ダイヤモンドダスト

  目 次

1. まえおき
2. 概 要
3. 物 語
4. 選 評
5. 受賞のことば
6. この本を読んで


著者 南木佳士
発行所 文藝春秋社

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1.まえおき
 南木さんの本を何冊か読んで、やはり第百回芥川賞受賞作品を読んでおきたいと思いました。そこで図書館から「芥川賞全集 14 文藝春秋社」を借りて読み、単行本を借り、次いで文庫本を買いまました。単行本は売り切れで、図書館でしか読めません。
 「芥川賞受賞作品」は芥川賞選考委員の選評や詳しい年譜が載っていたので、読む価値があると思っています。

2. 概 要
 信州の別荘地として新たに開発された高原町に父松吉と長男正史と三人で暮らす和夫は、町の病院で看護士をしている。父はかって軽便鉄道の運転手をしており、看護婦をしていた和夫の母は、和夫が小学4年のときに亡くなった。和夫の妻も正史が4歳の時に亡くなった。妻の俊子、同級生だった悦子、入院患者の宣教師のチャンドラーなどとの交流を暖かい眼差しで描いた第百回芥川章受賞作品。

3. 物 語
1
 看護士和夫はこの物語の主人公である。病院の裏口から出て、家路につく。途中のテニスコートで悦子に出あう。
 門田悦子は小学校から高校まで和夫の同級生であり、和夫の家の隣に住んでいる。秋から春までカリフォルニアに滞在し、州立大学の生涯教育講座で英会話を学び、テニスコーチの腕にもみがきをかけて戻ってきたところだった。
 松吉は和夫の父で今年70歳であり、電気鉄道(草軽電鉄と思われる)の運転手をしていたが、和夫が小学4年のとき電気鉄道は廃止された。松吉は退職してヤマメ釣りを始めた。
 正史は和夫の一人息子で、保育園に通っている。
 和夫の母親は看護婦だったが、和夫が同じく小学4年のときに亡くなった。町の土地が別荘地として売れるようになり、その利息で暮らせた。
 和夫は学校の成績が良かったので医者になるつもりだった。高校3年の夏の夕方、松吉が沢で足を滑らせて転倒し、頭の骨が折れ、脳に血腫ができた。町立病院での手術は成功したが、右半身が不自由になった。しかし病人を置いて街に出るわけにはいかなくなり、家から通えて医学を学べる隣の市にある看護学校に入学した。

2
 和夫の務める町立病院はベッド数が50しかなく、まわりの市にできた新興の総合病院の近代設備にひかれて患者が流出していた。
 40台前半の若い院長である香坂が1月に赴任してきた。香坂は内科医で専門は消化器だった。彼の始めた人間ドックで早期の胃癌がみつかり、患者も増え始めた。
 東京の短大2年生の俊子は、テニス同好会の合宿に来たとき、足首を骨折して入院した。カード電話のある1階のロビーまで連れていってやるのが和夫の仕事だった。松吉の勤めていた電気鉄道会社の創立50周年記念の電話カードを和夫が俊子に与えたのがきっかけで交際がはじまり、彼女が短大を卒業した年の秋、結婚した。
 森の中に新築した家で、松吉と和夫と俊子の静かな生活が始まり、正史が生まれ、彼が4歳になった年の秋、俊子は死んだ。左腕の動脈周囲にできた珍しい悪性腫瘍の肺転移だった。
 俊子が亡くなって一ヶ月ほど経った夕方、松吉は脳卒中で倒れた。松吉は三ヶ月間入院した。今年の3月に退院してから、松吉はときにおかしなことを口走るようになった。10年前に受けた外傷と、今回の脳卒中のダメージがもたらした思考の異常のようだった。
 悦子は正史の保育園までの送り迎えを、松吉に代わって引き受けてくれた。

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3
 マイク・チャンドラーという宣教師が入院してきた。45歳のアメリカ人できわめて流暢に日本語を話した。彼は肺ガンで骨は転移のため折れやすくなっており、フットボール遊びの際に6歳の男の子にタックルされて足を骨折した。彼は和夫に、ファントムF4Dのプラモデルを買ってきてほしいと依頼した。隣の市まで買いに行き、8時頃帰宅すると、悦子から松吉が倒れたことを聞かされる。悦子に手伝って貰い車で病院にかつぎこんだ。
 松吉の脳卒中の再発は、手足のマヒに関しては今回も軽くすんだ。東京の夏季寮の食中毒で一度に8人が入院してきた午後、婦長から松吉のベッドをマイク・チャンドラーの部屋に移すよう依頼される。松吉はマイクが作ったファントムのプラモデルのことを質問したのを機に、マイクと話しをしはじめる。マイクはファントムF4Dの飛行士だった。松吉が小さな電車を運転していたことを話すと、マイクは「人の作る機械は、その速度が速くなるほど大きな罪を作る」と松吉をなぐさめた。
 松吉が入院してから、和夫の家の夕食は悦子が作ってくれるようになった。

4
 松吉が退院することになり、マイクはさびしがる。
 退院した夜、夕食を作って待っていた悦子が「あすからおじさんは何をするのですか」と問いかけると、松吉は「水車を作る」と宣言する。
 翌日から、松吉は庭に出た。前を流れる烏沢を見おろしては部屋にもどり、もどかしく震える右の手首を左手で押さえながら、正史の絵かき帳に水車らしきゆがんだ輪を描き出した。悦子が材料を買いに行き、正史までが烏沢両岸の草を抜き出したので、和夫も仕方なく手伝った。
 実際に水車作りを始めると、最も熱心になったのは和夫だった。水車は直径が2.4mで子どものおもちゃほど小さくなく、回らない心配をさせるほど大きくもなかった。

5
 夏の終わりころ、マイク・チャンドラーの病状は、どんどん悪くなっていった。病棟のカンファレンスでは、香坂がマイクの死が近いことを告げていた。
 和夫が夜勤の夜、マイクの部屋からナースコールがあった。
『「私のファントムは対空砲火を受けて燃料が漏れ、エンジンもトラブルを起して仲間から遅れたのです。北ベトナムに降下すれば、ゲリラのリンチにあうと教えられていましたから、とにかく海をめざして飛んだのです。トンキン湾沖で待つ母艦まではとても無理でしたけれど、海にさえ出ればなんとかなる、と思って必死でした。日は暮れて、周囲は深い闇でした。燃料がゼロになったとき、座席ごと脱出しました。パラシュートが開いてから、ふと上を見ると、星がありました。とてもたしかな配置で星があったのです」
 マイクは落ちてくる眼鏡をいく度も右手で押し上げていたが、やがて高い鼻の先端にとどめたままにし、顔をのけ反らせて夜空を仰いだ。
「誰かこの星たちの位置をアレンジした人がいる。私はそのとき確信したのです。海に落ちてから、私の心はとても平和でした。その人の胸に抱かれて、星たちとおなじ規則でアレンジされている自分を見出して、心の底から安心したのです。今、星を見ていて、あのときのやすらかな気持を想い出したかったのです。誰かに話すことで想い出したかったのです」
(中略)

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「みんなで大きいやつを造っていますよ」
 和夫はマイクに松吉が水車を造ると言い出したわけを聞きたかった。
 眠りにおちそうなマイクに遠慮して和夫が質問できないでいると、マイクは帽子で目を隠したまま語り始めた。
「松吉さんの運転する電気鉄道の一番電車が、高原のツツジの原を走っていると、月が火山の上に出ていて、その月が沈むまで見ていられたのだそうです。ゆっくり走る電車だったのですね。森の香につつまれて電車を運転する時間を松吉さんはとても大事にしていたのです。脱線しても誰もケガをしないスピードの電車を、体の一部のように愛していたのです。だから、松吉さんは廃止の噂の出た鉄道になんとかたくさんの客を呼ぼうとして、森のすべての駅に水車を造ろうと提案したのです。実現していたら、今でもたいした人気でしょうねえ。でも、県境の駅に造り始めた水車が完成する寸前に鉄道は終わったのだそうです。水車の回る駅から、松吉さんの運転する電車に乗って、ツツジの原の上に出る月をながめて、ながめてみたかった……」
 マイクの語尾が次第に消え入るとともに、浅い寝息に変わっていった。』
 それから暫くしてマイクは亡くなった。

 水車の試運転をしようとしたとき、松吉はマイクを呼ぶことにこだわった。死亡の翌日、朝食のあとで松吉に告げてあったのだが。
 やむを得ず試運転をあきらめた和夫に、悦子は翌々日にカリフォルニアに行くことを告げた。
 和夫はマイクさんが病院の屋上から見ていると嘘をつき、水車の試運転をした。水車が勢いよく廻るのを見て松吉は最敬礼をした。
 12月10日の朝、食事の用意をしていると、庭に出ていた正史が和夫を呼んだ。
 「戸を開けると、霜の降りた芝生の上に松吉が倒れ伏していた。はだしで駆け寄ると、マフラーを巻いた首の中の動脈はすでに脈を打っていなかった。松吉の急速に冷えていく首に手をあてたまま呆然と目を上げると、羽根板にまとわりついた氷の重さに耐えかねたのか、芯棒が中心近くでふたつに折れた哀れな水車の姿があった。それは、崩れ落ちた大宮殿のシャンデリアを思わせる荘厳さで、昇りかけた朝陽を反射しつつ静止していた。
 周囲が明るすぎるので目をこらしてみると、水車の上にキラキラ光るものが舞っていた。標高の高いこの町では、冬の寒い朝によく見られるダイヤモンドダストだった。空気中の水分が凍結してできた微細な光の粒は、いざなうように灰色の空に舞い昇っていた。
 すべてのものが凍りついた庭の中で、動くものといえば、無意識に手をつなぎ合った和夫と正史の吐く白い息だけだった。冷え続ける大気は、もうすぐ二人の息も光の粒に変えそうだった。
正史が大きなくしやみをした。」

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4. 選 評
水上 勉
 今回は粒ぞろいだった。それぞれの世界を楽しく読んだ。
 なかでも南木佳士さん、清水邦夫さん、李良枝さんの三作がよかった。案の定三作が最後まで残って争った。ぼくは「ダイヤモンドダスト」「月潟鎌を買いにいく旅」「由熙」の順に考えていた。
「ダイヤモンドダスト」は爽やかな風が吹く高原町が舞台。看護士を主人公に、登場する人物がぜんぶ生きている。父親がいい、悦子もいい。亡妻俊子もいい。入院してくるマイク・チャンドラーもいい。それぞれが確かな眼でとらえられて、最後の水車づくりにまとめられてゆく、人の世の生のはなやぎというか、はかなさというか、病床描写は簡にして生彩を放っていた。南木さんのながい精進の結実だと思った。受賞お目出とう。
(中略)
いわでものことだけれど、いい小説には、わすれ難いいい場景が創りだされているものだ。三作ともに主人公たちが生きる場景のひとコマが、いまも鮮かである。粒ぞろいといったのは、このあたりである。他の候補作もそれぞれおもしろかった。だが、一つ一つにふれる紙数がない。新しい作家たちの波動を感じたことだけつけ加えておく。

黒井 千次
(前略)
 南木佳士氏の「ダイヤモンドダスト」は、山地の病院を背景に人間の生と死を静かに浮かび上らせた作品として、完成度は他をぬきんでていた。医師の書く小説が、時として人間を患者ふうに扱う弊がありがちなのに対し、主人公を看護士に設定したのが成功のもとではなかったか。入院したアメリカ人宣教師と、主人公の老父との交流が美しく温かい。
(後略)

開高 健
『ダイヤモンドダスト』  南木佳士
 年表を見るとこの人は昭和56年に文学界新人賞を受賞し、57年に芥川賞候補になっていらっしゃる。以後その分を入れて四回、候補になり、受賞できなくて、憂愁の苦杯を嘗めていらっしゃる。今回の受賞はさぞや、と推察申上げたい。
 今回のこの作品はこれまでのにくらべると一歩抜け出て新しい視界に立ったという印象である。欠陥はあるけれど全体によくバランスがとれたことがあるので気にならない。元アメリカ空軍のジェット・パイロットでヴェトナム戦争体験者であるアメリカ人のガン患者の挿話がニガリとなり凝固剤となって作品をひきしめている。これまでこの人によく見られた偏執やのめりこみが昇華されて、地味だけれど好感の抱けるものがしみこみ、うまく漂い、苦労は無駄ではなかったと、よくわかった。おめでとう。
(後略)

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大庭みな子
 第百回芥川賞の最終選考に残っていた八本の作品は、それぞれにかなりの水準に達しているもので嬉しかった。
(中略)
「由熙」と並べて入賞となった南木佳士さんの「ダイヤモンドダスト」は、ほとんど難点のないよい出来の作品である。古風とも言える方法でかなり大胆な夢想をさりげなく語っているところが光っている。人びとの気になっている現代社会に浮上して来ているいくつかの問題をしっかりと見つめているこれらの二作品が第百回の芥川賞になったことは意味が深いと思う。
(後略)

吉行淳之介
 最後には、三作に投票することになった。かなり長くこの賞の委員をつとめているが、三作にたいしてははじめてのことだ。私は「ダイヤモンドダスト」(南木佳士)を第一位、「月潟鎌を買いにいく旅」(清水邦夫)と「由熙」(李良枝)とを同じ第二位に置いていたが、三作すべてにマル印をつけた。結局、「月潟鎌を買いにいく旅」は過半数に達しなかったので、これは仕方あるまい。
 さらに、一作か二作受賞かについての投票がおこなわれ、「ダイヤモンドダスト」と「由熙」が受賞となった。
 南木佳土氏は、今回で五度目の候補である。最初から好感がもてる作風だったが、切れ味が悪かったり切りそこなったりしていた。切れ過ぎるナイフも困るが、前回の「エチオピアからの手紙」から、にわかに良くなった。ナイフは過不足なく、しつかり切れた。後半、アメリカ人の宣教師が出てきて、これがとてもいい。主人公の父親で、何度も中気で倒れる男との交流ができすぎにならないかとおそれたが、無事切抜けた。地味だが文学の本筋をゆく作品で、このところ「文学の王道」とか「志」とかいうと顔をしかめてみせる風潮がある。しかし、それは大きな間違いである。
(後略)

日野 啓三
 われわれの祖先は外界がこわかったので、文化という繭をつむぎ出した。それがそのまま固定すれば、いわゆる本能になってアリやハチの精緻な停滞状態となったはず。そうならなかったのは、繭を繰り返し壊して、外界にみずからを晒し直してきたからだ。
 それが人間の文化の力であり、文学とはそのような力の直裁な表れと私は信ずるので、李良枝氏の「由熙」と南木佳士氏の「ダイヤモンドダスト」の二作を推した。この二作には外界の風の感触がある。
(中略)
 南木氏は"母なるもの"が急速に希薄化してゆく日本の現実に立ち向かっている。豊かな自然の、農地の、家庭の、女性の母性に甘えてきたこれまでの文化の土台が山朋れたあとに露呈してくる荒涼たるものを見すえて、これからわれわれはどう生きるか。その答の幾つかを、作者は提出している。
 ただ文章そのものの魅力に幾分欠ける。文章の陰影と艶、そして小説構成の大胆な工夫を、これからの課題として期待する。
(後略)

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河野多恵子
(前略)
 最も票の多かった南木佳土氏の「ダイヤモンドダスト」は、完成度ということでは一番よく書けている。まだ小学生だった主人公和夫の、母が息を引き取った直後の気持、あるいは妻を喪った彼が老父の入院中に幼いひとり息子と二人で夕食をとりながら、父と二人きりだった子供の頃を思いだし、子供の環境にも遺伝があるのかと真剣に考えるところなど、印象的な部分も幾つかあった。が、冴えているとは言い難い。評価された死や土地や農村の問題にしても、出てくる事柄や見方が決して私の承知していることばかりではないにも拘らず、次々にみな何となく、既に知っている気持にさせられてしまうのである。受賞で、自信も度胸もついたと思う。今少し自由に、大胆になっていただきたい。
(後略)

三浦 哲郎
 今回は、南木佳士氏と清水邦夫氏を推すつもりで選考会に出席した。
 南木氏はこれまで、医師の立場から死んでゆく末期癌の患者の日常を緻密に描くことで人間の生と死の意味を問いつづけてきたが、今回の「ダイヤモンドダスト」では、医師をベテラン看護士に変えて視野をひろげ、変貌する別荘地の病院を中心にそこの自然と住人たちの生活を、リズミカルでしっとりと落ち着いた文章で厚み豊かに描き出すことに成功している。登場人物のうちでも、以前は火山の据をめぐる軽便鉄道の運転手だった主人公の父親と、かつてはベトナムでファントム戦闘機に乗っていたが今は重い肺癌で入院している45歳の米人宣教師が、とりわけよく描けていた。百回記念の芥川賞にふさわしい出色の作品だと思う。
(後略)

田久保英夫
 芥川賞も百回を迎えて、何か記念すべき作品が現れないものか、と自然のうちに期待していた。しかし当然、そういう区切りと作品の中身とは無関係で、八編の候補作はボリュームたっぶりの力編が多く、容易に優劣がつけにくかった。
 なかでも、南木佳士氏の「ダイヤモンドダスト」は比較的短い方だが、私は何より癌を病む米国人宣教師マイクと、主人公の父親松吉との交流に惹かれた。ベトナム戦争で超音速のファントムF4Dに乗っていたマイクと、世界で一番遅い高原列車の元運転手だった松吉との対照の妙もあり、マイクが死ぬ前に、自分の撃墜された戦闘機からパラシュートで夜空を降りた時を思い出し、「誰かこの星たちの位置をアレンジした人がいる」と、語る言葉が心を打つ。この件の背景には農村の都会化の荒廃があり、カリフォルニアの留学から戻った農家の娘や、看護士をつとめる主人公の妻の死の経緯など、いくつか描き方に隙間があるが、私はこの作者の生と死を貫く垂直な視線に、一票を入れた。
(後略)

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古井 由吉
(前略)
 南木佳士民の「ダイヤモンドダスト」は、佳い作品である。この作家の美質の、寒冷に冴えた感性が作中にゆるやかに行き渡り、神経の軋みがようやくおさまったという境地か。作品の流れに沿って、人が順々に、穏やかに死んでいく。読者もそれに心を和(なご)まされる、こともできる。しかしやはり最後の、ある朝、水車が停まりまた人が死んだ、という感動の仕舞いは、どんなものか。この二つの死の、時差のほうに、せっかく表現に苦しむ者なら、力をかけるべきなのだ。実際の人の死と、生きのこった者の底に沈む人の死と、この間の差異の表わしがたさをよくよく心得た作家だと見うけられる。その差異を、索漠とした時差において表わすことが、小説にとって、わずかにできることなのではないか、と私は思う者だ。
(後略)

5. 受賞のことば   南木 佳土
 不覚にも、医を職業とするまで、人は死ぬものなのだ、ということが分からなかった。学校を出たての24、5歳の若者が、多くの想い出を抱え込んだまま旅立つ死者を見送ることは、苦痛であった。この苦しみから抜け出したくて小説を書き始め、もう10年になる。
 自らの死に対する理解を深めようとして書きつづけてきたが、当然のごとく厚い壁にぶちあたっていた。しかし、もう少しがまんして書き進めれば、壁の向うには意外に明るい世界が開けている予感はある。
 死が他者のものではなく、いつか必ず自分の番が来るのだ、と肌で理解できるつもりの年齢になってこの賞をいただけたのは、ほんとうにうれしい。

6. この本を読んで
 前に取り上げた「阿弥陀堂だより」と似ていますが、やはり受賞作品であり、読んで良かったと思いました。主人公和夫の父松吉とマイク・チャンドラーとのやりとり、水車の話、和夫と長男正史との類似性などよい場面が随所にありました。ただ同級生で隣人の悦子の存在は、一寸気になりました。

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[Last updated 11/30/2007]