11 処女航海/ハービー・ハンコック


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  目 次

1 タイトル、曲名、演奏者
 CDのタイトルと収録された曲をご紹介します。
2 CDの紹介
 ライナーノートに載っている、ハービー・ハンコックを始とする演奏者と、曲についての紹介です。
3 CDの聴き方
 「ジャズ完全入門 !」に載っている内容で、このCDの聴き方が判ります。

1 タイトルと曲名
MAIDEN VOYAGE/HERBIE HANCOCK
処女航海/ハービー・ハンコック

1. MAlDEN VOYAGE (Herbie Hancock)
処女航海 7:56

2. THE EYE OF THE HURRICANE(Hancock)
ジ・アイ・オフ・ザ・ハリケ一ン 5:56

3. LITTLE ONE(Hancock)
リトル・ワン 8:48

4. SURVIVAL OF THE FITTEST(Hancock)
サヴァイヴァル・オブ・ザ・フィッテスト 10:05

5. DOLPHlN DANCE(Hancock)
ドルフイン・ダンス 9:18

フレディ・ハバード(tp) ジョージ・コールマン(ts) ハービー・ハンコック(p) ロン・カーター(b) トニー・ウィリアムス(ds)
● l965年5月l7日録音

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2 CDの紹介

 海はしばしばさまざまな芸術領域に関わる想像力を喚起する。海と海に生命のエッセンスを注ぐ水生生物の周囲には未だ神秘の要素が存在する。アトランティス、サルガッソー海、巨大海蛇、人魚などは人間が海での経験から生み出した数多くの伝説的神秘の一つである。
 この音楽は海の広大さと威厳、処女航海で海をゆく船の壮麗、楽しげなイルカの優雅な美しさ、小さな海の生物までが必死で生きている様、嵐の他を畏怖せしめる破壊力、海の男の敵を描こうともくろんだものだ。
        ハービー・ハンコツク

処女航海

夜明け前、水面は澄み静かだ。波の小さな動きは非常にリズミカルでそれ自体が静謐である。鳥たちは沈黙し、海岸は空のように虚ろである。ただ何匹かのカニだけが岩場の周りをつつき自分たちより小さな餌を探している。

最初の曙光がわずかに水平線に現れ、深く黒い水をほのかに染める。かすかな風が波頭を立たせ、泡の舌が波を白く包む。ゆっくりと砂は息を吹き返し、星の瞬く夜の暗さは光輝く白昼の先触れであるかすかな黄色の光に変わっていく。

騒がしい世界が静寂に包まれる虚ろな時間。半分埋まったビールの缶がこぼれる光に弱々しく光っている。昼が広がるにつれ、徐々に海岸の全景が見えてくる。広く静かだが、廃棄された人間性の残滓が、その砂漠の純粋さを脅かしている。金属製のごみ箱が視界のはしまで点々と並び、忘れ去られた墓石のように、奇妙で無意味に見える。

一艘の船、おそらく処女航海なのだろう。マストを空に向かって突き立て、水平線近くに停泊している。やがて弧を描く水平線の向こうに帆が沈み視界から消える。昇ってきた陽に砂はきらめいているが、やがてすぐに、海は人々であふれる海岸を洗うことになるのだろう。狂ったレミングが突進するように、都会から群衆が押し寄せるにつれ、広大で秘められた静けさは失われてしまうだろう。

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だが、陸が降伏しても、海は依然と平静で変わらない。人々が蛮勇を奮って陸の端から浅場に飛び込み、塩の味を味わい、海の神秘の片鱗に触れ身震いするのだ。海の広大さは闇の中に秘められている。沈黙と美と流麗な優雅さを秘めた神秘の世界である。深みからゆっくりと遊泳するウミガメからすばやい動きの楽しげなイルカにいたるまで、彼らは、海の王国の道化とインテリであるが、全ての海の生物は常に追いつ追われつしているのだ。

私たちにとっては遊び場で、平和のシンボルである海も、そこに住む生物にとっては、水のジャングルである。すばやい生と、さらにすばやい死の世界。その沈黙の仮面の下には危険が牙をむいている。海の凶暴な王であるシャチがゆっくりと遊泳し、血と闘争を求めている。イソギンチャクは美しく危険な触手をなびかせ、小さな魚をおびき寄せては毒殺する。陸と同じように、海も小さく弱いものはすばやく賢明に隠れなければならない。弱肉強食の世界なのだ。強いものは自分より弱く自らを守る手だてのないものを捕食する。厳しい適者生存の世界である。

昔話は海の美しさと危険を語っている。暗闇に潜み、軽率なものを待ち受ける名状しがたい恐怖を、深みに隠れ、その顎の一噛みで船をまっぷたつに砕いてしまうような、大きく恐ろしい頭を持った不思議な怪物のことを伝えている。

さらに海の下に住む古代の人々が建設した不思議な都市のことも伝えている。何百年も前に一度海上に現れたが、再び跡形もなく水面下に沈んでしまった。本当は人間の都市などは海の中には存在しない、失われたアトランティスもおとぎ話にすぎない。未だ海は秘密を隠しているが、いずれそのうち、人間は海の深みに潜り、その美しさを汚し、その生物を捕らえ、野蛮な手でその玉座を奪うのだろう。                                ノラ・ケリー (訳:赤塚四朗)
                         LINERNOTES from THE ORIGINAL ALBUM

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ラスト・ナンバー「ドルフィン・ダンス」のエンディングが余韻を残して消えた瞬間、ごちそうさまでした、と頭を下げて、ふたたびオープニングに針(CDなのだから厳密には違うのだが、個人的にはこう呼びたい)を戻してしまう…名盤と呼ばれるアルバムは星の数ほどあるけれど、こんなに"おいしい"作品はめったにあるものではない。録音されたのが1965年というから、この原稿を書いている時点でもう30年以上も前のことになるのに、そのあいだジャズはいったいどこをほっつき歩いていたのだろう、といいたくなるほどこのディスクの音は新しい。「聴きなれても聴きあきない」という絶妙ないいまわしでオスカー・ピーターソンの魅力を表現したのは神田神保町にあったジャズ喫茶「響」のマスター、大木俊之助氏だが、僭越ながら僕もこのフレーズを本作に借用したい。当時のハンコックといえばいわずと知れたマイルス・デイヴィス・クインテットのピアニスト、というわけで本アルバムの顔ぶれも基本的には同グループのメンバーが中心であり、また前作『エンピリアン・アイルズ』(4175)にジョ―ジ・コールマンを加えたというだけでもある。にもかかわらず、ハンコックは海の広さと威厳をテーマに、そのどちらにも違う味わいをもつたドラマティックかつキャッチーなコンセプト・アルバムを完成させたのだった。陳腐な表現で恐縮だけれビ、本当にひとつひとつの音がキラキラと輝き、純度の高い世界を作りあげている。録音時におけるマイルス・グループでの同僚であるウェイン・ショーターではなくて、その前任にあたるコ一ルマンが起用された背景は寡聞にして知らないが、"あたりまえによくうたう''彼のスタイルが本作の成功に与えた影響は意外なほど大きいように思う。まるで鼻歌のようにさりげないタイトル・チューン冒頭のソロ、これで"名盤"という評価は永遠に約束されたのだ、と感じているのは僕だけだろうか。                 (原田和典)
   (出典 ライナー・ノート)

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3 CDの聴き方
処女航海/ハービー・ハンコック
 ジャズを音の響きで聴く。これはハード・バップしか知らなかったジャズ・ファンにとっては新しい体験だった。もちろんハード・バップ時代にも、たとえば「三管編成」といって、トランペット、テナー・サックス、トロンボーンなどがそろって演奏する部分があるアルバムがあったが、そんな「音の塊」とは違う、もっと空間的な広がりをイメージさせるサウンドが1960年代に出現した。
 そういう音楽をファンは「新主流派」などと称したが、実際彼らの演奏の雰囲気は1950年代ハード・バップとは一線を画すものだった。それを言葉に写せば、モダン、新鮮、広がりのある音、クールな感じ、ちょっと前衛的、などなど……となるのだが、これは具体的なアルバムを聴いてもらったほうが早い。このアルバムは、いわゆる新主流派サウンドの典型であると同時に、60年代ハービー・ハンコックの代表作でもある。
 ハンコックというピアニストにファンが抱いているイメージは実に多様だ。それは、頭がよく器用なハンコックがあまりにもさまざまな才能を発揮するために、時代、アルバムによってまるで音楽の印象が違うからである。しかし彼の感受性の原点は、意外とクラシック的というか、喩えてみれば、ドビュッシーの音楽が持つ、複雑なくせに空気感と広がりを感じさせるサウンドの雰囲気を、ジャズに引き写したようなところがある。だから彼の演奏は聴き手にそれまでにない斬新な気分を与えるのだ。
 違う言い方をすれば、ハード・バップ時代のジャズは煙草の煙りたなびく天井の低い地下のジャズ・クラブで鳴っているように聴こえるのだが、ハンコックの音楽は新鮮な外気の中を音がどこまでも拡散していくような清涼なイメージを与えてくれる。
 タイトル曲冒頭の、ハンコックのピアノの和音の響きがもう違う。そして、そのサウンドに乗って出てくるトランペットとテナー・サックスの解放感のある響きにも注意していただきたい。またそのすぐ後に出てくるテナー・ソロの新鮮な気分。そしてそれらの背後で鳴らされるハンコックのピアノ。こういったものすべてが、ジャズの演奏原理が変わったことを示している。
 だが、その具体的内容まではファンは知っている必要はない。というのも、ミユージシャンは、聴き手が「あ、違うな」と感じてくれればいいわけで、その理屈まで分かってもらおうと思っているわけではないからだ。ハンコックのピアノ・ソロも素晴らしい。決してバリバリと弾きまくるわけではなく、むしろ控え目なほどなのだが、わずかな音が的確に曲の雰囲気を描き切っており、テーマ、各人のソロが完璧なまでに一つの音楽に収斂しているところに注目していただきたい。
 サイドマンもまた好演しており、1970年代以降はフュージョン・トランペッターのイメージが強くなってしまったフレディ・ハパードが、緊張感があってしかも音楽の流れを的確につかんだ演奏を行なっている。サイドと言えば、実はこのアルバムはトランペッター以外の全員がマイルス・デイヴィス・コンボのサイドマンなのだ。そこから世間では新主流派とはマイルス抜きのマイルス・コンボだ、などと言われたりもしている。
 このアルバムの感覚が気に入った方には、新主流派サウンドのもう一つの特徴であるクールなヴァイブ・サウンドの持ち主、ボビー・ハッチャーソンとハービー・ハンコックが共演したアルバムを推薦しよう。ハッチャーソンがリーダーの『ハプニングス』(Blue Note)では、同じ曲である「処女航海」を演奏しているので、聴き比べてみるとおもしろい。
                                     (出典 ジャズ完全入門 !)

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[Last Updated 3/31/2002]