伊勢神宮(内宮)


橿原神宮駅前の北西に橿原神宮がある。第2日の朝食前に訪れた。

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内宮(皇大神宮)
 千古斧知らずの神域・神路山(かみじやま)の麓に唯一神明造の正殿など、多くの社殿を並へている。
 清冽な五十鈴川(いすずがわ)に架かる宇治橋を渡りすぐに右へ折れて玉砂利の参道を進む。火除橋を渡ると右手に手水舎(てみずしゃ)があるが、この位置から、内宮では右側通行になっている。すく先のロータリーの右奥が五十鈴川の御手洗場(みたらし)。参道は左へ折れ、樹齢700年余の杉木立の中に入る。左に内御厩、神楽殿、五丈殿、忌火屋敷などが続き、正面の板垣の中に内削(うちそぎ)の千木がそびえ、10本の鰹木をのせた正殿の屋根が見えてくる。この板垣の中が正宮で、隣の空地が「古殿地(こでんち)」と呼ばれ、次の式年遷宮で正宮が建てられるところである。
 正宮真裏の荒祭宮に参拝し、神楽殿の北側から外御厩、参集殿と歩き、再び宇治橋を渡って戻るのが参拝ルートになっている。時間があれば神楽殿から南へ入つた風日祈宮も参拝したい。★境内自由、5〜8月4:00〜19:00・他は5:00〜18:00(1・2月17:30・11・12月17:00)、約40分所要
宇治橋(うじばし)●五十鈴川に架かり、俗界と聖界との境の橋とされている。長さ101.8m・幅8.42mの総桧造で、欄干に16基の擬宝珠(ぎぼし)を置いた純和式の橋。これも20年ことに造替され、今の橋は平成元年の架橋。
宇治橋の鳥居(とりい)●橋の外側と内側(神域側)に高さ7.44mの大鳥居が建っている。外側の鳥居は外宮旧正殿の棟持柱、内側の鳥居は内宮旧正殿の棟持柱で造られたもの。ここで20年経つと、外側は桑名の七里の渡、内側は関の追分の鳥居として移されることになっている。
御手洗場(みたらし)●御裳濯(みもすそ)川とも呼ばれる五十鈴川の水ぎわに、元禄5年(1692)に徳川5代将軍網吉の生母・桂昌院が寄進したという石畳が敷かれている。参拝者は雨の日には手水舎で手を洗い口をすすぐが、晴れた日はここで清めるのが普通になっている。神路山と島路山から流れ出した水は清らかで、鯉が泳く姿も、河床の小石もよく見える。
御厩(みうま)●神楽殿前に内御厩、参集殿前に外御厩があり、それぞれ皇室から牽進された神馬が飼育されている。外宮と同じように毎月1・11・21日に菊花絞の馬衣をつけ、神前に見参している。
神楽殿(かぐらでん)●神札授与所と御饌殿(みけでん)がある建物にあり、外宮と同じように神楽奉奏を受け付けている。

伊勢神宮
「伊勢に行きたい伊勢路が見たいせめて一生に一度でも‥‥‥『伊勢音頭』にうたわれているように、古くから「お伊勢さん」にお参りするのが庶民の願いだった。そして今も衰えぬ人気を保っている。
 伊勢にあるので一般には「伊勢神宮」と呼んでいるが、正式には単に「神宮」という。伊勢市駅の南の外宮[げくう](豊受[とようけ]大神宮)と、その南東に離れた五十鈴川のほとりにある内宮[ないくう](皇大神宮[こうだいじんぐう])のほか、別宮(両宮に次く格式の大社)14所・摂社(延喜式の神名帳にある神社)43社・末社(延暦の儀式帳にある古社)24社・所管社(本宮・別宮に管せられる小社)42社、合わせて125社が伊勢市周辺に散在している。

[歴史]
●皇室の祖・天照大御神[あまてらすおおみかみ]は宮中にまつられていたが、崇神天皇の時代(B.C.97〜同30)に大和の笠縫邑[かさぬいむら]に移され、垂仁天皇の26年(B.C.4)に皇女倭姫命[やまとひめのみこと]によって伊勢へ移された。これが内宮で、八咫鏡[やたのかがみ]がご神体である。外宮は雄略天皇の22年(477)に丹波国の天橋立付近から移されたもので、天照大御神の食事の守護神(御饌津神[みけつかみ])である豊受大御神がまつられている。一般にはすへての産業の守り神として崇敬されている。

[解説]
式年遷宮[しきねんせんぐう]●内宮・外宮の正宮殿舎と別宮を20年ごとに建てかえ、神座を移す制度のことで、天武天皇の時代(673〜686年)に定められ、持統天皇の4年(690)に第1回遷宮が行われている。戦国時代に一時中断、太平洋戦争で4年延期されたものの、平成5年には61回を数え、次は平成25年に62回目が行われる。
正宮[しょうぐう]●中央に唯一神明造の正殿を置き、その後方(外宮は前方)に東宝殿と西宝殿が建ち、これを瑞垣[みずがき]・内玉垣[うちたまがき]・外[そと]玉垣・板垣と4重の垣で囲んでいる。一般は外玉垣南御門前までしか入れないが、南御門や板垣越しに見える殿舎の屋根から内宮と外宮の相違を知ることができる。一つは千木[ちぎ]の先端……内宮は水平(内削[うちそぎ])に切られ、外宮は垂直(外削[そとそぎ])に切られていること。もう一つは棟にある鰹木[かつおぎ]の数……内宮は正殿の10本以下偶数で、外宮は9本以下奇数で並へられているのが大きな相違になっている。
 唯一神明造[ゆいいつしんめいつくり]●内宮・外宮の正殿の建築様式のこと。地中に丸柱を埋め建てた堀立式、切妻造平入りの萱葺[かやぶき]屋根、屋根の両妻にある破風[はふ]がのびて千木になっている、棟[むね]の上に鰹木が置き並べてある、棟の両端を直接支える棟持柱[むねもちばしら]がある、すべて直線式で、覆金物・飾金物のほかに装飾や彩色がない素木[しらき]造になっている……などが大きな特徴になっている。
(出典 「南紀 伊勢・志摩」 歩く地図S (株)山と渓谷社)

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[Last Updated 1/31/2006]