株式会社 二玄社 |
1.まえおき
2. 読者へ
真鶴半島の中程に真鶴町立中川一政美術館があります。真鶴半島には多分3〜4回は訪れており、その度に美術館に寄っています。美術館には中川一政さんの油絵、書が飾ってあります。最近、美術館の前にあるレストランに氏のアトリエも復元されました(昨年[2005年]の秋に訪れたときには既にありました)。絵は静物、風景、人物など様々ですが、福浦港(真鶴の死のアトリエの近く)の風景と駒ヶ岳が有名です。
中川さんのことを、もう少しよく知りたいと思って図書館で借り、良い本だったので購入しました。
初心を忘れないあなたへ…… 限りなく"生"の輝きに満ちた画文集 誕生!!
ひとつの画文集が、人生のバイブルになることもある!!
「美術」ではなく「生術」としたい−−やむにやまれぬその思いを、一世紀近い生涯の中で、ジャンルを超えた芸術と言葉の限りを尽くして実践し続けた中川一政。その永遠に自由奔放な魂の軌跡を、一冊に凝縮しました。
ページを繰るごとに弾ける生命力が、あなたの生きる勇気、そして創る勇気を喚起することを願って……。
3. 目 次(本には目次は付いていません。なおT、V等は巻末からのページで、括弧内はページ数を示します)
絵、書、文章……………………………P.1〜P.112
解説…………………………………… P.113
「中川一政」 紅野 敏郎…………… P.114
「中川一政の歩んだ道」 入江 観… P.117
収録作品一覧 T (2頁)
掲載文出典一覧 V(3頁)
中川一政年譜 Y (4頁) 4. 内容説明
1) 絵、書、文章
この本の中心です。中川一政の描いた油絵、書、文章からなっています。絵は1914年に描かれた「酒倉」から、1990年(亡くなる1年前)の「向日葵」までを収録しています。書は1975年の「国宝何物」から1989年の「気宇如王」までを収録しています。文章は約30冊の本から85が収録されています。他にも岩彩、線画、墨彩、篆刻などがあります。
2) 解 説
「中川一政」という題で紅野 敏郎さんが書いておられ、中川一政さんとはどういう人で、作品はどのようにして今の形になったかを説明しています。
「中川一政の歩んだ道」という題で入江 観さんが書いておられ、中川一政さんの人となりと、この本の狙いを説明しています。
3) 資料編
収録作品一覧、掲載文出典一覧、中川一政年譜は裏表紙から読む目次で、それぞれこの本に掲載した作品の内容と文章の出典の一覧と、中川一政さんの年譜です。
5. 著者紹介(真鶴町立中川一政美術館のホームページを元に、多少加筆した)
1893年(明治26年)東京本郷西片町に生まれる。
21歳のとき、欧州航路三島丸司厨長北村亮造より絵具箱とニュートンの絵具を贈られ、最初に描いた作品「酒倉」が岸田劉生に認められ、画家を志すようになった。
油彩だけではなく、岩彩(日本画)・書・篆刻・陶芸・装丁などその創作活動は自由奔放で多方面に渡っている。また屈託のない文章で知られる随筆、紀行文など著書も多く、1961年(昭和36年)には歌会始の召人に選ばれ次の召歌を詠進した。
御題「若」
若き日は馬上に過ぎぬ残る世を 楽しまむと言いし伊達の政宗あはれ
1949年(昭和24年)真鶴町にアトリエを構え「福浦」・日本一広いアトリエと自慢する箱根「駒ヶ岳」などの制作に励み、1960年(昭和35年)には福浦を描いた「漁村凱風」が全国知事会より東宮御所に献納された。
1975年(昭和50年)82歳で文化勲章を受章。
1989年(平成元年)3月2日真鶴町立中川一政美術館が開館する。1986年(昭和61年)に開館した松任市立中川一政記念美術館についで二つ目の美術館となる。
1990年(平成2年)5月「中川一政美術館1周年記念展」を開催。33点の新作油彩画を発表。同年、秋、パリ市立カルナヴァレ博物館に於いて「奥村土牛・中川一政二人展」が開かれた。
1991年(平成3年)2月5日死去。享年97歳11ヶ月。同年5月「中川一政書展」を開催。前年から企画していたもので、この展覧会の図録が画伯自身の手がけた最後のものとなる。同年9月、真鶴町名誉町民の第1号となった。
6. この本を読んで
本に出てくる多くの絵は、真鶴の中川一政美術館で見たものです。文章は始めてお目にかかるものが大半でした。本には年譜も付いており、中川さんの生涯がわかります。私も画を描く以上、少しでも中川さんに近づければと思います。我が家の近くに東出(ひがしで)さんという絵の先輩がおられました。この方は「中川一政全文集」を揃えていらっしゃいました。世の中には中川ファンが大勢いらっしゃるのだと思います。
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[Last updated 3/31/2006]