5 ブラームス ヴィオラ・ソナタ 第1番、第2番ほ



今井信子(ヴィオラ)
ロジャー・ヴィクノールズ(ピアノ)

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       目 次

1 タイトル、曲名、演奏者
 CDのタイトルと収録された曲をご紹介します。
2 CDの紹介
 ライナーノートに載っている、曲と演奏者についての紹介です。
3 今井信子(ヴィオラ) ロジャー・ヴィクノールズ(ピアノ)
 吉田秀和氏による、このCDの演奏家についての解説です。

1 タイトル、曲名、演奏者
 ブラームス ヴィオラ・ソナタ第1番、第2番

 ブラームス 1833−1897
 ヴィオラ・ソナタ第2番 変ホ長調作品120の2
@第1楽章 アレグロ・アマービレ          8:41
A第2楽章 アレグロ・アッパッシオナート    5:20
B第3楽章 アンダンテ・コン・モート         7:15

 シューマン 1810−1856
 おとぎの絵本 作品113
C第1曲 速くなく                  3:27
D第2曲 いきいきと                4:09
E第3曲 非常に速く                2:38
F第4曲 ゆるやかに、憂愁の表情をこめて  5:25

 ブラームス
 ヴィオラ・ソナタ第1番 へ短調作品120の1
G第1楽章 アレグロ・アッパッシオナート     8:04
H第2楽章 アンダンテ・ウン・ポーコ・アダージョ 4:42
I第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ      4:27
J第4楽章 ヴィヴアーチェ              5:03

 今井信子(ヴィオラ) ロジャー・ヴィクノールズ(ピアノ)

  ■CHANDOS RECORDS(イギリス)直輸入
  ■録音:1987年2月12、13日 ロンドン
  ■演奏時間合計: 60:09
  ■日本語解説:大木正純

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2 CDの紹介
●ヴィオラ・ソナタ 第2番 変ホ長調 作品120の2 (ブラームス)
 ブラームス(1833〜1897)の2曲のヴィオラ・ソナタ(ヴィオラとピアノのためのソナタ)は、腕に覚えのある世のヴィオラ奏者たちにとって豊富とは言えぬこの楽器のためのレパートリーの中にあってはとりわけ魅力的な、文字通りかけがえのない存在であるに違いない。だがこれらは、元をたどればヴィオラのために書かれたわけではなかった。すなわち2曲は、ブラームスがその晩年に集中的に手がけた、クラリネットを主役とする一連の室内楽作品の中の、2つのクラリネット・ソナタ(クラリネットとピアノのためのソナタ)のヴィオラ版にほかならないのである。
 ブラームスが58歳から61歳にかけて、クラリネットのための作品を相次いで4曲も作曲した背景には、よく知られた以下のようないきさつがある。1890年、57歳の彼は、弦楽五重奏曲第2番卜長調を苦心の末に完成したとき、創作力の衰えを改めて痛感した。自己に厳しい彼は、そろそろ引退のときが来たことを自覚し、早くも身辺整理を開始する。まとまった大作としては、五重奏曲が最後の作品になるかも知れなかった。ところが、ある名クラリネット奏者との出会いが、事情を一変させる。その男の名はリヒャルト・ミュールフェルト。マイニンゲンの宮廷楽団奏者で、その比類ない名演奏が、1891年春にたまたま当地を訪れたブラームスの心を強く刺激して、消えかかっていた彼の創作意欲をもう一度蘇らせたのである。こうしてまずクラリネット三重奏曲(クラリネット、チェロ、ピアノのための三重奏曲)か書かれ、同じ年のうちにあの不朽の名作、クラリネット五重奏曲(クラリネットと弦楽四重奏のための五重奏曲)が誕生した。そして、3年後、2曲のクラリネット・ソナタが作曲されるのである。ごれはブラームスの最後の室内楽曲となった。このあと彼の作品は、死の前年の《四つの厳粛な歌》とオルガン用の《11のコラール前奏曲》しかない。
 ブラームスの晩年とクラリネットという楽器とは、ミュールフェルトがその仲立ちになったとは言え、ある意味では結ばれるべくして結ばれたと言えるだろう。つまり、クラリネットのあの独特の音色ほど、しばしば諦観という言葉で言い表わされるこの時期の彼の心境にふさわしいものはなかったと想像されるのだ。出版に当り、ブラームス本人がクラリネットのパートをヴィオラで代用するも可としたのも、単に音域の問題だけではなく、陰影と甘さとを併せ持ったヴィオラの音の色あいが、クラリネットのそれに一脈通じるものであったたからに違いない。
 2曲のソナタは1894年の夏、避暑先のイシェルで踵を接して誕生した。これらは名実ともに姉妹作で、長調と短調の違いこそあれ、決して対照的な性格を備えた音楽ではない。第2番変ホ長調は3楽章構成。終楽章はブラームスが書いた最後の変奏曲である。

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第1楽章 アレグロ・アマービレ
第2楽章 アレグロ・アッパッシオナート
第3楽章 アンダンテ・コン・モート

● おとぎの絵本 作品113(シューマン)
 ピアノと弦もしくは管との二重奏曲のジャンルでは、後輩のブラームスがもっぱら古典的な「ソナタ」しか作曲しなかったのとは違って、シューマン(1810〜1856)はさすがに根っからのロマン主義者らしく、種々の小品を書き残している。ホルンとピアノのための《アダージョとアレグロ》しかり、クラリネットとピアノのための《幻想小曲集》しかり、オーボエとピアノのための《3つのロマンス》またしかり。これらは、シューマン自身がピアノ曲の分野で盛んに手がけた、いわゆるキャラクター・ピース(性格的小品)に属する音楽であるとともに、さまざまの楽器の醸し出す固有の響きの色彩がそれぞれ、独自の魅力となっている。
 ピアノとヴィオラの二重奏用の小品を4曲集めた≪おとぎの絵本≫も同種の作品で、ヴィオラの柔らかくほの暗い音色が、標題が連想させるメルヘンの世界の幻想を見事に描き出している。作曲されたのは1851年、すでに悲惨な晩年が彼にしのび寄り始めていたころであった。なお、この曲集の姉妹作に、1853年作のクラリネット、ヴィオラ、ピアノの三重奏のための《おとぎ話》がある。
第1曲 速くなく
第2曲 いきいきと
第3曲 非常に速く
第4曲 ゆるやかに、憂愁の表情をこめて

●ヴィオラ・ソナタ 第1番へ短調作品120の1(ブラームス)
 この曲は第2番変ホ長調とは違ってオーソドックスな4つの楽章でできている。へ短調の第1楽章はもとより、長調の第2、第3楽章にもそこはかとない寂蓼感が漂うが、フィナーレはへ長調で、諦観の中に一条の明るい光が差し込むかのように曲を締めくくる。
第1楽章 アレグロ・アッパッシオナート
第2楽章 アンダンテ・ウン・ポーコ・アダージョ
第3楽章 アレグレット・ゲラツィオーソ
第4楽章 ヴィヴアーチェ

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●演奏者について
 今井信子がソロ・ヴィオラというやや特殊なジャンルに彗星のように登場してから、20年になるだろうか。かつて日本のホープとして注目された彼女も、いまや経験を豊かに積み重ねて、この部門では現代有数の存在となった感がある。現在はオランダに家庭を持ち、∃ーロッパを中心に多忙なスケジュールをこなしているために、日本での活動のチャンスが少ないのははなはだ残念なことであるが、いずれにせよ彼女が、日本が世界に誇り得る数少ない本物の演奏家の一人であることは疑う余地がない。彼女は先ごろオープンしたお茶の水のカザルス・ホールの音楽顧問に就任したようだが、それも含めて、今後とも日本の室内楽の発展のために力を尽してくれることを、室内楽を心から愛する一人として強く願わずにはいられない。
 今井信子はこのディスクの3曲を、すでにだいぶ前になるがレコーディングしたことがあった。それらは非常にすぐれた演奏で、筆者などは繰り返し愛聴したものだ。しかし今回の新盤は、彼女の成長を思えば当然と言うべきなのかも知れないが、またいちだんとすばらしい。ことにブラームスの2曲は、ヴィオラ版特有の味わいを再認識させる見事な演奏である。ヴィオラ固有の甘い音色の魅力が、まるでその豊かな響きからしたたり落ちるようだ。旧盤とくらべて、音が格段にきめこまかく練り上げられているのは、決して録音技術の進歩や会場のアクースティクスの違いばかりではない。それは彼女のボウイング術の向上と、それにもまして音楽性の深まり、ヴィオラという楽器へのいっそう強まった執着を物語るものに相違ないのである。
   【大木正純】       (出典 ライナー・ノート)

3 今井信子/ヴィニョールス ブラームス/ヴィオラ・ソナタ第1番、2番、他[CD/日本フオノグラム(シャンドス) DMS4]
 今井信子が優秀なヴィオラ奏者であることは、ずっと前から、みんな知っている。それは、彼女がずっと前、桐朋学園の生徒だったころから、関係者の間には、ひろく知れわたっていたことだし、学校を出て、ヨーロッパにさらに勉強を続けにいったあと、何年かしたところで、こんどはコンクールに入賞したとか優勝したとかいった事実でも裏書きされていた。
 それに、もちろん、彼女は時折り日本に帰ってきて、演奏する。それをきいても、ただ良い音楽をきく喜びが味わえるだけでなく、音楽家として堅実にのびている彼女の姿に接するという頼もしさを覚える楽しさが加わっていたのだった。
 最近私は、今井信子がヴィニョールスというピアニストといっしょにブラームスの最晩年の作品である作品120の二曲のヴィオラとピアノのためのソナタを両方ともひいたCDをきいたのだが、これも本当にすばらしい演奏だった。
 このごろは、日本からもすぐれた演奏家がつぎつぎ出てくるようになったのは、いまさら書くまでもないけれど、このプラームスのヴィオラ・ソナタのCDのようなものをきくと、やっぱり驚かずにいられない。
 驚きといってよいかどうか知らないが、ここには、本当に成熟した音楽家の演奏があるのである。若々しい演奏、さきが楽しみな演奏というのは、日本の音楽家でこれまでもなかったわけではない。それどころか、このごろは、活発でにぎやかな演奏、才気にとんだおもしろい演奏もきかれるようになった。日本人らしい繊細な神経の行き届いた演奏さえ、時には、きかれることもある。

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 けれども、今度の今井信子のブラームスは、いってみれば、生きる上での経験も充分に積み、しかも、働きざかりの活力を充分に具えた人の人間の年輪の厚みを感じさせる演奏になっているのである。技術がうまいだけでなく、音楽性の成熟も合わせて、にじみ出てくるような演奏である。
 ブラームスの作品120のソナタ二曲は、周知のように、この大作曲家最晩年の創作である。多楽章のソナタという形のものは、たしか、これが最後となったはずだ。このあと、ブラームスの手からはピアノ独奏用の小品が発表されただけだった。それらは、みんな人生の黄昏に立った人間の精神を反映した、いかにも老成、老熟の結実としての音楽である。この二曲のソナタも、それに劣らぬ渋い味わいをもつ音楽になっている。それにブラームスは最初この曲をクラリネットとピアノのためのソナタとして書いたのだが、出版の時だったか、あるいはその前友人にすすめられてのことだったか、忘れたが、ヴィオラでも演奏できるようにしたのだった。こういう生い立ちのせいで、この一対のソナタは、枯れた音色でひかれたって不思議ではない。
 しかし、今井信子の演奏は、そういった枯淡の境地に入った人のそれではない。そうではなくて、さきにいったように、むしろ働きざかりの、いわば人生という峠の頂点に向って、どんどん迫って来つつある人の演奏というにふさわしい。音色のとり方、リズムとダイナミズムの扱い、旋律の歌わせ方、レガートと、スタッカートその他の軽く弾力にとんだ弓の扱いとの対比、こういったすべてにおける「音感」の充実、それを内から支えるしっとりした情感の流れ、それを外側できっちり統御している形式感、構成感、こういったものが安定したバランスを保った演奏になっているのである。
 その意味では、音楽をつくる上での、いろいろな要素の中で、どれが特別強く出ているとか、どこに特徴があるとか、ちょっと言いにくい演奏だということもできよう。
 だが、それでいいのだ。それに彼女はそれぞれの曲のもつ性格は充分にひきわけているのだから。
 CDでは、この二曲のソナタの中、作品120の2の変ホ長調がさきに出ているが、この曲は最初がアレグロ・アマービレ、つぎがアレグロ・アパッショナータのソナタ形式、そうして三番目にくる終楽章がアンダンテ・コン・モートの変奏曲という具合にできていて、劇的な部分はあっても、全体としては、むしろ抒情的な味わいが優先する音楽である。そういう時、彼女は最初の「甘美な旋律」による主題を、たっぷりときれいにひいて、出発しながら、第二楽章にかけて次第にもり上り、急迫するように構成してゆく。
 これに対し、作品120の1のへ短調の曲の方はアレグロ・アパッショナータの第一楽章とアンダンテ・ウン・ポコ・アダージョの第二楽章がへ短調だが、第三楽章アレグレット・グラチオーソの、ややメヌエット風の擬古典主義的な匂いのする音楽は変イ長調に移り、そうして終楽章のヴィヴアーチェはへ長調で、暗く渋く出発した全曲を明るい解決で結ぶように書かれている。こういう音楽の流れを彼女は、本当にうまくひく。自然な気持の流れと周到な知的な用意とが、ちっともわざとらしくなく、かといって、ただ感情に流されるというのでもなく、音楽を誘導してゆくのである。

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 老境に達したブラームスが、小品でなく、もう一度、こういった大規模な設計にもとづく多楽章の音楽を書き上げる決心をした時、いや、書いている最中、もしかしたら、自分の心の疲労を感じて、筆をとめて、このさきをまだ書き続けるかどうか、思いあぐんだ瞬間があったのではないか。この二曲のソナタ−特に第一番へ短調をきいている時(クラリネットの演奏であれ、ヴィオラの演奏であれ)、−ふっと、そんな思いが影のように走ってゆくことがある。
 だが、今井信子の演奏からは、そういう疲労感は感じとれない。むしろ、音楽は堅実に前進し、確実にその目標に達する。これはこれで良いのだろう。私が時に感ずることがあるようなものを出すのは、まだ、もっとずっとさきになってからでいいのだと思う。それに、私が感じるという「影」のようなものは、実は、この音楽の中にあるのでなくて、これをきいている私自身の中にあるものの投影でしかないかもしれないのだ。
 まして、作品120の2の方で、第一楽章があの甘美な旋律で始まるのをきいていると、ブラームスという人は、幾つになっても、このロマンチックな憧れにみちた甘い歌を、心の中にもち続けてはいたのだな、と思わないわけにいかない。ただし、この旋律は、甘く始まるが、それだけで終るというのでなく、だんだんにこまかなリズムに分化してゆき、最後に第10小節で16分音符の分散和音で下から上に、一気に三オクターヴ近く駆け上っていった末、一段落する。胸にたまっていた想いが、ある時抑えがたくなり、何度か出たり入ったり、往ったり戻ったりしながら、ついに、一気に流れ出したとでもいったように。

 この主題をひく時、私だったら、どう表情をつけるか、どうやってリズムを速めながら、音楽をクレッシエンドしてゆくか。私は何度も考え、何度もやり直しながら、つくってゆくだろう。
 今井信子も、もちろん、そうしたに違いない。だが、その結果、最後に彼女が採用したもの−つまり、私たちがこのCDできくもの−は、さっきから私がくりかえし書いてきたように、本当に申し分のないバランスのとれた表情の歌である。付点音符はちゃんとその長さをとって、たっぷりきかせ、アクセントをしっかりつけ、しかもくりかえすたびに、だんだん音楽が高まる。九小節で三連符の連続に入る前、いったん、小さくテンポをゆるめておいて、さらにpiu pをしっかりつけて、三連符の連鎖をひく。そうして、つぎのドルチェは、むしろ、あんまり気ばらずに、自然に流しておいて、最高音のCからBにおちつく時、リタルダンドする。
 このあとも、このリタルダンドは、何回かくりかえされるのだが、そのたび、彼女は2度の下降にていねいに表情をつける。

 そうして、ここで、ピアノに三小節主導権を渡しておいて、再び、主題の旋律の頭の音型をとり戻しながら、さきに進む。
 サラッとしているようで、やるべきことは充分にやっている。たっぷりヴィブラートを加え、ポルタメントをつけてひいているのだが、決して、行きすぎない。

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 私はこのていねいで、しかも局部的なものに拘泥せずバランスのよくとれたひき方に好感をもつ。
 私は、かりにもし、自分も楽器がひけたとしたら、ここで、もっといろんなことがやりたくなるかもしれない。それは、老年になって、人生の中で−「いつも」とはいえないが−「この時刻は、もう二度とくりかえされないのだな」と気がつくと、簡単に手放したくなくなることが、次第に多くなるようなものではないかと想像する。老人の感傷というべきものである。人はよく、若い時は情感がありあまるほどあるので、感傷的になりやすい、しかし、老年になると、心の中が渇いてしまい、感情の動きも鈍化してくる結果、感傷とは反対の、枯れた、油気のないものになると考えている。多分、そこにも真実があるのだろう。このふしだけとっても、すでに、疲労のあとがみられるという人だっているかもしれない。だが、老人になるにつれ、たとえみずみずしさが消えてしまっていても、まだ、感傷は残るということもあるのである。いや、「人生よ、お前は美しかった。そんなに駆け足ですぎていかないで、少しでいいから、立ちどまっていてはくれまいか」と言いたくなるのは、老人になってからの方が痛切なのだと考えてもいいのではないか。
 ブラームスのこのヴィオラ・ソナタの第二番の出だしのふしが、どういうものか。
 それを考えとり、音楽にしっかり生かすのが演奏というものだ。そうして、これまで長々と書いてきたように、今井信子は、彼女のたっぷりと美しいヴィオラの音でもって、この歌を、かくも見事にひくのである。

 同じCDには、ブラームスの二曲の中間に、シューマンの作品113の《Marchenbilder》(おとぎ話の絵)がはさまっている。これも、ほかに類の少ない佳作である。いや、晩年のシューマンにしか書けない曲だというべきだろう。ことに最後の(おそく、憂鬱な表情をもって)という小品は『子供の情景』の中の《トロイメライ》のもつ、あの簡素な外見と、簡単に要約できない心情の複雑との不思議な熔合にくらべたくなるようなところがある。この曲の演奏もとても良い。簡単なふしを少しずつ変えながらくりかえしひくのをききながら、今井という人のヴィオラのもつ多彩な表情と音色の変化をたっぷり楽しむこともできる。そうして、ここにも、心の昂揚と、言うに言われぬ疲労感が一体になっているのに、彼女の演奏は、それを消極的なものとしてでなく、むしろ、人生のたっぷりした味わいとして感じさす。
 このCDはシャンドスという商標のものだが、近年はこういった、いわゆるマイナー・マークの商品にもすぐれた演奏がきかれるものが少なくないのはうれしいことだ。
[出典 吉田秀和著 「今日の演奏と演奏家」音楽の友社]

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[Last Updated 11/30/2001]