ジュリアード弦楽四重奏団


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ジュリアード弦楽四重奏団公演 一層のしなやかさ クラシック

 アメリカの名門、ジュリアード弦楽四重奏団の演奏会を聴いた(8日、紀尾井ホール)。1946年、ニューヨークの音楽院の教授たちによって設立されたこのカルテットは、現代ものに積極的に取り組むと共に、古典でも鋭い切れ味を見せてきた。創立以来、アンサンブルの中心であった第一ヴァイオリンのR・マンが勇退したのは、1997年。第二ヴァイオリンのJ・スミルノフがマンの跡を継ぎ、新たにR・コープスが加わって、現メンバーになってから、東京での公演は今回が初めてである。
 幕開けのハイドンの変口長調、そして休憩後のベートーヴェンの変ホ長調の間に20世紀の作品二曲を挟んだプログラムに、既にグループの個性は明らかだったが、この日の彼らの演奏の手応えは、会場を満席に埋めたファンの期待をもさらに越えるものだった。
 ハイドンの「第65番」で、いささか杓子定規かとさえ思えるまでにかっちりとまとまった音楽を聴かせた彼らは、続くクルタークの「セルヴァンスキー追悼の小オフィチウム」では、ヴェーベルンからの素材をはじめ、15の小品にちりばめられた多様な要素を、この作曲家独自のディテールへの執着が様々な光を放つ多面体へと、巧みに昇華させる。
 そして、この日の白眉は、ヴェーベルンの「弦楽四重奏のための五つの楽章」。最弱音の表情の豊かさはもとより、第一楽章の力強さ、第三楽章の躍動感など、厳しさのなかにロマン主義の残映を美しく描き出した演奏だった。
 さらに、ベートーヴェン晩年の「第12番」でも、様式感、形式の枠組みと、そこから溢れ出る情念とを一分の隙もなく、しかもバランスよく提示して見せた。
 マンの下で、常に一本筋の通った音楽を聴かせてきた彼らは、伝統を背負いつつ、新たな一歩を歩み出した。アンコールのドビュッシーを含め、一層のしなやかさをも身に付けた新生ジュリアードの魅力を実感させるに十分な一夜だった。
  (音楽評論家 岡部 真郎)  [出典 日経新聞夕刊 2001.6.28]

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[Last Updated 6/30/2001]