たちばなの散歩道

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 中原街道は東京五反田から横浜に向かう国道(45号)です。丸子橋で多摩川を渡り、少し行くと、千年(ちとせ)という信号があります。次の影向寺バス停の少し手前から、右手に坂を登ったところに影向寺(ようごうじ)があります。この古刹を訪れたとき、この散歩道のあることを知りました。東急田園都市線の梶が谷駅から、川崎市高津区の子母口(しぼくち)までのコースで、距離は約5キロメートル、徒歩で約5時間のコースです。

たちばなの散歩道         



詳しくは地図を参照して下さい。

 地図を見ると、このコースは全体として北西から東南に向かっています。さらに梶ケ谷、野川・千年、子母口と三つの地区に分かれることがわかります。地図の上ではわかりにくいのですが、野川・千年、子母口のコースはそれぞれの丘の上にあり、この両地区の間の谷に中原街道が通っています。何回かに分けて歩くことを考え、影向寺バス停を加えました。
[コースの一部変更](2011.10.31)
 2011.7.31に初版をアップロードした後に、川崎市のホームページを見て、梶ケ谷地区にも道標があることに気付き、コースを調べ直しました。その結果、最初は「こぶし通り」を通っていること、市民プラザは市民プラザ通りではなく、裏側(南側)を通り、昔の尾根道を辿っているせいか、影向寺に登る急坂が無いことに気づきました。そこでこのコースを変更するとともに、野川・千年地区も「たちばな ふれあいの森」と「たちばな古代の丘緑地」を歩いてから、野川神明社と能満寺を歩くようにしました。その方が上り下りが少なくてすむからです。


1 梶ケ谷第1公園 川崎市高津区梶ケ谷2丁目10
  東急田園都市線の梶が谷駅から東急ストア側に出て「こぶし通り」を西南方向に歩き始めます。「梶ヶ谷駅入口」手前の右側歩道左側(車道側)に最初の道標があります。市民プラザ通りを越え、最初の信号の手前右側歩道左側(車道側)に第2の道標があります。そこを右折すると突き当たりが公園の入り口です。約650メートル、徒歩10分位です。閑静な住宅街の一角にあります。公園内の斜面には約280本の桜が植えてあります。園内には、カラフルな遊具があり、幼児向けの乗り物も点在しています。また、散歩がてらゆっくり寛(くつろ)げるベンチや日陰も充実しているので、幼児からお年寄りまで利用迄利用できる公園です。散歩道には、小川の流れるせせらぎコーナーも造られており、気持ちが癒(いや)されます。
 公園の東南端から東に向かい、こぶし通りに戻ります。

2 梶ケ谷第3公園(西福寺古墳) 川崎市高津区梶ケ谷3丁目17
 こぶし通りを南下すると「坂の上の交差点」に出ます。信号には書いてないが、前後左右どちらに進んでも道が峠のように下(くだ)るのでわかります。右角に道標があり、ここを左折します。正面に橘処理センターの煙突が見えます。少し歩くと左側に次の道標があります。そのまま進むと第3公園にぶつかります。第1公園からは約800メートル、10分位です。
 公園には西福寺(さいふくじ)古墳があります。この古墳は1982年の調査の結果、直径約35m・高さ5.5mの円墳で、墳丘の周囲には幅約6〜7.5m、深さ約70〜80cmの周溝がめぐっていることがわかりました。また、西福寺古墳に埴輪(はにわ)が伴っていることは以前からよく知られていましたが、この調査でも周溝の中から多量の埴輪片が発見されました。
 この古墳の築造年代については、土器(土師器[はじき])などの出土遺物の年代からみて、6世紀後半頃と考えてよいでしょう。なお、西福寺古墳は、昭和55年(1980)に神奈川県の史跡に指定されました。
 公園の角を右折し、東に向かって約60メートル歩くと、道の左側に次の道標があります。そのまま東進し約150メートル歩くと、道の右側に次の道標があります。そこの左側に路地があり、路地を進むと市民プラザに出ます。第3公園から路地までは約210メートル、3分位です。
3 市民プラザ 川崎市高津区新作1丁目19-1
 1979年に竣工しました。宿泊設備、レストラン、日本庭園、茶室、プール、体育館、トレイニングルーム、ふるさと劇場、屋内広場、会議室、展示室などがあります。建物の前にはロータリーがあり、梶ヶ谷駅、溝口駅などに行く路線バスの停留所があります。建物の奧にある日本庭園には自然のままのような樹木が生い茂っています。
 次の影向寺(ようごうじ)までは少し距離があります。一度、路地の入り口に戻り、東進をつづけます。約150メートル歩くと、道の左側に次の道標があります。そのまま東南に向け歩き続けると、5叉路が現れ、左角に、お地蔵様があります。ここにも道標があるはずですが、見つかりませんでした。そのまま直進し右から2本目の道を進むと、約200メートルで右側に道標が現れます。そのまま道に沿って南進すると間もなく左手に第3京浜の道路脇が見え、第3京浜の跨線橋影向寺台橋が現れます。距離は約300メートルで、橋の左側、東西両端に道標があります。橋を渡って、少し北進してすぐに右折すると、左側の塀の中が影向寺です。正面の道標まで約150メートルです。市民プラザから影向寺までは約800メートル、10分位です。
4 影向寺(ようごうじ) 川崎市宮前区野川419
 7世紀後半あるいは740年頃に創建された、川崎市で最古の仏教寺院で、天台宗に属します。
 薬師堂は1694年に再建された神奈川県重要文化財です。薬師三尊像(本尊、重要文化財)、二天立像、十二神将立像を擁しています。広い境内を歩き、西脇先生の記念碑などを見たいものです。
 次に「たちばな ふれあいの森」と「たちばな古代の丘緑地」を訪ねて、影向寺に戻り、さらに野川神明社に寄って、能満寺を訪れた後、子母口の丘に向かうのが良いと思います。
 影向寺の前にある道標に従って、直進します。約100メートル歩くと左側に道標が現れ、左に下るよう指示があります。50メートル位で「たちばな ふれあいの森」に出ます。影向寺からは約200メートル、3分位です。
5 たちばな ふれあいの森 川崎市宮前区野川411
 多くの人々に森の中で自然に親しんでもらうため、地権者の協力を得て、良好な樹林地に散策路やベンチなどを設けて自然とふれあえる憩いの場として整備しました。レクリエーション活動や自然観察の場として積極的に利用されています。地域内には湧水もあり、夏にはホタルも放流されます。
 森全体が崖の下で、竹林もあり、自然のままの、かなり広い子供の遊び場です。
 次の緑地に行くには、坂を登って影向寺から来た道まで戻り、そのまま東進し、道標に従って、左折します。約8百米、10分位です。
6 たちばな古代の丘緑地 川崎市高津区千年423-1

 約1300年前の役所の一部と推定される遺跡が発見されました。奈良時代の遺跡「橘樹郡衙(たちばなぐんが)」推定地の一部で、広さは約1650平方メートルです。橘樹郡衙は、奈良時代から平安時代初頭にかけての武蔵野国橘郡の役所で、その行政区域は多摩川右岸下流と鶴見川下流部にはさまれた現在の川崎市域と横浜市北東部あたりと考えられています。広いグランドのような広場で、碑があります。
 次の野川神明社へ行くには、一度、影向寺から来た道を通って、影向寺の道標まで戻ります。道標に従って、野川神明社に向けて坂を下ります。神明社まで約200メートル、3分位です。古代の丘緑地からは約1,000メートル、13分位です。
7 野川神明社 川崎市宮前区野川463
 古い歴史があり、影向寺とともに野川集落の氏神として信仰を集めました。天照皇大神(あまてらすすめおおおかみ)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)などを祀っています。
 境内からは弥生時代の墓の跡や、縄文時代の住居跡などが発掘されています。
 次の能満寺に行くには、神明社の南側の道を東進し、住宅の間の竹の茂った細い道(段々と坂の両方がある)を下ります。約200メートル、3分位です。
8 能満寺 川崎市高津区千年354
 影向寺の12神像のうち1390年に朝祐が製作した虚空蔵菩薩像を祭っていた脇寺の一つが、天文年間に移転したものと伝えられています。本堂は1739年に再建されました。
 入り口の参道には二つの道標があります。
 階段を下って南進すると、中原街道に出ます。約200メートル、3分位です。このまま街道を渡って、対面の坂を登ることもできますが、街道を次のバス停影向寺まで千年方向に歩き、バス停で街道を横断して道標を確認してから登り始めた方が、確かです。道標は街道の南側にあります。能満寺バス停から約7百米、9分位です。能満寺から次の古墳までは1.2キロメートル、15分位です。
9 富士見台古墳 川崎市高津区子母口富士見台54
 中原街道から南に向かって、急な坂道を登ったところにあります。弟橘媛の遺品(衣・冠あるいは櫛)が漂着したところに作られたと伝えられる円墳です。
 道標がありますが右折して道に沿って歩いて行くと、約3百米、5分位で、次の橘樹(たちばな)神社が左手に見えてきます。この道はかなり狭く、曲がっているので、不安になりますが、途中で道標を見つけるとホッとします。
10 橘樹(たちばな)神社 川崎市高津区子母口122
 橘樹神社のご祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、弟橘媛(おとたちばなひめ)の二神です。
創建は不明ですが、元禄元年に再建され、嘉永四年 再び、建替えられました。昭和42年、老朽化により改修再建されました。
 鳥居をくぐると、右手に橘樹神社についての石碑があります。橘樹神社のいわれ・歴史などが記されています。
 橘樹神社の祭神の一神でもある弟橘媛には、次のような言い伝えがあります。
 日本武尊の東征時、相武国(現、横須賀)から上総(千葉)まで船を出そうとしましたが、荒れ狂う海に尊は進むことができませんでした。海神の仕業とされてどうすることもできなかった時、日本武尊の后である弟橘媛が海神の怒りを鎮めようと自ら海中に身を投じたとあります。やがて海は鎮まりかえり、日本武尊は無事に海を渡ることができました。
 そのまま直進すると、貝塚の位置を示す道標があります。約百米、2分位です。
11 子母口貝塚 川崎市高津区子母口54−148
 縄文時代などの人々が生活していたと思われる貝塚で、そのときの化石などが紹介されてます。ただし貝塚は、今では公園になっています。ここで大昔に人々が生活していたのだと思いながら、高台から高津区の景色を眺めてみてはいかかでしょう。
 終着点の子母口バス停まではもう直ぐです。直進して坂を下ると、市民プラザ通りに出ます。右折すると子母口バス停があります。左折すると千年(ちとせ)なので、少し遠いいですが、バスに乗るには行く先も本数も多くて便利です。子母口バス停までは約4百米、5分位で、千年までは約5百米、6分位です。

[子母口バス停]
 川崎駅、元住吉駅、武蔵新城駅、溝の口駅などへのバスが発着します。
[千年バス停]
 影向寺バス停は中原街道にあり、東京寄りの次のバス停は千年です。子母口バス停はプラザ通りにあり、次の区民プラザ方向のバス停は千年です。ここからは各方面行きのバスが頻繁に発着しています。

[参考資料]
1. 高津区ガイドマップ 川崎市高津区役所地域振興課
2. たちばな ふるさと再発見 ガイドマップNo.2 千年・子母口コース たちばな地域セミナー たちばな緑の会
3. ゼンリン住宅地図 神奈川県川崎市高津区 2005 11

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[Last Updated 10/31/2011]