私の愛した小説

  目 次

1. まえおき
2. 目 次
3. 概 要
4. 解 題
5. この本を読んで


遠藤周作著
新潮社

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1.まえおき
 今回、遠藤周作さんを愛読書として取り上げ、勉強して行く中で出会ったのがこの本です。私の住んでいる太田区のいくつかの図書館を巡り、この本に出会いました。図書館には古い本が結構保管されており、この本は1985年7月25日の発行で、しかも評論の棚にありました。作者がその生涯でかなり長い間追い続けたフランソワ・モーリヤックの小説「テレーズ・デスケルー」について書いてあります。小説ではなく、評論です。

2. 目 次
T なぜ彼女は夫に毒を飲ませたのか              9
U 彼は肉慾に苦しんだが……                 33
V 秋よ、落日の時よ、                       37
W マイナスはプラスになる                    52
X 俗なるものと聖なるもの                    67
Y 心にひそむ元型                         79
Z 物語が人々に語りつがれるには……             93
[ 乾いた土地、水のある場所                  107
\ ひとつの小説のできるまで                  119
] テレーズと菜穂子と                      132
]T「コーランを読む」を読みながら                146
]Uすべての道は]に向う。だが……              160
]V 悪、死の本能                          173
      *
テレーズ・デスケルー(モーリヤック著 遠藤周作訳)      187
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3. 概 要 
T なぜ彼女は夫に毒を飲ませたのか
 40年前の、著者とフランソア・モーリアックとの出会いを、懐かしく語っています。著者が学生の頃、8月上旬に信州の追分けに行き、堀辰雄氏からサイン入りの新著をもらいました。その本の中で、初めてカトリック作家モーリアックの名や、彼の小説論を知ります。そこで、著者は我が身に引きつけて、モーリアックを勉強しようとしました。そういうとき、たまたま古本屋で見付けた「フランス文学素描」という本にモーリアックのことが2章にわたって載っており、著者の佐藤朔氏が入学した慶応の文学部の講師だということを知ります。そこで、それまで決めていた独文科から仏文科への進学を変え、フランス語を独習し始めます。しかし残念ながら佐藤講師がご病気のため、一年間休講になりました。そこでご自宅に伺い20世紀のフランス文学を勉強したい旨申し出ると、先生はシャルル・デュ・ボスの「フランソア・モーリアック−カトリック作家の問題」とモーリアックの「小説論」を貸して下さいます。そこで、作者はこの二冊の本を読み始めます。
 フランスの伝統的な心理小説は、作者が作中人物の心をはっきり分析して読者にみせることで成立しています。言いかえれば作中人物の心をはっきりとつかめるという自信が小説家にあり、そのつかんだものを明晰に、秩序だてて描けるという信念があるから書けるのです。
 次の文は作者の文章をそのまま引用します。
『モーリヤックはこういう小説家のうぬぼれに反対した。というのは彼の世代ははじめてドストエフスキーやフロイトにふれた世代だったし、そしてドストエフスキーやフロイトは人間の心の奥底には、自信をもって把握できたり、明晰に分析などできぬ混沌(こんとん)とした場所のあることをこの世代に教えたからである。その心の混沌とした奥底−フロイトが無意識とよんだ領域では人間のさまぎまな情念と慾望(よくぼう)とが渦をまき、泡だち、矛盾したまま縺(もつ)れあっている。善のねがいも悪の慾求も、美への憬(あこが)れも醜への執着ももつれあって埋まっている。
「19世紀のなかごろ一人の小説家が現われた。その驚くべき天才は、人間の(無意識の)もつれを解きほぐすまいと努め、その作中人物の心理に勝手な秩序も論理も与えることを控え、あらかじめ人物の知的道徳的価値を判定などせず、作中人物を創造した。彼等のなかには崇高なものと汚辱とが、いやしい衝動と高い憧れとが、ほぐしがたく、もつれあっている」
「ドストエフスキーの主人公たちが多くのフランスの読者を途方にくれさせるのは、彼等がロシア人だからではなく、我々と同じ人間−つまり生きた混沌、我々が理解できにくい矛盾した人間だからである」
 いずれもモーリヤックの「小説論」からの引用である。ドストエフスキーのこのような作中人物のつかみ方がモーリヤックには非常な衝撃だったことが次の引用だけでもよくわかる。
「ドストエフスキーの教訓を傾聴した者はもう、ヴェルサイユ宮殿の庭園のように、人間の心を株序だて整理したフランス心理小説の公式で満足できない」
 しかし、それでは人間の心を明晰に描くという心理小説の誇りをすてていいのだろうか。そこでモーリヤックはこの誇りを守りつつ、ドストエフスキーから学んだものを調和させることを決心した。その決心のあらわれが、私の長年にわたる愛読書であり、今からこのエッセイのテキストにする「テレーズ・デスケルー」という代表作に結実している。』

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 次いで作者は「テレーズ・デスケルー」の筋書きを紹介します。
『仏蘭西の南西部、ランド地方の地主の娘、テレーズは同じ町にすむ地主の息子ベルナールと結婚した。ベルナールは巴里(パリ)大学の法科を出ていたし、宗教的にも生活的にもかたい男で、かなりの土地を持つ家の息子だし、デスケルー家にとっては悪くない婿(むこ)だったのである。
 たしかにベルナールはわるくはなかった。秋になると鳩(はと)を射(う)つことぐらいが趣味で、日曜日にはきちんとネクタイをしめて教会にいく、仏南西の地方に多い堅実な、人生に不安のない青年である。新婚旅行の時はルーブル美術館で有名な絵だけ走って見にいく青年である。そして新妻のテレーズと食事をする時、肉を咀嚼(そしゃく)する彼のこめかみがピクピクと動く青年である。そのこめかみをテレーズはじっと見つめている。
 ただ、この青年を夫にしてみると、テレーズはなぜか疲れた。疲労の理由は混沌として彼女にもわからない。やがて妊娠すると疲労はもっと色こくなり、すべてが気うとく、だるくなった。そんな夏、ひとつの事件が起った。
 その日、うだるような暑さのベランダで昼食をとったベルナールは遠くでたちのぼる火事の煙に気をとられたあまり、食後に医者から命ぜられた砒素(ひそ)療法の薬を二倍の分量飲んだあとも自分が服薬したかどうか忘れてしまった。薬は劇薬だったから量を間ちがうと大変なのだ。ベルナールにそれをたずねられたテレーズは黙っていた。悪意からではない、目的があったためでもない。ただ、けだるかったからである。
 その夜、ベルナールは吐き、苦しんだ。かけつけた医者が手当をして一命をとりとめたが、妻の心にある衝動が起った。それは「一度だけ」−一度だけ今度は自分の手で夫に毒を飲ませたいという衝動である。
 12月のはじめ、ベルナールはふたたび倒れた。診察した医師は疑惑を感じ、偽造した処方箋(しょほうせん)を見つけ、それが病人の妻の作為によることを知った。ベルナールは告訴を考えたが世間体を思って、妻と別居することにした。それ以後、テレーズはながい、一人ぽっちの人生を送らねばならない。』
 次に作者は考えを述べます。
『彼女の衝動を作者は従来の心理小説のように分析をしない。どういう感情の要素からなりたっているかも説明をしない。のみならず、主人公であるテレーズ自身にもその衝動の原因をわからなくさせている。後になって彼女は夫から「あれは……おれをきらいだったからか?」と訊(たず)ねられた時も、彼女はどう答えてよいのか確信をもてない。彼女は「あなたの目の中に不安と好奇心の色をみたかったのかもしれないわ」などと答えるより仕方がない。もちろん、それはあの時の衝動の要素の一つではあろうが、すべてではないことも彼女はとくと承知しているのだ。
 彼女の衝動をこのように混沌としたままに描いたのがこの作の成功の原因だが、それは作者が「小説論」で書いたように「人間の(無意識の)もつれを解きほぐすまいと努め、その作中人物の心理に勝手な秩序も論理も与えることを控え、あらかじめ人物の知的道徳的価値を判定などしない」ドストエフスキーの技法からの影響にちがいない。
 この影響のおかげでモーリヤックは作中人物の心のなかに無意識という領域を導入することに成功した。』
 このように作者はモーリヤックの成功を認めながら、問題を提起します。
『テレーズ・デスケルーは作者に敢然と反抗した作中人物だったことは確かである。しかし希望のない陰鬱(いんうつ)な色で塗りこめられた作品となってしまった。

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 それはモーリヤックが人間の無意識という領域を慾望の抑圧した溜り場所とだけ考える気持が強かったためである。テレーズは窒息的な地方の町のなかで、型にはまった環境と型にはまった結婚生活のなかで、別の生きかたをしたいという慾望をたえず抑えつけねばならなかった。抑えつけたものは知らず知らずのうちに意識下で出口とはけ口とを求めている。それが壁を破って噴出した時、あの衝動となつた。
 ということはモーリヤックにとってこの衝動を墳出させた意識下の領域−無意識が罪の母胎であり、罪の根元だということになる。少なくとも彼の無意識の扱いかたはテレーズ・デスケルーに関する限り、暗く病的だと私には見えて仕方がない。
 なぜか。
 ながく尊敬してきたこの作家のことを考えるたびにこの疑問が頭にひっかかっていた。
 まず推測できるのはモーリヤックが人間の心の無意識を小説技法的にはドストエフスキーから学んだにせよ、その無意識を見る眼(め)はいかにも西欧人の−特にあの時代の西欧人の見かただということである。 まず、あの時代の西欧人の無意識にたいする見かたは何といってもフロイトにあらわれている。 』
 作者は無意識が「宗教と小説」という問題に関係が深く、無意識のテーマを通して考えを述べて行きたいと締め括っています。

U 彼は肉慾に苦しんだが・・・・・・
 作者は、リヨンに留学していたとき、本屋のウインドーに「モナコ文学大賞」という帯をつけたグリーンの新作「モイラ」を見付け、これを購入して夢中で読んだときのことを思い出します。それは作家と同じように家郷を離れ、勉強に来ている一人の学生の孤独な生活を描いた作品でした。この青年は卒業後は牧師になり、人々の魂を救おうと考えている性格と信仰心の持ち主でした。そのために他の学生のみだらな生活を憎み、女性を恐れ、自分の性欲にも怯えていました。
 モイラという娘は、彼をからかうためにその下宿を訪れます。青年はそれまで抑えていた肉欲を爆発させ、彼女のために自分が墜ちたのだと怒り、娘を殺してしまいます。
 グリーンの無意識の扱い方はモーリアックと同様にフロイト的であり西洋的です。無意識を何か病的で、暗い、無明の世界と見ています。しかも彼はホモだったのです。
 西欧的というのは西欧人にとって理性で把握できるもの、つまり明晰で秩序があり合理的なものが善であり、混沌として掴みにくいものは不気味で病的だという考え方が根底にあったからです。だから無意識−つまり理性や智恵の働く意識下の混沌とした領域に本能的な恐れや不安を抱くのです。
 宗教は意識下のもので、無意識は二つの面を持っています。一つは罪の母胎としての無意識で、もう一つは神が働く場所としての無意識です。このように無意識は罪と救い、闇と光との両面を持っています。作者は、こうした考え方をいくつかの例で示しています。

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V 秋よ、落日の時よ、
 作者は原宿に「キリスト教芸術センター」という研究所を作ります。昭和57年の冬に玉城康四郎(仏教学者)氏から唯識思想の「アーラヤ識」の話を聞くようになります。仏教では5世紀に無意識をアーラヤ識と呼んで考察していたことを、作者は2年前に仏教学者の本で知り驚きます。仏教では「究極の目的である解脱(げだつ)は......我執の源泉たるアーラヤ識の根本転換の外はありえない」と考え、言いかえれば、アーラヤ識、つまり無意識領域こそ我執の母胎であると共に救いの場所でもあるということです。
 この章では、その折に作者が考えた「キリスト教の文学がとりあげた無意識のテーマこそ、キリスト教と仏教との共通点であり、相違点」を取り上げます。あわせて「テレーズ・デスケルー」を唯識の立場から考えています。
 アーラヤ識または唯識については研究書や注釈書が容易に手に入ります。大乗仏教では、無意識をマナ識とアーラヤ識の二つに分けています。無意識の中の「我(が)」中心の場所を唯識論ではマナ識とよびます。このマナ識の奧には、更にマナ識を動かしているアーラヤ識があります。それが西洋的深層心理学のいう無意識です。玉城康四郎先生の説明が続きます。「アーラヤ識は執着の源泉を蓄えている蔵です。第二に私どもが経験している世界はすべて自分のアーラヤ識のあらわれです。つまり自分のアーラヤ識は経験している世界の中に蓄えられています。」仏教はその過去の中に輪廻転生するわれわれの前世までを含めるので、前世までの経験を含めて、過去のすべての経験の溜まり場がアーラヤ識です。
 テレーズはフランスの地方地主の娘として生まれました。そしてなぜか、もの事に陶酔できません。唯識の立場ではこうした生まれ、育ち、天性の性格の中に、前世の経験の影響(薫習[くんしゅう 過去の経験の影響力と波及力])を見ます。結婚相手として現実的な観点から地主の息子を選びますが、陶酔できない性格という種子(ピジャ 潜在力)がこういう形での結婚という行為を生んだのです。テレーズのアーラヤ識はやがて皮を破って一気に芽を吹き出そうとします。それが夫に毒を飲ませようとします。「テレーズ・デスケルー」は一人の女のアーラヤ識の物語で、どのようにアーラヤ識と種子が一人の女をふりまわしてゆくかという怖ろしい話です。
 われわれの心の中には執着がある一方では、清浄なものに心ひかれる何かがあります。唯識思想は種子を二つに分けて考えています。執着を起こさせる種子を有漏(うろ)種子、有漏種子を浄化させる力を持った種子を無漏(むろ)種子といいます。無漏種子が生まれるのは先天的なものと考える説と、経験により生じる後天的なものとする二つの説があるようです。キリスト教にも、これと似た考えがあります。

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W マイナスはプラスになる
 はじめに本の最初の数行をそのまま引用します。
『「そうです。わたくしは自分の生涯のあらゆる瞬間をあなたさまの為に費やさずにはいられません。噫(ああ)、自分の心を一杯にしている極度の憎と愛とを外にして何をわたくしは致しましょうか。たえず、わたくしの思いを充しているこの愛に取残されてしまったわたくしに無事な寒い生涯が暮されましょうか」(佐藤春夫訳)
「噫、あなたに向ってわたしの心はどれほど真実こめて申しあげることでしょう。『わたしの顔はあなたを慕い求めます。どうかお顔をわたしに隠さないでください』(詩篇27、8〜9)……何がまだ残されているのでしょう。それはあなたの口づけ、そうです。あなたは御自分の光の充満の中で、わたしに口づけをめぐんでくださろうとしておいでになります」(山下房三郎訳)
 二つの文章をそれほど注意をはらわずに読むと、両方とも恋する男にあてた女性の手紙だと思うだろう。
 しかしそれが違うのである。前者はなるほど有名な「ぽるとがるぶみ」の任意の一節で、修道女アルコフォラードが恋するシヤミリイ伯爵にあてた恋文から引用したものだが、後者は聖ベルナルドがクレルポーの修道院で修道士たちのために行った「雅歌についての説教」(あかし書房)の一節だ。前者は本当の恋文で実在の男性にあてて書いたものであり、後者は聖ベルナルドの信仰体験にもとづく宗教的説教である。』
 このように作者は基督教の信仰告白が愛欲の告白スタイルと似ていることを示します。
 次に作者は禅とキリスト教の違いを説明します。すなわち禅が悟りの状態を、キリスト教は人間の神に対する関係をあらわすイメージを語っています。
 さらに作者はモーリアックによる愛欲心理と宗教心理の違いまたは三つの相似を取り上げています。さらにその相似点を巧みに扱った小説としてグリーンの「情事の終わり」を挙げています。モーリアックは、その相似点を利用して神が我々に働きかけてくると言いたいのだと説明しています。これは単なる思いつきではなく、現代基督教作家に共通した考え方だと語っています。
 そうして、そこから置き換えの手法が出てくることを述べています。作者は「侍」主人公の長谷倉(はせくら)が、失敗を機にキリストに心を惹かれて行くことを例示しています。

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X 俗なるものと聖なるもの
 作者は、かって聖書はつまらないと思っていましたが、読み方を変えることにより興味が湧いて来ました。小説家になってから面白いと思い始めました。一つは我が身に引きつけて読むことであり、もう一つはイエスを主人公として読むのではなく、彼と出会った男女を中心に読むことです。イエスの男の弟子達は、粗忽な性格の持ち主や、裏切り者がいたりして、彼らがどのようにして強くなったかを、ミステリー小説のように読むのです。そのようにして読むと、聖書には置き換え手法が使われていることがわかります。王にはふさわしからぬ惨めな極刑に処せられたイエスが、弟子達によって別の王に変わって行く物語です。王にふさわしくない惨めな極刑に処せられたイエスが、やがて弟子達にとって、別な王に変わって行くことが重要です。この置き換え手法は、また細部のエピソードにも使われています。
 作者は神の愛と、愛欲の相似性から、男女の愛慾世界を通過することで神を見出すのであり、神が働くのは、愛欲のようなドロドロした面でもあり、よごれた部分においても神が働くと述べています。
 基督教文学にとって人間の無意識領域は罪の温床というイメージがありますが、そこはまた神が働く場所でもあると言っています。
 また二人の近代心理学の巨人、フロイトとユングにも言及しています。フロイトは無意識を暗い病的なものとして捉えたのに対し、ユングは創造的で積極的な力を見出そうとし、最近のキリスト教は、フロイトよりユングに親近感を感じているようです。

Y 心にひそむ元型
 小林秀雄氏の「正宗白鳥の作について」は氏の遺稿というべき作品です。その中心となるテーマは、有名な白鳥臨終の改宗の問題です。この問題で作者は文壇論争に対する山本健吉氏の言葉が一番適切だと思っているようです。「それは魂の問題であって思想または意識の問題ではない。これは意識の深層の問題である。」 小林氏も山本氏と同じ認識を持っていたと思われます。
 信仰とは無意識の領域に深く根ざしたものです。
 ユングは個人的無意識のもっと下に、集合的無意識を見ようとしました。人間の無意識のなかには、共通した元型があり、その元型に触発されて似たイメージが生まれるのではないかと考えました。作者は元々中学生の頃から自分の心の中に、長い祖先達の経験や感覚が遺伝的に埋まっているのではないか、と感じていました。作者が漠然と感じていたことをユングは書いたものに、はっきりと主張していました。ユングは精神病の患者から話しかけられた内容がミトラス教に同じ幻視があることを知り、さらに自分が分裂症気味の夢や想念を持つようになり、そこに出てくるイメージが神話などに出てくるイメージにきわめて類似していることを知って、人間の無意識のなかには、共通した元型があり、その元型に触発されて似たイメージが生まれるのではないかと考えるようになりました。
 何万年にわたる人間の心の歴史が働いていると考えました。元型の例としては太母(グレイト・マザー)、老賢人、影、アニマ、アニムスなどがあります。

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 「沈黙」の踏み絵にきざまれたイエス像は母性的なイメージであり、それが読者の無意識にある太母元型に共鳴させられるかどうかが成功の鍵を握っていたのです。
 元型の影はコンプレックスと関係があり、無意識にする行動や思わず出す感情や考えもせずに口にする言葉に、この影は姿を出します。キリストは当時のユダヤ社会の影を背負わされて殺されたのです。
 アニマとは男性にとって抑圧された女性部分で、アニムスとは女性にとって抑圧された男性部分です。
 すぐれた文学作品が、読む者に個人的な感動とともに、共通した感動を与えるのは、読者の元型を刺激するからではないでしょうか。
 ユングは個人的無意識のほかに、集合無意識と元型を認めることで、この心の秘密の領域をフロイトのように病的な歪(ひず)んだものに限定せず、もっと創造的で、もっと人類全体につながる場所としてくれたのでしょう。
 ユングの理論は小説家の著者を二つの点で楽にしてくれました。一つは元型と物語の関係で、もう一つは元型のひとつひとつが、あるいは元型の総体が、大きな存在、すなわち神を志向しているということです。

Z 物語が人々に語りつがれるには……
 ユングが抑圧するものの溜まり場所を個人無意識の一つと呼び、このほかもっと創造的なエネルギーを持った集合無意識のあることを発見したことは、作者に開放感を与えました。集合無意識は我々一人一人の心の遺伝であり遺産です。祖先から各世代に伝わった心の遺伝が共通しているからこそ我々は昔の世代とも、また文化伝統の違う別の民族とも芸術的宗教的感情と感動を分かち合うことができると考えます。その共通した心の遺伝の遺伝子ともいうべきものが元型ですが、元型は歴史や文化の関係のない民族や人間同士でも共通したもののあることをユングは神話や夢を通して発見しました。意識的に作られた自己の奧に我々はもう一つの自己を持っています。意識的な自分に欠けたものをひそかに補おうとするもう一つの自己で、これをユングは影と呼びました。夢や無意識の行為の中に現れます。作者によれば「テレーズ・デスケルー」は影物語であり、義妹のアンヌはテレーズ自身の影であり、夫のベルナールも影であるといっています。
 次に作者は元型という観念をしきりに使ったミルチャ・エリアーデに言及しています。エリアーデにとって元型は、古代人がそれによって生きた神話や祭儀に存在しています。そしてその神話や祭儀の中で行われた形式を、人々は代々繰り返すことで深い意味を与えていたとエリアーデは言うのです。日本人の先祖の生活方法も元型を機軸として、それをなぞり、それを再生することだったと言えます。元型と聖なるものとは切っても切り離せないものだとエリアーデは繰り返して力説しています。
 ユングが無意識の中に元型を見出したのに対し、エリアーデは人間の精神史のはじまり(神話や祭儀、象徴)のなかにそれを見つけているということです。

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[ 乾いた土地、水のある場所
 ユングの友人だったエリアーデは、物語にも、それを生む神話的元型があると主張しています。作者はエリアーデが引用した例を読んで、イエスと新約聖書との関係を連想します。イエスの行動はこうして旧約の上に重ね合わされ、もう一度、咀嚼(そしゃく)されることで人々に語りつたえれ、伝承となったと言えるでしょう。物語にも元型があるのです。一方、ユングの言葉「キリスト教が、もし信者たちの無意識中で活動している元型をも表現するものでなかったらば、彼らに何の感銘をあたえはしなかったろう」が思い出されます。これは福音書についても同じことがいえるのです。福音書がもし人々の無意識のなかで活動している元型を刺激するものでなければ、我々に何の感銘も与えなかったにちがいありません。
 聖書の中にある元型について、エリアーデ的観点と、ユング的観点から考えています。
 聖書の中で「水」に関連した言葉を取り上げ、作者がサマリヤ地方を通った時の体験に触れます。水についてのイメージの元型を語ります。
 最後にテレーズ・デスケルーの話に戻ります。作品のなかにテレーズ夫妻の住むサン・クレールの町の司祭のことが出てきます。テレーズがこの神父に好奇心を持つのは、彼女自身の孤独とこの神父の孤独とを無意識に重ね合わせているからです。
 この司祭の元型に孤独なイエスのイメージがひそんでいるのはたしかです。こうしてみると、我々が小説とよぶものには重層的に二重、三重に元型が重なり合っていることがわかります。作家は自分の独創で書いていると思っているのですが、その意識的創造のなかには彼の気づかぬ−しかし当人が気づいていないだけで実は無意識の記憶が働いている−神話的元型がたえず作用しているのです。

\ ひとつの小説のできるまで
 我々の無意識のなかには、イメージだけでなく、物語をつくり出す元型もひそんでいるのではないでしょうか。作品の個性や独創性は、目に見えぬ大きな深いものに支えられています。それは、文学のながい作品共同体であり、その作品共同体はそれぞれ物語元型をもち、元型は無意識のなかにひそんでいます。
 テレーズ・デスケルーという人物像ができたいきさつは次の通りです。1906年に夫に毒を飲ませた容疑で逮捕され、15ヶ月の刑期を科せられた痩せた毒殺犯の女と、環境に順応できない女友達の二人がテレーズの外面的なイメージを形作っています。本質的なイメージはラシーヌが「フェドール」の中で表現したものであり、この悲劇はギリシャ悲劇の「ヒッポリュトス」を下敷きにして書かれています。さらにマグラダのマリアのイメージがあったと思われます。こうしてテレーズ・デスケルーという女性がモーリアックの心のなかで少しずつ形作られるためには、どんな作品共同体が必要だったかがわかります。

] テレーズと菜穂子と
 ギリシャ悲劇のエウリピデスの「ヒッポリュトス」の話は、旧約聖書「創世記」のヨゼフとその主人の妻の物語と似ています。「テレーズ・デスケルー」はこの物語系統に属するでしょうか。答は否ですが、一つの点は影響を受けています。テレーズは心の中の暗い、罪の衝動を避けることができません。
 こういうことを、なぜ書いたかというと、菜穂子と比較したいからです。
 読者はテレーズ・デスケルーを読みながら、テレーズの中に「行動しなかった」自分を投影し、自分の身代わりを発見します。
 テレーズ・デスケルーには重層性、多様性、厚みがあります。対する菜穂子には、それがありません。テレーズが感じたサン=クレールで感じた窒息感が菜穂子では描かれていません。
 自分の不満が間違っていることに気がつきました。外見上の類似から同じ物語系列に入れるのは間違いで、菜穂子は世捨て人物語の系列に属しているのです。菜穂子には、本質的な隔たりがあり、女がつくる諦念の姿勢だったのでしょう。

]T 「コーランを読む」を読みながら
 井筒俊彦氏(言語学、イスラム学の大家)の「コーランを読む」(岩波書店)を元に物語と元型の関係を考えてみましょう。コーランの中で生じたイメージから、イメージが内容的にふくれて一つの物語に発展してきます。本当に歴史的に起こった出来事を、歴史から遊離させて、筋を作りながら展開してゆきます。
 文学の場合、ある事実が作者の無意識の元型を触発したとき、やがては事実を越えたイメージや物語に変形してゆきます。
 「人間は一つの外面にあらわれた性格をつくりあげると、必ず心の内面には、それと反対の大きさで影がつくりあげられる。意識によって生きることをやめた部分は実は無意識にそれだけ蓄積されているのである。」
 テレーズ・デスケルーが、善良な信者で、身持ちも正しく、いわゆる社会的な道徳や基督教社会の慣習を怠らない夫(言いかえれば彼女の社会的な自己)をうとましく思ったのは、社会的道徳、基督教社会の約束事などより、もっと深い、もっと大きな、もっとそれを越えたX(エックス)を魂の底から求めたからではないでしょうか。
 私の心には社会道徳をこえた大きなXを求める元型がひそんでいます。その元型とは社会的自我が心の底に抑圧している私の影(シャドオ)です。そのXをいつからか私は、私のイエスとよぶようになりました。

]U すべての道は]に向う。だが……
 ユングは無意識の役割の一つとして補償作用を説明しています。「体が傷や感染の異常な生活にたいして明確な目的をもって反応するように、心の機能も不自然な、あるいは有害な障害に対して有力な防衛手段をとって反応する。そのような目的ある反応のひとつが夢だというのが私の考えである」「夢は心の平衡状態を維持するために、その時々の意識とは別の面を強調する」
 私たちは個人生活のなかで色々な歪みを起こします。心の歪みがまず無意識に抑圧という影響を与える時、無意識は何らかの方法でその歪みを直そうと働きはじめるのです。我々の心には先天的にある平衡と統一を目指し、その平衡が限界以上に失われた場合には、それを元に戻そうとする力が働きます。我々の無意識の底には秩序と平衡とを促す神秘的なXが働いているのではないでしょうか。
 テレーズには闇の底に沈もうとする本能があったようです。

]V 悪、死の本能
 ]とはイエスのことです。基督教信者である限り罪から遠ざからねばならなりません。しかし小説家である以上は人間の心のすべて−美しく良い領域はもとより、忌まわしい罪の領域からもそれが人間の心にある限り眼をそむけてはなりません。
 サドは否を二つの種類に分けて考えました。一過性の否定と、絶対的な否定です。一過性の否定とは、本当は]を求めるための否定です。絶対的な否定とは根本的な否定です。
 モーリアックの失敗はテレーズのこの悪(絶対的な否定)にふれたとき、それを罪のようにみなしたことです。筆者がこのことを感じたのは、フランス留学の折り、リヨンのあちこちにナチが拷問を行った地下室が残っており、人間の心の中の本能や衝動からテレーズの犯行との関連性を考え、はるかにはみ出すものが心に残り、不安になりました。
 「私は一つの作品をこう読んできた」というのが、この本の本当の題かも知れません。 

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4. 解 題
 私の愛した小説
「新潮」1983年10月号より1984年11月号まで「宗教と文学の谷間で」と題して連載された。以後、以下の各巻に「私の愛した小説」と改題して収録された。1985年7月、新潮社刊『私の愛した小説』。1988年9月、新潮文庫『私の愛した小説』。
 この長篇評論は、1980年の書下ろし長篇『侍』の刊行から次の書下ろし長篇『スキャンダル』の刊行までの6年間のちょうど中間で執筆されているが、その執筆につながる『侍』刊行後の心境について、武田勝彦との対談「『スキャンダル』の読み方教えます」(「知識」1986年7月号)のなかで次のように語っている。
『沈黙』を出発点として『侍』で一応は完成した私の作品群は、日本の土壌の中のキリスト教の問題、あるいは東洋と西洋の問題でもいいんですが、『侍』でおおまかな円環を閉じたという感じがあったんです。そこでこの後、同じようなテーマの作品を続けて書けば、技術的には磨きがかかるけれども、作家としては前進がないという気持ちがとにかくありました。もうひとつはちょうどその頃から人間の深層心理や無意識を考えるようになったことです。ご存じのように宗教は思想と違って無意識のものです。(中略)私個人も自分の中に、一生懸命勉強したり作りあげた思想の他に、もうひとつの無意識の中に持っている自分があるんじゃないかと考えたわけです。今まで私の小説の中でもしそれを書いてなかったら、それを自分で探究してみようと思ったのです。

 著者の人間の深層心理や無思識への関心はリヨンの留学時代からのものであるが、『侍』完成後、それが再び著者の文学的課題として浮上し、1981年には知人の文学者や芸術家らとキリスト教芸術センターを設立し、82年よりその活動の一つとして各界の学者や思想家を呼んで話を聞く月曜会をはじめ、仏教学者の玉城康四郎やユング心理学者の河合隼雄など著者の深層心理への関心を刺激する学者から直接話を聞いている。そうした中で人間の深層心理とそこに潜む悪の問題への関心が深められながら、この長編評論が1983年から1984年にわたって執筆され、その連載が終わった頃から本格的に次の書下ろし長篇『スキャンダル』が執筆されていることからも、この長篇評論が『スキャンダル』の創作上の土台の一部をなすものであったことが窺える。

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 テレーズ・デスケルー
 1966年11月、集英社版(世界文学全集)22『ジイド/モーリアック』の中の「テレーズ・デスケールー」の訳を担当。以後、この著者訳の小説は以下の各巻に収録された。1972年2月、講談社刊『愛の砂漠 テレーズ・デスケールー』(フランソワ・モーリヤック)。1974年4月、講談社文庫『テレーズ・デスケールー』(フランソワ・モーリヤック)。1977年4月、講談社刊(遠藤周作文庫)B4『テレーズ・デスケルウほか』。同年11月、主婦の友社刊〈キリスト教世界の文学〉2『モーリヤック ジャム A・フランス フローベール』。1984年2月、春秋社刊(モーリヤック著作集)2『テレーズ・デスケルー』。1985年7月、新潮社刊『私の愛した小説』。1988年9月、新潮文庫『私の愛した小説』。
 著者のカトリック作家モーリヤックへの関心、特にその小説「テレーズ・デスケルー」への関心は、慶應大学予科時代に掘辰雄の影響で始まり、仏文科進学後さらに進展し、フランス留学中にはこの小説の舞台を旅してエッセイ「テレーズの影をおって」を発表するほどに強まる。帰国後、小説家になってからもこの小説の影響の下で長篇「海と毒薬」を執筆するなど、その関心はさらに深まり続け、40年に及ぶこの小説への尽きない関心は長編評論「私の愛した小説」に結実する。ちなみに、この評論が単行本として刊行される際には、この著者訳の「テレーズ・デスケルー」も併録されている。そしてさらにこの小説の影響は最後の純文学長篇『深い河(ディープ・リバー)』にまで及んでいる。
 ところで、著者は翻訳について佐藤泰正との対談『人生の同伴者』のなかで、(翻訳には正妻訳と愛人訳のふたつある。正妻訳というのは語学的には非常に正しいけれどもぜんぜん味がない。愛人訳というのは誤訳があるけれどもおいしい。荷風の詩の訳は、荷風節というものに屈折されていて、あれは明らかに学者の訳じゃない。愛人訳です)と述べ、佐藤から(じゃあ、遠藤さんの『テレーズ・デスケルー』は愛人訳ですね)と問われ、(愛人訳(笑)。だから正規の仏文学者から語学的にはこういうほうが正しいといわれても、いや私はこうやりたいと)と答えている。
 実際に、この小説の日本における最初の翻訳で新潮文庫にも入って戦後に流布していた杉捷夫訳と比べると、モーリヤツクと同じカトリック作家でこの小説に愛着をもつ著者ならではの作品への理解が反映した訳となっている。そうした中には、杉訳では(お前が孤独でない)と直訳されている序文の結びの一文の言葉が、著者訳では(あなたにはキリストがついていかれる)とあえて原文にない言葉に移しかえられるといったような、「遠藤節」というものに屈折された箇所も見いだせ、確かに愛人訳であることが納得される。
(出典 遠藤周作文学全集14 新潮社)

5. この本を読んで
 作者が若い頃、たまたま出会い、作品のお手本にしたフランソワ・モーリヤックの小説「テレーズ・デスケールー」について段階を追って解説しています。作者の考え方を、これだけ説明できるとは、素晴らしいことだと思います。宗教や文学は無意識の世界です。2006年12月に載せ始め1年1ヶ月かかって、やっと完結したことになります。
 もし、宗教や小説に興味のある方、または、この紹介を読んで興味を持った方は、是非とも原著を読んでいただきたいと思います。

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[Last updated 1/31/2008]