に頼ったのは、まるで日本のチベットのような土地である。
 こんな風に塩に縁の深い山村を登山口に持つ山が、何かのゆかりで
塩見岳と呼ばれるようになったのは、想像にかたくない。
 塩見とはいい名前である。そしてその山も、南アルプスの他の三千米峰に伍しながら、どこかつつましやかなところも大へん私の気に入っている。」
 −深田久弥著“日本百名山”より抜粋ー


’56年8月 夏季・塩見岳から北岳縦走
’59年1月 塩見岳冬山合宿
’61年1月 冬季・塩見岳から北岳縦走




日本の名山(6)「北岳・赤石と南アルプス」 発行:鰍ャょうせい よりCOPY


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