10 ゴールデン・サークルの
オーネット・コールマン Vol.1



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  目 次

1 タイトル、曲名、演奏者
 CDのタイトルと収録された曲をご紹介します。
2 CDの紹介
 ライナーノートに載っている、オーネット・コールマンを始とする演奏者と、曲についての紹介です。
3 CDの聴き方
 「ジャズ完全入門 !」に載っている内容で、このCDの聴き方が判ります。

1 タイトルと曲名
THE ORNETTE COLEMAN TRIO AT THE "GOLDEN CIRCLE" STOCKHOLM VOLUME 1
ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン Vol.1

1. FACES AND PLACES (Ornette Coleman)*
 フェイシス・アンド・プレイシス(12′31″)
2. EUROPEAN ECHOES (Coleman)*
 ∃ーロピアン・エコーズ(7′55″)
3. DEE DEE (Coleman)*
 ディー・ディー(10′21″)
4. DAWN (Coleman)
 ドーン(8′16″)

オーネット・コールマン(as)  テヴィット・アイゼンソン(b)  チャールス・モフェツト(ds)
●1965年12月3日、4日*録音

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2 CDの紹介
 現在そしてこの先2週間、「ゴールデン・サークル」に出演するオーネット・コールマンのトリオのライヴは、この秋ストックホルムで行われるもっとも素晴らしい文化的なイヴェントのひとつである。ジャズのイヴェントでこういう強い表現は滅多に用いられないが、それでも今回ばかりはこれでも十分ではないようだ。オーネット・コールマンがニュー・ジャズの中心人物であるということに関しては議論の余地がないだろう。彼はジョン・コルトレーン、エルヴィン・ジョーンズ、エリック・ドルフィー、セシル・ティラー、ドン・チェリー、それにあと数人の偉大なイノヴェーターたちと同列にいるミュージシャンだ。その中でもニュー・ジャズの象徴的な存在として著しい個牲を発揮してきたのがコールマンである。
 彼の音楽は非常に普遍的なものだ。それは彼が単に初期のジャズ・ミュージシャンたちと比べて新しい手法で即興演奏を行うだけでなく、もしくはピアノの伴奏なしで演奏するプレイヤーだけの存在とも違い、さらには独特の感性でサックスとトランペットとヴァイオリンを演奏するだけのジャズ・ミュージシャンにはない、それ以上の存在であるからだ。オーネット・コールマンが重要な存在であるのは、簡単に言えば彼がグッド・ミュージックを創造しているからだ。こうした音楽−この場合はグッド・ミュージックを意味する−が創造できるようになるには、 1965年以前、すなわちオーネット・コールマンがシーンに登場した1959年以前の音楽とは違うものを演奏する必要がある。それまでの音楽的な手法は"使い古されたもの"であるか"時代にそぐわないもの"になっていた。そしてビ・バップのスタイルは、現実的に考えてもはや今日的なものではなくなっている。
 オーネット・コールマンが偉大なのは、もちろん彼がこのことに気付き、新しいスタイルを開拓し、多くのミュージシャンに強い影響を与え、その結果ジャズを大きく前進させたことによるものだ。しかし彼にとってこの新たな挑戦は絶対的な最終目標ではないし、到達点でもない。ただ自身の表現を満足させるだけのものであって、グッド・ミュージックを創造する上での手段に過ぎなかったのである。
 もしわたしたちが繰り返し彼のテクニックとスタイル上の重要性について考え、 「ゴールデン・サークル」の客席でその演奏に耳を傾けるなら、彼の音楽が普遍的なものでジャズ以外のひとたちをも感動させている理由が容易に理解できるだろう。オーネット・コールマンは自信に満ちた個性によって自分のヴィジョンを表現しメッセージを伝えることに成功している。それが彼の芸術的な素晴らしさにもおそらくは繋がっているはずだ。
 彼の感情の幅はほとんど無限大だが、もしそれがヴァラエティに富んだものでないなら、わたしたちはきっと退屈なものと考えるに違いない。彼の音楽に含まれているのは、ほとんど純粋と言ってもいいほどの美しさ、光彩、魅力、騒々しさ、官能美といったものだ。 2年前には誰もこんなことは思いもしなかった。彼の音楽はグロテスクなもので、苦悩と混沌に満ちたものと考えられていたからだ。

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 いまやこうした意見に支配されるようになったのは不可解なことでもある。ひとびとがウィルエム・クーニング描くところの女性像やサミュエル・パケットの不条理劇を拒絶してきたのと同じように、これはまさしく不可解なことだった。こうしてオーネット・コールマンは、彼の個人的な考えを通して何が美であるかというわたしたちの概念をすっかり変えてしまったのである。そしてもっとも美しい瞬間は、コールマン・グループのベース奏者デヴィッド・アイゼンソンがオーネットと共にストリング・ベースを弾くときだ。これはもうほとんど魅惑的な美しさである。アイゼンソンは、今回のゲスト出演によって多くのひとに素晴らしい体験をさせてくれた。これは確かなことだ。そしてこのことは理解できる。ライヴを聴いたことで印象がまったく違うものになったとしても、わたしたちは数多くのレコードを通してコールマンのことは非常によく知っているつもりだ。しかしそれ以上に極めて新鮮な新しさを身につけているのがアイゼンソンである。
 ところでジャズのベース・プレイヤーについて活発な意見が登場するようになった近年においても、デヴィッド・アイゼンソンの名前があまり登場してこないのはどういう訳だろう? 「ゴールデン・サークル」でわたしたちは必ずやいつも感じていたことが真実であったことに気づくはずだ」すなわちスコット・ラファロや他のあらゆるヴァーチュオーゾと呼ばれているひとたちが単なるヴァーチュオーゾに過ぎなかったということを。そしてアイゼンソンが本当の意味で革新者であったことを。
 彼は主として"昔ながらの"テクニックを用い、ただストリング・ベースを弾くことで、それを証明してみせる。コントラバスは疑いもなくこの目的のためだけに作られたものであり、素晴らしい可能性をそこに秘めたものだ。
 グループにおける3番目の人物は、このふたりの偉大なプレイヤーに比べればいささか影が薄い。それがドラムスを演奏するチャールス・モフェットで、彼は現在のジャズ・シーンでオーネット・コールマン・トリオにフィットできるおそらく唯一の存在である。
 「ゴールデン・サークル」のオーネット・コールマン・トリオー−繰り返して言うが−は素晴らしい文化的なイヴェントだ。スウェーデンの音楽シーンに関わっているすべてのひと(ポップ・ミュージシャンからシリアスな音楽の作曲家まで)は彼らが出演しているこの2週間のうちに同クラブに駆けつけるべきだ.次の日曜には、スウェーデンのジャズはいつも通りのノーマルなものに戻ってしまうのだから。    −ラドゥイック・ラスムッソン (訳:小川隆夫/TAKAO OGAWA EWINGS 9712971)

 62年12月に自費で開催したタウンホール・コンサートを最後に、オーネット・コールマンは公の場から遠ざかる。そして65年1月、「ヴイレツジ・ヴアンガード」出演をきっかけとして、約2年ぶりに活動を再開した。メンバーは62年の時と同じくデヴィッド・アイゼンソン(b)、チャールス・モフェット(ds)とのトリオだった。オーネットに電話して自らを売り込んだアイゼンソンはソニー・ロリンズやポール・プレイと、オーネットとは10代の頃からの親友であるモフェットはアーチー・シェップなどと共演を重ねながらリーダーのカムバックに向けて準備を整えていたのである。いわゆる"new thing"が脚光を浴びる最中、そのご本尊であったオーネットの復活は案の定センセーションを呼び、 「タイム」や「ニューズウイーク」誌にも取りあげられるニュースとなった。しかし、復帰第1作のレコーディングは杳として進まなかった。ジャック・ウィルソンとデュオ・アルバム(!)を吹き込む話は立ち消えとなり、ブルーノートがタウンホール・コンサートの模様を2枚のLPにわけて発売する計画もあったものの、これも実現しなかった(本人の承諾なしにESPから出た)。ブルーノートとしては、あくまでもリアルタイムのオーネットを世に問いたかったのだろう。不動のトリオは8月から長期ヨーロッパ・ツアーに入ったが、ブルーノートは12月3日、彼らがスウェーデンのクラブ「ゴールデン・サークル」で行ったライヴを収録した。客席には満足そうな表情で演奏に聴き入るフランシス・ウルフの姿があったという。
 とにかく一切の無駄がない漬奏だ。オーネットは艶やかな音で放心したように歌いまくる。そこに弓弾きと指弾きの両方でアイゼ、ンソンのベースがからみつき、うねるモフェットのドラムスが躍動惑を際立たせる。 3人は触発を重ねあいながら、音の色彩を刻一刻と変えていく。 (デイー・デイー)が最高に楽しい。        (原田和典)
 LINERNOTES from THE ORIGINAL ALBUM                             (出典 ライナー・ノート)

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3 CDの聴き方
 このアルバムは、フリー・ジャズの元祖と言われたオーネット・コールマンの音楽に親しむ最初の一枚として最適なものだ。もっとも30年も昔ならいざ知らず、現在ではかって前衛と言われたような音楽的手法が、TVのポップス番組でも散見されるぐらいだから、そう大げさに考えることもないのかもしれない。実際フリー・ジャズと言っても現在の感覚で言えば、決められたリズムに乗ったかなり明確なフォーマットの上で演奏が行なわれているので、初めてジャズを聴く人でもそれほど違和感を抱くということはないだろう。
 オーネットは、デビューの時はトランペットのドン・チェリーとコンビを組んでいたが、この作品は、ベーシストのデヴィツド・アイゼンソンとドラムスのチャールス・モフェツトをサイドマンに従えた三人編成で、ストックホルムのクラブ「ゴールデン・サークル」に出演したときのライブだ。アルト・サックスにピアノの居ないリズム・セクションだけという編成はかなり珍しいが、違和感は感じられず、むしろピアノが居ない分オーネットの発想が妨げられず、自由なのびのびとした演奏が繰り広げられている。
 そこのところを説明すると、ピアノという楽器は音楽の基礎であるコード([→用語解説)を明示するので、その上に来って演奏するホーン楽器は、どうしても出してもよい音に制限を受ける。つまりピアノが押さえている音と不協和音を構成するような音は出しにくいのだ。ハード・バップではあらかじめ決められたコード進行に則(のっと)って音楽が演奏されるのでそのことは問題とならないが、コードという規則からの自由(フリー)を目ざしたオーネットの音楽では、これは具合の悪いことになる。
 そこで彼のバンドはほとんどピアノの居ない変則フォーマットなのだが、この時はたまたま海外に出かけた際の演奏ということもあって、ホーン奏者がオーネットだけしかいないというもう一つの変則が加わった(ジャズの演奏は一般に複数のホーン奏者が居ることが多い、そのほうが演奏に変化をつけやすく、また、リーダー一人に負担がかかるのを防ぐことができるからだ)。しかしそれらはむしろ、オーネットの音楽の本質を混ざり気なしで提示するという効果をあげている。
 このアルバムの聴きどころは、リズム・セクション以外に彼の演奏に枠をはめるがものがないので、それまでのジャズの常識にとらわれないオーネットの柔軟なメロディ感覚が思う存分に羽ばたいているところだ。そしてそのことを可能にしている彼の演奏能力の素晴らしさも聴き逃さないでいただきたい。どんなに素敵なアイデアがあっても、それを実際の音として提示できなければ絵に描いた餅だが、オーネットのアルトはメロディが空の彼方まで漂い出て行くような浮遊感覚を、そっくりそのまま旋律として瞬時に紡(つむ)ぎ出すという、信じられない技を完璧に演じて見せているのだ。
 ただちにオーネットのソロが始まる「エコーズ・アンド・プレイセス」では、それこそアクセルを全開にしたレーシング・カーのようなアドリブが息をもつかせず展開して行くのだが、そのメロディの夢見るような美しさに心ゆくまで浸っていただきたい。そしてそれを後ろから煽(あお)り立てるモフエットのドラミングのカッコよさ。シンプルにしかも力強くシンバルを叩き続け、要所要所で演奏全体に気合いを叩き込む。興奮したのか「アー」という叫び声が聞こえてくる。たった三人しか居ないグループとは信じられない音の洪水と興奮、この演奏は出来うる限りの大音響で聴いていただきたい。ジャズの素晴らしさとは、突き詰めれば聴き手の生理的興奮であるという、単純な事実を是非あなたにも体験してほしいのだ。        (出典 ジャズ完全入門 !)

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[Last Updated 2/28/2002]