小石川七福神

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 前に樋口一葉の足跡をたどり、本郷菊坂を下ったとき、こんにゃく閻魔の源覚寺に立ち寄りました。この寺が小石川七福神の毘沙門天を祀ってあることから資料をもらってあったので、今年(2010[平成22])年の正月の七福神巡りは、ここを選びました。始点は都営地下鉄三田線の春日駅から近い東京ドームとし、反時計方向に歩いて、終点は東京メトロ丸の内線の茗荷谷駅近くの深光寺としました。東京ドームはJR中央線の水道橋駅、または東京メトロ丸の内線・南北線の後楽園駅からもすぐ近くです。コースはほぼ春日通りに沿っており、途中に傳通院があります。小石川七福神は平成7年の発足で、比較的新しいコースです。

小石川七福神コース         



詳しくは地図を参照して下さい。

1 東京ドーム(福禄寿) 文京区後楽園1-3-61

 水戸徳川家上屋敷として、二代光国の時完成した現後楽園庭園に、かつては福禄寿が祀られていました。庭園地続きの屋敷地に威容を構える東京ドームは、野球の殿堂、ラクーア、アトラクションズ、ホテルなど総合娯楽センターです。前記の縁で再祀される福禄寿は、東京ドーム22番ゲート前総合案内所横、クリスタルポイント(ガラスの三角塔)を回り込んだ奥、植込みの中にあります。すなわち「アトラクションズ」ジオポリスの屋上です。
 2010年の正月に訪れたときは、丁度工事中で、見つけにくい場所にあり、しばらくは12月29日〜1月11日しか参拝できないようです。
2 源覚寺(こんにやく闇魔 毘沙門天) 文京区小石川2-23-14

 文京区役所(シビックセンター)と地下鉄後楽園の間の道(千川通り)を北に行くと、「こんにやくえんま前」と表示のある信号に出ます。ここが源覚寺です。
 樋口一葉始め多くの文学に記されている当寺は、傳通院三世定誉随波上人の開山です。
 寺名の通称は「安置の閣魔大王は、その昔小野皇(竹冠が付く)一刀三礼の御作なり。宝暦の頃、眼病の老婆この尊像に治癒の願を掛く。閣魔、おのが片眼を与えこの願を容れ眼病を治す。老婆、好物蒟蒻を断ち閣魔に報う」に拠っています。歯痛平癒祈願の「塩地蔵尊」も祀られています。 
3 福聚院(大黒天) 文京区小石川3-2-23

 こんにやくえんま前を北進し、最初の角を左折します。これが善光寺坂で、坂を登りきった所の右手に傳通院の広い境内があり、その正面に福聚院があります。寺域には幼稚園が併設されています。
 傳通院の鎮守寺として江戸時代末期に傳通院36世霊応上人により祀られた大黒天をご本尊として、家門繁栄・商売繁盛・心願成就・厄除け・交通安全などの祈願が、大黒天のお祭り『甲子の日』に大護摩奉修されます。境内には咳止め子育て地蔵があり、咳が治るとお礼に唐辛子を奉納することから「唐辛子地蔵」とも呼ばれています。
4 真珠院(布袋尊) 文京区小石川3-7-4

 傳通院を過ぎたところで右折すると左側に円筒形のモダーンな真珠院があります。
 徳川家康公の生母於大の方(傳通院殿)の生家、松本藩のちに沼津藩主となった水野家の菩提寺です。
 開山は運蓮社霊誉単無上人、開基は水野忠清公(真珠院殿)で、歴代藩主の墓碑が存する墓域奥に、布袋大石像が祀られています。
 境内に、布袋に因む釈迦・弥勤・地蔵を祀る三尊堂、浄土二十五砂踏霊場や来迎二十五菩薩を配した岩山などが特色の浄土庭園があります。
 円筒形の建物の左を回り込んだ奥にトイレがあるので知っておくと便利です。
5 極楽水(弁財天) 文京区小石川4-16-13

 真珠院から北進すると、背の高いマンションが見えてきます。パークタワーマンションは吹上坂と播磨坂の間にあり、弁財天はマンションの庭(南側)にあります。
 大橋家旧居に、宗慶寺の極楽井に因み極楽水と呼ばれる泉水が祀られていました。この一帯は戦後昭栄グランドとして利用されていましたが、パークタワーマンションが建設された際、社殿が建立されました。水神を起源とする弁財天様は、水に関わりの深い場所に祀られています。普段は扉の奥にお休みになっていますが、正月松の内だけ扉が開きそのお姿を拝見できます。美しい白蛇像と富士浅間大神の懸け絵図があり、そのお姿は女神です。朱印は宗慶寺に置いてあります。
6 宗慶寺(寿老人) 文京区小石川4-15-17

 マンションに接した東側にあります。
 極楽水と呼ばれるようになった吉水の辺に、聖岡上人が結ばれた草庵は、伝法院とも称しました。三日月上人と呼ばれて親しまれた上人は、後に寿経寺(傳通院)を開山し、幾多の学僧を育てています。
 家康の死後、側室の阿茶の局(松平忠輝生母)は俗世を逃れて伝法院に隠棲し、死後当院に葬られました。これ以降、法名朝覚院殿貞誉宗慶大姉に因み寺名を改称しました。
7 徳雲寺(男弁天) 文京区小石川4-4-1

 播磨坂を登り、春日通りを渡ったところにあります。
 一翁碩觜禅師を開山とし、はじめ解脱寺と称した臨済宗円覚寺派寺院です。後、白鴎山江南寺、さらに妙峯山徳雲寺と現在名に改称しました。開基は旗本深谷又佐衛門外2名です。
 新編江戸誌に「古大木の椎の木あり。元禄中此の御成の時、椎木寺なりと台命ありしより寺の名とせり」とあり俗称となりました。文化財としてキリシタン地蔵があります。
 当寺のご真体は、鎌倉円覚寺の大鐘(国宝)弁財天のご分身で、男性のお顔の《人頭蛇身》です。
8 深光寺(恵比寿神) 文京区小石川4-9-5

 地下鉄、茗荷谷を廻り、坂を少し下った拓殖大学の前にあります。
 寺伝によれば「権現様より御三代まで仕えた御用人森源七郎(深光院殿)が、報恩と御家繁栄を祈願し、寛永年問に創建した」とあります。開山は顕蓮社善誉上人です。
 本堂左奥に、「著作堂隠誉簑笠居士」碑銘の唐破風型の墓石が在り、「南総里見八犬伝」などで名高い江戸の戯作者滝沢馬琴のものです。墓地に立つキリシタン灯寵も有名です。
 商売繁盛、富財の福徳を授けて下さる恵比寿神は、唯一日本固有の福神です。鯛と釣竿姿は《釣りして綱せず》の言われで、清廉にして暴利を戒めた教えです。

参考書 「小石川七福神」 小石川七福神会 および
「空(くう 本郷、小石川、白山 街の本 2010.1 第24号)」

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[Last Updated 1/31/2010]