アメリカ東海岸 美術紀行
      目 次

1. 概 要
2. 第1日 成田空港−ボストン
3. 第2日 ボストン市内観光
4. 第3日 ボストンーワシントン
5. 第4日 ワシントン市内観光
6. 第5日 ワシントンーフィラデルフィアー
       ニューヨーク
7. 第6日 ニューヨーク市内観光1
8. 第7日 ニューヨーク市内観光2
9. 第8日 ニューヨーク発
10. 第9日 成田空港着

トップオブザロック(展望台)より見た
エンパイアステートビルなどのビル群。
             

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1. 概 要
 0) 名 称     「アメリカ東海岸 美術紀行 9日間」
 1) 主要訪問地  ボストン、ワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク
 2) 期 間     2008.6.18(水)〜26(木)
 3) 参加者     夫婦3組6名とご婦人1名の計7名
 4) 交通機関   航空機、アムトラック(長距離旅客列車)、観光バス、タクシー、観光船、フェリー
 5) 訪問地(右の地図をご覧下さい)
  (1) ボストン
  (2) ワシントン
  (3) フィラデルフィア
  (4) ニューヨーク
 6) 特記事項
  (1) アメリカは初めてだったので、旅行社のツアーに参加しました。
  (2) 天気に恵まれ、気候は東京とほぼ同じで、半袖で通しました。
  (3) 参加者全員が同年代の夫婦とご婦人だったので、話題も合い、楽しい旅行でした。
 7) 印象に残ったこと
  (1) 飛行時間が長く(約14時間)、時差が大きいのですが(13時間)、すべて連泊なので、割に楽でした。
  (2) 航空機を始め、手荷物などのチェックが厳しいのは大変でした。
  (3) 訪れたどの町も、それぞれ特徴があり、またすべての都市で美術館を訪問し、内容が充実していました。
  (4) ツアーコンダクターの努力で、ブロードウエイ・ミュージカル「シカゴ」を見ることができ、望外の喜びでした。
  (5) アメリカ旅行は昨年も計画しながら実現できなかったので、やっと念願がかないました。
 8) 旅行の概要
 往きは成田空港を夕方たち、シカゴで乗り継ぎ、ボストンに夜到着しました。2泊したあと、航空機でワシントンに飛び、2泊した後バスでフィラデルフィアに移動して観光した後、アムトラックで ニューヨーク入りしました。ニューヨークには3泊し、直行便で成田に戻りました。
 コースは具体的には次の通りです。
 ボストン(2泊) → ワシントン(2泊) → フィラデルフィア → ニューヨーク(3泊)
 参加者は7名で、これにツアーコンダクターの辻さんが加わりました。
 9) 参考図書
  9.1) 地球の歩き方 '07〜'08 アメリカ (株)ダイアモンド社・ビッグ社
  9.2) 地球の歩き方 '07〜'08 ニューヨーク (株)ダイアモンド社・ビッグ社
  9.3) ミシュラン・グリーンガイドブック ニューヨーク フランス ミシュランタイヤ社 日本語版編集・発行 実業之日本社

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2. 第1日 成田空港−ボストン
 17:35分発のアメリカン航空機で成田をたち、シカゴに14:50分に着いて、17:35分発のアメリカン航空機に再び乗って、ボストンには、20:40分に着きました。飛行時間は14時間余り、時差は13時間遅れです。日本、現地の天気は共に晴れでした。
 まず成田ではかなり厳しい手荷物検査があり、靴からベルトまで外しました。新しい帽子のつばに金属が入っているのに気づかず、3度検査ゲートをくぐりました。
 シカゴでは入国審査があり、顔写真や指紋もとられました。
 ボストンに着いたあと、バスでホテルに向かいました。ダウンタウンよりさらに港に近い「ウエスティン・ボストン・ウオーターフロント」というホテルです。部屋割り、明日の予定の伝達のあと、各自割り当てられた部屋に落ち着きました。長旅で疲れたので、風呂に入って直ぐに寝ました。
[ホテル]    THE WESTIN BOSTON WATERFRONT
         425 SUMMER STREET, BOSTON, MA 02210, U.S.A. TEL.617-5324600

3. 第2日 ボストン市内観光
 今日は一日中、市内観光です。一時曇ったものの、今日も晴天に恵まれました。気温は21〜26℃です。昨夜は早寝したので、朝バスが出る前、ホテル近くを散歩しました。ホテルはダウンタウンからサマー通りを港の方に下ったところにあり、ボストン展示・会議場に隣接しています。サマー通りを上ってサマー橋を渡り、サウス・ステーションを望む地点まで歩いて引き返しました。
 ボストンはマサチューセッツ州の州都で京都の姉妹都市であり、イギリスからの独立は、この町から始まりました。近代的なビルが林立するなかに、歴史的な建造物が点在しています。チャールズ川を挟んだ北側に、学園都市ケンブリッジがあり、ボストン全体には60近くの大学があります。Downtown, Waterfront, North End, Back Bay, Charlestownと5つの地区に分かれています。初の地下鉄が走ったのも、この町です。
 朝はバスでケンブリッジにあるハーバード大学を訪れました。アメリカ最古の名門大学で、1636年に創立されたエリート校中のエリート校です。7人の合衆国大統領、30人以上のノーベル賞やピューリッツァー賞の受賞者が誕生しています。
 昼前にバスでDowntownに戻り、Faneuil Hall Marketplaceファニュエルホール市場で一時解散になりました。ファニュエルホール市場[別名クインシーマーケット(Quincy Market)]はファニュエルホール(1742年に裕福な貿易商P. Faneuilがボストン市に寄贈した、商業用兼町の集会用ホール)の裏にあり、ボストンで一番にぎやかで楽しいところです。ブティック、ショップ、レストラン、ファーストフード店がひしめき合い、朝から晩まで多くのボストニアンや観光客でごった返しています。昼食はボストン名物のクラムチャウダーとロブスター・サンドイッチをマーケットの中の店で受取り、マーケットの一角にある食堂で食べました。右の写真はクインシーマーケットビルです。
 午後は二つの美術館(ボストン美術館とイザベラ・ガーデナー美術舘)を訪れました。ボストン美術館はBack Bayにあります。かって岡倉天心が日本中国美術部長を務めていたこともあり、浮世絵コレクション(歌麿、北斎、広重)、快慶の「弥勒菩薩像」、尾形光琳の「松島図」、狩野永徳の「龍虎図」など、日本美術の素晴らしいコレクションがあります。1階の日本のコーナーでは、相撲に関係する浮世絵や軍配などが出展されていました。2階には印象派の名品が沢山ありました。ミレーの「収穫者たちの小休止」と「種をまく人」、モネの「日本衣装の女」と「ルーアン大聖堂、日没」、ルノアールの「ブージバルの舞踏会」、セザンヌの「赤い肘かけ椅子のセザンヌ夫人」、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」などです。
 続いてボストン美術館の西、2ブロックの所にあるイザベラ・ガードナー美術舘を見学しました。ボストン大富豪の未亡人、イザベラ・S・ガードナーの個人コレクションで、建築物の正式名称はフェンウエイ・コートFenway Courtといい、15世紀のベニスの宮殿風の建築です。1階から3階まであります。ただ個人の美術舘とあって、家具などにまじって作品が展示されており、作品には作品名も作者名も書いてないので、これらを確認するのが難しいという欠点もありました。最後にイザベラ・S・ガードナーをモデルにした、200号位の人物画がありました。
 松坂、岡島のいるボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウエイ球場が近いので、帰りに立ち寄りました。応援用のグッズなどを売っていましたが、贈る相手も思いつつかないので、何も買いませんでした。
 今日は地元のバスケットチーム「セルティックス」が優勝し、優勝記念パレードと重なったため、街中がチームカラーの草色一色に埋めつくされていました。写真にも写っています。
 ホテルは連泊で、夕食はホテルのレストランでした。

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4. 第3日 ボストンーワシントン
 一日中晴れで、気温は28℃位でした。午前中、ワシントンに移動するため、朝御飯はお弁当(カートン入りのサンドイッチ[バゲットに鶏肉?])でした。ところが予定していた便(ボストン発8:20のアメリカン航空4591便)がフライトキャンセルになり、結局、9:50発のアメリカン航空4596便でワシントンに向かいました。
  ワシントン・コロンビア特別区(Washington, District of Columbia 連邦政府直轄の地区)には、連邦政府の立法、行政、司法の機能だけが存在しています。国会議事堂を中心に、4つの地域に分かれています。南北を走る通りは、それぞれNorth Capitol St.とSouth Capitol St.、そしてEast Capitol St.が東に延びています。西にはストリートの代わりにモール(広い公園のようなもの)があります。ワシントンの観光の中心はモールです。Constitution Ave.とIndependence Ave.に挟まれ、東は国会議事堂から西はリンカーン記念館の間の東西約4kmの長方形のエリアで、緑に囲まれた大きな公園のようになっています。ここにはアメリカが世界に誇るスミソニアン協会の博物館や美術館、ホワイトハウスや官公庁が集まっています。ほぼ中央にワシントン記念塔があります。
 飛行機が空港に近づくとペンタゴン(アメリカ国防総省)が窓から見えました。ナショナル空港(ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港)からほど近い、Vantage Pointというレストランで、シーフード・バイキングの昼食を摂りました。小高い丘の上にあるので、窓からはワシントン市が一望できます。ウオーターゲート(ウオーターゲート事件があった建物)が川の向こうに見えました。今日の見学はアーリントン国立墓地(ぼち)とリンカーン記念堂の二ヶ所になりました。
 まずバスでアーリントン墓地に着きました。墓地は空港と同じくポトマック川の西のバージニア州側にあり、約250万平方メートルとかなり広く、緑の芝生に白い墓石が整然と並んでいます。1963年、遊説中のダラスで46才の若さで暗殺された第35代大統領ジョン・F・ケネディーの墓は、墓地のほぼ中央にあります。隣には1994年に亡くなったジャックリーン夫人の墓もあります。
 小高い丘の上にあるアーリントンハウスは、南北戦争で南軍の総司令官だったリー将軍の元の住居です。戦争中リー将軍が立ち退いたあと、北軍がその家の周りに戦没者を埋葬し、戦争が終わる頃にはあたりが墓地になってしまいました。現在の邸宅は南北戦争の前の状態に復元してあります。
 次はリンカーン記念堂ですが、移動するバスが桜で有名なポトマック川を渡ると、川岸の芝生にリスが遊んでいました。記念堂はモールの西端にあり、ワシントン記念塔のはるか向こうに白亜の国会議事堂が見えます。記念堂には第16代大統領エイブラハム・リンカーンの像があり国会議事堂を見つめています(上の写真はこの像です)。高さが5.8mのこの像は28個の白い大理石のブロックからできています。周りの36本の大理石の円柱に支えられたギリシャ神殿風の建物は、1921年に完成しました。この36という数字はリンカーンが暗殺された1865年当時、合衆国に加盟していた州の数を表しています。建物の内部の壁には「人民の人民による人民のための政治」を始めとして、大統領の歴史的な言葉が刻まれています。
 緑豊かなモールの中心にそびえ建つ、ひときは目立つ石柱が合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンの偉業を称えるワシントン記念塔です。169.2mの高さは石造建築物としては、世界第一の高さを誇り、ワシントンDCでは、この美しいモニュメントがどこからでも見られるように、高い建物を建てることを禁止する条例があります。
 昼食の時、レストランから見たウオーターゲートのあたりからポトマック川に流入するロック運河は、北から流れ込んでいます。この運河に沿って道があり小高い丘に向かっています。この道を上がったところに今晩泊まるオムニ・ショーハム・ホテルがあります。今来た道の先を、ホテルからもう少し登ったところに地下鉄の駅ウッディー・パーク・ズー/アダムス・モーガンがあり、その前にはパンダのいる国立動物園があります。仲間は動物園に行きましたが、我々にはその元気が残っていませんでした。
 夜食はホテルの食堂でした。天井が高く気持ちの良い部屋でした。
[ホテル]     OMNI SHOREHAM HOTEL
          2500 CALVERT STREET N.W., WASHINGTON, DC 20008, U.S.A. TEL.202-2340700

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5. 第4日 ワシントン市内観光
 今日は一日中観光バスでの市内観光です。今日も快晴に恵まれました。
 朝一番で昨日見られなかった国会議事堂(連邦議会議事堂)へ行きました。モールの東、大ドームをもつ白亜の巨大な建築物です。ドームの北側が上院、南側が下院です。この住所には番地がありません。ここがワシントンDCの起点だからです。
 次は国立美術舘(ナショナルギャラリー)です。フランス印象派、イタリア美術の宝庫として知られています。モールの東端にるにある国会議事堂の少し西寄りの北側にあります。1941年に完成した西館(本館)と1978年に完成した東館からなり、両館は地下コンコースで結ばれ、地上の空間はプラザと呼ばれる広場になっています。西館にはフェルメールの「秤をもつ婦人」、モネの「ルーアンの大聖堂」、ゴッホの「自画像」、セザンヌの「ペパーミント・ボトル」などがあります。
 国立航空宇宙博物館はナショナルギャラリーとモールをへだてた向かい側(南側)にあります。ここには月の石や宇宙船などが展示してあるようです。ナショナルギャラリーの見学が終わり、次の予定の合間に希望者だけが見に行ったのですが、我々は引き続き印象派などの絵を時間をかけて見たかったので、行きませんでした。
 昼食は中華料理でした。
 午後の一番は、これも昨日行けなかったホワイトハウスです。アメリカ合衆国大統領の官邸で、初代大統領ジョージ・ワシントンを除き、第2代のジョン・アダムスから現大統領ジョージ・ブッシュまで、200年以上にわたって歴代大統領がここに住み、数々の歴史的決断がなされてきたところです。モールのほぼ中央にあるワシントン記念塔の北側にあります。上の写真はホワイトハウスと見学にやってきた人々です。
 新航空宇宙博物館はスミソニアン博物館最大の規模を誇る郊外の新館で、正式な名称は「スティーブン・F・ウドバー・ハジー・センター」です。2003年12月、ライト兄弟の動力飛行成功100周年を機に誕生しました。ダレス国際空港の近くにあります。東京ドームの1.45倍の館内には、モールの本館では収容しきれなかった大型機を中心に、歴史的な航空機、戦闘機、宇宙船、スペースシャトルなど約120機が展示されています。広島に原子爆弾を投下した「エノラ・ゲイ」、フランスの超音速機「コンコルド」などを見ました。
 ホテルは連泊です。今夜は夜食が付きませんが、コンダクターの辻さんや、別のご夫婦とホテル近くのレストランを探して、結局インドカレーを食べました。 

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6. 第5日 ワシントンーフィラデルフィアーニューヨーク
 今日は観光バスで約250km離れたフィラデルフィアに移動して観光した後、アムトラックの特急列車でニューヨークヘ向かいます。今日も快晴で気温は21〜26℃でした。
  1682年、イギリスのクエーカー教徒であるウイリアム・ベンがフィラデルフィアの地にたどり着きました。これがフィラデルフィアの始まりです。イギリスの圧制に対抗して立ち上がった第1回大陸会議。自由、平等、博愛の理想を高らかに宣言した独立。現在も生き続けている憲法の制定。ジョージ・ワシントン、ベンジャミン・フランクリン、トーマス・ジェファーソンといった建国の父たちを出演者とし、アメリカの歴史の舞台はこの町でまわりつづけました。また1790年〜1800年は米国の首都でした。
 ダウンタウンは東西をデラウェア川とスクーキル川、南北をSouth St.とFairmont Aveに囲まれたエリアです。そのうち、Broad St.より西、Vine St.より北は博物館や美術館の集中するミュージアムエリア、8th St.より東をヒストリックエリア、西をセンターシティーと呼びます。おもな見どころはミュージアムエリアとヒストリックエリアのインディペンデンス国立歴史公園に集中し、ホテルやショッピンクスポットの多くはセンターシティーにあります。南北の通りは東のデラウェア川側から1st,2nd……と順に番号付けされています。
 インデイペンデンス・ホール(独立記念館)は独立宣言の舞台となりました。インディペンデンス国立歴史公園の南端にあります。1776年7月4日、トーマス・ジェファソン起草による独立宣言がここで採択されたほか、1787年の憲法制定議会もここで行われました。まさに合衆国誕生の地です。
 自由の鐘(リバティー・ベル)は独立宣言の時、高らかに鳴り響きました。独立記念館の西北にあります。近代的なガラス張りの建物の中に「アメリカの自由の象徴」リバティー・ベルが収められています。ロンドンで鋳造され、元々はペンシルバニア入植50年を記念するものでした。鐘は、その後大きな亀裂が入り、ふたたび音色を聞くことはできなくなりました。
 昼食はCity Tavern(タバーンは居酒屋または宿屋のこと。第1・2回大陸会議にそなえて参加者が集まった場所として知られている)というレストランで、伝統的な料理を食べました。
 市庁舎タワーからB. Franklin Pkwyの方向を望むと、ローガンサークルの噴水の向こうに威風堂々とした建物が見えます。その建物が、200以上の展示室に22万5千点以上の作品を蔵し、全米でも有数の規模を誇るフィラデルフィア美術館です。印象派の絵画としては、ルノアールの「水浴する人々」、ゴッホの「ひまわり」、セザンヌの「セザンヌ夫人の肖像」と「大水浴」、モネの「ポプラ並木」などがあります。
 夕方、スクーキル川の西側にあるサーティース・ストリート駅からアムトラックの特急列車「アセラエキスプレス」でニューヨークに向かいました。1時間10分ほどでニューヨークのペン・ステーションに着きました。ペン・ステーション(ペンシルバニア駅)はミッドタウンのマディソン・スクエア・ガーデンの地下にあります。直ぐにバスでホテル「キタノ」に向かいました。このホテルはグランド・セントラル駅の南にあり、南西にエンパイアステートビルを望むことができます。夕食はホテルの地下のレストラン「白梅」で、久しぶりに和食を堪能しました。
 ニユーヨークのマンハッタンは、ちょうど東京の山手線内ほどの縦長の島で、ユニオン広場のある14丁目以南は複雑ですが、それ以北の地区は碁盤の目のようにきちんと区画整理されていて解りやすいのが特徴です。通りは南北に走るのがアベニュー(〜街)、東西を走るのがストリート(〜丁目)となっています。アベニューは東から西に数字が大きくなり、ストリートは南から北へと数字が大きくなっています。
[ホテル]     THE KITANO NEW YORK
          66 PARK AVENUE AT 38TH ST., NEW YORK, NEW YORK 10016 U.S.A. TEL. 212-8857000

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7. 第6日 ニューヨーク市内観光1
 今日は曇りで、正午頃、一時雨が降りました。また、夕方には一時陽が射しました。気温は21〜26℃ですが蒸し暑かったです。
 昨夜は早く寝たので、朝は少し余裕があり、二人で散歩に出ました。グランド・セントラル駅が近く、そこでは買い物もできそうだというので、行ってみることにしました。北の方角にメットライフビルが見え、その手前が駅です。駅の中を少し歩きましたが、出発の時間に間に合うよう引き返しました。メットライフビルは1963年に摩天楼を代表する高層建築のひとつとして建てられました。かってはアメリカの航空会社パンナムが所有し、パンナムビルと呼ばれていました。今はメトロポリタン保険会社(メットライフMetLife)に買収されました。
 朝、観光バスでマンハッタン島の南端、バッテリーパークへ行く途中、グラウンド・ゼロ(WTC ワールド・トレード・センター跡地)の工事現場を通りました。1966年、ロウアー・マンハッタン再開発と貿易振興を目的とし、日系アメリカ人ミノル・ヤマサキ氏の設計により建設が始まりました。1WTCから7WTCまで7つのビルで構成されていました。なかでも中核となる二つのツインタワー(1WTCと2WTC)は、2001年の同時多発テロで崩壊するまで、米国経済のシンボルとして君臨していました。現在この跡地は工事現場として再開発が進行中です。バスの中から見た感じですが、地下部分を建築しつつあるようでした。
 自由の女神はバッテリーパークから約3km離れたリバティ島にあり、バッテリーパークからフェリーが出ています。フランスがアメリカ独立百年を祝い、変わらぬ友好のしるしとして米国に贈りました。右手には移民たちの希望を表すシンボルのたいまつを高々と掲げ、左手には1776年7月4日と日付の入った独立宣言書を持っています。右の写真はフェリーが島に近づいたときに撮りました。
 フェリーはリバティ島からの帰りに、エリス島に寄ります。「移民の島」として知られており、現在のアメリカ国民のおよそ40%にあたる人の祖先は、この島から入国したといわれています。ここに移民局が設けられたのは1892年で、以来閉局される1954年までの約60年間に、千7百万人の移民がここから上陸し、現在のアメリカを築いてきました。島には移民の歴史を展示した移民博物館もあるので、アメリカ人観光客と思われる乗客は、かなりの人が下船しました。
 昼食はサウス・ストリート・シーポートの大型ショッピングモール「ピア17」のレストラン「Sequdia」でした。この辺りは19世紀にニューヨークの玄関港として栄えていました。その後、長い間さびれていましたが、1983年に再開発されました。ブルックリン・ブリッジや対岸のブルックリンを眺めながらの食事でした。
 午後はまたバスに乗り、国連の見学から始まりました。第2次世界大戦が終結した1945年秋、世界平和を目指して設けられた国際的な組織が国際連合、略して国連で、その本部がニューヨークにあり、本部オフィスは42丁目から48丁目、イースト川と一番街に挟まれた6ブロックを占めています。バスを降りて、加盟国の国旗が掲げられた建物の写真や記念写真を撮りました。
 ミッドタウンの中心、5番街と6番街、48丁目と51丁目に囲まれたエリアがロックフエラーセンターです。70階建ての優雅な外観のG.E.ビルを中心に21のビルが林立し、主としてビジネスを目的としたビルのマンモスコンプレックス(大複合体)を構成しています。建物の正面は5番街側で、向かって左側がフランス館、右側がイギリス館です。その両館の間の歩道がチャネル・ガーデン(海峡公園)で、英仏海峡(ザ・チャネル)に由来します。金色に輝くプロメテウスの像があります。チャネル・ガーデンとG.E.ビルの間のロウアープラザには万国旗が並んでいます。
 センターの中心、6番街の49〜50丁目にG.E.ビルがあります。中に4大テレビネットワークの一つであるNBCのスタジオがあります。ロックフエラーセンターのトップオブザロック展望台は、2005年に再オープンしました。まず67階までエレベータで昇り、再度エレベータに乗って最上階の70階まで昇ります。エンパイアステートビル、セントラルパーク、ブルックリンなど360度見渡すことができます。このページの冒頭の写真は、ここで撮ったものです。
 マンハッタンを東西に分ける5番街は、ワシントンスクエアの北から始まり、マンハッタン北端のハーレム川まで一直線に延びています。高級ショッピンク街やビジネス街として有名なのは、そのうちの42丁目から59丁目までの全長わずか1.5kmです。自由時間があったのでコーチ(マディソン・アベニューと東57丁目の角)でおみやげを買いました。4時頃一旦ホテルに戻りました。
 夜食はバトー・ニューヨークのディナークルーズです。食事を楽しみながらマンハッタンの夜景を楽しみます。船はチェルシー・ピアーのピアー(桟橋)62から出港し、ハドソン・リバーを下ります。イースト・リバーに入ってブルックリン・ブリッジ辺りで引き返し、自由の女神を間近に見たあと、ピアー62に戻ります。船が出港すると、正式なディナーが始まります。夜の6時頃ホテルを出て、ピアーに着き、船に乗り込みました。夜は9時頃まで明るいので、少し遅れて8時頃、出港しました。明るく輝く夜の摩天楼を見るのも良いものです。自由の女神もライトアップされ、右手に掲げている松明(たいまつ)は中から光っているようでした。昔懐かしいジャズのバンド演奏もあり、女性ボーカルに合わせてステップを踏むカップルも現れました。
 11時頃、またタクシーに分乗してホテルに戻りました。ホテルは連泊です。今回の旅行もあと1日残すのみになりました。

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8. 第7日 ニューヨーク市内観光2
  今日は午前は観光バスでメトロポリタン美術館を見学します。午後は自由時間です。今日もまた快晴に恵まれましたが、午後は一時、夕立に見舞われました。
 往きのバスの中からカーネギーホールとリンカーンセンタを見ました。カーネギーホールはセントラル・パークの南側に、リンカーンセンタは西側にあります。リンカーンセンタはクラシック音楽の中心で、メトロポリタン・オペラハウスやジュリヤード音楽院があります。
 メトロポリタン美術館はセントラル・パークの東側にあり、正面玄関は5番街の82丁目です。イギリスの大英博物館、フランスのルーブル美術館、ロシアのエルミタージュ美術館と並んで、世界4大美術館の一つといわれています。赤レンガと灰色の石灰岩からなる建物の中には、約200万点の作品が収蔵され、そのうちの約4分の1が常時展示されています。なかでも一階のエジプト美術のコーナーに復元されたデンドゥール神殿Temple of Dendur(紀元前15世紀頃、イオリス砂岩、ゲート入り口から神殿の長さ14.6m)は有名です。右の写真は神殿の全景です。印象派の絵画としては、セザンヌの「赤いドレスを着たセザンヌ夫人」「カード遊びをする人々」、モネの「ラ・グルヌイエール」「サンタドレスのテラス」、ルノアールの「シャルパンティエ夫人と子供たち」、ゴッホの「麦わら帽子の自画像」「ジヌー夫人(アルルの女)」などです。
 午後は元々は自由時間ですが、「せっかくだからブロードウエィのミュージカルを見に行こう」と衆議一致し、全員で行くことになりました。メトロポリタン美術館の見学の後はロックフエラーセンターの近くでバスからおり、49丁目の「サッポロ」でラーメンなどを食べました。そのあと全員でマリオット・マーキース・ホテルの1階にあるチケッツtkts(46th St. [bet. Broadway & 8th Ave.])に切符を買いに行きました。ここでは売れ残った当日券を25〜50%割引で売っています。かなりの人が並んでいましたが、20〜30分位待てば買えるとのことなので待つことにしました。20分位待ったら、幸いアンバサダー・シアターAmbassador Theatreの「シカゴ」の券が全員分(4名×2組)買えました。ちなみに料金は35%引きで75$でした。
 一度解散して軽食を摂って、19時にロビーで待ち合わせることになりました。にわか雨が降ってきたのでタクシー(イエローキャブ ニューヨークのタクシーは黄色いのでこう呼ばれている)で一度ホテルに帰り、ホテルの売店で物色した後、デパートにおみやげを買いに行くことにしました。デパートの「メーシー」が歩いて行ける場所にあることがわかり、地図を頼りに出掛けました。エンパイアステートビルの近くを通り、ブロードウエイと34丁目の角にあるメーシーに着きました。こことホテルの売店で、予定したお土産を買うことができました。
 予定通り19時にロビーに集まり、タクシー2台に分乗してブロードウエィにあるアンバサダー・シアター(219 West 48th Street)に向かいました。一階の端で、まずまずの席です。二幕で、幕間に行った中二階にあるトイレは、珍しく男性用も混んでいました。筋は良く解りませんでしたが、本場の歌と踊りには満足しました。帰りは、またタクシー2台に分乗して23時頃ホテルに戻りました。ホテルは3連泊です。

9. 第8日 ニューヨーク発
 朝ホテルを9時に出て、バスで空港に向かいました。航空機はニューヨーク11:50のAA167便(直行便)です。
 日付変更線を通過し一路、帰国の途につきました。

10. 第9日 成田空港着
 成田着は14:30です。 

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[Last Updated 8/31/2008]