本の紹介 戦争の日本近代史
征韓論から太平洋戦争まで



加藤陽子著
講談社現代新書

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目 次

1. 概 要
2. 本の目次
3. あとがき
4. 著者紹介
5. 概要と読後感

1. 概 要
 戦争を受けとめる論理−本書が最終的に描こうとしているのは、為政者や国民が、「だから戦争にうったえなければならない」「だから戦争をしていいのだ」という感覚をもつようになり、政策文書や手紙や日記などに書きとめるようになるのは、いかなる論理の筋道を手にしたときなのかという、その歴史的経緯についてです。
 国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえます。それはどのような歴史的過程と論理から起こつたのか、その問いによって日本の近代を振り返ってみたいのです。
 人々の認識に劇的な変化が生まれる瞬間、そして変化を生み出すもととなった深部の力をきちんと描くことは、新しい戦争の萌芽に対する敏感な目や耳を養うことにつながると考えています。−本書より

2.本の目次
第一講
「戦争」を学ぶ意味は何か………………………………………………………………7
講義の内容/歴史には「出来事」のほかに「問い」がある/知の型の変移/歴史を学ぶ意味/
近代の戦争/戦争を受けとめる論理/本書の構成
第二講
軍備拡張論はいかにして受け入れられたか…………………………………………25
攘夷論が新政府にもたらした負の遺産/福沢諭吉の見方/当局者のロシア観/プロイセンの例
/民兵ではなく徴兵を!/征韓論の意味/西郷の名分論/国家の元気を回復するために
第三講
日本にとつて朝鮮半島はなぜ重要だったか…………………………………………53
自由民権論者の対外認識/地域の言論/国家の力についての認識/福沢諭吉『通俗民権論』/華
夷秩序と朝貢体制/山県有朋「隣邦兵備略表を進る」/軍備拡張/朝鮮半島をどのようにしたら
第三国の占領下に置かないですむか
第四講
利益線論はいかにして誕生したか………………………………………………81
軍事的観点から国際間係をみる/山県有朋の主権線・利益線論/ローレンツ・フォン・シュタ
イン/「斯丁氏意見書」/山県への影響関係/朝鮮の中立と中立法の概念

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第五講
なぜ清は「改革を拒絶する国」とされたのか……………………………………99
第一回帝国議会/衆議院における陸海軍経費の削減/和協への道/地方新聞の論調/朝鮮にお
ける農民戦争の広がりと戦争の新しい意義づけ/内政改革の提案/開戦前夜の新聞論調/文明
と野蛮の戦争/義勇兵組織熱/国民の戦争/戦後の課題
第六講
なぜロシアは「文明の敵」とされたのか…………………………………………125
「国民国家システム」の国際秩序/大朝鮮国から大韓帝国へ/ロシアの流儀/1898年 イ
ギリスの政策転換/1899年 アメリカの門戸開放宣言/『萬朝報』にみるロシアの撤兵問題
/吉野作造の征露論/有効な反戦論とは/幸徳秋水『廿世紀之怪物 帝国主義』/1兵卒への眼
差し/レーニンの日露戦争観/ふたたび吉野作造/大国との戦争準備/いつ戦争を始めるのか
/戦費はどのように調達されたのか
第七講 第一次世界大戦が日本に与えた真の衝撃とは何か …………………161
参謀総長山県有朋の憂鬱/国民の元気/日露戦後の日本が直面していた問題/中国問題解決の
好機としての第一次世界大戦/参戦理由/大戦中の満洲問題・中国問題の帰趨/二十一ヵ条問
題の孕んだ火種/当時の認識/パリ講和会議での人種問題/講和会議に向けた訓令案準備の段
階/パリで/日米両国における移民問題/真の衝撃とは何か
第八講
なぜ満州事変は起こされたのか……………………………………………………205
大戦の教訓 − 経済封鎖と総力戦/二回の国防方針改定と、そこに表現された中国観/中国の
財政を国際共同管理に置かないためにはどうするか/アメリカにおけるオレンジ・プラン/戦
争はできるという議論!海軍の場合/ロンドン海軍軍縮条約/軍縮会議に対する二つの観点
/主観的危機意識のめぼえ/戦争はできるという議論−陸軍の場合/満州事変へ
第九講
なぜ日中・太平洋戦争へと拡大したのか……………………………………………245
満州事変−計画者たちの主観/事変への意義づけ@ 九ヵ国条約、不戦条約をどう乗りきる
か/事変への意義づけA 中国への非難/条約解釈上の問題@ 商租権問題/条約解釈上の問
題A 満鉄併行線禁止問題/戦争をおこなうエネルギー/リットン報告書の立場/アメリカの
新しい法体系の恩恵と拘束力/ソ連の軍事的脅威と石原の再登場/日中戦争の勃発とアメリカ
中立法/宣戦布告の可否についての判断/日中戦争から太平洋戦争へ
あとがき 291

※引用に際しては、読みやすさを優先して、カタカナ文をひらがな文として、句読点を付し旧字を常用漢字に改めるなどの措置をとった。引用文中の筆者による注記は〔 〕で示した。また、本文中には、今日の視点では民族差別を反映すると考えられる表現も登場するが、当時の意識を正確に伝えるための引用的な用法であるため、そのまま用いている。諒とされたい。

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3. あとがき
 1930年代日本の軍事と外交を専門とするわたくしは、これまで、明治憲法体制や大正デモクラシー体制の解体をなりわいとしてきました。そのような人間が、明治維新期から太平洋戦争までの時期を対象として、為政者や国民が世界情勢と日本の関係をどのようにとらえ、どのような筋道で戦争を受けとめていったのか、その論理の変遷をおってみようとの、疲労困憊すること必定のテーマを設定したのには、わけがありました。
 1994年、現代新書への執筆を、当時、講談社のPR雑誌『本』編集長であった堀越雅晴氏から勧められたとき、わたくしの念頭にあったのは、山口定(やすし)氏の言葉でした。それは、「二度と戦争は起こさない」という誓いが何回繰り返されても、今後起こりうる悲劇の想定に際して、起こりうる戦争の形態変化を考えに入れた問題の解明がなくては、その誓いは実行されないのではないか、といった内容でした(『戦争責任・戦後責任』)。
 戦争責任について容易に論ずれば、「誠実を装つた感傷主義か、鈍感な愚しさか、それとも威張りちらした居直りか」になってしまうと喝破したのは丸谷才一氏でしたが(『雁のたより』)、この山口氏の静かなる提言は、たしかにわたくしの心に届きました。感傷主義でもなく、居直りでもなく、戦争や戦争責任を論ずることができるのではないか、と。
 日本の近現代史をながめてみただけでも、新しく起こされる戦争というのは、以前の戦争の地点からは、まったく予想もつかない論法で正当化され、合理化されてきたことがわかります。そして、個々の戦争を検討すると、社会を構成する人々の認識が、がらりと変わる瞬間がたしかにあり、また、その深いところでの変化が、現在からすればいかに荒唐無稽にみえようとも、やはりそれは一種の論理や観念を媒介としてなされたものであったことは争えないのです。
 わたくしのやったことは、いくつかの戦争を分析することで、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったのかについて、事例を少し増やしただけなのかもしれません。歴史は、一回性を特徴としますから、いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形態がこうだと予測することはできないのです。ただ、こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしよう。
 慣例によって最後になりましたが、本書の編集を担当してくださいました小林哲氏、高橋明男氏は、新書のプロとしての、見事な連携プレーで、どうやらこの本をかたちあるものにしてくださいました。心よりお礼申し上げます。
 そして本当に最後にしますが、わたくしにとつて格別に愛着のあるこの本を、父昇治と母幸江に捧げたいと思います。
2002年2月                            加藤陽子

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4. 著者紹介
●かとう・ようこ
1960年生まれ。89年、東京大学大学院
博士課程修了(国史学)。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て、現在は東京大学大学院人文社会系研究科助教授。専攻は日本近代史。主な著書に『模索する1930年代』-山川出版社、『徴兵制と近代日本』-吉川弘文舘などがある。

5. 概要と読後感
[概要]
1. 明治維新後、日本が太平洋戦争に突入するまでの、為政者の考え方、国民の考え方がどのように戦争に向かっていったか(世界情勢と日本の関係をどのようにとらえ、どのような論理の筋道で戦争を受け止めていったか)について述べている。
2. 明治維新にあっては、国民に近代的な政治意識が発生し、ロシアの領土拡大の野心などに対して、軍備の拡張が図られた。
3. 朝鮮は元々中国の朝貢国であり、清国は影響力を強めようとしていた。
4. 山県有朋はシュタインから、利益線保護に関して同意を得、国会での施政方針演説でも、軍事予算を増やすように要請した。
5. 日清戦争では、いくつもの論理が用意され、戦争の意味づけも時期によって変わっていった。
6. 東アジアにおける英米の政策が明確に変化したこと、ロシアとの戦争が国民から支持されていたことなどにより、日露開戦へのキャンペーンは行われなかった。
7. 第1次世界大戦に日本は参戦し、戦勝国となったが講和会議は次の2点で日本に衝撃を与えた。1)権益を旧来の帝国主義的な外交で獲得する方策は野暮である。2)移民法などは人種差別的だとする考え方が日本軍の中に生じた。
8. ロンドン軍縮会議の結果や、石原莞爾に代表される考え方がわが国を満州事変へと導いた。
9. アジアの生産性を協同して向上させるために新秩序が必要であり、それを援助する英米の帝国主義国家も妥当されなければならない。
[読後感]
1. 従来の他の本とは違って、概要の第1項で述べたような観点から、明治維新以後の戦争について述べている。
2. 歴史的な流れを勉強した後で、このような観点を勉強することは大切である。
3. 目次から解るように各章(講)は疑問形になっている。
4. 「東大式レッスン」は編集者がつけたサブタイトルであろうが、目障りである。
(2002.7 鈴木靖三)

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[Last updated 7/31/2002]