みんなの広場
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 アクセスされた方々との交流の場です。今月は次の三項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
 8月に入って暑い日が続き、しかも7月が割合と涼しかったこともあって、身体に応えました。月末に夕立があってから、暑さもやっと峠を越えたようです。
目 次
1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  今月は終戦記念日にちなんだ記事を載せました。
2. 8月のトピックス
 8月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 軽井沢旅行
  北軽井沢と旧軽井沢に行き、二組の友人と過ごしました。右の写真は帰りに寄った旧軽井沢の雲場池です。
 2.2 「青山二郎の眼」展
  世田谷美術館で開催中の展覧会を見に行きました。
 2.3 神宮花火大会
  8月16日に、恒例の花火大会があったので、テニス仲間と出掛けました。

3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  「5 本の紹介」の下に「4 本の紹介2c」を新設し、「31 ユング心理学と仏教」を追加しました。これは先月(2007年7月)亡くなった河合隼雄さんの作品として取り上げたものです。
  「6 私の愛読書」「7 遠藤周作氏 深い河ほか」「9. 私が愛した小説」の「3. 概要」に「\ ひとつの小説のできるまで」を追加しました。
  「8 ウオーキング・旅行」の「26 軽井沢逍遥」に「雲場池」と「佐久総合病院」を追加しました。
  「9 趣味」「5. 演劇」に「34祈り」を追加しました。これは先月(2007年7月)見た舞台です。
  「11 興味あるリンク」には、「1 役にたつホームページ」に「1.11 宇宙利用推進本部 サテライト・ナビゲータ」と、上記の「8 ウオーキング・旅行」の記事と関連して「1.12 佐久総合病院」を追加しました。
  なお、観測データの例として載せた1.11bは、たまたま平成19年8月16日に起きたペルー地震のデータ(写真)で、2007年8月29日に更新されたものであり、「だいち」の能力が良く解ります。

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 1.2 新聞の記事から 「蝉声と戦争)」 桶谷 秀昭(文芸評論家)
  台風のおまけまでついた、例年にないながい梅雨がようやく明けて、溽暑(じょくしょ)の日がつづき、8月に入って明け方から蝉の声がきこえるようになった。
「やがて死ぬけしきはみえず蝉の声」という芭蕉の句は、だれもが知っているから、引く必要はないのであろうけれども、あの全身で生命を燃えつくさんばかりに鳴きつづけるのを聞いていると、胸さわぎがしてくる。
 今から60年前、戦争の時期に、日本の現代詩人伊東静雄は、「庭の蝉」という詩に「一種前生(ぜんしょう)のおもひとかすかな暈(めま)ひ」におそわれたことを、うたっていた。
 8月6日に広島に原爆が投下され、9日に2発目の原爆が長崎に投下された。そして15日の正午に、昭和天皇のラジオ放送があり、日本は連合軍に無条件降伏をした。
                                     ∽  ∽  ∽
 あの年の夏の蝉声(せんせい)は、いまと変らずに激しかった。ふと思うのだが、以来60余年、毎年、敗戦を回想し、記念する行事がつづいてきたのは、それが8月の盛夏という時候のせいではないか。旧盆の伝統的行事と重なり、死者の霊を迎えるのである。
 8月15日に無条件降伏をしない場合、本土決戦は避けられなかった。大本営陸軍部が主体となって考えていた作戦構想は、航空戦力1万機。そのうち75パーセントが練習機を改修した特攻機。海上特攻3千3百隻。その他駆逐艦19隻、潜水艦38隻。陸海軍の動員兵力は計約2百40万人。
 右の主力軍のほか国民義勇戦闘隊2千8百万人の組織化の構想があり、15歳から65歳までの男、17歳から45歳までの女が組み込まれることになっていた。
 本土決戦の戦闘方法が、特攻によるのはいうまでもなく、航空・海上特攻は沖縄戦以来のより苛烈(かれつ)な体当たりの反復を敢行する。
 地上戦闘では、近代装備のいちじるしい劣勢を、斬込みと対戦車肉迫攻撃によって克服しようとした。
 もっとも苛烈なのは、黄色火薬10キロを梱包したのに信管をつけたものを背負い、敵戦車のキャタピラの間に身を投じて、戦車もろともに自爆する「一死必砕」の戦法である。

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                                     ∽  ∽  ∽
 本土決戦というのは、一億総特攻の思想であり、日本国民の生命のすべてを挙げるだけでなく、日本列島そのものを特攻とする思想である。
 これは戦術とか作戦構想の名にあたいするであろうか。近代戦争の常識は、もちろん、否という。今日、あの戦争を「愚かな戦争」と呼ぶ一種の輿論(よろん)も、近代戦争の常識を背景にしている。
 しかし、日本の剣法に捨身(すてみ)必殺の法というのがあった。技量(ぎりょう)の差があって勝ち目のない相手と立ち合わねばならぬ破目(はめ)になったとき、目をつぶって上段に構え、身体のどこかにひやりとした感触があった瞬間に太刀を振りおろせば、相打ちとなって、自分も相手もともに死ぬ。
 先日、北開東の都市で、有志が小学生の子供に、空襲の体験を話す会をこの夏にひらくというニュースをテレビで観た。その有志のひとりが、当時小学生だったというから、私より5、6歳、歳下の方であろう。「戦争のむなしさと生命の尊さを子供たちに伝えたい」と語っていた。
 戦争体験の継承というこの人たちの使命感それ自体を、私は疑わない。しかし、戦争を知らない子供たちに、「戦争のむなしさ」をどのように伝えるのだろうか。
 戦争には、平和な時代が知らない濃密な人生の時間がある。そしてそれが一瞬の死と背中合わせになっている。それを「むなしさ」で片づげるなら、平和もまたむなしいのである。
                                     ∽  ∽  ∽
 折口信夫は、日本の敗北を、近代戦争における無惨(むざん)な敗北にとどまらず、日本の神々の敗北というもっとも深刻な打撃において感受したという。
 これを私は知ったとき、大きい衝撃を受けた。この碩学(せきがく)にたいする畏敬(いけい)の念を、その衝撃にもかかわらず、今日まで失っていないが、しかしその日本の神々の敗北という認識を呑(の)みこむことはできない。
 北米合衆国のよく知られている「マニフエスト・デスティニイ」という文明的本能、太平洋を西へむかって侵出、教化しようとする文明的本能にもとづく世界戦略に、極東の近代日本は敗れたのである。
 日本に投下した二箇の原爆の動機を、アメリカは戦後、戦争の災害と犠牲をより少なくするためのやむを得ぬ手段だったと弁明した。しかし、ワシントンにおける戦争指導者らは、原爆を日本に投下するまでは、日本の降伏を許してはならぬと謀議していたという。
 沖縄陥落の6月下旬から8月15日にいたる最後の日々、マリアナ、硫黄島、沖縄の基地から連日やってくるB29爆撃機の空襲は、大都市から中都市に範囲をひろげ、日本全土を焦土廃墟(はいきょ)と急激に化していった。
 そういう日々に、「みたみわれ生けるしるしありあめつちの栄ゆるときに逢へらくおもへば」と万葉集の歌を口ずさみ、迫りくる本土決戦を待っていた「愚かな」日本人の一人であった私は、この人生の時を、いまだに忘れることができないのである。
おけたに・ひであき 文芸評論家。 1932年東京生まれ。著書に『ドストエフスキイ』(平林たい子賞)、『保田輿重郎』(芸術選奨文部大臣賞)など。
(出典 2007.8.12 日本経済新聞)

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2. 8月のトピックス
 8月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 軽井沢旅行
  この所数年間、夏には軽井沢で別荘暮らしをしている斉藤君を訪ね、歓談しています。彼は中学以来の友人です。道路の渋滞を避けるため、8月4日(土)の昼頃車で軽井沢に向かいました。都内が意外と混んでいて、関越高速に入るまで時間がかかりました。それでも高崎、倉淵村、北軽井沢経由で、サンランド(北軽井沢から車で10分位)のヒュッテに暗くなる前に着きました。この夜は先に泊まっていた新田夫妻と過ごしました。5日の午前中は別荘地内を散歩しました。管理事務所近くのレストランが、オートキャンプ用の施設に改装中でした。昼からは四人で旧軽井沢に斉藤夫妻を訪ねました。いろいろと話が弾みましたが、夕方には軽井沢銀座をぶらつきました。この夜は旧軽井沢ホテルに泊まりました。6日は朝から二人で雲場池に寄った後、臼田に佐久総合病院を訪ねました。最後の二ヶ所はウオーキングの軽井沢逍遥(「3. 旧軽井沢を中心に」と「4. その他」)に追加しました。
 2.2 「青山二郎の眼」展
  私が青山二郎のことを知ったのは白州正子著「いまなぜ青山二郎なのか(新潮社)」に出会ったからです。この本の中で正子さんは二郎のことを親しみを込めて「ジィちゃん」と呼び、本の冒頭には何枚かの写真が掲げられ、本の装幀は青山二郎が手掛けています。
  青山二郎(1901〜1979)さんは希代の目利きで、いわゆる「骨董」世界の完成者です。世田谷美術館で開催中のこの展覧会は、現在東京国立博物館の中国陶磁の中核となっている横河コレクションの中から、青山が『甌香譜(おうこうふ)』に掲載した中国陶磁の優品や青山が見出した朝鮮や日本の古陶磁の名品、青山ゆかりの人々へと渡っていった旧蔵品などを通して、美の探究者・青山二郎の足跡を辿るものです。青山と同時代に活躍し交流のあった洋画家の梅原龍三郎、陶芸家の浜田庄司、北大路魯山人、加藤唐九郎らの作品を一堂に集め、青山との関わりや同時代の作家に対する「青山二郎の眼」についても検証します。本展は4章立ての構成で、第1章 鑑賞陶器―中国古陶磁、第2章 朝鮮考―李朝、朝鮮工芸、第3章 日本の骨董、第4章 装幀家 青山二郎とその交流として、青山二郎の美の全体像に初めて迫ろうとするものです。(出典 世田谷美術館のホームページ)
 2.3 神宮花火大会
  神宮外苑では、毎年この時期に花火大会を開いています。花火は野球場で打ち上げられるちめ、神宮テニスクラブからは間近に見ることができます。花火の種類(大きさ、形、色、途中での変化、音の種類など)が充分に楽しめます。テニス仲間とクラブハウス前のテラスに陣取り、冷えたビールを飲みながら堪能することができました。地元の多摩川でもその前日に花火大会がありましたが、神宮外苑の一夜の花火で満足しています。

3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 私の愛読書
  星野道夫さんの三冊目の本として「アラスカ光と風」を取り上げる予定です。
 3.2 ウオーキング・旅行
  場所は決めていませんが、散歩に行った場所を追加したいと思っています。
 3.3 リンク集
  「興味あるリンク」を、少しずつ追加したいと思っています。

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[Last Updated 9/30/2007]