本門寺墓所

 
  前田年家側室福寿院の墓

「本門寺」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

          目 次

1. 山門内側から五重塔周辺
 福寿院の墓から幸田家の墓までのご案内です。
2. 五重塔から伊予西条藩
 続いて松本幸四郎の墓地から、伊予西条藩松平家の墓所近くにある力道山の墓のご案内です。
3. 大堂左側
 加藤清正の供養塔などをご案内します。

 墓所は結構広いので、訪れるには大きく三つの地区に分けると便利です。詳細は全体の地図を参考にして下さい。
1. 山門内側から五重塔周辺
 山門をくぐると右手に古い層塔があります。加賀金沢藩前田年家の側室福寿院(三代利常の生母)が自分の逆修供養のために建てたものです(冒頭の写真参照)。
 この層塔の道を隔てた生垣に囲まれた墓所は、歌舞伎俳優市川家と片岡家のものです。市川家墓所内には二基の墓石があり、奧の一基に「得功院」「高操院」とあり四代市川小団次、初代市川左団次が合葬された墓で、もう一基の「新興院」は二代市川左団次の墓です。片岡家の墓所には正面に「三代目片岡市蔵之墓」右横に「九代目片岡仁左衛門之墓」の二基が建っています。
 五重塔右横に「栗原家之墓」と刻まれているのは、四代尾上松助の墓です。
 五重塔手前を右折した墓域に、白御影石に「太田家之墓」とあるのは、歌舞伎俳優から映画スターになった市川雷蔵(らいぞう)の墓です。
 五重塔裏側に日本近代文学の巨匠幸田露伴(こうだろはん)一族の墓所があります。一番手前の石柵に囲まれているのが名作「五重塔」などを著した露伴の墓です。「幸田文子之墓」とあるのは露伴の次女で作家・随筆家幸田文(あや)の墓です。

2. 五重塔から伊予西条藩
 五重塔前を左折すると、右手に藤間家の墓所があります。二基の墓石が建ち、左の「藤間家先祖代々之墓」には、二代藤間勘右衛門と七代松本幸四郎とが合葬され、右の「藤間家之墓」は八代松本幸四郎(白鴎)の墓です。
 松本幸四郎家の墓所裏の低い石垣の中に、映画監督池田義信・女優栗島すみ子夫妻を祀る「池田家之墓」が低い石垣の中にあります。その先に政財界の黒幕的な存在であった児玉誉士夫(よしお)の立派な墓所があります。
 道の左側に大映社長の永田雅一の大きな笠付きの墓があります。
 右手奧の墓域には、大きな石像獅子を置いた政治家の大野伴睦(ばんぼく)の墓があり、傍らの「顕邦院殿貞道日覚大居士」は政治家河野一郎の墓です。
 伊予西条藩松平家の墓所裏に、プロレスラー力道山の墓があります。墓前には胸像と大きな自然石の碑が立っています。

目次へ戻る

3. 大堂左側
 大堂左側の奉安堂裏には山内最大級の宝篋印塔があり、これは加藤清正の供養塔で、息女で紀伊大納言頼宣の正室瑶林院(ようりんいん まあ姫)が造立したものです。
 その傍らの「中村家之墓」は、ジャズ・ピアニストで作曲家の中村八大のものです。永六輔と組んで作った「上を向いて歩こう」は特に有名です。
 緩やかな車坂を下ると、途中右手の樹林の中に、明治期の政治家で東京市会議長の星亨(ほしとおる)の墓があります。
 元に戻って塀に囲まれた本殿前から車坂を越えて石段を下りると、右に朱塗りの宝塔が建ち、その裏側には徳川家康の側室で二代目将軍秀忠の生母西郷局(さいごうのつぼね)の墓があります。
 そこから一段高い所が紀伊徳川家の墓所で、家康の側室養樹院(お万の方)と瑶林院の他、六基の墓碑が並んでいます。お万の方は頼宣と水戸藩主頼房の生母です。
 階段を下った大坊本行寺には映画監督溝口健二と新派俳優花柳章太郎の墓が、南之院には日本画家狩野探幽の墓があります。
[出典 東京お墓散歩 工藤寛正著 河出書房新社]

目次へ戻る

「本門寺」に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

[Last Updated 11/30/2006]