宮古島旅行
      目 次

1. 概 要
2. 第1日 羽田空港−宮古島与那覇前浜
3. 第2日 伊良部島ほか
4. 第3日 東平安名崎ほか
       宮古空港−成田空港
5. 宮古島紀行


   与那覇前浜
              

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1. 概要
 0) 名称      「宮古島スペシャル3日間」
 1) 主要訪問地  宮古島(伊良部島など)
 2) 期間      2010.1.18〜20
 3) 参加者     兄弟6名(姉2人と兄・本人夫妻)
 4) 交通機関   航空機、観光バス
 5) 訪問場所
  (1) 宮古島(地図参照)
  (2) 伊良部島
  (3) 下地島
  (4) 池間島
  (5) 来間島
 6) 特記事項
  (1) 兄夫婦が決めていた旅行に、姉2人が同行すると聞いて我々夫婦も参加しました。
  (2) 天気に恵まれ雨は降りませんでした。気温は東京に比べて10度位高かったです。
  (3) いろいろな点で、先月行った済州島と比較することになりました。
 7) 印象に残ったこと
  (1) 海と浜辺がとてもきれいでした。
  (2) フェリーで渡った伊良部島、下地島でのバスでの移動は、珍しい経験でした。
  (3) アダンなど珍しい植物を見ることができました。
 8) 旅行の概要
  兄弟で年に1度位、旅行しています。今年は宮古島でした。往きは沖縄経由、帰りは直行便でした。
 9) 参考図書
  9.1) 沖縄 南西諸島 歩く地図 Nippon 18 山と渓谷社
  9.2) 宮古島楽園観光 (資)八千代バス・タクシー発行

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2. 第1日 羽田空港−宮古島与那覇前浜
 13:25分発のJALで羽田をたち、那覇空港には、午後の14時20頃に着きました。約20分の待ち合わせでJTA(日本トランスオーシャン航空)に乗換え約50分で宮古空港に着きました。
 旅行会社の用意してくれたバスで、約6km離れた与那覇前浜にある東急リゾート・ホテルに着きました。この浜は「東洋一の白い砂浜」がキャッチフレーズの海水浴場で、純白の砂浜が延々と4kmも続きます。真っ白でサラサラしたコーラルサンドは気持ちの良いものです。海の色もエメラルドグリーンからコバルトブルーに変化します。ホテルの庭を抜けると、この浜に出られます。このページの冒頭の写真はこの浜で撮ったものです。夕食の前に皆で浜に出てみました。白砂がとてもきれいで、海も薄い青です。日の暮れが遅いので、夕日にぼんやりと見えました。
 目の前には来間大橋の先に来間島が見られます(写真では左端に少し見えます)。この島には2日目の夕方、バスで渡りました。

3. 第2日 伊良部島ほか
 第2日の訪問地は宮古島の周りにある4島、伊良部(いらぶ)島、下地(しもち)島、池間(いけま)島、来間(くるま)島です。
 まずバスで平良港に向かい、波止場から伊良部島行きのフェリーに車ごと乗りました。フェリーでは上部甲板に登り、フェリーの発着の様子や周りの景色を見ました。島はバスで廻ります。島は細い水路で伊良部島と下地島に分かれており、水路には橋がかかっています。伊良部島は佐和田の浜と渡口の浜、下地島は訓練用飛行場と通り池に寄りました。佐和田の浜は、静かな遠浅の海に大岩がころがっています。かって高潮が島を襲ったとき、大小多くの岩を浜に残していった名残りのようです。 また、この浜には次に述べる空港の誘導灯が延びています。
 飛行場には民間の航空会社が操縦の訓練のため、それぞれ航空機で来島し、発着の練習を繰り返しているようで、その時は3機が来ていました。通り池は大小二つの池からなり、それぞれ直径は75mと55mで、深さは45mと25mです。雨水による石灰岩の浸食が造った自然の造形で、二つの池と外洋がつながっており、県の天然記念物に指定されています。渡口の浜は伊良部島の代表的な海水浴場です。白い砂浜と透き通った海は南国情緒を堪能させます。
 二つの島を一周した後、伊良部島から平良港にフェリーで戻り、宮古島のみやこパラダイスに行きました。温室のように花が咲いているところに、蝶が飛んでいる蝶々園を見て、予約してあった昼食をとりました。園は約500坪あり、宮古島棲息の15種類1000羽の蝶が飛び回っています。オーゴマダラ(日本最大の蝶)のサナギは金色に光っています。次は宮古島市熱帯植物園で、亜熱帯特有の草花が集められています。沖縄を代表するデイゴの並木道があります。
 その後、北端にある池間島に池間大橋を渡って行きました。その前に橋の近くにある雪塩製塩所(雪塩ミュージアム)に寄り、雪塩の製造工程を見た後、製品の特徴を聞きました。雪のように細かく白いさらさらした塩で、多量のミネラルを含んでいるそうです。島巡りの帰りに、橋の近くにある土産物屋に寄り、珍しい貝殻などを求めました。池間島の東に浮かぶ大神島は少ない人口ですが、島の祭は門外不出だそうです。島を縦断する途中で砂山ビーチに寄りました。パウダーのように細かな砂で、浜に行くには靴を脱いで、はだしで歩きました。砂が靴の中に入ってしまうからです。平良港の近くでは、車窓から人頭税石を見ました。
 最後に島の南端にある来間大橋を渡り来間島へ行きました。島の展望台からは橋が見え、対岸の与那覇前浜には東急リゾートが望めます。写真は来間島の展望台から見た来間大橋と宮古島です。

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4. 第3日 東平安名崎ほか−宮古空港−羽田空港
 第3日の観光先は「琉球の風」、海宝館、東平安名崎(ひがしへんなざき)で、最後は宮古空港に向かいました。
 「琉球の風」は名産品の物産館で、宮古島の特産品を展示、即売しています。
 海宝館は貝の博物館で、色や形の美しさ、生態などをわかりやすく展示しています。子供の頃から貝を収集していたという、城辺町出身の幸地和夫館長のコレクションを主に、世界の貝を展示しています。今年で開館10周年だそうで、館長自らが案内してくださいました。
 東平安名崎は島の最東端にあり、紺碧の海に2kmにわたり高さ約20m、幅120〜250mの台地が突き出した、美しい岬で、日本都市公園百景の一つです。南に太平洋、北に東シナ海が広がっています。マムヤ(絶世の美女の悲しい物語)の墓があります。琉球石灰岩のカルスト地形に特有の海岸性植物群落が展開しています。岬の先端には、平安名崎灯台があります。右の写真は、東平安名崎の遠望です。
 これらの観光の後、宮古空港に向かい、直行便で羽田に戻りました。

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5. 宮古島紀行 今井倫子(長姉)
沖縄の中でも海の色が一番美しいといわれているエメラルドグリーンの海、宮古島へ行った。
 悌二(長兄)が声をかけてくれた。「宮古島へ皆で行かない?」って。中々行けない所。淑子(次姉)と相談して「皆と一緒なら行かれるかも?」と同行させてもらうことに決めた。"2泊3日のツアー" さあ、それからが大変。何が?って、着るもののこと。東京は寒中で沢山着込む毎日、沖縄は多分20度位ではないかと思うので、出発当日、着ていくものをどう調節したらいいのかと迷う。暫くして決まった出発時間が昼頃とわかり、1日目はどこへも行かずに夕方ホテルに着く、ということなので着るものの心配は少しへった(コートをぬぐくらいでいいのではないかと)。悌二が自由が丘から一緒に行ってくれるといってくれたので助かった(空港でまごつかなくてすむので)。
[1月18日]
 いよいよ出発当日。寒かったけど快晴。蒲田からバスで行く。悌二・慶子さん(兄嫁)の後について羽田に到着。11番カウンター前に到着。靖三夫妻より早かった。ロビーで腰をかけていると、修学旅行の高校生達が大勢集まってきた。友達と喋りながら前の椅子に座った女生徒に聞くと、福岡の高校2年生、男女150人の団体とのこと。北海道でスキーを楽しみ、東京を廻ってこれから帰るところだという。で、やっぱりディズニーランドが一番楽しかったようで、「これからは来年の大学受験に向けて勉強です」と嬉しそうに話してくれた。高校生達は各々お弁当とお茶のボトルの入った袋を下げて並びはじめた。修学旅行に行けなかった友達、そして家族達は、そのおみやげの数々を、どんなに楽しみに待っていることだろう。私たちの飛行機のほうが先に出発する。13時25分、定刻に出発、離陸、もくもくの白い雲の上に出て、じきに右側の遠くに、こんもり高い白い雲の山が見えて来た。白い雲と同じだけど、山のような格好をしている。富士山かしら、しばらく進むと「ああ、富士山だ」右眼下にくっきりと、上の方だけ雪をかぶった富士の姿が見えて来た。白い雲以外は何も見えないのに、雲の上に顔を出している富士山。やっぱり高いんだなーとじーと見入っていた。窓際の席に感謝した。 那覇のこの日の温度は22度とのこと、東京とはこんなに違うんだと驚いた。那覇で宮古島行きの少し小さい飛行機に乗り換え、定刻より少し早目に宮古島空港に無事着陸、一同ほっとした。
 現地の添乗員さんの案内でバスに乗車。ホテルに直行。
 この宮古島には大小八つの島がある。隆起サンゴによって出来た島で、水深10米以下がエメラルドグリーンに見える(と聞いた)。機上の窓から見下ろしたその海は本当にその色、何で……と驚く程、美しかった。
 飛行機の中で見たパンフレットに書かれていた宮古島のことをちょっと書き添える。と。この宮古島の水源は殆どが地下水。珊瑚礁でできているこの島、雨水が浸透性の高い琉球石灰岩の地表を抜け、島の下で大きな水蔵を持っている。地下水が湧き出る場所を"いりウプカー"と呼ぶ。(ウプは大きい、カーは川、ガーは井戸ということ) ここの海が沖縄の中でも特に美しい海といわれる理由は、山も川もないので海に土砂が流れてこないからだといわれている。山なし、川なし、もう一つないものはハブがいないことだそうだ。昔、水が地表に上がったことがあったので、それ以来ハブの姿は無いとのこと。
 美しい島なので、これからはダイビングの人達で賑わうことだろう。今はまだ静かだけれど。
 ホテル(宮古島東急リゾート)入口の道の脇には、ピンクの花が咲いている木があった。長い花びらが5枚位ひろがっている。(こぶしの花より小さいが、こぶしの花が開きすぎて花びらがたれ下がっている感じ)葉っぱは全然なく、まるで枯れ木のよう。そこに花がついている。珍しかった。バスの中から窓越しに見たのでガク等もわからず、名前も分からないが、初めて見た花、葉がないし、花びらの形、咲き方も変わっている。そばに寄って見たかったのに。次の日に名前が分った。木の綿と書く。木綿(とうわた、きわた)違うかな? あの花のあとに卵大の堅い実がなって、その中に綿が入っている木らしい。ほかの場所で、その実が落ちて(黒くなっていたけれど)割れていたのを見たら中に綿が入っていた。さわることはできなかったが、もう一度名前を確認して来ればよかった。ほんとに残念。あの花とこの木が同じかも、よく分からない。グレーぽい枯木のような木にうすーいピンクの花、どんな葉が出るのだろう。印象に残った花木でしたね、あれは。ツアーでなければ、また、戻って見に行けるのに、時間、々々でずんずん通ってしまうので、よく見ることも、ガイドさんに聞く暇もなく、残念なことばかり。

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 ホテルの部屋は、2階、202,203,204で淑子と私は204号、窓からは庭を越して海が少し見えるきれいなお部屋でした。
 夕食時間は8時半から(遅過ぎ)とのことなので、部屋で荷物を片付けてから、暗くなる前にホテルの前庭から浜に出てみることにした。庭にはトックリ椰子、ランタナ、ブーゲンビリヤ、ハイビスカス等々咲いている。少し風があったが、肌に気持ちいい涼しさに感じられた。東京では考えられない陽気だ。広いきれいな砂浜があったが暗くなって来たので、ホテルに戻り売店を廻ってみる。広い売り場があるけれど、おみやげに良さそうなものがないので見ただけ。売店の先のレストランでおそい食事となる。6人でカンパーイ。バイキングなので量も調節でき、よかった。宮古独特のものはないようだったが美味しかったし満足。ごちそうさまでした。
 淑子は風邪ぎみなので部屋に戻ってすぐにベッドにもぐり込んだ。私は細川さん、大樹(ひろき 孫)君、そして自分に、と3通葉書きを書いた。宮古島の消印を記念にと思ったので。絵葉書が売店にもなかったので、この部屋の引出しにはいっていた3枚の絵葉書を使うことにした。細川さんと、大樹君にはエメラルドグリーンの海のを、私には残りのホテルの写真のを使った。私が東京に帰る方が早いのは分かっているけれど、この日の思い出になるので自分にも出すことにした。翌朝、食事に行く時にフロントのボストに入れた。
 翌19日(2日目)の朝の集合は8時とのことなので朝食は6時半に決め、お風呂には入らずにベッドイン。窓の外は真っ暗、さっきまで灯いていた庭の明かりも消えて、真の闇。星も月も見えない黒一色。ホントにまっくら、まっくろ、こんなことも東京では絶対に味わえない。不思議な感じだった。おやすみなさーい。

[19日] (宮古2日目、今日は宮古の他、4島をまわる)
 6時に起きる予定だったが、5時頃に目がさめてしまったので起きることにした。外はまだ真暗。ゆっくり着換え、洗面、今日の予定を見たり、まだ眠っている淑子を起こさないように静かに過ごした。淑子も目覚め、気分は幾分いいかも、という程度、大丈夫かな? テレビを見たりして、6時30分食事に出かけた。6時半と早いのにレストランにはけっこう人が来ていた。食後、日の出に間に合うというので、6階の屋上に行ってみたが雲が多くてぜんぜん見えなかった。
 2日目の行程、フェリーの時間の関係で来間島(くりまじま)は最後に廻ると変更に。8時にホテルを出発、平良(ひらら)港へと向かった。港に待っているフェリーには、バスに乗ったままで乗船、下車、2階の甲板席に腰掛ける。バス2台と数台の乗用車を乗せ出港。25分程で伊良部島へ着く。バスに乗ってフェリーから下船、右側、ところどころに海が見える所を走る。ガイドさんはいろいろ次々と話をしてくれるけれども、とてもおぼえられない。あーそーか、と聞いているだけ。でも"サシバ"の事は耳に残った。
 宮古諸島はサシバ(ワシタカ科)の越冬地として知られているという。寒くなって来る10月頃になると遠いフィリッピンへ渡る途中にここへ寄る (シマバンダカともいうそうだ) 。越冬国際保護鳥となっている。宮古の島々の中で、ここ伊良部が一番多く、その90%位が春までここで越冬するそう。海で魚を捕って食べるのだろう。「あすこを見て下さい」ガイドさんの言葉に指さす先を見ると、海に面した突端(だろうと思う)の小高い樹木の茂みの上に大きな"サシバ" (多分コンクリートで、できているのだろう)が羽を広げようとしている像が建っている。バスから大分離れているのに樹の上から出ている鳥の身体、上半分(足のほうは、どうなっているのか)が結構大きく見える。近くで見たらどんなに大きいのか、近くに寄れない場所なのかも分からないけれど、知りたいと思った。観光客のために作ったのかも、ね。ぐるっと廻っての帰りにも"違った鳥"の像が見えた。遠くだったし木の上にちょっと姿がみえるだけ。こっちはただ止まっている姿に見えた。「さっきのとは違います」と説明されただけで通り過ぎてしまった。海のほうから見たら、どんな所でどんなに見えるのだろう。
 佐和田の浜で下車、日本百選の一つ。この遠浅の海には沢山の大きな岩が点々と顔を出している。これは昔(江戸時代)大きな津波に襲われた後の置き土産だそうだ。珍しい現象ですね。津波で打寄せられた沢山のサンゴのかけらが集まって出来た岩(小さな島のように見えるのもある)達だそうだ。岩の上には緑の苔か、遠いので分からないが緑色に見える岩もあった。この岩をバックに添乗員さんに一枚、パチリと写してもらった。バスで下地島に向かう。

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 伊良部島から下地島へは小さな橋(なかよね橋とか聞こえたけれど聞き違いかも知れない)を渡ればもうそこは下地島。ガイドさんいわく「このバスがガタンと云えば、もう下地島です。」と。本当にガタンとなった。「ハイ、下地島に来ました。」笑い。この二つの島は、これ程くっついている。一つの島のようだが、伊良部島、下地島と分かれている。ここ下地は今、普天間問題で話題になっている島だ。パイロット訓練飛行場のある所。先ずそこへ。フェンスに囲まれた広ーい空地(ではない)がある。フェンスの金網部分には細かくしたガラスウールがついているので、「さわると細かいガラスがささってしまうから気をつけるように」と教えてくれた。フェンスの間からカメラを向けた時に、フェンスの金網にトゲトゲした細かいガラス片が密生しているのがわかり驚いた。やたらにこの囲いの中には、しのび込めないようになっているのかな? 10時過ぎると練習が始まるとのことで、もうその時刻、1機位は見たいものと思っていたら、来ました、来ました。 (遠くですが)左の方から、ANAらしい青い尾翼の飛行機がゆっくり目の前(といっても遠いのですよ)を右へ、右端の滑走路へ出て左へ曲がり、いよいよ滑走、右手の先のほうで離陸していった。次に、また1機、その次は赤い尾翼で大きかったが同じように飛び立っていった。民間のパイロットの訓練所なので、飛び立っては一廻りし、着陸、そしてまた、直ぐ離陸。その練習をする所だそう。夜間でも場所が分かるように、灯りがつけて(海面の方にも)あるそうだ。そこを後にして「通り池」へと進む。 「通り池」沖縄指定記念物。池といっても海の続き。今まで見て来た海の色(エメラルドグリーン)と違い、見るからに深そうだな、と分かる。濃い紺、黒といってもいい位、黒い水の色。二つの池とも同じ色をしているのは当り前。底がつながっているのだから。池といっても底は海。海底の鍾乳洞で上は分かれているが、底がつながって通っているので「通り池」というらしい。珍しいですね。バスに乗り、再びガタンと短い橋を渡って伊良部島に戻り、「渡口(とぐち)の浜」へ。渡口の浜、エメラルド・グリーンの美しい海へ。岬のように突き出している先まで行けるので、行ってみる。右側は入江のような所になっていて、そこの水の美しさは何といったらいいのか。エメラルドグリーンというのかブルーというのか。とにかく何とも美しい色をしている海。静かで水の色も濃淡があってとてもきれい。歩くところは堤防のようになっていて歩きやすい。細いその堤防?を進むと、その先は広い海、その海は5色の海(7色だったかしら)といわれているそうだが、本当にそう見える。海の深さ、海底がサンゴ礁か、砂(サンゴの砂で白い)等で同じエメラルド色でも黒く見えたり淡かったり、そこに又白い波が色を添え一際美しさを増す。その濃淡が横縞になって広い海面を彩っている光景はいつまでも眺めていたい程だった。そしてその岬のような堤防の反対側(左側)は岩もなく、静かな海、広い美しい浜だった。ゆっくり景色を眺めているひまもなくバスへ。フェリー乗り場まで行く途中の道の左右に、お墓が沢山並んでいる。お墓といっても石塔(墓石)ではない、立派なお墓の家という感じ。コンクリートで出来ている。ゆるやかな勾配の屋根、そして庇の奥に入り口があってお骨を入れる。形はいろいろだがどれも大きい。タイル張りのもある。全体に色が塗ってあるのも多く、その色にも流行がある由。ブルー、黄色、うす緑、ピンク等々色とりどり(タイル張りのも同じ)で明るい。お墓の建っている場所は高台で陽当たりはよく、眺めもよく、宮古島も望める一等地とのこと。このお墓の仏様達は宮古からここへ移り住んだ人達なので故郷を懐かしんでの事らしい。佐良浜港からフェリーで宮古に戻った。
  「みやこパラダイス」へ。 ここは沢山の熱帯植物や蝶がいる。ブーゲンビリアをはじめ鮮やかな色の花が美しく咲いている。葉も思いなしかつやつやしていて緑が美しい。珍しい「おおぎ椰子」の木を見た。葉の付き方が(茎[くき]かも知れない)扇のように見えるので「おおぎ」というのかも知れない。昔、旅人がこの茎を切ってその水分を貰ったとか。大切な木だったのだろう。奥に蝶々を放し飼いにしている所がある。沖縄の珍しい蝶を数種類、放してある。沢山の花と一緒に広い囲いの中で飛びまわっている。日本最大のまだらちょう「おおごまだら」(羽をひろげると18cm位)も沢山飛んでいる。それはゆっくりと優雅な飛び方だ。手でつかまえられそう。下の方で、飛んではすぐに花や葉に止まって休んでいる。この蝶は毒なので天敵がいないので、こんなにゆっくりと飛んでいるらしい。ホーライカガミという毒草を食べて育つので体も毒らしく誰にも食べられない。で怖いものなしなので低いところをゆうゆうと飛んでいるという訳か。他にもオレンジ色や黒地に模様のあるもの等々いろいろな蝶が舞っている。もっとゆっくり見ていたかったのに。そしてここで昼食。 (悌・慶・靖)は「マンゴーカレー」、(和・淑・私)は「みやーくやー御膳」。「みやーく(宮古)やー(家)」という意味で宮古の家庭の味という意味だそう。宮古そば、野菜入りおかゆ、あとは、もずく、あぶらみそ、ミミガーがほんの少し野菜に交ぜてある酢のもの等が小さな器にはいっていた。味はうすくて美味しかったので殆ど食べてしまった(珍しさも手伝ったのかも)。珍しいものがあるというので行ってみる。"さなぎのクリスマスツリー"だという。ありましたよ、本当に。それは"おおごまだら"の"金色のさなぎ"が80cm位の木に沢山ついている。ホントに金色をしている。ビックリ。これでは気味が悪くて、鳥や動物、とかげ等も食べようとは思わないだろう。驚きでしたね。ここだったか椰子ガニ(大きくて黒かった)も見た。

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 "宮古島市熱帯植物園"、変わった色のプーゲンビリアや大きなポトス(地植えにすると、温度もあるだろうが、あんなにも大きくなるかと思う程の、のび方)。他の木に支えられているが、背も高くなっていて、その大きな葉には驚いた。つやつやした厚みもありそうな斑入の葉で、よく見てもたしかにポトスに違いない。こんなに大きくなるなんて……、長くのびているつるの一番先についている小さい葉が私の知っている普通の大きさだった。これにもびっくり。背の高い木でパイナップルの様な実がなっている木があった。名は"アダン"、今は実の色が緑、熟して黄色くなってもおいしくない、(いくらか甘いそうだが)という。まずいので土地の人は食べない。おいしそうなので、たまに観光客がとって食べてみるそうだが、まずいので驚くという。葉が"ねむの木" に似ているのは"銀ねむの木"というそうだ。今は1.5cm位の丸い白いポンポン玉の様な花、花びらは見えない。手にとって見ないので分からないが、しべばかりが集まっている様に見えた(集合花?というのかしら)。八つ手の花の小さい様に見えた。カワイイ花。同じ木に黄色くなった細い莢の種も下っている(前に那覇に来た時に種をもらって家で播いたが出なかった)。あの時も咲いていたうす紫のきれいな朝顔も咲いていた。そして木は余り大きくはないが、大きな葉っぱ。それが紅葉していて、あちこちに落ちている。少し厚みがあり、つややかで何とも美しい真紅色。余りそのつやのある赤い落葉がきれいで踏んで歩くのにしのびず、枯れてガサガサになるのは分かっているけれど、2枚拾った。結局、ちぢんで色もあせてしまったが、パンフレットにはさんで持ち帰った。あとでガイドさんにその名を聞いたら「ももたまな」というのだそうだ。家に帰って百科事典を見たらあったんです。「シクンシ科の半落葉性の高木とあった(そんなに高い木ではなかったけど)。沖縄などの熱帯海岸に生える。玉子形の葉は秋に紅葉。夏に穂状の淡緑白色の花が咲く、街路樹・建材、樹皮はタンニンの原料」とのこと、ハイ、分りました。次は「池間島」へ、途中、左手に「西平安名崎(にしへんなざき)」の風力発電の風車が見えた。バスの窓ごしに見ただけで池間に向かう。  ガイドの下地(しもじのり子)さんは、この池間の出身だそうで、「ここは消費税がつかないので、お土産は是非ここで買って下さい。」とか「ここの雪塩ちんすこうは袋入りがあり、この方が中身が多くて安いので、おすすめです。」と宣伝上手で私もここで買ったのです。
 長い池間大橋を渡って島に入り一周する。といっても25分で廻れてしまう。「はい、これで一周しました」とバスはお土産物やの前で止まった。小さなお店が2軒並んでいた。島のまわりを急いで走っただけで島内の様子は全然分からない。そして又長い池間大橋を渡って宮古へ戻り、「雪塩ミュージアム」へ。
 「雪塩製塩所」ここで作っている塩は雪の様に白くフワフワしているミネラルたっぷりの自然塩、豆乳に交ぜればお豆腐も作れるという。ギネスにも認定されている由。この塩は海水を汲み上げるのではなく、陸地から深い穴を掘って海水を汲み上げたものを熱した鉄板へ霧状にして吹き付けて、一瞬に乾燥させる方法で製造しているので、ミネラルも海水そのままで最も身体にいいそうだ。ということで私も買ってきましたよ。「にがり」を買わなくても、この雪塩で出来るお豆腐、食べてみたいでしょ。ここの製造元でしか売っていない包装袋入りのを買いました。悌二は「雪塩入り」のソフトクリームを食べ、美味しかったので、淑子も買い私はそれをスプーンですくって食べ、おいしい思いをした。
 そこから「砂山ビーチ」へ。ここ「砂山ビーチ」は先ず白い砂山を登って行く。両側には草木が茂っている。その間の砂道を登る。靴ではザクザクともぐってしまい歩きにくいので素足でないと無理。「靴をぬいで」と言われ、私はストッキングだったので、靴をぬぎストッキングのまま歩いた。意外や意外、沢山歩いて、ほてっている足の裏がひんやりして何ともいい気持ち。サンゴだけの白砂なので全然よごれず、足の裏に砂もくっつかない。白い砂の山道を靴を下げて、ズブリ、ズブリと半分白砂に足が埋まる感覚で一歩一歩登って行く。ずんずんは歩けない。暫く登ると、今度は下りになる。そこから下を見ると急な下り坂で、砂浜になり、美しい海が待っている。でも浜まで下るには随分急な傾斜、ズブズブ足が砂に潜りながらこの坂をどうにか降りたとしても、帰りにこの急な登り坂をズブズブ昇ることは絶対にできないと思った。で、この先には進まずに、ここで皆の帰りを待つことにした。和子さんも淑子も降りずに一緒に待って一休みすることにした。下の浜には通り抜けできる岩穴があると聞いたが、とてもそれどころではない。あの急なそして白砂に足をとられ、蟻地獄のように這いあがれない私を想像してしまう。何しろ砂に足が潜ってしまうのだから。フーフーいいながらやっと昇ってきた人達を見ても降りなくて良かったと思った。慶子さんはえらい、悌二と一緒に降りて昇ってきたのですから。元気でよかったわね。足の砂を払って靴をはく。砂はサラッと落ちて靴の中も、ザラッともしない。不思議な砂だった。ガイドさんがいうには「沖縄の砂はサンゴだけで出来ていて鉄分もないので熱くならず夏の暑い日でも砂の表面が熱かったら少しどけると冷たい砂が出て来るんです」そうか、砂の質が違うんだ。とてもいい経験をした。「来間島(くりまじま)」へ向かう。町の中をバスの窓から眺めながら進む。途中、左側に「人頭税石」という石が立っていた。ガイドさんの説明によると、昔、この島では、男は漁の獲物を、女は自分で織ったものを税としておさめていた。収入との割合は、8割位は税としてとられるので、とても大変だったらしい。大人になれば、一人一人別に税を出さなくてはならず、その頃は誰が何才かということもよく分からなかったので、背の高さで大人だと決めたらしい。今考えると変な話だけれど暦などもまだなかった頃なのか、いつ生まれたのか、何年経ったのかも良く分からなかったのだろう。その税をとるために、この石を立てたという。その石と背比べして、もし石より高ければたとえ子供でも一人前の大人として一人分の税を払わなければならなかったらしい。高すぎる税と、背の高さで決めるやり方には住民達は、それはそれは大変なことだったろう。その理不尽な税の名残で残してある「人頭税石」が道路の傍らに建っている。
 バスで通った道には人影はほとんどない。医院、病院、美容院、銀行、毎日新聞社、お食事処、警察署、総合ショッピングセンター等あったけれど、歩いている人は見かけなかった。その辺りの街路樹は「琉球黒檀」といって細い葉のあまり大きくない木で、「三線」の棹に使う木だそうな。沖縄本島では魔除けとして屋根にシーサーのっているけれど、ここ宮古島では屋根にシーサーの姿は全然なく、飾りとして門のところ等にたまに置いてある家もあったけれど、ここでの魔除けは「水字貝(すいじがい)」(巻き貝で6本の角が生えている。貝の色は海の中にいる時の色は分からないが、うす黄? うすオレンジ、茶? の模様があり、大きさもいろいろで)殻の形が「水」の字に似ているのでそういうらしい。(辞書では火除けと書いてあったが)魔が家に、はいらぬ様にと、門とか、入り口のドアーに貼るのだそうだ。実際にバスの窓から見えた家(昔から民宿をやっているそう)には貼りつけてあった。同じ沖縄といっても離れているので、本島のほうは、中国の方から、宮古のほうはもっと南のほうから来たしきたりらしい。「シーサー」が屋根に乗っていない謎がとけた。おみやげ屋さんにはシーサーばかり大から小まで沢山並んでいたけれど、シーサーのほうがカワイイかな?  町を抜け来間島(くりまとう)へ向かう。来間島はホテルから海の向こうに見える島。島といってもなだらかで広い。ホテルから見ると左手に長い橋が見え、こちら側からこの橋でつながっている。バスで橋を渡る。この来間大橋は1,690m。エメラルド色の海の上を一直線に島に向かう美しい橋(1995年に出来た)。この辺の海には海亀が来るそうで、たまたま息つぎのために海面に鼻づらを出すので姿を見つけることもあるという。そのせいか、この橋の手摺の所どころに泳いでいる海亀の姿を描いた(抜いたというのか?)透かしのがら板がはめてあった。この島は珍しく農業の島だそうで、畑が並んでいる。畑の間の道をぐるっと廻って橋の近くで下車、「来間東農村公園」に行く。入口の両側には(もとは)大きな赤土色の「シーサー」像が坐っていたが、台風の時に右側のが壊れてしまい、今は左側のだけが一つ淋しそうに坐っていた。(写真の台座はシーサーがいないほうです)公園内の小高い所にのぼり、そこから海をへだてた対岸のホテル等を眺めた。エメラルドグリーンの静かな海の向こうの陸地は緑一色。その左手のほうの緑の中に建つ白いホテルが目をひく、美しかった。2日の行程は終了。ホテルへ帰り夕食。食後、私達の部屋に一同集って、悌二が撮ってくれたデジカメの画像をテレビに写して見せてくれた。そこでちょっとお菓子をあげっこしたりして(子供みたいネー)各部屋へ。お風呂にはいって、おやすみなさーい。2日目無事終了。淑子も大丈夫らしい。ヨカッタ。

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[3日目] ツアー最終日
 淑子も元気になり、お天気も良し、恵まれましたね、ありがたい事です。今朝は出発9時なので、朝食は7時にという約束。
  『そうそう、これは予定外のことで、私だけが見た素晴しいことがあった。それは何? なーんだそんな事と云われるかも知れないけど、私にとっては、とても得られないひとときがあったんですよ。星空です。20日、この日も朝、5時に目がさめたので、淑子を起こさぬ様にそーっとカーテンを開けて外を見ると、ヤヤヤヤ、昨日は窓に真っ黒の紙を張りつけたのか、と思う程真っ暗で、何も見えなかったのに、(曇っていたのかしら?)今朝は何と美しい星がまたたいているではないか。なにか、「見てよ、見て見て」と呼ばれているような気がして、暗い中、手探りで、ガラス戸の2カ所ある鍵を音がしない様に、そーっと、そして急いではずしてベランダへ出て驚いた。な・な・何となんと、黒い空に満天の星が、それもキラキラ光ってまたたいているではないか。大樹君の文化祭のプラネタリュームより?大きくてはっきり見える。まるで屋上の直ぐ上で輝いているみたい。屋上ではないので視界が狭いのが何とも残念だけれども、頭の真上から横の方に目を移しても、はっきりと、大きな星、小さな星がまたたいている(この美しさは季節的なこともあるかも知れないが)。じっと立っていると、寒い寒い。昼間は暑いくらいだったので、何も上にはおらずに出て来てしまったので、この寒さは何だ、というぐらいに寒い。でも去りがたい。宮古でも、夜中(もう朝だったけれど)こんなに冷えるのかと、とに角、部屋にはいり、ゴソゴソ動いていた淑子に声をかけ(もう6時近かったので)起こしてしまい、またベランダに出て一緒に星を見た。もうこの大きなキラキラ星の輝きは一生見られないと思った。これは、この旅行で私にとっては一番の収穫だったかも。そんな気がした。そして寒くない様に着替えをしてもう一度ベランダへ出た。さっきとは少し位置が変わり、北斗七星の全体の姿と、北極星もよく見えた。星座の名前にうといのが悲しかった。北極星が一番大きく輝いていた。5時55分まで出たりはいったりして見ていたんですよ。キラキラ、チカチカ輝いていて、本当に美しいお星様達でした。四方見渡しても、何一つ光源がない所だったのが幸いしたのでしょうか。都会では到底無理ですね。この星の輝き、エメラルドグリーンの海、そして一緒に行った皆のおかげで過ごした数日の幸せな旅のこと、だんだん年をとってぼけて来るとみんな忘れてしまうのかしら、なんて考えるとちょっと淋しいけれど、まあ、その時はその時、それまでは元気で楽しむことにしましょうね。』
 宮古島最終日、朝食後、出発(9時)まで時間があったので、ホテル前の浜へ出てみる。この浜は「前浜ビーチ」といって美しい3つのビーチの中でも一番だそうだ。サンゴの美しい砂浜が続いている。その白砂をひと握り記念にもらい、小さな貝殻を見つけたのでそれも2、3ケ拾った。近くにいた男性が自分の拾った貝殻をくれたので遠慮なく「アリガトウ」ともらった。浜からあがって庭で写真を撮ってもらい、プール等を見ながらホテルに入った。部屋で荷物をまとめ、3日目の目的地へとバスに乗り込んだ。もうホテルには戻らないので旅行バックも載せて9時出発。まずは「琉球の風」、ここはお土産物やさん。細川さんに大判のハンカチを買っただけで、あとは欲しいものもなく、ぐるっと見ただけで店を出た。それから東平安名崎へ、ここ「東平安名崎(ひがしへんなざき)」で皆の集合写真を撮った。出来上がりは帰り、空港で渡すとのことで、記念になると思い申し込んだ。逆光だったけれど、さすがは専門家でした。
 「東平安名崎」は宮古島の最東端で平坦な草原の長い岬が海に突き出ている。その先端にある灯台までテクテク歩く。海の色はここも同じで美しい。日本百景の一つとか。緑の草原には、春になるとテッポウユリが沢山咲くという。昔から自然に群生しているのだそうだ。咲きそろったらどんなにきれいだろう。いい香りもするだろうし。ずっと先に見える白い灯台に向かってエメラルド色の海を左に見下ろしながら歩を進める。ここの海は岬の左側が太平洋、右側が東シナ海で両方がぶつかる地点。本当にガイドさんの云う様に、先端の少し左の海面を見ると右から来る(東シナ海)白波、左から来る(太平洋)白波がそれぞれ向き合って白い筋のようになって寄って行く。目の前で合わさっているのが波の向きでよく分かる。これは何とも珍しい。自然の本当の姿と云うのか本当の現象と云うのか、がこの目で見ることが出来驚いた。両方の海水が交わる場所へ行って海の中に立ってみたら(そんな事出来っこないのは分かっているけれど)、どんな感じがするかなー、水の温度は? 底の方は渦でもまきながら混ざり合うのかなー、その辺にお魚はいるのかなー等々遠くからその寄り合う波を眺めつつ、いろいろな事を考えてしまった。これも大きな収穫。大樹達にも見せてあげたい。なにしろ時々曇るがお天気がいいので、どこへ行っても景色の良さは抜群。幸せだった。草原の中に「マムヤの墓」がある。昔の事。絶世の美人だったマムヤは、偉い人だった男性に見初められ、大恋愛となったが妻子があったために添いとげることが出来ずに、この岬から身を投げてしまった。という伝説で知られているという。そこにある小さな岩の祠の中には、石の墓標と、横にマムヤの肖像画? が立てかけてあった。琉球の髪型の美しい顔立ちの女性だったけれど、この場所にあるこのお墓。名所? になる程愛され、そして悲恋に終わった美女のお話は伝説としていつまでも語りつがれることなのだろう。当時は大ニュースだったに違いない。

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 先端の白い灯台は上まで登れるけれど(私には階段で無理)とても時間(バスに乗り込む)がなく、皆あきらめ、草原の中の道を急ぎ足でバスに向った。草原の中には白いテッポウユリが一株(花が二つ三つ)咲いていた。琉球あざみのピンク色も見えた。再びバスに乗り、最後の観光先・海宝館へ。ここは子供の時からこの海で、自分でとった貝を集めるのが好きだった人が、だんだんと世界中の貝を集める様になり、それを皆に見てもらいたいと造った所だという。その館長さんからご自慢の貝の説明を聞いたあと、これもご自慢の「泡盛」の試飲をさせてくれた(勿論売るためにも)。小さなカップのその泡盛は、透明、香りはなく、味もよく(全然アルコールくさくない)、多分おいしいのだと思うけれど、酔ったら大変、一口飲んで淑子へ、そして悌二にも空にしてもらった。貝ぼたんのような貝(夜光貝というのかな)で作ったプローチ等も売っていたが買わず、荷物にならない「干しもずく」だけ買った。
 さあ、これで今回の観光は総べて終了、無事に終わってほっとした。オメデトウ。
 宮古島空港に到着、ガイドの下地さんにお礼を云い、空港内へ。ここで東平安名崎での写真を受け取り、添乗員の下地さんにもお礼を云って別れた。
 帰りの飛行機は羽田直行だ。出発(13時20分)までに、まだ間があるので、空港2階のレストラン?で昼食ということに。宮古の名物のようなメニューはなく、天丼、かつ丼、そば等、私は淑子とサンドイッチを半分ずつ食べた。宮古での最後の食事なので思い出に残るものがあったらと思ったが残念。ちょっと情けないお別れの食事でした。この宮古島空港の建物は外からでは分からないが、上空から見ると「サシバ」が羽を広げた形になっていると云う。で、飛行機が飛び立った時、窓から下を見たけれど、全然見えなかった。これも残念。
 だいたい定刻の3時45分頃、一同何ごともなく無事で羽田に着き、羽田からは往きの反対に、バスで蒲田へ、多摩川線で多摩川へ、東横線で自由が丘、大井町線で尾山台へと帰った。淑子も元気、私も元気だが便秘気味。あの毎日食べたものが一体どこへつまってしまったのかと首をひねる。が、まずまず家に着いてほっとした。この日、宮古は25度、東京も暖かくて18度だった。
 本当に楽しく快適な3日間を過ごせて幸せ、妹、弟達に支えられたおかげを深く感謝している。心からお礼をいいます。ありがとうございました。
 キラキラ輝いた大きなお星様、ありがとう。

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[Last Updated 1/31/2011]