6 Transformations
武満徹 ギターのための12の歌ほ


       目 次

0 いきさつ
 このCDを選んだいきさつです。
1 タイトル、曲名、演奏者
 CDのタイトルと収録された曲をご紹介します。
2 曲目解説
 ライナーノートに載っている、曲の解説です。
3 演奏者紹介
ライナーノートに載っている演奏者の紹介です。
4 「村治佳織の翼は、ついに、その大きな翼にふさわしい広い場所をえた!」 黒田恭一氏による、このCDの演奏家についての解説です。
5 対 談
 村治 佳織さんと千 宗屋氏との対談です。

村治佳織(ギター)
ドミニク・ミラー(ギター)
「クラシックの名盤」
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0 いきさつ
 2005年の9月に、コーラスグループの発表会がありました。この会では斉唱・重唱・合唱と三種類、歌うことになりました。今回は斉唱・重唱は各自が選ぶように、ということで、私は独唱曲に武満徹さんが作詞・作曲した「小さな空」を選びました。この曲は先生のお嬢さんの岩森美里さんがリサイタルのアンコールとして良く歌う曲です。
 武満徹さんは前にも興味を持って本を読んだり、CDを何枚か聴いたことがあります。今回も図書館で本(主として対談集です)やCDを借りてきました。その中の一枚が村治 佳織さんの、このCDです。ところが借りてきた日か、次の日の夕刊に下の「5 対談」に載せた記事が出ていたのです。しかも『05年、「トランスフォーメーション」が日本ゴールドディスク大賞(洋楽)を受賞。』と書いてあるではありませんか。余りの偶然にビックリして、早速、このCDを買いこみました。武満徹さんは元々ギターがお好きで、多分、ご自分のために編曲されたのだと思います。
 クラシックギターも余り聴いたことがなかったのですが、この演奏は素晴らしいと思います。また武満徹さんは多くの名曲を作られ、日本の誇りだとおもいます。

1 タイトル、作曲家、曲名、演奏者
タイトル Transformations
☆ 武満徹(作曲家)  Toru Takemitsu (1930-7996)
  《ギターのための12の歌》から
 From "12 SONGS FOR GUITAR" Transcriptions for guitar
1 ヘイ・ジユード            [2:54]
  HEY JUDE (John Lennon and Paul McCartney)
2 ミッシェル              [2:49]
  MICHELLE (John Lennon and Paul McCartney)
3 ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア    [3:22]
   HERE, THERE AND EVERYWHERE
  (John Lennon and Paul McCartney)
4 イエスタデイ             [3:30]
  YESTERDAY (John Lennon and Paul McCartney)

5 ヒロシマという名の少年        [3:23]
   HIROSHIMA TO IU NA NO SHONEN for two guitars

6 不良少年               [3:35]
   BAD BOY for two guitars

☆ ミキス・テオドラキス  Mikis Theodorakis (1925-)
  《エピタフィオス》から
  From "EPITAPHS"
7 第7曲:不死の水           [3:08]
   No.7 I ONLY HAD THE WATER OF LIFE
8 第4曲:わが星は消えて         [1:53]
   No.4 YOU HAVE SET, MY STAR!
9 第3曲:5月の日            [3:06]
   No.3 A DAY IN MAY
1O 第6曲:きみは窓辺にたたずんでいた  [1:25]
   No.6 AT THE WINDOW

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☆  フランシスコ・タルレガ Francisco Tarrega (1852-1909)
11 ヴェニスの謝肉祭による変奏曲     [8:57]
  VARIATI0NES SOBRE EL CARNAVAL DE VENECIA

☆ ピーター・マクスウェル・デイヴィス  Peter Maxwell Davis (1934-)
12 フェアウェル・トウ・ストロームネス    [2:41]
   FAREWELL TO STROMNESS

☆ 武満 徹 Toru Takemitsu
 すベては薄明のなかで
 ALL IN TWILIGHT four pieces for guitar
13 T.                   [2:55]
14 U.                   [3:05]
15 V.                   [2:09]
16 W.                   [2:49]

  《ギターのための12の歌》から
  From "12 SONGS FOR GUITAR" Transcrptions for guitar
17 オーバー・ザ・レインボー        [2:24]
   OVER THE RAINBOW (Harold Arlen)
18 ロンドンデリーの歌           [3:58]
   LONDONDERRY AIR (Irish Folk Song)

19 ラスト・ワルツ             [4:05]
  THE LAST WALTZ (Les Reed/Barry Mason)

  [ボーナス・トラック] Bonus tracks
20 悔いなき美女(ステイング/ドミニク・ミラー編) [2:49]
   LA BELLE DAME SANS REGRETS 「Gordon Summer/Dominic Miller)
21フラジャイル(ステイング/ドミニク・ミラー編) [2:49]
   FRAGILE (Gordon Summer/Dominic Miller)

村治佳織(ギター) KAORI MURAJI, Guitar ドミニク・ミラー(ギター) DOMINIC MILLER, guitar(5.6.20.21)
録音:2004年5月27日-31日 サフォーク、ポットン・ホール

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2 曲目解説 小沼純一
《ギターのための12の歌》
武満徹(1930-1996)か愛していた楽器は、ギターであった。フランスの「ル・モンド」紙へのインタヴューでそう答えていたし、《ギターのための12の歌》に寄せた文章にも、「私はギターという楽器が好きです」と、さらに「自身のよろこびのために」この編曲をしたという文を読むことかできる。編まれたのは1977年、荘村清志のアルバム『地球は歌っている』が想定されていた。選ばれた曲は、武満徹自身か、あるいは日本のごくごくふつうに生活しているひとが、いつのまにか知っていて口ずさめるようなものばかり。いわば時代やスタイルを超えた「スタンダード」と称してもいい曲ばかりだ。目立つのはビートルズのレノン/マッカートニーの曲が複数、しかも4曲あること。それ以外はアイルランド民謡あり、戦前のポピュラーソングあり、シャンソンあり(映画の中で使われている曲が多いのは、武満の映画好きが反映しているのに違いない)。編曲とはいいながら、実に微妙なテンポの変化やニュアンスの指示がこまかく記されている。何でも、荘村氏の録音の際、自作品よりはるかにそうした指示に厳密さを要求したという。今回《12の歌》から選はれたのは、武満徹自身が親しんだ映画の音楽というよりは、演奏者村治佳織に沿ったものといえるだろう。
1 〈ヘイ・ジュード〉は、1968年8月にシングルとして発売され、21週間にわたってチャートにはいっていた曲。
2 〈ミッシェル〉は、1965年に録音され、アルバム『ラバー・ソウル』に収録。タイトルはフランス人女性の名で、歌詞にはフランス語の呼びかけがはいっているのか特徴。
3 〈ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア〉 ザ・ビートルスは、20世紀後半における全世界の音楽シーンに大きな影響を与えた。そしてジョン・レノン(1940-1980)とポール・マッカートニー(1942-)の作詞・作曲によるオリジナル曲は、バンド解散後もスタンダード・ナンバーとして残り、現在も演奏されつつけている。アルバム『リヴォルヴァー』に収録。
4 〈イエスタデイ〉たとえロックは嫌いだと公言するひとでも、クラシック的なストリンクスのアレンジがほとこされているこの曲には肯定的だったりする。1965年9月にシングル・リリース。アルバム『ヘルプ』に収録。
17 〈オーバー・ザ・レインボー〉はしばしば〈虹の彼方に〉とも訳され、親しまれている。ライマン・フランク・ボーム原作によるミュージカル映画『オズの魔法使い』(1939)でまだ幼さの残るジュデイ・ガーランドか歌う曲。作曲は『スタア誕生』やマルクス・ブラザースの映画音楽を手掛けたハロルド・アーレン(1905-1986)。
18〈ロンドンデリーの歌〉、あるいは歌詞を変えて(ダニーボーイ)として知られるこの曲の原曲は1855年の本にはすでに採譜されており、当時より、あるいはそれ以前より北アイルランドにある港町ロンドンデリーで歌い継がれてきた。クライスラーによるヴァイオリン編曲版もある。

5 ヒロシマという名の少年
《ヒロシマという名の少年》は1987年、菅田良哉が4年かがりで完成した自主製作映画のために作曲された、珍しいギター2本のためのオリジナル作品。題名から予想されるとおり、広島の原爆投下のその後がファンタジー・ドラマ風に描かれた。武満はこの映画のために1曲のみを提供している。

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6 不良少年
 《不良少年》は1961年、羽仁進による同名の映画のために作曲された。映画は、少年院をロケした、ドキュメンタリー・タッチのフィクション作品。武満自身はこれによって映画音楽をやることが面白いという思うようになったという。使われていたのは3本のギター。それからおよそ30年後、1990年代に佐藤紀雄によって2本用に編曲された。

7-10 《エビタフィオス》から
あるときはひとびとの愛唱する歌を書き、あるときは交響曲やオペラを作曲し、あるときは『その男ゾルバ』をはじめとする映画の音楽を手掛ける。多彩な活動のかたわら、右派政権により投獄、拷問を受け、作品の演奏は禁じられ、亡命の日々を送った。そして、民衆が親しむ音楽、さらにはビザンティンの伝統をひく音楽、そしてヨーロッパが20世紀に至るまで積み上げてきた芸術音楽との「あいだ」に、つねに身を置いてきた。ミキス・テオドラキスとはそういう音楽家である。生まれは1925年ギリシャのキオス島、パリ音楽院ではメシアンとレイボヴィッツに師事。ギターのための《エピタフィオス》は、もともとギリシャの詩人、リトソスの詩にもとつく連作歌曲から抜粋したもの。全体は8曲から成っている。ここては3曲目〈5月の日〉、4曲目〈わが星は消えて〉、6曲目〈きみは窓辺にたたずんでいた〉、7曲目〈不死の水〉を演奏している。エビタフィオスは英語やフランス語でいうところのエビタフ、碑銘の意である。

11 ヴェニスの謝肉祭による変奏曲
《アルハンブラの思い出》をはじめとするギター・レパートリー、近代ギター奏法の父ともされるのか、スペインのフランシシコ・タルレガ(1852-1909)である。「ヴェニスの謝肉祭」は観光名物でもあるが、少なからぬ作曲家がこのお祭りを題材としている。ベネディクト、クラーク、アーバン、ゴドフロア、そしてもっとも有名なのがフランスのフルーティストだったジュナン。このポール・アグリコール・ジュナン(1832-1903)の曲のテーマをもとに書かれたのかタルレガの手による変奏曲−−正確にいえば、《「ヴェニスの謝肉祭」による変奏曲》である。まずアンダンテによる比較的長めの序奏か提示され、それからアレグロのテーマ、つづいて8つの変奏がつづいてゆく。

12 フェアウェル・トゥ・ストロームネス
ピーター・マクスウェル・デイウィスは「サー」の称号を持つイギリスの作曲家。1934年マンチェスターに生まれ、その地で音楽も学んだ。オペラから交響曲、ケン・ラッセル監督の映画音楽も手掛け、幅広い活動をおこなっている。ハリソン・バートウィスルらとともにイギリスの前衛派ではあるが、けっして聴衆を無視してはいない点で、ブリテンの後継者ともいわれている。ディヴィスはギターの作品を72年以降何曲か書いているが、この《フェアウェル・トゥ・ストロームネス》はディヴィス作品のなかでも比較的軽いもので、もとはピアノのための小品。語り手とピアノのための《イエロー・ケーキ・レヴュー》(1980年、テクストは作曲者自身)中のピアノ独奏曲をティモシー・ウォーカーがギター用に編曲している。ストロームネス(stromness)はオークニーにある、この曲が初演された場所を指す。
13-16 すべては薄明のなかで
《すべては薄明のなかで》は切れ目なしに演奏される。武満自身の言葉を引こう−−「画家パウル・クレーの同名の作品から受けた印象がパステル風の淡い色彩で描かれた、4つの異なる線の音楽として作曲されている」。若い頃からクレーを愛した武満は、イギリスのギタリスト、ジュリアン・ブリームの委嘱を受ける。そしてちょうどニューヨークに滞在中にクレーの展覧会かあり、インスピレーションを受け、この作品が結実することになる。初演は1988年。

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19 ラスト・ワルツ
《ラスト・ワルツ》は、レス・リードとバリー・メイソンが書き、エンゲルベルト・フンパーディンクが歌った曲。1983年、パリはシャンゼリゼの「アスコット」で、ギタリスト、鈴木一郎のために武満が何かプレゼントしようと申し出た。それに対してギタリストはこの曲を所望すると、翌朝−実際には数時間後−にはもう完成し、ホテルのフロントに預けられていた。そんなエピソードがある。

20-21 悔いなき美女/フラジャイル
 このアルバムで村治佳織と共演しているドミニク・ミラーは、長らくスティングとともに活動をおこなってきたギタリストである。スティングについてはあらためて説明する必要をあまり感じないが、ロック・バンド「ポリス」の活動を経て、現在もっともインテリジェントなミュージシャンのひとりとして活躍している。
 《悔いなき美女》はアルバム『マーキュリー・フォーリング』(1996年)に収められていて、全11曲中唯一スティングがドミニク・ミラーと共作、しかもとてもシンプルなフランス語の歌詞がついている曲。「ぼく」が女性である「きみ」と一緒にいて、どこかしら相手の真意に触れられないさま−が、原詩では2行ずつの韻を踏みなから歌われる。《フラジャイル》はあまりに有名な曲で『ナッシング・ライク・ザ・サン』(1987年)に収録。「9.11」の報がはいったときにも、スティングはトスカーナのスタジオでおこなわれたプライヴェート・ライヴでこの曲を歌っていたものだ。ラテン的なノリのよさのなかにヴァルネラブルな、痛みを持った曲で、詩にはひとの生と死をめぐる理不尽さが記されている。

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3 演奏者の紹介
村治佳織 Kaori Muraji
 東京都出身。福田進一に師事。 1989年、ジュニア・ギター・コンテストにおいて最優秀賞を受賞。 91年、学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。 92年フローウェル国際ギター・コンクール(東京開催)及び東京国際ギター・コンクール優勝。
 93年、デビューCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。津田ホールにてデビュー・リサイタルを行う。 95年、第5回出光音楽賞を最年少で受賞。 96年、村松賞受賞。同年5月、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招かれ、本拠地トリノにおいて共演、ヨーロッパ・デビューを飾る。
 97年より、パリのエコール・ノルマルに留学、アルベルト・ボンセに師事。 99年、ホアキン・ロドリーゴの前で彼の作品を演奏する機会を得る。同年、エコール・ノルマル卒業と同時に帰国。以後積極的なソロ活動を行う他、国内主要オーケストラと共演。 2000年及び03年にはドイツのフォークラー・カルテットと日本ツアー、 01年7月、ロドリーゴ室内管弦楽団とスペイン、ヴァレンシアにて初共演。翌年5月同室内管弦楽団と日本ツアー。 03年、再びイタリア国立放響とトリノ、フィレンツェで共演し、あとに続く日本ツアーも大成功を収めた。
 これまでにビクターエンタテインメント株式会社よリCD8作品、DVD1作品をリリース。 03年11月には、英国名門クラシック・レーベルDECCA(デッカ)と日本人としては初のインターナショナル長期専属契約を結び、このアルバムが第1弾リリースとなる。
 現在最も注目されているギタリストであり、今後の活動が大いに期待されている。
村治佳織のOFFICIAL HOME PAGE http://www.musicachiara.com/dulclinea/

4 村治佳織の翼は、ついに、その大きな翼にふさわしい広い場所をえた!  黒田恭一
 若い、才能に恵まれた演奏家が翼を大きく広げるための場所には、その翼にふさわしい広さがなければならない。さらに、その演奏家がそこで見上げる空はあくまでも青く澄みきっていてほしいし、そこに吹くそよ風は爽やかであってほしい。むろん、そういった条件がととのわないかぎり、彼女が羽ばたけない、ということではない。いかに逆境におかれようと、その若い演奏家が特別の才能をそなえていれば、彼女は自らの力で芽吹き、大きく育っていく。音楽好きたちは、いつだって、音楽の視界をひろげてくれるはずの若い才能の登場を首を長くし、耳をダンボの耳にして待っているからである。
 その一方で、演奏家には、ききてによって育てられていく、と思われる側面もある。若い女優が世間の、たくさんの人たちの目にさらされることによってその美しさに磨きをかけていくのと同じで、若い演奏家もまた、感受性ゆたかな、愛情にみちたたくさんの耳によってきかれることで,彼女の音楽を深めていく。どんなに天才的な演奏家であっても、ひとり山奥にこもり、他人を退けて、演奏を周囲の木々にきかせるところでとどまっていては、その演奏家は演奏家としての自分を充分に育てることかできない。
 とはいっても、才能に恵まれた若い演奏家がその持って生まれた翼を大きく広げるにふさわしい広さがすべての若い演奏家のために常に準備されるとはかぎらない。ごく稀に、若い演奏家のために、翼を大きく広げるにふさわしい広い場所が提供されることがなくはないが、そのようなケースは、若い演奏家の才能の、明日の大きな飛躍が、国際的な、目利きといういい方にならえば、耳利きによって確信されたときだけである。よはどのことでもないかぎり、メジャー・レーベルは、商業的に大きなリスクを覚悟しなければならない若い演奏家のためにレコーディングの機会を設けたりしない。
 村治佳織のまばゆいばかりの才能は、イギリス・デッカという、単に世界的な老舗レコード会社というだけでなく、レコード会社か生き生きと活動していくためにはどうしても必要な進取の精神を忘れていないレーベルのお眼鏡にかなった。このことによって、村治佳織には彼女が翼を大きく広げるにふさわしい広い場所が提供されたことになる。デッカに録音したことで、村治佳織の演奏はこれまでとは比較にならないほどたくさんの感受性ゆたかな、愛情にみちた耳によって感じとられる。
 世界のあちこちで、大勢の音楽好きが、このアルバムによって村治佳織という新しい才能を発見して感動することになり、それはそれでとてもうれしいことだが、村治佳織にとってもまた、より広い範囲のききてにきいてもらうことで、さらなる成長と飛躍のきっかけをあたえられたことになり、村治の同胞であるぽくらにはそのことがまた、うれしく思われる。村治佳織の翼は,ついに、その大きな翼にふさわしい広い場所をえて、その美しさと強さとをさらに一層のものとしていくに違いない。
 このアルバムによって新しい第一歩を理想的なかたちで記せた新生村治佳織のこれからは、おそらくぼくたちの期待以上のものになる。なぜなら、見上げる空はあくまでも青く澄みきっているし、彼女の髪の毛を揺するそよ風は限りなく爽やかだからである。村治佳織には眩しい明日が待っている。

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5 対話(村治 佳織さんと千 宗屋氏との対談) ARTIST MEETS ARTIST 「茶席を包み込む魂の一体感」 「心結べる 観客とも楽器とも」

村治 佳織
むらじ・かおり ギタリスト。78年、東京生まれ。93年、CDデビュー。97年、パリ留学。05年、「トランスフォーメーション」が日本ゴールドディスク大賞(洋楽)を受賞。

千 宗屋
せん・そうおく 茶人・美術史家。75年、京都生まれ。本名・方可(まさよし)。 03年、武者小路千家15代次期家元として後嗣号「宗屋」を襲名。現在、明治学院大非常勤講師。

 対談の前に千宗屋さんが、村治佳織さんにお茶をたてた。琵琶の形をした香合など茶道具にも気が配られていた。

 千 お茶を差し上げると、お客様の人柄が分かります。今日は堂々と召し上がっていただいたし、その時の会話も打てば返してくださって、気持ちよかった。演奏のイメージそのままの方でした。
 村治 それはよかったです。
 千 ところで、今日の取り合わせは「東男に京女」ではなくて、その反対ですよね。
 村治 私はよくクラシックのギター奏者というイメージから、山の手育ちですか、なんて聞かれるんです。でも、早口でべらべらしゃべると「あっ下町系なんですね」と。実際には墨田区や台東区で育ちました。15歳でCDデビューした時、以前から演奏を聴いて下さっていた作家の井上ひさし先生が、CDのコメントに「江戸前で歯切れがいい」と書いてくださった。
 千 武者小路千家は400年も京都に続く家だから、ぼくは京都人といわれるけど、大学は東京でしたし、今も月に半分は東京暮らしです。京都は曲線的で東京は直線的。どちらも好きですよ。
 村治 今日お茶をいただいて、一対一の関係が密だなと思いました。私は普段、200人から2千人の前で演奏することが多いので、お客様を広い空間としてとらえていたんです。ところが先日、120人の前で弾いたら一人一人の顔がよく見える。こちらの息づかいが聞こえるようで怖くて厳しいけど、ギターの繊細さも伝わるし、密接な時間が作れる関係も大事だと思いました。
 千 お茶の究極は一対一です。ただ、一日に何百人も来られるお茶会もある。そんな時にやはり一人一人の方に喜んでいただくにはどうするか、葛藤(かっとう)がありますね。お茶は本来、相手のことをよく分かって、もてなすものだから。
 村治 お茶の一対一は、作曲家と演奏家の関係にも近いと思いました。私はよく作曲家のことを考えます。楽譜を弾くだけでなく、そこにどれだけ自分の色を入れていくか、その作曲家の生きた時代がどうだったのかとか。

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 千 お茶では、お茶わんなどの道具との関係もそうです。作った人、使った人のことを考えます。ただ受け継ぐだけでなく、古い道具の中に今の時代に使うことの必然性を見いだしていかなければならない。よく「現代のお茶」というけど、古い物を使っても、物や人との対話を深めていければ、おのずから今のお茶になると思う。演奏の場合もただ昔の楽譜をなぞるだけではないですよね?
 村治 私の場合、作曲者との対話をよく練ってさえおけば、無理に自分を出そうとしなくても、そのままをお客様に聞いていただければいいと思っています。
 千 お茶も音楽も一座建立。場を瞬間的に立ち上げて、終わるとすべてなくなってしまう。お茶席にお客様を迎える前、ものすごい緊張感が空間に生まれるんです。あの緊張感って、観客の期待が充満した、コンサート前のホールの空気に似ている。
 村治 コンサートでは音を通して皆さんの感情が一つになる。特に、演奏中に間を作ると、まるでお客さんがいないかのように静かになる瞬間があるんです。そういう時に強い一体感を感じますね。
 千 魂が一つになる瞬間。そういう一体感を感じるために、お茶や音楽をやるのかなと思うことがありますよね。
 村治 お茶道具との対話とおっしゃいましたが、16歳の時に、私に弾かれるのを待っていたと思いたいようなギターとの出合いがありました。京都のある方が、スペインの名工・ロマニリョスさんが1972年に作ったギターをお持ちでした。お借りしたんですが、すごく気に入って買いました。そのギターは、弾くとどんどん音色が変わり、遠くまで音が飛ぶようになる。楽器が教えてくれるんだ、と思うようになりましたね。
 千 お茶わんも同じですよ。使うごとに、少しずつお湯がしみてきます。釉薬(ゆうやく)の色が変化し、温かみも出ます。うっすらと茶渋もつく。それが味わいになる。しばらく使っていないお茶わんを、ぬるま湯に浸すとシューとお湯がしみ込む音がする。その瞬間、ああ生きているなと思いますね。
村治 そうですか。ある研究者の方にお聞きしたんですが、楽器の場合も、素材の木の細胞は動くらしいんです。新しい楽器は基本的なトーンしか出なくて、それに硬い音や軟らかい音で弾いていくと木の細胞も、振動を覚えるらしいんです。それが音色になる。
 千 音色というのは、言葉や文字に出来ない部分でしょ。
 村治 ええ、まさに自分が出せるところなんです。
 千 お茶のお点前だったら、それは間合いや、お茶の昧かもしれない。ただ昧というのも物理的な昧だけじゃなくて、雰囲気をトータルした結果です。
 村治 でも、何十年も使っていると、楽器の主張の方が大きくなることもあるんですよ。
 干 それは茶道具も同じですね。ところで村治さんは2年前、イギリスの名門レコード会社デッカと専属契約されましたよね。
 村治 はい。私にとって、日本と西洋ということが、これからの大きなテーマの一つです。武満徹さんなど日本人の方の曲も積極的に演奏していきたい。日本に生れてギターをやってきたので、日本人の曲を弾くというのはとて自然なことです。それをヨーロッパの方に聞いていただきたい。
 千 ぼくの場合は、お茶はいんな分野の共通の言葉になる可能性があると思っています。性別も年齢も国籍も全部超えていける。お茶を通してサロンのようなもができ、いろんな人が交流を深め、それこそ音楽も含めて上質な面白い文化が発信できればいいと思っています。

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 村治 私はもう一つ。音楽の世界では、女性が演奏家を続けるのは難しいんです。そんな中で、アリシア・デ・ラローチャさんというスペインのピアニストは子育てされながら、80歳を超えても現役です。そんな風に、長くやりたいという気持ちがあります。
千 ぼくにも一つの人生の目標はあります。14歳の時、先祖の千利休の400年忌の茶会に参加した。その時、次の450年忌では、父から継ぎ64歳になった自分がこれをやるんだという自覚が強烈に生まれた。それを勤める。その頃までに、もっと自然体でお茶を楽しむ人の輪が広がる世の中にしていければいいなと思います。

気負い見せず自然体の2人
 2人とも父親と同じ道に進んだ。村治さんは「大好きな父親がギター弾いているのを見て自然に始めていた」。干さんの場合も、お茶は日常。利休400年忌を機に、「どっぶりのめり込んだ」こともあったとか。ともに、伝統文化やクラシックの破壊といった気負いはなく、自然体。壊そうとしなくても、それぞれの一歩一歩が、おのずと新しい世界を開く。そんな、すがすがしいゆとりすら感じた。     (山盛英司)
(出典 朝日新聞 2005.8.26 夕刊)

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[Last Updated 9/30/2005]