みんなの広場
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 アクセスされた方々との交流の場です。今月は次の三項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
目 次
 2月も寒い日が続きましたが、我が家から近い池上梅園の梅が、八分咲き程度になりました。2月も下旬になると気温も大分上がり、やっと春が近付いたようです。
1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  最近読んだ記事の中で、ご参考になると思われるものをご紹介します。
2. 2月のトピックス
 2月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 書の至宝展 日本と中国(右の書は出品解説書の表紙の一部で、王羲之[おうぎし]の「喪乱帖[そうらんじょう]」の冒頭の部分です)
  2月7日、上野の東京国立博物館で開かれている展覧会に、家内と行きました。
 2.2 サンランド・スキー
  北軽井沢に近いサンランドに、二回行きました。
 2.3  観 梅
  2月28日、V Age Clubの仲間で、曽我梅林に行きました。
3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  「5 本の紹介」「5 本の紹介4(新書と文庫2)」の「116 歴史を学ぶということ」は、入江 昭さんの書かれた自伝の、ご紹介です。「7 近現代史」の「5 太平洋戦争の起源」は氏の著作なので、両者間にリンクを設けました。
  「9 趣味」「5. 演劇」に追加した「27 坂田藤十郎襲名披露公演」は、1月に観劇した歌舞伎座公演のご紹介です。
  「11 興味あるリンク」に新しく「13 IT(Information Technology)」を設け、「13.1 ギャオ(パソコン・テレビ)」を追加しました。ホームページにより、テレビと同じような機能を持たせようとするものです。

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 1.2 新聞の記事から
冥土の土産にノニーノ賞 書き続けるパワーいただく 瀬戸内寂聴(作家)
 昨年末、イタリアから国際ノニーノ賞を授賞したいが、条件として、本人が授賞式に出席することという通知があった。そんな賞のあることも知らなかった私は、たまたま、これが最後かもしれないと思う長編を書きはじめていたし、授賞式の1月28日というのは、生まれてはじめて書いた新作オペラ「愛怨」が新国立劇場で上演される準備の時に当たっていたので、イタリアまで出かけるのが億劫(おっくう)に思われ、辞退しようかと迷っていた。
 そのうち(賞を主催する)ノニーノ家のアントネーラさんから、矢のように連日連絡のファクスやメールが届き、出発の時間もホテルも決まってしまった。授賞式は1月28日だが、取材が多いので25日までには到着せよという。イタリアの東北の国境に近い人口十万の町ウディネに、醸造家として名の高いノニーノ家があった。
 ノニーノ家は今年で31回もこの賞を続けている。くしくも私の法鑞(ほうろう[金偏でなく月偏] 尼僧になってからの年数)と同じ年である。
 受賞者は、科学者、哲学者、文学者等、文化全般に及んでいる。
 今年の受賞者は私をふくめて四人で、うち三人が女性であった。唯一の男性ガヴィーノ・レッダ氏が特別賞を受けた。この人はサルデーニャ島の貧しい羊飼いの家に育ち、厳しい父親によって就学もできなかったが、ある時から自分ひとりで努力し、字を覚え、文章を綴(つづ)り、苦学して大学も卒業、小説家になった。その自伝的な作品『父パードレ・パドローネ』は映画にもなり、本はベストセラーになった。それでも、彼は富と名誉と世俗の成功に見向きもせず、また島に戻って、羊飼いを続けているという。己自身の運命、カルマから、自分を解き放った勇気と闘いに、賞は与えられたようだ。
 この人はいつも自分がとんでもない場違いにいるように落ち着かない暗い顔をして、ともすればトイレに逃げ込んでしまう。パーティーが嫌なのだ。ダンスが始まった時、また逃げ出そうとする彼を捕らえ、私が一緒にダンスに誘ったら、しぶしぶついてきたが、たちまち愉快になったらしく、表情が和んで、目にも微笑が浮かんできた。ついに最後まで逃げ出さず、帰りには私を抱き、その地方の頬(ほほ)ずりの挨拶(あいさつ)をした。授賞式の前夜のパーティーで度胸が据わったのか、式の当日は、堂々として、演説も立派であった。
 私の文学を推して下さり、身に余る賛辞(さんじ)をよせていただいた選者のサー・V・S・ナイポール氏は、この賞の先輩で、つづいてノーベル文学賞を受けられた作家でもあった。連日つづくパーティーの席で、私は側(そば)に呼ばれ、仏教について、寂庵や天台寺の経営について、こまごまとした質問を受けた。誠実なあたたかな人柄がこの上なくなつかしい方であった。私の『美は乱調にあり』を高く評価して下さった光栄に、よくぞ長生きしたものだと感謝した。去年死んでいたら、この感激は昧わえなかったではないか。死ぬまで書きつづけるパワーを、私はナイポール氏のたくましい厚い掌(たなごころ)から、じんじんと痛いほどいただいた。モジリアニの絵のような若い夫人が、そんな私にあたたかくほほえみかけて下さっていた。
(出典 朝日新聞 2006.2.8夕刊)

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2. 2月のトピックス
 2月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 書の至宝展 日本と中国
  書のお手本とされる中国と日本の、これだけの名品が一堂に展示される機会は、そうないと聞いて、小雪が降る中を上野まで出掛けました。中国からは王羲之、欧陽詢、蘇軾など、日本からは聖徳太子、空海、道風、光悦、良寛などの書です。日本の書は漢字の伝来に始まりますが、中国における書の歴史と、その影響を受けながら独自の世界を築いてきた日本の書の展開を、こういった名品を揃えて概観しています。
 2.2 サンランド・スキー
  年中行事になったサンランド・スキーに二回行きました。1回目は元いた会社の山岳会の有志で、2回目はNMC(ニュー・マネージメント・クラブ)の仲間です。近くの草津または万座スキー場で滑ります。冬のヒュッテは水道栓が凍ったり、破裂したり、夏とは違ったトラブルが付き物です。朝と夜は自炊(簡単にできるすき焼きかおでんが多い)ですが、炬燵に入って酒を酌み交わすことは、アフター・スキーの醍醐味です。
  今年の1回目は、仕事で関係のある中国人の若い女性が参加しました。スキーは2〜3回目なので、リーダーがつききりで教えました。
  2回目はメンバーの技術レベルも揃っていて、その点は良かったのですが、ガスが出てコースが見にくかったり、風でゴンドラが止まったり、悩みもありました。
 2.3 観梅
  昨年は雨で流れたのですが、今年は曇りで、曽我梅林(JR御殿場線 下曽我)に行きました。中河原梅林、別所梅林、原梅林と三つの梅林があります。総数は約3万本だそうです。下曽我駅は乗換駅国府津の次ですが、下曽我に近づくと線路の右側に梅の花が見え出し、また5km位のコース全体に梅が見られ、今まで何カ所か行った梅林の中では一番見応えがありました。ただ今にも雪が降り出しそうな寒空で、早く一休みして体の中からも温めたい陽気でした。
 曽我は「曽我兄弟の仇討ち」で有名な曾我兄弟と、母満江御前が住んでいた場所です。梅林以外にも瑞雲寺(曹洞宗、中河原梅林の中にある)、宗我神社(曽我郷六ケ村の総鎮守)、城前寺(浄土宗、芝の増上寺の末寺)、法蓮寺(日蓮宗 寺の墓地内に母満江御前の墓がある)など曾我兄弟に縁のある場所も多く、同時に観光もできました。

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3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 本の紹介
  中川一政著、「いのち弾ける !」(二玄社)を採り上げたいと思います。
  また昨年の12月に採り上げた中沢新一さんの「アースダイバー」に載っていた渋谷区猿楽町(代官山)の古墳を訪れたので、探訪記を書くつもりです。
 3.2 リンク集
  先、先々月に引き続き、「興味あるリンク」の従来の分類を見直し、古いものは削除したいと思っています。
 3.4 興味あるリンク
  毎月、少しずつ追加して行く予定です。

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[Last Updated 3/31/2006]