日露戦争の教訓

国益中心主義の失敗
イラク戦争に生かせ

入江 昭 ハーバード大教授

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 1930年代、ユダヤ系のドイツ人であるがため悲惨な経験を重ねた著名な言語学者、ヴィクトール・クレンペラーの日記(大月書店)は、当時の風潮や生活事情を知るうえで、貴重な記録である。その中でくり返し言及されているのは、技術の進歩や経済の発展で世界中がつながりあっているときに、なぜドイツを含む一部の国では、従来にもまして「極端なナショナリズム」が横行しているのか、という疑問である。彼の考えは根本的には楽観的で、38年末、国家主義は「過去の遺物」であり、それが極端な現れ方をしているのも、おそらく「最後のあがき」の故であろう、と記していた。
 ひどい迫害を受けながら、そのすべてをナチスの人種政策のせいにはせず、世界の技術的経済的なつながり、今のことばでいえばグローバル化と、ナショナリズムとの矛盾という枠組みの中でとらえていたのは、興味深い。このような見方は、暗黒の30年代にあっても、ドイツ内外で大きな影響力を持っていたように思われる。それだからこそ、第2次大戦が終わると、国際協調の概念が強調され、その機構的表現として国連が設立されたのである。残念ながら、その後グローバル化の流れは一層強くなっていくにもかかわらず、「極端なナショナリズム」は、いまだに「過去の遣物」化してはいない。
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 最近ノーベル平和賞受賞者による感想文を集めた『イラク戦争とその結末』(World Scientific刊)を読んで、そのような印象を一層強くした。すでに2001年末、それまでにノーベル平和賞を受賞した個人や団体の代表者は、米国のアフガニタン攻撃に対して懸念を表明する共同声明を発表していた。今度のイラク戦争にかんしても、同じ人たちの大部分が批判的な見解を込べている。その根底にあるのは、米国は国際世論を無視し、単独行動を通して自国の権益を守ろうとしている、という懸念であり、世界各国や諸団体、そして個人が長い時間をかけようやく築き上げたかに見えた国際社会が、米国の一存で崩壊の危機に直面している、という挫折感である。しかもその同じ米国は、グローバル化のもっとも熱心な担い手でもあるため、国際世論の無視はそれだけ深刻だといわなければならない。
 もちろん現代米国の国益中心主義と、クレンペラーのいう「極端なナショナリズム」とを同一視することはできない。9・11テロ事件以後、米国の政府や世論が自国中心的になったといっても、1930年代のドイツのように、少数意見を無視ないしは迫害するなどというところまでいたってはいない。しかし今の米国指導者のあいだには、技術や経済の面でのトランスナショナルな結びつきを、政治や社会の面でも実現させようとする強い意思は、見うけられない。45年以降、この間題こそ国際関係のもっとも重要な課題であったにもかかわらず、である。ほかの多くの国も、米国に見習って、国益中心的な見方に傾斜しているように見うけられる。日本もその例外ではない。
 今年は日露戦争開始から100周年にあたるというので、その「輝かしい」成果をしのぶ行事がひんばんに開催されているが、もしその多くがナショナリズムを鼓吹し、国益中心主義の謳歌(おうか)につながっているのだとしたら、嘆かわしい風潮だといわなければならない。日露戦争によって開幕した20世紀の前半は、強大国の追求する国益がぶつかりあい、その結果人類全体が悲惨な運命を強いられた歴史であった。それに対する反省として、45年以降は、少しでもナショナリズムを緩和させ、国際協調を推進し、国境を越えたつながりを強化させようとする、必死の努力がなされたのである。
 米国は長いあいだそのような流れに同調し、積極的に推進した。日本占領時代の理念も根本的には国際主義だったし、新憲法もこの精神を反映していた。戦後日本が国際協調主義を掲げ、国連外交を重要視したのも、その流れに沿ったものである。そしてグローバルなつながりを歓迎し、文化交流を促進することで、日本の国際主義的な役割を鮮明にするようにしていた。
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 これはあくまでも貴重な遺産である。日露戦争以降の日本は、国際社会の動向に逆行して、「極端なナショナリズム」を鼓吹、国際秩序の崩壊に手を貸してしまったが、第2次大戦後になると、60年近くのあいだ、国際社会を意識し、不十分ながら世界各国との結びつきをより一層強固にしようとしてきた。そのような日本は、大部分の国から歓迎されてきたといえよう。
 ところが今日、国際主義の流れに逆行するかのような米国政府に追随したり、国益重点主義を推進したり、あるいは国家主義的な見地から憲法改正を図ったりするような動きが見られる。しかしそれは、グローバル化する世界をふたたび政治的に分裂させてしまう動きに手を貸すことになりかねない。
 もちろん米国は、一応民主主義の普及といった、普遍的な原則を掲げてイラク戦争を始め、占領を続けてきた。しかし普遍的な原則は国際社会の中で、ほかの国々と共同で推進すべきものであり、それを単独でおこなうのは論理的にも矛盾している。ノーベル平和賞受賞団体の一つであるアメリカ・フレンド奉仕団のメアリー・エレン・マクニッシュ代表が、『イラク戦争その結末』の中で言及しているように、そのような単独行動主義に対して、グローバルな反対運動がくり広げられている。イラクで何をするにもそれがグローバルでインターナショナルなものでなければ意味がない、と彼女は主張する。
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 1938年にクレンペラーが提起した問題への一つの解答が、悲惨な戦争であったように、現代もまた、この同じ問題への対応を誤ると、人類はふたたび過去の悲劇を繰り返さないとも限らない。世界はますますナショナリスティックな方向に動くのか、それともよりトランスナショナルな将来へ向かって歩んでいくのか。日露戦争の当時の日本も、イラク戦争を始めた米国も、前者に賭けて、結局は失敗した。やがてまた米国が国際主義に立ち戻る時もくるであろう。したがって日本も安易に国益主義、国家主義などを掲げずにグローバルな流れに同調し、あくまでも国際主義の風潮を強化するよう、ほかの国と協力していくべきである。
(出典 朝日新聞 2004.3.3夕刊)

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[Last updated 4/30/2004]