ドイツ周遊
      目 次

1. 概 要
2. 第1日 成田空港−フランクフルトーリューデスハイム
3. 第2日 リューデスハイム(ライン河下り)ーハイデルベルク
4. 第3日 ハイデルベルクーローテンブルク
5. 第4日 ローテンプルクーミュンヘン
6. 第5日 ミュンヘンーホーエンシュバンガウーミュンヘン
7. 第6日 ミュンヘンーバンベルク
8. 第7日 バンベルク−ライプツィヒ−ドレスデン
9. 第8日 ドレスデン−マイセン
10. 第9日 ドレスデン−ベルリン
11. 第10日 ベルリン
12. 第11日 ベルリン−フランクフルト−成田空港


   三日目に泊まったローテンプルク
のホテル・アイゼンフットです。
  小さいがクラシックで落ち着いた
    ホテルです。              

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1. 概要
 0) 名称      「歴史薫るドイツ周遊 12日間」
 1) 主要訪問地  ハイデルベルク、ミュンヘン、ドレスデン、ベルリン
 2) 期間      2006.9.5〜16
 3) 参加者     夫婦 5組10名
 4) 交通機関   航空機、観光バス、シャトル・バス、市内バス(ベルリン)、観光船
 5) 訪問地
  (1) リューデスハイム
  (2) ハイデルベルク
  (3) ローテンプルク
  (4) ミュンヘン
  (5) ホーエンシュバンガウ
  (6) バンベルク
  (7) ライプツィヒ
  (8) ドレスデン
  (9) マイセン
  (10) ベルリン

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 6) 特記事項
  (1) ドイツは初めてだったので、旅行社のツアーに参加しました。
  (2) 天気に恵まれましたが、日本より少し寒いので、半袖と長袖が半々でした。
  (3) 参加者全員が同年代の夫婦だったので、話題も合い、楽しい旅行でした。
 7) 印象に残ったこと
  (1) 連泊が多いので、割に楽でした。
  (2) ベルリンなどの大都市、ミュンヘンなどの中都市、ハイデルベルクなどの古都と、いろいろの都市を観光できました。
  (3) フランスのパリように一極集中ではなく、どの町も、それぞれ特徴があり、内容が充実していました。
 8) 旅行の概要
 ドイツには未だ行ったことが無かったので、行く先や期間などを元に、いろいろと検討してみました。その結果、このコースに決めました。ケルンなど他にも行きたい都市もあったのですが、期間などを考慮して今回はあきらめました。
 ドイツの国際空港のあるフランクフルトから始まって、ロマンチック街道を南下し、ノイシュバンシュタイン城などを見て、ベルリンで終わるコースです。
 コースは具体的には次の通りです(地図参照)。
 リューデスハイム(1泊) → ハイデルベルク(1泊) → ローテンブルク(1泊) → ミュンヘン(2泊) →バンベルク(1泊) → ドレスデン(2泊)→ベルリン(2泊)
 参加者は夫婦が5組(10名)で、これにツアーコンダクターの渡邊さんが加わりました。
 9) 参考図書
  9.1) 地球の歩き方 '05〜'06 ドイツ (株)ダイアモンド社・ビッグ社
  9.2) ドイツの田舎町 ヨーロッパ史の舞台を歩く 谷 克二 武田 和秀 鷹野 晃 日経BP社

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2. 第1日 成田空港−フランクフルトーリューデスハイム
 9:55分発のルフトハンザ機で成田をたち、フランクフルトには、午後の2時半頃に着きました。飛行時間は11時間半、時差は7時間遅れです。日本、現地の天気は共に晴れでした。
 リューデスハイムはライン河のほとり(右岸)にあり、河下りの出発点です。フランクフルトからリューデスハイムまでは約82kmあります。観光バスはかなり大型で、我々の人数にはもったいないくらいでした。
 リューデスハイムは人口約1万人の小さな町で、1時間もあれば一廻りできます。カトリック教会、ゴンドラリフトの乗り場(ニーダーヴァルト行き)などがあります。河に沿ってライン通りがあり、ライン通りと直角に小さな通りが並んでいます。そのうち最も賑やかなのがつぐみ横町(Drosselgasse)で我々が泊まったホテル、リューデスハイム・シュロス(Rudesheimer Schloss)は、その中程にあります。もとは税金を取り立てる役所として1729年に建てられ、その館を改装してレストラン兼ホテルにしたようです。右の写真はライン通りのつぐみ横町への入り口に架かっている看板です。葡萄をはさんで2羽のツグミが向かい合っています。
 部屋割り、明日の予定の伝達のあと各自の部屋に落ち着きました。一風呂浴びた後、街に出て一廻りし、レストランを探しましたが、結局ホテルに戻り、中庭のレストランで軽食をとりました。バンドも入りなかなか賑やかでした。角の時計台では時間が来ると、人形が時を知らせる鉦を鳴らしながらながら、柱の周りを廻ります。
 夕食後、部屋に戻って寝ようとしましたが、バンドや食事をしながらしゃべる人の声が大きく、しばらくは寝付けませんでしたが、旅の疲れか知らぬうちに眠りました。

3. 第2日 リューデスハイム(ライン河下り)ーハイデルベルク
 今日は午前中がライン河クルーズで、午後はハイデルベルク観光です。今日も快晴に恵まれました。朝のうちは涼しかったのですが、日が昇ると暑くなりました。ライン河はドイツの父なる河といわれ、スイスの山中に源を発し、フランスとドイツの国境を流れて、オランダのロッテルダムで北海に注ぎます。船の乗り場はホテルから数分の所で、9時15分に乗船しました。割に広い河を船は静かに下って行きます。両岸の丘の上にはシェーンブルグ城など十足らずの城があります。また丘に広がる葡萄畑は良い眺めでした。下船したのはザンクト・ゴアールで11時頃です。ザンクト・ゴアールに着く少し前の右手の崖の上に、ハイネの詩で有名なローレライ(妖精の岩)があります。ここを旅してきた船人が美しい金髪の乙女に魅せられて、舵を取り損ねて命を落とすという伝説の舞台となったところです。
 ザンクト・ゴアールからハイデルベルクまでは約146kmあり、バスで約1時間半かかりました。ハイデルベルクは古くから学生の街として知られています。ゲーテやショパンがこの街を訪れています。
 昼食の後、まずネッカー川にかかるカルデオロール橋(アルテ橋)から、小高い丘の上に建つハイデルベルク城を眺めました。建築用の鉄塔が良い風景を邪魔していたのは残念でした。ネッカー川の南側に川と並行にハウブト通りが走り、アルテ橋からの道を南下した交点にマルクト広場があります。広場東側には市庁舎が西側には聖霊教会が建っています。右の写真はアルテ橋の南端にある橋門を南から撮りました。
 バスでハイデルベルク城に昇りました。城はプファルツ伯の居城として拡張を続け、ゴシック、ルネッサンス、バロックなどさまざまな様式が見られます。しかし30年戦争などで破壊され、半ば廃墟になっていました。
 マルクト広場からハウブト通りを200m位西に行くと、左側に大学広場があります。その周りにハイデルベルク大学の建物が散在しています。大学はドイツ最古の歴史を誇り、8人のノーベル賞受賞者を輩出しています。学生牢もこの一画にあり、学生の描いた落書きで壁や天井が埋め尽くされていました。
 夜はネッカー川畔のマリオット・ホテル(Heidelbelg Marriot Hotel)に泊まりました。夕食もホテルのレストランでした。

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4. 第3日 ハイデルベルクーローテンブルク
 今日は午前中観光バスでヴュルツブルグに移動してその地を観光し、午後はローテンブルクに移動してそこを観光します。今日も快晴に恵まれました。
 ハイデルベルクからヴュルツブルグまでは約169kmあり、3時間近くかかりました。ヴュルツブルグはフランケン地方の中心地です。マイン川のほとりの美しい古都で、ロマンチック街道の北の起点です。長崎の出島で活躍した医師シーボルトは、この地の出身です。また1895年にX線を発見し、第1回ノーベル物理賞を受賞したレントゲンは、ヴュルツブルグ大学で研究しました。フランケンワイン(白の辛口)の名産地です。レジデンツ、大聖堂(ドム)、アルテ・マイン橋(マイン川に架かっている橋)、マリエンベルク要塞が、東から西へとほぼ一直線上に並んでいます。レジデンツとは13世紀に建てられた司教の住居で、四大陸が描かれている天井のフレスコ画は世界最大だそうです。庭にはきれいな花が咲いていました(右の写真はレジデンツとその前庭です)。アルテ・マイン橋からは、マリエンベルク要塞(西側の丘の上にある)が遠望されます。これは18世紀以降の司教の新住居だそうです。橋の袂(たもと)には市庁舎があり、市庁舎の東北側にはマルクト広場があります。大聖堂(ドム)はロマネスク様式です。
 ヴュルツブルグからローテンプルクまでは約65kmあります。ローテンプルクは中世の宝珠といわれ、ドイツ観光の目玉です。城壁内の旧市街は中世の雰囲気を保っています。市庁舎は市のほぼ中心のマルクト広場にあります。聖ヤコブ教会(ゴチックのバジリカ式)は市役所の北側に、ブルク公園は西側のブルク門の更に西にあります。ホテルのアイゼン・フットに寄ってから、これらの場所を歓策しました。
 このページの最上段にあるのがホテルのアイゼン・フットの写真です。小さいながらも落ちついた良いホテルでした。ホテルの近くには、一年中クリスマス関連の飾りなどを販売している、ケーテ・ウォルファルトの店がありました。

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5. 第4日 ローテンプルクーミュンヘン
 今日は午前中観光バスでディンケルスビュールに移動してその地を観光し、午後はミュンヘンに移動してそこを観光します。今日も快晴に恵まれました。
 ローテンプルクからディンケルスビュールは、バスで約43kmで1時間20分位かかりました。ディンケルスビュールは、15世紀まで築き続けた城壁に囲まれ、中世の街並みがそのまま残っています。ホテルのドイチェス・ハウスは美しい木組みの建物です(右の写真は、その建物です)。昼食は久しぶりに和食でした。
 ディンケルスビュールからミュンヘンまでは約21kmあります。バスの中からは1972年ミュンヘンオリンピックの会場や自動車BMWの本社などを眺めました。
 ニンフェンブルグ城はルードヴィッヒ2世が生まれたお城で、美人画ギャラリーがありました。前の庭がきれいでした。バイエルン州立歌劇場から、楽しい仕掛け時計を持つ新市庁舎に行きました。17時の演奏を見ることができました。ローマ法王が訪問するので演台を作ったり、式典やテレビ撮影の準備をしたり、すごい人だかりでした。バチカンの黄色と白の旗が窓に飾られていました。
 夜はホーフブロイハウス(ヒットラーが旗揚げしたビアホール)でソーセージなどを肴にビールを飲みました。舞台では地方色豊かな音楽や踊りが披露されていました。
 ミュンヘンではゲーテ通りにあるマリティム・ホテルに泊まりました。連泊です。

6. 第5日 ミュンヘンーホーエンシュバンガウーミュンヘン
 今日は観光バスで約119km離れたホーエンシュバンガウに移動して、ノイシュバンシュタイン城とヴィース教会を観光します。今日も快晴に恵まれました。
 [ルートヴィヒ2世の夢の城ノイシュヴァンシュタイン城〕 Schloss Neuschwanstein
 バイエルン国王ルートヴィヒ2世(1845〜1886年)が、17年の歳月と巨額の費用をつぎ込んで自己の夢を実現させようと、精魂込めて造った白亜の美しい城です。中世風ですが、築城は19世紀後半のことです。見るアングルによって違った城のように変化して見えるのは興味深いものです。この美しさの裏にひそむルートヴイヒ2世の、妃をめとらず孤独で数奇な狂気に満ちた運命は、シュタルンベルク湖での謎の死にいたるまで、今もって多くの人の関心を集め、映画や多数の書物に語り継がれています。
 作曲家リヒヤルト・ワーグナーのパトロンとして、異常なまでにオペラに取り憑(つ)かれた王は「ローエングリン」「パルシファル」など数多くのオペラの名場面を城内の壁画に描かせています。城の名も王とワーグナーのオペラとのなれそめとなった「ローエングリン」の白鳥伝説に由来しています。かっては国の財政を傾けた城も、今日ではバイエルン随一の観光収入源として光り輝いています。
 ホーエンシュヴアンガウHohenschwangauの村のバス停からは坂道を一気に上ってゆきます。坂道が急なのでシャトルバスで登ります。観光馬車に乗る人もいます。城を外から眺めるのに手頃なのは、裏へ20分ぐらい歩いた所にあるマリエン橋Marienbruckeで、橋の中央から横向きの美しい城がカメラに収まります。
 ドイツにおけるロココ建築様式の最高傑作とされるヴィース教会(世界遺産)を訪れました。
 [奇跡の伝説があるヴィース教会] Wieskirche
 ユネスコの世界遺産に登録され、ヨーロッパで最も美しいロココ様式の教会のひとつと称えられるヴィース教会は、のどかな草原の真っただ中に建っています。小さくて、目立たない外観ですが、一歩内部に足を踏み入れると、華麗な装飾と鮮やかな色彩のシンフォニーに包まれます。1732年、近郊のシュタインガーデンの修道院で放置されていた「鞭打たれる姿のキリスト像」が涙を流したという奇跡が起きました。この像のために建てられたヴィース教会には、今も祭壇に奇跡のキリスト像が安置されています。

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7. 第6日 ミュンヘンーバンベルク
 今日は午前中観光バスでニュルンベルグに移動してその地を観光し、午後はバンベルクに移動してそこを観光します。今日もまた快晴に恵まれました。
 ミュンヘンからニュルンベルグまでは約170kmで、バスで移動しました。8時にホテルを出発し、ニュルンベルグには10時15分に着きました。ニュルンベルグはバイエルン州ではミュンヘンに次いで大きな都市です(人口約50万人)。
 カイザーブルクは北の高台にある古城です(右の写真はカイザーブルクです)。南西の方に下って行くと、ルネッサンス時代の大画家、デューラーの生家があります。更に東南の方に下って行くと、旧市庁舎があり、その先に中央広場とフラウエン教会があります。この教会は、ゴシック時代に建てられたホール様式の建物で、カール4世と7人の選帝候の仕掛け時計があります。正午に動くところを見ることができました。さらに南下すると市を東西に流れるペグニッツ川にぶつかります。橋の中程で左を見ると川の中州にハイリヒ・ガイスト・シュピタールがあります。これはかっての救済院の建物で、現在はレストランになっています。
 午後は約62kmをバスで移動し、水辺の古都バンベルクを訪れました。市の北西から東南方向に流れるレグニッツ川の中州にある旧市庁舎を見学してから、中世彫刻の傑作を数多く所蔵する大聖堂Domを見学しました。大聖堂はドム広場にあり、四つの塔が特徴です。大聖堂ではコーラスの練習をしていました。そのあと隣にある旧宮殿に寄りました。ローズガーデンのバラがきれいでした。バンベルクではラオホビールが有名です。煙でいぶした麦芽を使い、黒ビールに近い色をしています。
 バンベルクではコンツェール・オント・コングレスホール(バンベルク交響楽団の本拠)の近くにある、レジデンツ・シュロス(レグニッツ川からも近い)に泊まりました。

8. 第7日 バンベルク−ライプツィヒ−ドレスデン
  今日は午前中観光バスでライプツィヒに移動します。午後はその地を観光した後、ドレスデンに移動します。今日もまた快晴に恵まれました。これで訪独以来7日間、晴れの日が続いています。旅行の後半は、かっての東独です。
  バンベルクからライプツィヒまでは約245kmあります。バンベルクのホテルを朝の8時に出発しました。ライプツィヒには11時20分に着きゲーテ作ファウストの舞台となったアウアーバッハス・ケラー(Aerbachs Keller)で昼食をとりました。アウアーバッハス・ケラーはメードラーパッサージュの地下にあり、1525年の創業です。地下に降りる手前には、ファウストとメフィストレスの像があります。森鴎外もここに通ったそうです。

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 午後はライプツィヒの観光です。ニコライ教会は、メードラーパッサージュの東にあります。ライプツィヒで一番大きな教会で、月曜ごとに行われていた祈祷集会が民主化要求デモへと発展し、1989年のベルリンの壁の崩壊への大きな一歩となりました。次はトーマス教会で、メードラーパッサージュの西にあます。13世紀の創建で、バッハは1723〜1750年に、この教会のオルガン奏者兼合唱団の指揮者として活躍しました。彼のお墓は教会内の主祭壇の前にあります。また教会の横にはバッハの銅像が建っています。教会の南側にはバッハ博物館があります。右の写真はトーマス教会でバッハの像が小さく見えます。ゲヴァントハウスはライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラの本拠地ですが、ニコライ教会の東側にあります。北側のオペラハウスと向かい合っています。
 午後はこの後3時頃、観光バスでドレスデンヘ向かいました。ドレスデンは「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれ、「文化と芸術の都」として知られていますが、未だ復興が終わっていません。6時頃、二泊するホテル(ヒルトン・ドレスデン)に着きました。ホテルはエルベ川畔のブルュールのテラスから近く、近く、フラウエン教会の前にあります。夕食前にホテルの近くを徒歩で見てまわりました。君主の行列の壁画(マイセン陶器に描かれており、巾が101mあり、ザクセン王の騎馬像どがあります)があるシュタールホーフ(欧州最古の武芸競技場)、カトリック旧宮廷教会やブルュールのテラス(美しいプロムナード)などを訪ねました。ドレスデンは今回の旅行で最も印象の深かった街です。

9. 第8日 ドレスデン−マイセン
 朝起きて、出発までに少し時間があったので、ホテルの周りを散歩しました。昨日訪れた君主の行列の壁画、カトリック旧宮廷教会やブルュールのテラスは直ぐ近くなので地理を確認する意味もあり、二人で歩いてみました。左の写真は壁画「君主の行列」の一部です。
 今日は午前中はマイセンを訪れ、昼食後、ドレスデンに戻り、市内を観光しました。今日も晴れです。マイセンまでは約27kmです。マイセンはドレスデンの郊外にある古都で、ヨーロッパを代表する高級磁器で有名です。まず工房と磁器博物館を見学しました。
 次いで古い街並みが残っている旧市街を訪れ、北の高台にあるアルブレヒト城を見学しました。15世紀に建てられた、後期ゴシック様式のお城です。最初はこの城の中に磁器工房があり、後に今の場所に移ったようです。
 昼食の後、午後はドレスデンに戻り、ホテルに荷物を置いた後、徒歩で市内を観光しました。エルベ川の南には旧市街が広がっており、ノイマルクト広場の北側には修復されたフラウエン教会(聖母教会)があります。昨日訪れた君主の行列の壁画はその西側にあり、ホテルからは直ぐの所です。ホテルから北に向かうと、エルベ川で、そこがブルュールのテラスです。その先がカトリック旧宮廷教会で、更に川を少し下ったところにゼンパーオペラ劇場があり、その南側がドイツ・バロック様式の傑作といわれるツヴィンガー宮殿です。カトリック旧宮廷教会は正式名称が三位一体大聖堂で、ドレスデン・マイセン司教区の大聖堂です。ツヴィンガー宮殿の中にはアルテ・マイスター絵画館があり、フェルメールの「手紙を読む少女」やジョルジョーネの「まどろみのヴィース」などがあります。
 観光を終え、ホテルに帰ってから、このあたりの名物であるバウムクーヘンを、お土産に買いに行こうということになりました。ホテルのフロントでお菓子屋KreuzKampの位置を地図にマークして貰い、二人で出掛けました。ドレスデン中央駅のある南を目指して歩き出し、アルトマルクト広場の前にあるアルトマルクト・ギャラリーの辺りまでは順調に来たのですが、ドイツ人男性に聞いても、場所が判りません。たまたま旅行仲間のご夫婦とギャラリーの地下でお会いし、さらに一緒に探そうと、階段を上がったら、先ほどのドイツ人男性に再会し、わかったので案内すると親切にも店の前まで連れていってくれました。ところが閉店時間7時を少し過ぎており、目的のバウムクーヘンを買うことができませんでした。
 4人してホテルに戻り、今夜は夕食が付いてないので、我々二人だけが夕食のために外出することになりました。結局、朝見て置いたブルュールのテラスにあるレストランで夕食をとりました。暮れ行くエルベ川を眺めながらの夕食は、おいしい料理と相俟って、良い思い出になりました。

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10. 第9日 ドレスデン−ベルリン
 今日はドレスデンからバスで約209km離れたポツタムに行き、夕方さらにバス約32km走ってベルリンに入る予定です。今日もまた、晴れました。
 ホテルを7時半に出発し、ポツタムには10時半に着きました。古都ポツダムはエルベ川の支流、ハーフェル川や多くの湖と森に囲まれています。かっては東ドイツに属していましたが、統一後はベルリンの隣町として、また多くの城館と庭園をもった世界遺産の町として、活況を呈しています。
 先ずポツダム会談の舞台となったツェツィリエンホーフ宮殿を見学し、次にプロイセンのフリードリヒ大王(在位1740〜86年)が、ベルサイユ宮殿を摸して建てたサンスーシー宮殿を見学しました。
 ツェツィリエンホーフ宮殿は、湖に面して広がる新庭園内に建っています。宮殿というよりは、英国風の館といった感じです。1945年7月17日〜8月2日に開かれたポツダム会議の場として知られています。第2次世界大戦末期、米、英、ソ連の首脳会議で、ドイツの戦後処理などが話し合われました。会議が開かれた部屋がそのまま残っており、見学しました。右上の写真は宮殿の入口です。
 サンスーシーとは、フランス語で「憂いのない」という意味です。フリードリヒ大王が夏の居城として1745〜47年に建てたロココ様式の華麗な宮殿で、大王が自ら設計に加わり、35歳の時から74歳で亡くなるまで人生のほとんどをこの宮殿で過ごしました。宮殿の前には階段状の葡萄園が広がっています。葡萄園を上がった右側には、大王と王の愛犬たちが眠る墓があります。
 ベルリンのホテル(クラウンプラザ・ベルリンシティセンター)には16時45分に到着しました。動物園に近い便利な場所で、夕食まで多少時間があったので、近くのデパートなどを訪れてみました。ベルリンの西の玄関ツォー駅は、駅のすぐ向かいにあるドイツ最古の動物園にちなんで名づけられたようです。

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11. 第10日 ベルリン
 明日は帰国なので、観光は今日が最終日です。今日も朝から晴天で、ドイツ旅行中すべての日が晴れでした。午前中はベルリン市内観光、午後は自由行動です。
 ベルリンはドイツ最大の都市ですが、東京23区の約1.5倍の面積です。都心に多くの公園や水路、湖を抱えているので、広々としています。1871年にプロイセンによるドイツ帝国の首都となり、敗戦後、東西に分割されました。1961年8月13日、ベルリンには一夜にして壁が築かれました。しかし1989年11月9日、突然ベルリンの壁に穴があきました。翌年、東西ドイツは再統一され、ベルリンは再び首都となりました。
 9時にバスでホテルを出発し、先ずブランデンブルク門に向かいました。この門は1884〜91年にプロイセン王国の凱旋門として、アテネの神殿の門を手本に建てられました。ブランデンブルク門の前から東西に延びる約1.4kmの大通りは「菩提樹の下」という意味のウンター・デン・リンデン大通りで、その名のとおり、中央部に菩提樹の並木が続いています。道に沿ってフンボルト大学、ベルリン国立歌劇場、ドイツ歴史博物館等があります。
 次いで門から近くにあるベルリンの壁を見学しました。記念に残してある壁や、壁の跡を見ることができました。近くの建物の壁には、生々しい銃弾の弾跡が残っていました。
 バスの車窓から連邦議会議事堂、ポツダム広場、ベルリンフィルの根拠地であるフィルハーモニーなどを見ました。
 昼前に訪れたペルガモン博物館は壮大なスケールの考古学博物館で、今回の旅行の掉尾を飾る立派なものでした。古代ギリシアのペルガマ(現トルコ、ベルガマBergama)で発掘された「ゼウスの大祭壇」(紀元前180〜159年)が高さ9.66mで再建されています。さらに古代ローマの「ミトレスの市場門」(紀元120年頃)や鮮やかな青色のレンガを用いた古代バビロニアの「イシュタール門」と「行列通り」(紀元前500年頃)など、巨大な遺跡がそのまま展示されています。右上の写真は博物館の入り口と建物です。
 午後は自由時間だったので、午前に車窓から見たポツダム広場の一角にある文化フォーラムの工芸美術館に行き、たまたま開かれていたレンブラント展を見ることにしました。見る範囲によって入場料が違うので、館員に展示内容を尋ねましたが要領を得ず、結局全体を大急ぎで見ることにしました。
 見終わってからバスで一度ホテルに帰りました。一休みしてから近くのデパートKaDeWe(カーデーヴェー、日本の三越クラスか)に行き、お土産を買いました。夜は夕食が無い日なのでホテル近くのレストランで豚足料理を食べました。たまたまFさん夫妻と一緒になりました。今夜も同じホテルです。

12. 第11日 ベルリン−フランクフルト−成田空港
 今日は帰国の日です。ホテルを8時に出て、テーゲル空港に向かい、8時半に着きました。ベルリン空港での手荷物検査のあとゲートで待っているとアナウンスで呼び出され、何ごとかと思ったらスーツケースに入れたノート・パソコン(旅行中にメールと撮ったデイジカメのデータをしまっておく)が怪しまれたようでした。別室でスーツケースをあけて調べられましたが、特に問題はありませんでした。
 飛行機はフランクフルトで乗り継ぎ、成田空港には9月16日の朝7時50分に着きました。
 

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[Last Updated 8/31/2012]