医学生

  目 次

1. まえおき
2. 作者の言葉
3. 目 次
4. 内 容
5. この本を読んで


著者 南木佳士
発行所 株式会社 文藝春秋

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1.まえおき
 南木佳士(なぎけいし)さんの本は十冊近く読みましたが、今回採り上げるこの本は、「阿弥陀堂だより」と並んで長編小説です。著者の作品には随筆や短編が多いのですが、この本は長編小説ですから、作品としては珍しいものです。著者は秋田大の医学部出身なので、自分の学生時代のことが採り上げられています。私の同級生にも何人かの医者がいますし、だれでも医者のご厄介になっているわけですから、こういう本を読むことには意義があると思います。

2. 作者の言葉
 あたりまえのことだけど、医者はみな若い頃は医学生だった。そして、医学生になる前はどこにでもいる普通の高校生だった。いかに白衣を着て偉ぶってみたところで、この事実だけは動かしようがない。この辺にスポットをあてて、自分史のような教養小説を書いてみようと思った。患者と等身大の医者を描き出すために。

3. 目 次(元の本にはなく新たに作りました)
 1. 1972年春・車谷和丸 3
 2. 1972年春・桑田京子 9
 3. 1972年春・小宮雄二 16
 4. 1972年春・今野修三 24
 5. 人体解剖実習 30
 6. 夏休み・車谷和丸 88
 7. 夏休み・桑田京子 96
 8. 夏休み・小宮雄二 103
 9. 夏休み・今野修三 110
 10. 解剖学口頭試問 117
 11. それぞれの秋 125
 12. 深い冬 131
 13. 雪合戦 134
 14. 外来実習 142
 15. 夏季病院実習 157
 16. 臨床講義 167
 17. ベッドサイド実習 175
 18. 卒業試験 185
 19. 卒業式 190
 20. 医師国家試験 192
 21. 卒後15年・車谷和丸 199
 22. 卒後15年・桑田京子 205
 23. 卒後15年・小宮雄二 212
 24. 卒後15年・今野修三 217

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4. 内 容
1) 車谷和丸の紹介
 東京出身。両親は東京の郊外で開業している小児科医院の医師。父は内科医、母は小児科医。弟も都内の私立大学医学部に入学した。大学本部と医学部建築予定地の中間点にある昼寝(地名)アパートに住んでいる。教養学部が終わり今日は専門課程が始まる朝だ。第1日目から人体解剖実習が組まれている。この時期になっても医学部で学ぶことに疑問を持っていた。
2) 桑田京子の紹介
 信州の八ヶ岳山麓に広がる村の野菜農家の長女。高校生の弟が一人いる。村で一軒だけの開業医が死んだので村出身の優秀な学生に奨学金を出して、自前の医者を作ろうとした。その奨学金を受けて、秋田大学医学部に入学した。大学本部の裏門のすぐ前の下宿屋にいる。
3) 小宮雄二の紹介
 新潟県の郡部の扇状地に開けた町にある小さな旅館の次男。父は雄二が中二のときに死んだ。四歳年上の兄は商社に就職し、シンガポールに妻子とともに赴任している。母は近所のおばさんたちをパートに頼んで細々と旅館を営んでいる。当時の流行に従って医学部に入った。城跡公園の近くのアパートに入居していたので、飲屋街の川反(かわばた)へは10分もかからない。行きつけの小料理屋の「おかめ」には母娘がいた。1年ほど経って豊満な身体を持つ娘と関係ができ、専門課程が始まるころ子供ができたことを知らされる。
4) 今野修三の紹介
 今年28歳になる修三には妻子がある。家は市内の3LDKの平家を格安で借り、この家の八畳間で中学生相手の塾を開いている。修三が数学と理科を教え、妻の澄子が英語と国語を担当していた。
 修三は千葉の外房の漁村で生まれた。父は漁師だったが、5年前に他界し、今は長兄の秀一が跡を継いでいる。修三は早稲田の工学部を出て、高校の教師になった。たまたま担任をしていた二人の生徒が急に亡くなり、高校教師を辞めて医者を志した。地元の千葉大の医学部は不合格で、滑り止めに受験した秋田大医学部に合格した。
5) 医学生の課程
 1972年春に4人は専門課程に入り、人体解剖実習を始めた。上で紹介した4名が同じ第5班になった。人は必ず死ぬことを再認識した。生死観が問われるような実習で、6月下旬に終了した。専門課程になって、はじめて4人はそれぞれの夏休みを過ごした。夏休みが終わると直ぐに解剖学口頭試問で、人体解剖実習で勉強した内容について教授の質問に答える。和丸と雄二は合格したが、後の二人は不合格だった。外来実習はポリクリともいい、臨床実習で専門課程の2年目の冬休み後、城跡公園の前にある県立中央病院で行なわれた。最初は患者の話す秋田弁が聞き取れなくて困った。臨床の現場は学業成績とは無関係であると気づく。夏季病院実習は夏休みの間、実家の近くの病院で自主的にを実習するもので、京子と和丸は行った。臨床講義は階段教室の脇にベッドを置き、そこに実際の患者を寝かせ、教授に指示されながら学生たちが診察をして所見を述べる。その後、患者を退出させてから、教授の病気に関する講義に移る。たまたま和丸の首のリンパ腺が腫れ、臨床講義の患者も経験した。年末にポリクリが終わり、年が明ける(3年生の年度末)とベッドサイド実習が始まった。今度は実習の場が外来から病棟に移る。実際に入院患者と接して病気の現実を学ぶとともに、自分がどんな科に向いているかを判断することが大切であった。10月末に実習は終わった。卒業試験は11月から12月にかけて、約20ある全科目の試験が行われた。かなりの数の不合格者かーが出たが、繰り返し追試を行い冬休み明けには全員が合格した。卒業式は直後に迫っている国家試験に合格しないと医師になれないので、あまりは盛り上がらなかった。医師国家試験は2日間にわたって仙台市内の予備校でおこなわれた。心配されていた修三も含めて4名全員が合格した。
6) 四人の卒後15年
 秋田大医学部で共に学んだ4人がどのような経歴をたどったか。
7) 医学生の大変さ
 夏季病院実習で京子は末期癌の患者に、モルヒネ点滴を開始する現場に立ち会う。2週間の夏季病院実習の間に5人の患者の死を看取った。
 一般の病院と大学病院との患者への接し方の違いとして、前者が患者中心なのに対して、後者は研究目的の部分がある。

5. この本を読んで
 この本は、著者が秋田大医学部で学んだ経験を元に、医学生の生活を小説に仕立てたものだと思います。本を読んで感じたとが二つあります。一つ目は「内容」の「7) 医大生の大変さ」でも触れましたが、医学生は他の学部と比べて、大変な苦労があるということです。もう一つは、自分が病気になったり、家族が入院したときなどに感じることですが、医者が患者またはその家族に対してどのように接し、どのように診察・治療をするかということです。 医者に対して考えていた人間性の問題として、指導者の役割は大きく、患者と同じ目線で接することができるかが大切に思えました。
 作者も触れているように、真面目に患者と向き合えば、精神的におかしくなることもある職業なのだと思います。作家活動と二股かけたために病気が重くなったこともあるでしょうが、逆に書くことによって癒された面もあったのではないかと推測しています。

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[Last updated 3/31/2008]