済州島旅行
      目 次

1. 概 要
2. 第1日 成田空港−済州島中文地区
3. 第2日 城邑民俗村ほか
4. 第3日 三姓穴ほか−成田空港


   城邑民俗村
              

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1. 概要
 0) 名称      「済州島自由自在3日間」
 1) 主要訪問地  済州島(済州市、中文地区など)
 2) 期間      2009.11.29〜12.1
 3) 参加者     夫婦 7組14名(大学同級生とその夫人)
 4) 交通機関   航空機、観光バス
 5) 訪問場所
  済州島(地図参照)
  (1) 済州市
  (2) 中文地区
  (3) 西帰浦
  (4) 済州島東部
 6) 特記事項
  (1) 大学クラス会メンバーの喜寿記念海外旅行として、済州島を選びました。
  (2) 申込や費用の支払いが簡単なように、旅行会社のツアーを選び、支店や担当者を決めて、個別に申し込む方法をとりました。
  (3) 天気に恵まれ、気温は日本(東京)より少し寒い程度でした。
  (4) 初めてお目に掛かるご夫人もありましたが、すぐに打ち解けて楽しい旅行でした。
 7) 印象に残ったこと
  (1) ホテルの部屋として、クラブルームを頼んだのは、大成功でした。
  (2) 第2日は、オプショナル・ツアーでしたが、13名いたためか専用車で、3日目は貸し切りだっため、3日共バス、ガイドさん、運転手さんが同じでした。
  (3) ホテル、自然、道路、食事、観光場所すべて良く、期待した通りの内容でした。
 8) 旅行の概要
 古希の時は、ハワイだったのですが、今回は海外旅行に韓国の済州島を選びました。第1日は、移動のみとし、第2日は旅行会社が用意したオプショナルツアーに参加しました。第3日は、バスを一台借り切り、第2日に行けなかったところを訪れ、そのままバスで空港まで送ってもらいました。
 ホテルは国際空港のある北とは反対側の中文地区にあるので、空港までは約1時間かかります。
 9) 参考図書
  9.1) 地球の歩き方 '08〜'09 「韓国」 (株)ダイアモンド社・ビッグ社
  9.2) 「耽羅(たんら)紀行」(街道をゆく 28) 司馬遼太郎 朝日新聞社

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2. 第1日  成田空港−済州島中文地区
 9:45分発の大韓航空機で成田をたち、済州国際空港には、午後の12時40頃に着きました。飛行時間は約3時間、時差はありません。日本、現地の天気は共に晴れでした。機内では軽食が出ました。
 旅行会社の用意してくれた中型のバスで、ホテルのある島の南の中文地区に向かいました。道はかなり良く、約1時間でホテルに着きました。海岸に面しており、済州新羅ホテルとロッテホテルと並んでいます。ガイドさんは韓国人の女性で、日本語はかなり上手にしゃべります。
 泊まったハイアットリージェンシーは内部が吹き抜けになっており、1階には池もあり、いかにもリゾートホテルという感じです。我々が泊まったのはクラブルームといって、10階にあるクラブルームが使用できます。風呂に入るなど少し休んで、4時半頃、クラブルームに集まって、司馬遼太郎さんの本(参考図書2)のレジュメを元に、私から済州島の概要を説明しました。5時頃からはアルコールも出るため、雑談を交わしました。地下に韓国料理、和食等がとれるレストランがあるので個室を用意して貰い、一堂に会して夕食をとりました。中で新田夫人の注文した定食に伊勢エビが1匹丸ごと出て、立派でした。
 1階のステージではピアノ伴奏で女性の歌手が、歌をうたっていました。ホテルにはカジノもあり、何人かが訪れたようですが、我々は朝が早く疲れていたので早く休みました。

3. 第2日 城邑民俗村ほか
 朝食は、クラブルームでバイキングでした。内容的には、充分、満足できました。
 食後、佐藤夫妻とホテルの庭を散歩しました。海に面しており、芝生の庭をそぞろ歩きするのは快適でした。
 9時頃、バスが迎えに来ました。我々13名(参加者14名のうち、一人は不参加)だけの貸し切りになりました。まずまずの天気です。それでも済州島のシンボル漢拏山(はるらさん)は、3日共、見ることができませんでした。
 最初はホテル直ぐ近く(中文地区)の天帝淵瀑布(チョンジェヨンポッポ)に行きました。連続3段の滝ですが、水量が減っており、第2段しか見られません。天帝渓谷には仙臨橋という大きな橋がかかっており、そこからでは遥か遠くに滝が望めます。天女が沐浴したと伝えられています。天帝楼という大きな建物と噴水がありました。
 2番目は済州島東部にある城邑民俗村(ソンウプミンソンマウル) です。済州島の昔ながらの町並み(このページの最上段の写真は村にある民家です)や暮らしぶりをそのままに残しています。民族資料保護区に指定されており今も人々が昔の生活を営んでいます。元気な女性が建物や暮らしぶりを、立派な日本語で説明してくれました。
 午前の最後は済州島東部にある城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)です。世界自然遺産であり、島の最東端にある海に突き出た形の寄生火山で、周囲は約1.5kmです(右の写真)。海抜180mの頂きにある噴火口には30分ほどで登ることができます。佐藤夫人と二人で登ってみました。佐藤君は途中迄です。頂上から見た足下の景色は素晴しいものでした。風が強くコートを着ましたが、かなり寒く感じました。
 昼食は海辺のレストランで焼き魚とわかめスープ(うに入り)で、場所柄かとてもおいしく食べられました。
 午後は、まず済州島東部の拒文オルム溶岩洞窟系(コムンオルムヨンアムドングルゲ)を見ました。世界最長の溶岩洞窟を持つ世界自然遺産です。そのうちの万丈窟(マンジャングル)は世界最長を誇っています。全長1.34kmのうち約1kmが観光コースとして公開されています。溶岩が流れ、周りは冷えて残り、中が空洞になって洞窟になったようです。中は最低限度の照明があるだけで、足もとが悪く、歩きにくかったです。
 最後は済州島東部にあるパークサザンランドで、ペ・ヨンジュ主演の歴史ドラマ「太王四神記」の映画セットをそのままテーマパークにしたものです。ドラマを見ていないのので、感激はしませんでしたが、かなりカネをかけたセットだと思いました。
 最後に民芸品店に立ち寄りました。キムチなど特産品を求めました。ただ品物はそこでは渡してくれないで、空港に届けてくれました。
 夜は済州市の大きなレストランで、黒豚カルビを食べました。本場のせいか、日本で食べるのより、おいしく感じました。
 ホテルに戻り、最後の夜をクラブルームで過ごしました。

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4. 第3日 三姓穴ほか−成田空港
 今朝も朝食後、ホテルの庭から、ビーチの方に少し下って、散歩しました。
 9時頃、ホテルのチェックアウトを済ませて、昨日と同じバスに乗り込みました。今日も快晴に恵まれましたが漢拏山は見えませんでした。
 まずホテルからあまり遠くない中文地区にある薬泉寺(ヤッチョンサ)を訪ねました。かなり大きなお寺で、名前は薬水を湛える池があることからつけられたそうです。李朝時代初期の仏教建築様式で建てられた延べ面積3305平方米に及ぶ大寂光殿は高さが30米で、単一の寺院としては東洋でも有数の規模を誇っています。法堂正面には、韓国最大高さ5米の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)のほか、1万8千体の仏像が祀られています。法堂の前には重さ18トンの梵鐘がかけられています。坊さんが2・3階で参拝していました。
 次は島を横断して、済州市に向かい、昨日時間切れで行けなかった旧濟州の三姓穴(サムソンヒョル)を訪れました。眈羅(タムナ、済州島が独立国であったときの古名)を創始したといわれる高、梁、夫の3神人の誕生伝説は、濟州人発祥の伝説です。三つの穴から3神人が現れ、海のかなたから遣わされた三姉妹と結婚して国を繁栄させたといわれています。右の写真は三姓穴を少し遠くから写したものです。敷地内にはお祭りをするための建物などがあります。
 次に同じ旧濟州にある済州特別自治道民族自然史博物館(チェジュトッピョルチャチドミンソッチャヨンサパンムルグァン)に行きました。済州島の成り立ちや、自然や風俗についての資料が一堂に集められた博物館で、ガイドさんに説明をしてもらったので、見ごたえがありました。
 昼食は新済州にある「海野」に行きました。ここはあわびが有名なレストランとあって、バタ焼き、釜飯、あわび鍋などを食べました。ただハングルの看板しか出ていないので、我々だけでは店が探せたか、確かではありません。
 午後は旧濟州にある済州牧官衛(チェジュモッグァンナ)に行きました。島で最古の建造物である観徳亭があります。ここでも日本語の上手なボランティアのお年寄りが説明してくれました。
 次には免税店でブランド品を物色したあと、中央路沿いの地下商街を通って東門ロータリーの山側に広がる東門市場に行きました。築地の場外市場と御徒町のアメヤ横町を足して2で割ったような市場です。ここでお土産にと思ってゆず茶を買いました。
 ここから済州国際空港まではバスで10分位です。昨日買ったオミヤゲを受取り、航空券を受け取って手荷物検査をすませ、最後のウオンにカードを加えて買い残したお土産を少し買いました。
 離陸は予定通り6時40分で、成田空港には8時半頃、到着しました。

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[Last Updated 12/31/2009]