大森貝塚

大森貝塚
モースが発見した大森貝塚。写真の下部のbyの
後にはProfessor Edw. S. Morse in 1877とある。

大森貝塚(山王1-3)
 JR大森駅山王口下車、池上通りを北(大井方向)に約100メートルほど行くと、NTTがあります。その手前の小路を右に入ると、JRの線路際に大森貝墟と刻まれた上の写真のような石碑が建っています。
 アメリカの動物学者、エドワード・シルベスター・モースが、明治10年(1877年)6月、横浜から東京に向う車窓で貝層の露出を発見、ただちに発掘された日本考古学上最初の遺跡です。
 発掘の経過や成果は、同12年に刊行された『大森介墟古物篇』にくわしく報告されています。ただ、遺跡が鉄道敷設で分断され、しかも山王一丁目から品川区大井六丁目にまたがる線路際にあり、両区にかかっているので、後に両所に発掘記念碑が建てられたのでまぎらわしいです。
 大田区内の記念碑は、モースのもとで当時発掘に参加した佐々木忠次郎をはじめ、21名の著名な学者が発起人となって、昭和五年に建立されました。
 遺物は縄文式後期の、主として加曽利B式に属するものが多く、土器・土偶・土版・石斧・石鉄・石皿・凹石・骨魚器など多様で、人骨片をはじめ、サル・シカ・イヌ・クジラなどの遺骨と多種類の貝を含んでいます。
 モースは、土器にヒモ状の文様があるのに注目して、「コードマークの土器」と名付けました。また出土した人骨が、短かく折れていたり、切り傷がついているものがあったことから、人肉を食する習慣があったのではないかと推測しました。
 これらの出土品は、現在もすべて東京大学理学部人類学教室に保存され、国の重要文化財となっており、遺跡は大森貝塚の名称で国の史跡に指定されています。
(出典 「大田区史跡散歩」 新倉善之著 学生社)

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[Last Updated 11/30/2006]