1 サキソフォン・コロッサス
ソニー・ロリンズ


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  目 次

1 タイトル、曲名、演奏者
 CDのタイトルと収録された曲をご紹介します。
2 CDの紹介
 ライナーノートに載っている、ソニー・ロリンスを始とする演奏者と、曲についての紹介です。
3 CDの聴き方
 「ジャズ完全入門 !」に載っている内容で、このCDの聴き方が判ります。

1 タイトルと曲名
SAXOPHONE COLOSSUS/SONNY ROLLINS FOUR(サキソフォン・コロッサス/ソニー・ロリンズ)
VDJ-1501  MONAURAL
@セント・トーマス   6:46
  ST.THOMAS (Rollins)
Aユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ  6:29
  YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS (Raye-DePaul)
Bストロード・ロード  5:14
  STRODE RODE (Rollins)
Cモリ夕-卜  10:05
  MORITAT (Weil)
Dブルー・セブン  11:18
  BLUE SEVEN (Rollins)

ソニー・ロリンズ(ts)  トミー・フラナガン(p)  タグ・ワトキンス(b)  マックス・ロ-チ(ds)

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2 CDの紹介−ジャズの歴史に不滅の名をとどめるロリンズの最高作!
 思えばこのアルバム『サキソフォン・コロッサス』がファンの前に登場するのは何度目のことであろうか。発売当時からすでにソニー・ロリンズの最高傑作という呼び名が高かった本作品に対し、ラルフ・グリースンはダウンビート誌で最高点の5つ星を与えて絶賛、以後モダン・ジャズの代表的な名盤として愛されている。いっぽう我が国では、60年、野口久光、油井正一、藤井肇氏を委員とした「モダン・ジャズ名盤蒐集会」の第6回頒布レコードに選定、『ソニー・ロリンズの芸術』という邦題で発売されたのが最初であったが、以後、これまでの約15年の間この作品はどのくらい多くのファンを魅了し続けて来たかわからない。もっとも、日本ビクターからだけを例にとっても、ステレオ盤として出たり、ジャケットを変えたり、豪華盤と銘打ったりした回数を数え上げても3度以上にはなるし、その後他社からの発売を加えると、少なくとも5、 6度目のお目見えと言うのが本当だろう。
『サキソフォン・コロッサス』は、いわゆるロリンズを中心に集まった4人のミエージシャンが、それぞれの個性美を十二分に発揮しながら、かつグループとしての見事なまとまりを見せた点、まさに言うべきところのない傑出した作品であるが、それらの成果が、1枚のディスクとしての異例の完璧さを持っているところに隔絶した魅力がある。すなわち、世の名盤と称するアルバムは、その内の何曲かの名演によって成り立っているのが通例だが、少なくとも、この作品のように、全編を通じ、 1曲1曲がそれこそ決定的な名演揃いであると言う例は、ほかにあまり無く、しかもそれらの配列が、完全なバランスを保ち、最大の効果を挙げているということは、まさに驚嘆すべき事実である。
 早い話、80年代の現時点に立って、過去のロリンズをふり返る場合にしても、合計7度の来日を含め、随分沢山の演奉にふれているわけだが、実際のステージはもちろん、レコードの上でも、 56年に吹き込まれた本アルバムの演奏を凌ぐものは無かったというのが本当のところだろうし、その意味でもロリンズの全作品中の最高作という結論も決して間違いではない。もちろん、評価の基準というものは当の演奏家と我々ファンの間では食い違うのが通例のことだ。実際にロリンズ自身の発言でも、このアルバムこそは我が生涯の傑作とは言っていないことも確かだが、それだからと言って、この作品の価値が変わるということは絶対に無い。
 最初に紹介したと思うが、このアルバムが発売された当時の批評には次のようなものがあった。「イースト・コースト・ジャズは品位と美に欠けると指摘する人がいる。しかし、このアルバムは、そうした人達に対する適切な答えでもある。ロリンズはユーモアと優雅さ、美に対するデリケートな感覚を持ちながら演奏している。彼は力強いスイングを見せ、4人の共演者も稀に見る好演である」 (ラルフ・J.グリーソン〜タウン・ビート誌よりの文章)。このほか、本作品に関しての批評は大方に於いて大絶賛で、(ロリンズの恐るべき傑作)と呼んだニューヨーカー誌のほか、イギリスのメロデイ・メーカー紙も同じくこのアルバムについては最大の讃辞を与えていた。

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『サキソフォン・コロッサス』を構成する4人のミュージシャンは、リーダーであるソニー・ロリンズ(テナー・サックス)のほか、この種のセッションに抜群の実力を発揮する名手トミー・フラナガン(ピアノ)、堅実さで知られる逸材デグ・ワトキンス(ベース)、それにロリンズの生涯に唯一の理想的な相手役であるマックス・ローチ(ドラムス)であって、編成としては、いわゆるワン・ホーン・ジャズの形式を採っている。この編成自身は古来、ジャズの定型のひとつだし、リーダーの魅力を押し出す以外は、これと言った新味は無いはずだが、なぜかこのアルバムの演奏は、全体の構成の上にも流れの上にも、ひとつの均衡感と言うか、メンバー同志の理想的な交流が見出せる。それはフラナガンのピアノにも、またローチの卓越したドラミングの上にも感じられるし、それらを総合したところに演奏を生み出す絶妙の美が発散されている。
 ソニー・ロリンズ自身の持つ魅力については、それぞれのファンの心に尋ねた方が早いだろう。それは最近の演奏についても同様だが、テナー奏者としてだけではなく、むしろ人間としてのロリンズの持つ暖かさと懐の広さは相変わらず私たちを無限に惹きつけるものがある。とくに演奏家としてのロリンズは、たくましい男性的なトーンとインプロヴァイザーとしての卓越した技量に支えられており、その豪快なアドリブの展開は、極めて人間味に溢れている。さらにユーモアのセンスが加わったところに、たゆまぎる余裕とスケールの大きさを生んでいることも確かだし、大らかな歌いぶりは他のミュージシャンの追従を許さないものがある。彼自身の言葉によると、少年時代のロリンズにとって最大のアイドルはコールマン・ホーキンスであったと言う。事実彼のテナーはホーキンス派の流れをくんでいるが、同時にチャーリー・パーカー、レスター・ヤング、デクスター・ゴードン(彼はのちにロリンズから逆影響も受けている)といった先輩テナー・マンからの感化が充分に感じられる。とくにこれらの影響力は50年中期までの演奏に層々発見出来る点だが、少なくとも56年録音の本作品は、ロリンズにとっても、完全な自己表現を成し遂げた時期のものでありパーカー等によって打ち立てられた即興演奏に於ける可能性を更に拡大、実りあるものにしている。
  50年代中期のジャズ・シーンについては、すでに多くの書物で語られているように、いわば黒人全般の意識が向上した時期でもあり、とくに前半を支配した白人中心のウエスト・コースト・ジャズに代わり、彼らニューヨーク周辺の黒人若手ジャズメンによる、イースト・コースト・ジャズのまき返しが行われた時期でもあった。ことに54年から56年にかけては、こうした彼らの意欲が最も力強い発散力を持っていたし、 『ヮーキン』 『バグス・グループ』と言った傑作盤が次々と吹き込まれた。中でも、56年は、これらイースト・コースト・ムーブメントがひとつの頂点を極めた年でもあるが、本アルバムは同じ年に吹き込まれたセロニアス・モンクの『ブリリアント・コーナーズ』やチャーリー・ミンガスの『直立猿人』と並ぶ代表作であるし、あらゆる意味で重要な要素を持っている。
『サキソフォン・コロッサス』は、ロリンズの吹く〈モリタート〉によって、多くのファンを生んだが、このような古いナンバーに新しい魅力を吹き込むのは彼得意の方法だ。このほか3つの自作曲に於ける構成力の確かさは抜群だし、ラテン曲の〈セント・トーマス〉も彼の名を不滅のものにした作品である。とくに自作曲のひとつく〈ブルー・セブン〉は構成、演奏両面に於いて傑出したナンバーであり、 〈ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ〉の情感と説得力に満ちた表現力は、フラナガンの名演もあって稀に見る優れたバラード演奏となっている。
 なお、 56年6月に吹き込まれた本アルバムは、26歳のロリンズのプレイが聴かれるが、ローチにとって、このセッションは最愛の友クリフォード・ブラウンを自動車事故で失う僅か4目前のものである。メンバーの中では、ローチにせよ、フラナガンにせよ現在も活躍中だが、ベースのデグ・ワトキンスだけは62年同じく自動車事故のため、天折している。まことに惜しい人材を亡くしたものだと思う。

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★演奏曲目について
@セント・トーマス
 あまりにも有名なロリンズの人気曲。セント・トーマスとは、彼の母方の出身地であるバージン諸島の一島嶼である。ここでの屈託のないロリンズの大らかなテナー・プレイは圧倒的な魅力を持っているし、幼時よりカリプソに親しんだという彼自身の思い出に深くつながっている。ロリンズは来日のステージでも何度となく演奏しているが、これこそ決定的なオリジナル演奏であり、ローチのドラミングも、ことさら冴えている。
Aユー・ドントノウ・ホワット・ラブ・イズ
 優れたジャズメンは、全てバラードの名手でもある。ロリンズの場合も同様であり、これまでにもモンクと共演した 〈モア・ザン・ユー・ノー〉以下多くの名演を残している。とくにロリンズの吹くバラードは、常に男性的なトーンの中に、人間的な暖かさを持っているのが特徴であり、そこに私たちを惹きつける魅力がある。第一、近作を例にとっても、〈野バラに寄せて〉といった何気ない小曲をあれほど感動深く、やさしく歌い上げられる人はロリンズを置いて誰がいよう。
 ドン・レイとジーン・デポールの合作になるこのバラード曲での2コーラス半に及ぶロリンズのテナーは、前述したように、溢れる情感の中に、極めて説得力の強い表現力を持っているが、途中ダブル・タイムを使ったローチのサポートも見事だし、フラナガンのデリケートなピアノ・ソロも絶品と言えよう。
Bストロード・ロ-ド
 ふたたびロリンズのオリジナル曲で、シカゴにいた彼がよく顔を出したクラブ〈ストロード・ラウンジ〉に因んだナンバーである。曲の構或はA(12小節)、 A(12小節)、 B (4小節)、A(12小節)の計40小節1コーラスとなっており、ここでもロリンズの豪快なアドリブの展開が愉しめる。演奏はテーマのあとロリンズの3コーラスとフラナガンの御機嫌な2コーラス・ソロに続いてロリンズとローチの間で4小節交換が12回繰り返されテーマに戻る。この曲は、ロリンズの男性的な面が打ち出されているが、短いフレーズを重ねて行く強烈な迫力を持ったバリエーションは、彼に与えたモンクの影響を感じずにはおられない。
Cモリタート
 ロリンズの人気を高めた代表作で、この演奏にしびれ、彼のファンになった人も大勢いる。曲そのものはクルト・ワイルが、G.W.パプストの映画『三文オペラ』のために書いたものだが、4コーラスにわたるロリンズのソロ・バリエーションは圧倒的な魅力を発散している。続くフラナガンの2コーラス・ソロのあと1コーラス半の掛け合いも素晴らしい出来だし、ローチ、ワトキンスのソロもそれぞれに見事だ。ラストにロリンズによるカデンツアがつけられている。
Dブルー・セブン
(モリタート)に酔った人も、このロリンズの作品の持つ底知れぬ魅力には完全に心を奪われることであろう。まず、曲そのものの構成も一風変わっているが、演奏の持つ無限の深みは、聴く度に驚きを増すし、問題作という点では本アルバムのナンバー中最高のものであるo ここではガンサー・シュラーがいみじくも名付けたロリンズの〈テーマに基づく即興演奏〉の手法によるアドリブの醍醐味がたっぶり味わえるし、ローチとのインタープレイも入神の域に達している。とくにロリンズのソロの枠内でも言えることだが、全員のソロ構成が、互いに抜きさしならぬ効果を生んでいる点も見逃せないし、そこから生まれる微妙な均衡感とスリリングの凄さは、とうてい言葉で伝えられるものではない。いずれにせよ、このアルバムこそロリンズにとってばかりではない、モダン・ジャズにとっての歴史的な名盤と言えるだろう。
               【佐藤秀樹】
●本解説はLPと共用しておリます。
(出典 ライナーノート)

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3 CDの聴き方
 信じられない話だが、小説で言えば夏目漱石の「坊ちゃん」にも相当するこのジャズの代表的名盤を、年季の入ったファンが持っていなかったりする。これは「名盤」「名作」の宿命のようなもので、解説書の類に必ず出てくるので聴かなくてもわかったような錯覚に陥ってしまうのだろう。とくにこのアルバムは「セント・トーマス」「モリタート」といった「名曲」で有名なので、ちょっと小耳に挟んだだけで納得し、なぜそれらが名曲と言われるようになったのかという「演奏の力」が見過ごされがちなのだ。
 キビしい言い方かもしれないが、CD時代に育った方々は、食事をしながら、本を読みながらの「ながら聴き」が習慣になっており、音楽からその内容を確実に聴き取ることに慣れていない。これはモラルのことを言っているのではなく、誰だって本を読みながら映画は見ないだろう。しかし音楽は聴けてしまうという錯覚がある。実際は、そういう半端な聴き方では、傍らでもソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンの区別すらつきかねるのだが、とりあえずオトは聞こえるので音楽も聴いているつもりになっているだけなのだ。
 言いたいのは、演奏の内容を注意深く聴きとるコツを身につけてほしいということだ。しかし初心者はどこをどう聴いたらよいのか、掴みどころがないのが実情だろう。そこでジャズの聴きどころを具体的に示し、同時に、テーマ(→ 用語解説)とはどういう部分のことを指し、またどこからアドリブ(→ 用語解説)が始まるのかということも示しておいた。アルバムを購入したらまず「セント・トーマス」 のトラックを、CDプレイヤーの「時間表示」を眺めながらじつくりと味わっていこう。
 ドラムスの引き締まった規則正しいリズムで曲が始まり、テナー・サックスによるテーマが現れる。このソニー・ロリンズの吹く旋律が、マックス・ローチの叩き出す正確なリズムから、わざとほんの少しズレることによって巧みな躍動感、自由な感覚が生まれる。これもジャズ特有のアドリブ的表現の一種と言っていいだろう。
 36秒目、ローチの「チン、チン」というリズムに次いで、ロリンズがテーマをくり返す。
 54秒目、ローチの「トントコ」というドラムスに続き、ロリンズが「ボヘッ、ボヘッ」という一見無意味なフレーズを吹いて、どうアドリブを展開するか探りを入れている。
 1分6秒目、アドリブを開始するが、1分10秒目から1分18秒目にかけて再び展開への探りを入れる。
 1分20秒日になってようやく本格的にアドリブヘと飛び立つ。次第にスピード・アップし、次々にアイディアをひねり出し曲想を展開していく。バックの規則正しいリズムと、それに対し微妙にズレながら進むロリンズのフレーズに注目すること。
 ついで正確なローチのドラム・ソロが始まるが、このソロの間にロリンズは気持ちを整えながら音楽に乗っていく。そしてロリンズのアドリブが一気に炸裂。同じフレーズをくり返しながら、アイディアの展開を探っている部分に注目。また、ドラムスのリズムが音楽を前へ前へと進めていく推進力を生み出しているところに注意。
 ピアノ・ソロが始まり、人が歩いているように聴こえるベース・ラインとドラムスがピアノを支えているところもしっかりと確認する。そしてロリンズがテーマに戻って曲が終わる。
 こうして一度説明文を見ながら聴き通してみれば、ジャズがアドリブで演奏され、それがジャズ独特のナマナマしさ、迫真力を生み出していることが手に取るようにわかり、そしてその演奏の力が、この曲を「名曲」足らしめていることも理解されるだろう。
(出典 ジャズ完全入門 !)

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[Last Updated 2/28/2007]