スコットランからイングランドへ(英国)

      目 次

1. 概 要
2. 第1日 成田空港−工ディンバラ 
3. 第2日 エディンバラ−インバネス 
4. 第3日 ネス湖−グラスゴー
5. 第4日 グラスミア−ウインダミア
  (湖水地方)
6. 第5日 ヒルトップ農場−チェスター
7. 第6日 ストーク・オン・トレント
  −ストラットフォード・アボン・エイボン
8. 第7日 コッツウォルズ地方
  オックスフォード−ロンドン
9. 第8日 ロンドン(市内観光)
10 第9日 ロンドン−東京  


工ディンバラからインバネスへ行く途中に
ピトロッホリーという小さな町がありります。
1842年にヴィクトリア女王が訪れて一躍有
名になりました。夏目漱石も休暇を過ごした
そうです。

  トップページに戻る

総目次に戻る

ウオーキング・旅行に戻る

1. 概要
 0) 名称      「英国紀行10日間−古都の魅力を訪ねて」
 1) 場所(目的地) スコットランド、イングランド
 2) 期間      2004.8.20〜29
 3) 参加者     JTB旅物語 37名
 4) 交通機関    航空機、観光バス、タクシー、遊覧船
 5) 訪問地(英国の地図)
  (1) 工ディンバラ
  (2) インバネス
  (3) ネ ス 湖
  (4) グラスゴー
  (5) グラスミア(湖水地方)
  (6) ウインダミア(湖水地方)
  (7) ヒルトップ農場(湖水地方)
  (8) チェスター
  (9) ストーク・オン・トレント
  (10) ストラットフォード・アポン・エイボン
  (11) コッツウォルズ地方
  (12) オックスフォード
  (13) ロンドン
 

 目次へ戻る

 6) 特徴
  (1) JTBのパック・ツアーのせいか、家族連れが多く、気持ちの良い旅行ができました。
  (2) 泊まったホテルは、クラス、所在地(市の中心か、郊外か)などバラバラでした。
  (3) 食事は英国でもあり、まずまずでした(飲み物が各自負担なのは、自由にできて、ありがたい)。
 7) 印象に残ったこと
  (1) 訪問先が田園と、古都と半々でした。
  (2) 湖水地方は、湖畔に一泊したこともあり、良い景色が楽しめました。
  (3) コッツウオルズは、もっと田園の眺めや散策を楽しみたいと思いました。
  (4) ロンドンは一日強で、表面に触れただけでした。
 8) 旅行の概要
 数年前に計画し、期待していた英国に、やっと行けました。スコットランドからロンドンまで、初めての訪問としては、充実していたと思います。8月でも、かなり涼しいので、友人の助言を入れて、良い時期に行ったと思います。
 旅行は「英国紀行10日間−古都の魅力を訪ねて」で、期間は8月20日(金)〜29日(日)朝(9泊10日)で、往復とも直行便でした。
 コースは具体的には次の通りです。
 エディンバラ (1泊)→インバネス (1泊)→グラスゴー(l泊)→ウインダミア(湖水地方) (1泊)→チェスター(1泊)→ストラットフォード・アボン・エイボン(1泊)→ロンドン(2泊)

2. 第1日 成田空港−ヒースロー空港−エディンバラ
 成田空港で集合場所がわからず、少しモタモタした外は無事にヒースロー空港に着きました。空港でエジンバラ行きの国内線に乗り換えるのですが、少し待たされました。この間に税関で入国手続を済ませました。
 エジンバラ空港から市内まではJTBで用意したバスに乗りました。ホテルは町の真ん中の便利なところにありました。
 参加者の一人のスーツケースが着かなかったようです。多分ヒースロー空港での積み替えがうまく行かなかったのだと思います。
 さすがの長旅なので疲れました。エディンバラまで飛ぶ間に軽食が出て、これが夕食です。
 部屋割り、明日の予定の伝達のあと各自の部屋に落ち着きました。第一夜から時差ボケに悩まされました。

 目次へ戻る

3. 第2日 エディンバラ−インバネス

 エディンバラはスコットランドの首都とあって、なかなか立派な都市です。
 翌日は目を覚ますと晴れており、ホテルの窓からは、上の写真のように、ほぼ180度のパノラマが楽しめました。左端がスコット・モニュメント、右端の遠く丘の上に見えるのがエディンバラ城です。ホテルは市の目抜き通りプリンシーズ・ストリートに面しており、写真方向がオールド・タウン、後側が15世紀以降、計画的に造られたニュー・タウンです。
 午前中はバスでオールド・タウン、ニュー・タウンを観光しました。まず、丘の上にあるエディンバラ城です。城はキャスル・ロックといわれる岩山に建っています。聖マーガレット礼拝堂、王宮、アン女王館などがあります。入り口前の広場には臨時の観客席があり、エディンバラ・ミリタリー・タットゥーの舞台とのことです。毎年8月に行われるエディンバラ・インターナショナル・フェスティバルの際、軍鼓笛隊のバクパイプなどが演奏されます。城内でタータンのキルトをはいた男性に会いました(右の写真参照)。
 さらにバスで町の東にあるカールトン・ヒルに登り、ナショナル・モニュメントや遠くセントアンドリュースなどを眺めました。ここで民族衣装を着てバグパイプを演奏している人に会いました。バスでニュー・タウンを見た後、食事をとり、午後はホテルの近くにある高級百貨店JENNERSで買い物をしました。
 午後はバスで次の目的地であるインバネスに向かいました。途中、休憩したピトロッホリーは、小さいながら町中が花で飾られた、きれいな建物が至るところにありました。夏目漱石も英国留学の最後に、遊んだそうです(参考図書2参照)。
 スコットランドにはローランド(スコットランドの南東部)とハイランド(北西部)から成り、エディンバラや明日訪ねるグラスゴーはローランドですが、ピトロッホリーやインバネスはハイランドです。
 ハイランドには山が多く(グレンと呼ばれる渓谷や、ロッホと呼ばれる湖がある)、斜面に咲くヒース(ピンク色で一面に咲くと斜面が輝いて見える)が印象的です。
 各所にウイスキーの醸造所がありました。ピート(泥炭)があるので良いウイスキーができるそうです。スコッチ・ウイスキーは原則的に他の原酒を混ぜないピュアー・モルトだそうです。

参考図書1 高橋哲雄著「スコットランド 歴史を歩く(岩波新書)」
参考図書2 多胡吉郎著「スコットランドの漱石(文春新書)」

 目次へ戻る

4. 第3日 インバネス−グラスゴー
 インバネスは、ネス湖の怪物ネッシーによって一躍有名になった町です。インバーは河口を意味するそうで、インバネスというのはネス河の河口の町です。昨夜のホテルは町外れにありました。朝、ネス湖に向かう途中、聖アンドリュー大聖堂の前でバスを止めましたが、かたわらにネス川が流れ、川の向こうの小高い丘にはインバネス城がそびえ立ち、前にタワー・ホテルがあって、とても気持ちの良いたたずまいでした。
 バスは川沿いにネス湖に向かいました。ネス湖はインバネスの西南から南北に約38kmの細長い湖です。怪獣のネッシーは、いなかったことがはっきりしましたが、ドラムナドロヒト村の近くにモンスター・ビジターセンターが残っており、ネッシー・グッズなどを販売しています。
 さらにネス湖について約3.5km南下すると、湖畔にアーカート城が姿を現します。1230年に築城されましたが、1296年にエドワード一世率いるイングランド軍によって破壊され、城郭の一部のみが残っています。一番保存状態の良いグランド・タワーからはネス湖の素晴らしい景色が望めます。この辺の水は泥炭があるため色が黒いそうです。
 ネス湖の西南の端にはフォート・オーガスタ(フォートは砦の意味)があり、さらに西南に下るとフォート・ウイリアムがあります。フォート・オーガスタにはカレドニア運河の五連のロック(二つのゲートで仕切られた水位調節設備)があり、操作中でした。
 フォート・ウイリアムの南にグレンコーは位置し、三つの連続した頂、スリー・シスターズをはじめ、標高1000メートル前後の山並みが連なります。近くに英国最高峰のベン・ネヴィス(標高1,344m)があります。グレンコーの悲劇については、上記参考図書1のP.73「グレンコー。谷間の惨劇」をご覧下さい。
 今日の目的地、グラスゴーの北には歌にも有名なローモンド湖があります。英国最大の淡水湖です。
 グラスゴーはスコットランドで最大の人口をかかえるそうです。グラスゴー大寺院に寄った後、市の中心、ジョージ・スクエアでバスを降り、市議会議事堂、クイーン・ストリート駅などを廻りました。
 グラスゴーのホテルも市の中心からは少し離れた場所にありました。

5. 第4日 グラスミア−ウインダミア(湖水地方)
 グラスゴーから約230kmで、湖水地方北部の玄関といわれるグラスミアに着きました。途中、カーライルの近くでスコットランドと別れ、イングランドに入りました。湖水地方には1000m近い山々と、10を越える湖水があります。水と緑の競演で、自然が人に与えた影響として、詩人ワーズワース、ベアトリクス・ポター[ピーター・ラビットの作者]の二人が挙げられると思います。200年前と同じ景観が保存されているのは、ナショナル・トラストのお陰です。
 グラスミアでは、町を散策し、オズワルド教会を訪ねました。ここにはワーズワースと妻メアリー、妹ドロシーが眠っています。さらにバスに乗ってダブ・コッテージを訪ねました。元は宿屋として17世紀に建てられ、ワーズワースの最盛期の作品の多くは、ここで書かれました(1799〜1808)。湖水地方のコテージの典型です。彼の所有物(パスポートやトランクケースなど)が陳列されています。隣りにワーズワース博物館があり、彼の原稿やポートレイト、当時の絵画などがあります。
 午後には昼食のデザートの代わりに、ウインダミアの湖畔のホテルでアフタヌーン・ティー(紅茶とスコーン)を楽しみました。
 ウインダミアには夕方着き、町を散策しました。ウインダミアは鉄道やバスの便がよいので、湖水巡りの拠点になっているようです。少し歩いて、観光船やフェリーが出るボウネスまで足を伸ばしました。明日はここから船で対岸に渡る予定です。
 今回は参加人数が多かったので、この夜だけ二つのホテルに分宿しました。われわれは湖畔のホテルで、みんなの泊まっているホテルまで夕食に行きました。歩いて5分位の所ですが、小雨が降っており、帰りは日が暮れてしまって、ちょっと大変でした。

 目次へ戻る

[ナショナル・トラストって何?]
 イギリスを旅していてよく耳にするのが「ナショナル・トラストNational Trust」という言葉だ。ナショナル・トラストとは1895年に発足した民間非営利団体であり、イギリス国内の歴史的建造物や美しい庭園、国立公園などを守っていこうと活動している文化保護協会のことをいう。現在では歴史的建造物が200、イギリス式庭園が160、ほか鉄道など25もの産業遺構がナショナル・トラストの管理の元、保存・運営されている。会員数は海外会員を含めて200万人を超えるという。
 ナショナル・トラストのおもしろいところは、歴史的遺産を博物館として保存するだけではなく,ホテルやカフェなどとして実際に利用しながら保存していること。例えば貴族が暮らしていたマナーハウスや、中世から続く醸造所などが、 「生きた遺産」として守られているわけだ。
 この章で紹介している湖水地方の多くの建物や自然はナショナル・トラストの管理下にある。もともとナショナル・トラストの創始者のひとりカノン・ローンズリーは湖水地方在住の牧師であった。 『ピーター・ラビット』の作者ペアトリクス・ポターは、絵本の収入で湖水地方の土地を買い取り、そのすべてを当時のままの姿で維持するという条件でナショナル・トラストに託した。すべてとは15の農場と16.19km2の土地(東京ドーム約344個分) 、そして数々のコテージである。それも自分が生涯愛してきた大自然が開発によって壊されることを防ぐためであった。そのために湖水地方は100年以上の時を経ても、変わらぬ美しさを保っている。ナショナル・トラストが管理する遺産にはパースのローマン・バス、ドーヴァー城、ペンザンスのセントマイケルズ・マウントなどもある。
(出典 地球の歩き方「イギリス」04〜05 (株)ダイアモンド・ビッグ社)

[ロマン派詩人、ワーズワース]
 湖水地方を語るうえで、ワーズワースWordsworthに触れないわけにはいかない。ロマン派を代表する詩人ウイリアム・ワーズワース(1770〜1850)がその生涯を送り、彼の作品に計り知れない影響を与えたのは、湖水地方の美しい自然だった。
 ワーズワースはコッカーマスの裕福な家に生まれた。彼を生涯にわたり支え続けた妹ドロシーとともに、コッカーマスとペンリス、ホークスヘッドで少年時代を送った。長じてケンブリッジのセント・ジョン・カレッジへ入学した彼は、 1790年の夏休みにフランスへ旅行に行き、フランス革命におおいに影響を受けたという。その後、パブとして使われていたダヴ・コテージに引っ越し、ここで彼の創作活動は華の時代を迎えた。幼なじみのメアリーと結婚し、家族が増えたため、手狭になつたダヴ・コテージを離れた。ワーズワースは2度の引っ越しを経て、ライダル・マウントに落ち着き、そこでその生涯を閉じた。彼はグラスミアのオスワルド教会裏手の墓地に、妻メアリー、妹ドロシーとともに葬られている。
 当時の文学界にセンセーションを巻き起こした彼の作品の魅力は、万物の真の姿を追求し、それを簡潔に表現している点にある。これは当時でいえば、あまりにも画期的な表現方法だった。彼は湖水地方についてこのように称えている「ものを見る目と楽しむ心があるすべての人は、この地に来て分かち合う権利がある」と。
(出典 地球の歩き方「イギリス」04〜05 (株)ダイアモンド・ビッグ社)

 目次へ戻る

6. 第5日 ヒルトップ農場−チェスター
 朝起きるとホテルの部屋の目の前に、ウインダミア湖が拡がっています(右の写真)。湖面にはさざ波がたち、対岸は霧でけぶっていました。河口湖を何倍かにした規模で、ナショナル・トラストのお陰か、看板やマンションなどが無いので、すがすがしい感じです。小雨が降っています。
 今朝はホテルで7人(3組の夫妻と学校の先生[3人で来た仲間の年長者])で朝食を摂りました。ほとんど毎朝、バイキング形式だったので、一つのテーブルに7人が集まり、落ち着いて食事ができました。
 もう一軒のホテルからのバスが迎えに来て、ホテルの近くに止まり、昨日、散歩で来たボウネスまで移動しました。岸辺には白鳥が泳いでいました。遊覧船の発船時間まで近くの高台に登って写真を撮り、時間が来たので波止場から遊覧船に乗りました。船は湖を周遊した後、対岸のフェリー・ランディングに向かいました。岸辺に建つ別荘や、停泊中のヨットは絵になる景色でした。波紋を描く湖面が美しく何枚かシャッターを切りました。  
 フェリー・ランディングからは、ピストン輸送しているミニバスで、丘の上にあるヒルトップ農場に向かいました。この頃は雨も晴れてきました。ここはベアトリクス・ポターがピーター・ラビットの物語を作った場所として有名です。彼女の物語を読むと、挿し絵の背景が、今も残っていることに気が付きます。ポター女史は77歳で亡くなるまでヒルトップに住んでいました。屋内にはポター女史が生前使っていたままの広間や、寝室が残っています。
 昼からは、バスでチェスターに向かいました。約170kmの距離です。
 チェスターはローマ時代からある古い町で、城壁に囲まれています。ディー川が城壁の南側に接しています。城壁には四つの門があり、イースト・ゲートに時計台があります。
 大聖堂はノース・ゲートとイースト・ゲートの間にあります。10世紀にデーン人の侵略をおそれて、聖ワーバラの聖骸がスタッフォードシャーから運ばれて、教会が建てられました。1092年にベネディクト派の修道院になり、数度の改築を経て、1250年に現在の姿となりました。
 ザ・ロウズはイースト・ゲートの近くで、中世から続く商店街です。木組みの家が多く、2階が人が通れるくらい出て、庇になっており、傘を使わずに買い物が楽しめます。
 市内を徒歩で観光した後、バスでホテルに向かいました。

 目次へ戻る

7. 第6日 ストーク・オン・トレント−ストラットフォード・アボン・エイボン
 チェスターからバスで約55km走ってストーク・オン・トレントに着きました。ここには陶磁器で有名な、ウエッジウッド・ビジター・センターがあります。工場にはジョサイア・ウエッジウッド(イギリス陶工の父といわれ、ウエッジウッドの創業者)の説明から始まり、見学コースがあり、製陶のいろいろの工程を見学できます。別棟には製品の展示場があり、製品を即売しています。また多少不良品を安売りしている棟もあり、ここで深皿を2枚買いました。今回はウエッジウッドしか寄りませんでしたが、ストーク・オン・トレントには、ほかにもロイヤル・ドルトンなど、他の製陶業者の工場もあるようです。
 更にバスで約125km走って、シェークスピアの生地として有名なストラットフォード・アボン・エイボンに着きました。ストラットフォード・アボン・エイボンではシェークスピアの生家やアン・ハザウェイの家(シェークスピア夫人の家)、ホーリー・トリニティー教会(シェークスピアのお墓がある)などを訪れました。自由時間には町内の建造物や商店を見ながら散歩するとともに、エイボン川でナローボート(運河を走るための幅の狭いボート)を見ました。ヨーロッパの運河をクルーズしたがっている友人がいるので、みやげ話に何枚かの写真を撮りました。

8. 第7日 コッツウォルズ地方−オックスフォード−ロンドン
 コッツウォルズ地方は、ロンドンの西北西に拡がる広大な丘陵地帯で、英国人の心の故郷として、イングランドで最も田舎の原風景を保っている所です。南北100km、東西50kmの広大な丘陵地帯に、中世の面影を残す村々が点在しています。地元で採れるライムストーン(石灰石)を使った街並み(建物や塀)が風景にマッチして安らぎを与えてくれます。至る所にフットパス(遊歩道)ががあるので、のんびりと歩くのが一番だと思います。
 ストラットフォード・アボン・エイボンはコッツウォルズ地方の北端に位置しますが、今回はコッツウォルズのベニスといわれるバートン・オン・ザ・ウォーターに行きました。ストラットフォード・アボン・エイボンからは約55kmの所にあります。朝早くないと静かな散策が楽しめないというガイドさんの心遣いで、早めに現地に着きました。バスは駐車場に止め、徒歩で村の真ん中を流れるウインドラッシュ川に向かいました。川には石橋がかかっており、近所の子供達が川遊びをしていました。町中至る所に建っている花に飾られた石造りの建物を見てまわりました。帰途にはモデルヴィレッジという展示を見ました。村を九分の一に縮尺したミニチュアで、教会や建物が実物そっくりに作られています。ここで町の全体像を頭に入れ、個々の建物を見てまわるのも良いかと思います。
 散策の後、またバスに乗って約60km走って二番目の訪問先である大学都市、オックスフォードへ行きました。アッシュモーリア博物館の前でバスを降り、徒歩にてクライストチャーチ(大聖堂とカレッジを合わせ持つ)、マ-トン・カレッジ(最古のカレッジ)などを見学しました。町中にカレッジがあり、方々訪ねましたが、一部は建物の中に入って食堂などを見学しました。カレッジについては本などで少し読みましたが、実物に触れもっと勉強してみたいと思いました。前にボランティア団体の手伝いをしていたときに耳にしたオックスファムの事務所が幾つかあり、時間があれば寄ってみたいところでした。最後は待ち合わせ場所のアッシュモーリア博物館に入ってみましたが、時間が無くて余り見られませんでした。
 オックスフォードから、またバスに乗り、約100km走ってロンドンに着きました。夕方だったのでピカデリー・サーカスの近くで夕食に中華を食べただけで、観光は出来ませんでした。

 目次へ戻る

9. 第8日 ロンドン(市内観光)
 午前中はバスでロンドン市内を観光し、午後はウインザーへのオプショナル・ツアーもあったのですが、ロンドンでの時間が余りにも短いのでパスし、自由時間として買い物など、のんびりと過ごしました。
 ホテルはロンドンの西、地下鉄のグロースター・ロード駅の近くにあります。バスは東に向かい、先ずウエストミンスター寺院の近くでバスから降り、各自記念写真を撮りました。大きな時計塔(ビック・ベン)のある国会議事堂や、首相官邸のあるダウニング街はバスの中から見ただけで、大英博物館に向かいました。博物館では1時間足らずしか時間がありませんでしたが、ロゼッタストーン、ミイラなどに代表される古代エジプトコレクションを中心に見学しました。
 バッキンガム宮殿は見学するための時間が予約してあり、国賓を招待したり、会見したりする際に使用される19室を見ることができます。もとはバッキンガム公の私邸を英国王室が買い上げ、女王陛下の宮殿として改装したそうです。
 午後は自由時間で、昼を過ぎたのでピカデリー・サーカスにあるロンドン三越に行き、食堂で和食を食べました。食後に最近日本では入手しにくくなっているフォートナム&メイソンの紅茶を、自家用とお土産用の両方分買いました。
 一通り買い物をした後、午前中に寄らなかったナショナル・ギャラリー(国立美術館、トラファルガー広場の前)に行きました。余り時間が無かったので、印象派の絵画に絞って鑑賞しました。結構良い絵がありました。別の部屋にはイタリアやオランダの名画もあるようでした。
 帰り道の方向なので、ピカデリーにあるフォートナム&メイソンに寄り、アフタヌーン・ティーを楽しみました。一階の食料品売場の奧の一段高くなった所に喫茶店があり、各種の紅茶や、スコーンなどが楽しめます。
 帰りにバスに乗ろうとしたのですが、経路が判らず、タクシーを拾おうにも一方通行で拾いにくく、地下鉄の駅に向かって歩いていたら、途中から両方向通行になり、無事タクシーを拾うことができました。
 夜は疲れたので、ホテルの食堂で夕食を摂ろうとしたところ、何かショーをやっていて普通の食事はできないので、近くの地下鉄の駅の近くまで歩き、ガーファンクルという名の店で、夕食にありつけました。ところがこれがスープなど美味しい店で、イギリスでも安くてうまい店があるのに驚きました。

10 第9日 ロンドン−東京
 今日は英国での最後の日です。ヒースロー空港からの離陸時間は午後1:40なので、朝は少し時間があります。晴れて気持ちの良い朝なので、ホテルの近くを散歩することにしました。ホテルはほぼクロムウエル通りに面しているので、東に向かって歩くと通りの左側に自然史博物館があります。大聖堂のような壮麗な建物です。その東側にはヴイクトリア&アルバート博物館があります。ここは装飾美術の博物館です。二つの博物館の間を北に曲がると、左側(自然史博物館の裏)がナイツブリッジ(王立音楽大学)です。突き当たりがケンジントン・ガーデンズです。公園に入ったところで西に向かって歩いて行くと、右側に壮麗なアルバート公(ヴィクトリア女王の夫)記念碑が現れます。その南側にケンジントン・ロードを隔ててコンサート・ホールのロイアル・アルバート・ホールがあります。1870年に建てられたそうです。クイーンズ・ゲートの当たりで南に折れ、クイーンズ・ロードを通ってホテルに戻りました。この通りの両側はマンションのようで、立派な建物が並んでいます。
 ホテルの近くで少し買い物をして、バスで空港に向かいました。空港では免税の手続(付加価値税[VAT]は17.5%で、ある程度まとまった買い物をするとショップで免税の書類を作ってくれる)をして、残り時間をショッピングで過ごしました。コイン等のお金が残りますが、残金とカードで支払いができることを知りました。
 帰りの機内では、旅行の疲れが出たのか、食事以外はまとまって本を読むこともできず、ほとんどうとうとしていました。

目次へ戻る

ウオーキング・旅行に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る


[Last Updated 10/31/2004]