本門寺五重塔


 五重塔(本門寺)
  本門寺五重塔(解体工事前)

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          目 次

1. 本門寺五重塔の概要
 五重塔の由来などのご紹介です。
2. 重要文化財本門寺五重塔の保存修理事業現状報告
 平成9年秋から行われている修復工事についての報告です。
3. 五重塔解体部材の展示品の概説
 平成11年9月14日・15日に行われた展示会の概要です。

1. 本門寺五重塔の概要
 本門寺五重塔は、慶長十二年(1607)二代将軍徳川秀忠の乳母の正心院日幸尼の発願により、大堂の前のあたりに創建され、その後、慶長十九年(1614)の地震により修復され、元禄十五年(1701)に現在地に移築されました。閑東で最古の五重塔です。
 明治四十四年(1911)四月十七日付国の特別保護建造物に指定され、のち、法律の改正により重要文化財に改称され、現在に至っています。五重塔はこれまでに数回の部分修理が行われましたが、今回は破損が著しいため、創建以来初めて全解体修理が行われています。

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2. 重要文化財本門寺五重塔の保存修理事業現状報告
 国の重要文化財である本門寺五重塔は、平成9年秋から、国庫補助事業として全面的解体修理が進められ、このほど、塔の解体工事が終了しました。
 作業は、塔の最上部にある相輪から順次初層へと下方に進められ、現在では礎石のみを残す状態になっています。解体作業にあたっては、一本一本の部材をすべて番付けし、分解されました。あわせて柱の根元の腐朽、構造材の破損や緩み、柱の沈下、彩色(塗料分析、文様の確認)、建具、壁、金物等の状況や実測など現状を記録する調査が行われました。
 これまでの作業で、次のようなことが確認、発見されました。
@相輪の下部にある伏鉢状の部分に、慶長12年、鈴木近江守長次(幕府の御大工三河出身)などの刻銘を確認
A初層軒天井裏仮に慶長12年の墨書を発見
B五層の部材に、元禄15年(あるいは16年)、和泉国(現大阪府)住人の大工名などの墨書銘を確認
C各部材に、元禄期と思われる墨書番付(各層ごとに異なる記号が記されている)を確認
 今後、解体された部材は、破損や腐朽の程度によつて再利用、補修、補強、新規補充の判断がされます。現在、今後の補修、補強をどのような方法で行うのか、修理によって改変された箇所の復元をどうするかなど、本格的な調査を進めているところです。
 なお、今秋から、検討された修理方針に基づいて組み立て工事が始まる予定です。
▼間合先 社会教育課文化財係
本門寺五重塔 関東最古の五重塔。慶長12年(1607年)、徳川2代将軍秀忠の乳母、正心院日幸尼の発願により建立されました。
(出典 太田区報 1999.4.1号)

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3. 五重塔解体部材の展示品の概説
 平成11年9月14日・15日に本門寺の大坊で重要文化財本門寺五重塔解体部材の展示・公開がありました。この資料はその折りに見学者に配られたものです。

 本門寺五重塔は、国指定の重要文化財であり、大田区の代表的な文化財建造物です。
平成九年十月から国庫補助事業として解体による保存修理が進められ、現在は、解体工事が終了しました。
 この機会に、組み上がってしまうと見ることができない貴重な部材の数々を、皆様にご覧いただく場を設けました。今回、主として銘文のある部材や破損部材の一部を展示し、皆様に、五重塔の歴史と共に継承された文化財と、このたびの解体修理の状況をご紹介します。

1.初層の桟唐戸落し金具(慶長期)
 初層の桟唐戸(扉)の下端に取り付く金具で鍵の役割を果たします。本門寺五重塔には 全部で8本の落とし金具があり、展示されている2本は、建立当初と推定され、うち1本にはセミの精巧な彫刻が付されています。
2.蟇股
 建築彫刻の一種で、蛙が股を広げたような形から蟇股(かえるまた)と呼ばれます。ここに十二支の彫刻が付されるようになるのは桃山期からのことで、本門寺五重塔のものは全国的に古い事例です。蟇股の十二支の彫刻(辰、申は失われている)のうち、卯・午・子・寅の4点を展示しています。
3.初層の軒格(のきごう)天井板(慶長十二年銘)
 今回の解体工事の結果、初層には解体した痕跡がないことと、軒格天井の板から「慶長十二年」の墨書銘が発見されたことにより、初層は建立当初からのものであることが確認されました。
4.水煙
 相輪の上部にある火焔形の装飾で、水煙とは火の字を嫌って付けられたものです。本門 寺五重塔の水煙は、重ねると形・大きさ共に同一であることから、同じ型より造られたことがわかります。
5.伏鉢
 相輪の下部にある鉢を伏せたような形状の部材です。伏鉢に建立の年代や関係者の名前等が刻まれています。
6.初層・二層の鬼瓦
 鬼瓦とは、屋根の棟の先端に置かれた装飾的な瓦です。創建当初の鬼瓦は4点現存しており、展示品もその一つです。「慶長十二年」という年代などが記されています。
7.軒丸瓦・軒平瓦
 軒を飾る瓦です。展示の瓦は創建当初と推定されます。
8.昭和三十三年の修理棟札
 棟札とは建物の建立や修理の際にその年月日・施主・施工者なとを記した木札です。本門寺五重塔に関する棟札は、創建時のものの他、修理時のものが伝わっていましたが、戦災によって失われてしまいました。展示の棟札は昭和三十三年(1958)に修理を行なった際の棟札です。
9.五層の土居葺き
 土居葺きとは、屋根の銅板葺きの下地として施されるものです。五層の屋根ま当初、本瓦葺きでしたが、元禄十六年の修理で銅板葺きに改められました。
10.巻斗(元禄十五年銘)
 巻斗とは、柱の上に積み上げていく部材(斗供)の一つです。軒を支えています。元禄の修理のとき、大工が名前を五重塔に書き残す目的で記した墨書が見られます。

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11.繋ぎ肘木挟み
 繋ぎ肘木とは、二層より五層までの各層で3本の肘木(横に架け渡す部材)を挟み込むものです。大工が和歌を書き残しています。
12.初層の腰上板壁(享保十二年銘)
 南面東脇の板壁で、享保十二年(1727)の漆塗り修理の際のものと思われる銘文が刻まれています。
13.古釘(板付けサンプル)
 一般的に古建築においては釘を使用しないと思われていますが、実際には多量の釘を使用しています。展示の古釘は、五層に使われていたもので、主に元禄時代の修理時のものです。
14.二層の地垂木掛け(折損品)
 屋根の垂木の端を支える部材で、垂木はこの部材に釘で止められています。本門寺五重 塔では、塔全体に屋根の加重によるずりだしによって、垂木掛けが引っ張られて折損した状況が見られました。
15.二層の繋ぎ肘木(折損品)
 屋根の加重によって展示部材のように多くが折損しています。また外局部分の落ち込みによって塔全体のほとんどの繋ぎ肘木が湾曲しています。
16.巻斗(破損品)
 屋根の加重によるずりだしによって大きく破損しています。
17.初層の柱根(虫害品)
12本ある柱のほとんどが白アリによる食害や腐朽菌による被害を受けていました。このうちの7本は特に状態がひどいため切断し、新材を継いで修理されます。展示の柱根は南東の四天柱のものです。
18.裏甲(虫害品)
 軒先の化粧板です。ほとんどの裏甲に雨水の浸透による腐れが生じており、なかにはク マパチによる加害もみられました。
19.五層の高欄親柱
 高欄とは、二層より五層までの縁に取り付く欄干をいい、親柱はその両端の柱をいいます。風化と、虫害のため破損しています。
20.初層の獏鼻付隅行肘木
 隅行肘木とは、繋ぎ肘木のうち四天柱の位置より隅につながるものです。初層の肘木のうち最下段のものの先端には獏(架空の動物)が彫刻されています。

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21.初層の桟唐戸
 桟唐戸とは、唐様に使われる扉(開き戸)です。本門寺五重塔では初層の出入口に取り付けられ、内側には動物と蓮華の透かし彫りの彫刻が施されています。
22.構造模型
 今回の保存修理事業により、本門寺五重塔は傷みがひどく、その原因として建物そのも のに構造的な弱点があることが判明しました。そこで構造上の弱点をいかに補強するか  を検討するため製作されたものです。
23.初層の和様斗供
24.四層の唐様斗供
 斗供は、建築様式(和様・唐様など)によって組み方が異なります。今回は一部分を展 示してあります。枠肘木の両端を曲線に作る唐様に対し、和様では曲線部と木口との境  を分けて作るという違いがあります。
26.巻斗(矧木品) 
 展示品は、傷んだ部分を取り除いたのち、同種の木材で補って修理してあります。この方法は矧木と呼ばれます。
26.巻斗(新造品)
  部材の破墳の程度が大きいなど、再使用できない場合は、その部材と同種の木材を用いて、新たな部材を作製します。
27.チョウナ
  木材の粗削りに用いる工具で、いくつかの種類があります。展示品は、平刃のもので、 加工痕(あと)にその特徴が見られます。
28.五層の琵琶板
  琵琶板とは斗供と斗供との間の小璧の部分にはめ込んである板をいいます。裏面に平刃のチョウナで削った痕が見られます。
29.ヨキ
 木材の切断や製材に用いる工具です。一般に斧よりも刃の広いものをいいます。
30.マエビキノコ
 木材から板材や角材に製材するための一人挽きののこぎりです。
(池上本門寺・大田区教育委員会作成)

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[Last Updated 11/30/2006]