天祖神社


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天祖神社(山王1-41-21)
 草創の年代は明らかでない。もと神明社とよばれたこともある。祭神は天照大神、旧別当は円能寺。
 八幡太郎義家が奥州征伐のとき、この社に戦勝を祈願した。そのとき境内にあった松樹の枝に、鎧(よろい)を掛けたといわれる鎧掛松の伝説がある。この松は社前の八景坂とともに附近の名勝とされ、広重などの画材となって広く巷間(こうかん)に知れわたったが、今は枯れて、昭和初期までその根幹だけが境内に残っていたという。
 もと八景坂上の臼田作次郎氏の邸内にあったが、のちにこの社の境内に移された。高さ1.5b、幅1bほどの自然石。
 表面に「鎌倉の よより明るし のちの月 景山」と刻されている。景山は弘化4年(1847)に85歳で没した隣村大井村の名主で、本名は大野五蔵、杜格斎と号した俳人でもある。
 裏面には大森八景坂の眺望を詠んだ「笠島夜雨 鮫洲晴嵐 大森暮雪 羽田帰帆 六郷夕照 大蘭落雁 袖浦秋月 池上晩鐘」 の八景勝覧の句が刻されている。
 この社の東側、石段下附近の池上通りの坂道を八景坂(はつけいさか)という。
(出典 大田区史跡散歩[東京史跡ガイド11] 新倉善之著 (株)学生社)

 なお天祖神社階段途中の左壁に、馬込文士村に関する歴史などのレリーフが、約十枚掛かっています。

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[Last Updated 11/30/2006]