4 モーツァルト ピアノ協奏曲第26番二長調K.537 「戴冠式」ほか



内田光子(ピアノ)
イギリス室内管弦楽団
指揮:ジェフリー・テイト

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  目 次

1 タイトル、曲名、演奏者
 CDのタイトルと収録された曲をご紹介します。
2 CDの紹介
 ライナーノートに載っている、曲と演奏者についての紹介です。
3 内田光子とジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団
 吉田秀和氏による、このCDの演奏家についての解説です。

1 タイトル、曲名、演奏者
420 951-2 PHILIPS
モーツァルト
 ピアノ協奏曲第26番 二長調 K.537「戴冠式」
 ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595

モーツァルト1756-1791
Wolfgang Amadeus Mozart
ピアノ協奏曲第26番 二長調 K.537「戴冠式」
Piano Concerto in D, K.537 "Coronation"
(カデンツア:内田光子 Cadenzas: Mitsuko Uchida)
@ 1. Allegro   14:37
A 2. Larghetto  7:17
B 3. Allegretto 10:39

ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
Piano Concerto in B flat, K.595
C 1. Allegro   14:13
D 2. Larghetto  8:48
E 3. Allegro   9:29

内田光子(ピアノ)
MITSUKO UCHIDA, piano
イギリス室内管弦楽団
ENGLISH CHAMBER ORCHESTRA
指揮:ジェフリー・テイト
Conducted by JEFFREY TATE

Artists and repertoire production: Erik Smith, Una Marchetti
Recording producer: Wilhelm Hellweg
Balance englneers: Onno Scholze, Wilhelm Hellweg
Recording engineer, tape editor: Erdo Groot
録音:1987年6月19〜21日、ロンドン、セント・ジョンズ・チャーチ デジタル録音
TOTAL PLAYING TIME 65:03

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2 CDの紹介
春への憤れ  エリック・スミス
 1784年から、わずか3年足らずの間に、モーツァルトは12曲のピアノ協奏曲(第14番〜第25番)を書いた。そして、ウィーンの宮廷と市民たちを前に、名人芸を披露し、大成功を収めたのだった。しかしその栄光も、 1786年の12月には行きつくところを見る。それは、モーツァルトにとって、栄光の時代の終焉にほかならなかった。このあと、彼の新作が世の中を騒がせることは、ほとんどなくなる。
 唯二の例外−それは、プラハでの《ドン・ジョヴアンニ》の成功と、死を目前に書かれた《魔笛》の成功だけである。もう、予約演奏会をしようにも、人は集まってくれない。それにもかかわらず、彼は、次のピアノ協奏曲、第26番二長調K.537の作曲に着手した。曲の"大部分"は翌1787年に書きあげられた(使われた紙の種類から年代が判る)。しかし、この作品は、その後1788年2月になるまで、最後の仕上げの筆を加えられることがなかった。しかも、その筆が加えられた時でさえ、モーツァルトは、けっして上演の見通しを立てていたのではないらしい。この曲が初めて−それも突然−演奏のチャンスをつかんだのは、1789年4月のことだった。それは、ベルリンヘの旅行の途上、ドレスデンの宮廷でのことである。また、アンドレ社版の楽譜の記載によると、モーツァルトはこの協奏曲を、1790年10月、フランクフルトで、皇帝レーオポルトU世戴冠の祝典の期間中に演奏した、ということである。
 様式的には、この協奏曲第26番は、以前の協奏曲第11番〜13番(K.413〜415,1783年)あたりのスタイルに逆もどりしている。木管楽器が、アド・リビトゥム(任意)に加えられるべき、補強声部になってしまっているのである。それなくしては曲が成り立たない、重要パートなのではない。モーツァルト円熟期の代表的協奏曲にみられるような、華やか、かつ技巧的な木管パートは、高い技術で定評あるウィーンの演奏家たちを念頭に書かれたものである。しかるに、協奏曲第26番にそうした技巧的なパートがないとなると、この曲は、どこか旅先で演奏するためのものだった、ということなのだろうか。しかし、協奏曲第11番〜13番と協奏曲第26番とでは、根本的な違いがある。前者は、アマチュア向けに出版・販売することを目的に作曲されたもので、"オーケストラあるいは弦楽四重奏"のいずれでも演奏可能である。それに対して、協奏曲第26番は、明らかにモーツァルト自身が演奏することを前提に書かれており、しかも、きっと大急ぎで書いたのだろう、自筆譜の左手パートが不完全で、対位法的でない伴奏音型的な箇所では、ほとんど音符が省略され、書かれていない。アンドレ社版が出版されたときに誰かが補筆した左手パートが今日では一般に受け入れられているが、内田光子は、適宜それを変えて演奏している。この協奏曲はたしかに美しい。しかし、うわべだけのメロディや、画一的な動きのパッセージが散見されるのも事実である。この曲は、前後に珠玉の名作が揃った、彼の一連の協奏曲の中におかれてこそ、輝きをもつ作品なのである。
 いっぽう、ピアノ協奏曲第27番変口長調K.595に対しては、誰もが特別な愛着を感じてきた。それが、彼の最後の協奏曲であることも、その一因である。しかしそれだけではない。この曲は、1小節1小節、モーツァル卜の深い想いがこめられ、作曲されている。
 そのハーモニーは豊潤、その対位法は見事な綾を織りあげる。モーツァルトは、この曲を、 1791年1月5日に完成し、 3月4日にクラリネット奏者ヨーゼフ・ベール主催の音楽会で演奏した。これは、モーツァルトが公衆の前に姿を見せる、最後の演奏会となった。ただひとつ、ひじょうに意外なことが、自筆譜の紙を調べることによって判明する。この協奏曲も、初演から遡ってかなり以前、1788年頃にはすでに書かれていたのである(ただしフィナーレの後半は別)。それはちょうど最後の三大交響曲が書かれた頃だった(この交響曲も、ピアノ協奏曲と同じく、予約演奏会用だったのだろう……予約は集まらず、結局演奏会が開かれることはなかったが……)。また、《コシ・ファン・トウツテ》が書かれたのとも同じ頃である(ドラベッラの歌う"恋はくせものE amore un ladronceIlo"の主題がピアノ協奏曲のフィナーレにも現れる)。この協奏曲には、どことなく秋の気配が感じられる。人生の黄昏どきに書かれた作品となればなおのことである。だが、思い起していただきたい。この協奏曲の次に書かれた曲が何であったか。 K.596、それは、ピアノ協奏曲第27番のロンド主題にもよく似た、可憐な歌曲、《春への憧れ》である。 「帰ってきておくれ、うるわしの五月よ、そして木々のこずえを、萌える緑にもどしておくれ‥‥‥」。やはり、この協奏曲は、翳りばかりの作品ではない。
モーツァルトは、最後まで、春のような瑞々(みずみず)しさと、若々しさを忘れることのない作曲家だったのだ。なお、第27番(K.595)で演奏されるカデンツァはモーツァルト自身によるもの、第26番(K.537)のカデンツアは内田光子によるものである。
  [訳:秋岡陽]

内田光子
熱海で生まれる。外交官であった父の赴任先であるウィーンで、ウィーン音楽大学のハウザー教授に師事。
1963年 ウィーンのブラームス・ザールで初のリサイタル。
1966年 ミュンヘン国際コンクール第2位。
1969年 第3回ウィーン・ベートーヴェン国際コンクール第1位。
1970年 ショパン・コンクール第2位(邦人としては現在も最高位)。
1973年 クララ・ハスキル・コンクール第2位。
1975年 リーズ国際コンクール第2位。レーペントリット・コンクール第2位。
1982年 3月〜4月 東京文化会館で4夜に渡る"モーツァルト/ピアノ・ソナタ連続演奏会を行い高い評価を得る。
引き続き5月18日〜6月15日の毎週火曜日、今度はロンドンのウィグモア・ホールで5夜にわたり、 "モーツァルト/ピアノ・ソナタ連続演奏会"を開いた。ファイナンシャル・タイムズ、ザ・タイムズなど日頃手厳しい各紙が絶賛、 "ウチダの火曜日"とロンドンの楽壇の話題をさらった。
この成功がきっかけで、10月フィリップス・クラシックスと専属契約を結ぶ。
1984年 モーツァルト/ピアノ・ソナタ・シリーズの発売開始。(全集は1988年に完成=CD : 30CD-3172〜7)
第1弾"トルコ行進曲ほか"に対して"エジソン賞"が与えられる。
またわが国でも、音楽之友社主催「レコード・アカデミー賞」で、器楽曲、日本人演奏の両部門において、ダブル受賞。
1985年10月〜1986年5月クイーン・エリザベス・ホールでの10回にわたるモーツァルト/ピアノ協奏曲シリーズは内田光子が指揮者も兼ねた"弾き振り"だったこともあり、大きな話題となる。
1985年 モーツァルト/ピアノ協奉曲全曲(フィリップス)録音開始。ジェフリー・テイト指揮イギリ室内管弦楽団との共演。 1991年完成予定(全11枚)。
1986年、 1987年2月ロンドンについで東京でモーツァルト/ピアノ協奏曲連続演奏会10回開催。この活動に対し、1987年度サントリー音楽賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。
近年、欧米での演奏活動は、ますます活発になってきており、ベルリン・フィル、ボストン交響楽団との共演のほか、シェーンベルク、シューベルト、ショパンなどのプログラムで、ニューヨークほか、各地で絶賛を博す。

ジェフリー・テイトとイギリス室内管弦楽団
 ジェフリー・テイトは1943年イギリスのソールズベリーに生まれた。ケンブリッジ大学で医学を学び終えた後、彼の天職は音楽であると決意、プレーズ、カラヤン、レヴァイン、ショルティ等の指揮者と仕事をしていった。
1978年エーテボリにおいてビゼーの「カルメン」でオペラ指揮者としてデビュー。メトロポリタン・オペラにはベルクの「ルル」でデビューし大成功をおさめる。それ以来彼はメトロポリタンのレギュラー指揮者となっている。 1983年ジェフリー・テイトは初めてイギリス室内管弦楽団を指揮したが、これが彼とこのオーケストラの実り多き関係の始まりとなった。
 イギリス室内管弦楽団は主として18世紀音楽を演奏するために、ロンドンの優れた演奏家が集まって、楽員たちが全てに責任を持つ自主運営楽団として設立された。常任指揮者は置かない方針で運営されてきたが、 1985年創立以来26年にして初めて首席指揮者として迎えたのが今や世界で最も注目されているジェフリー・テイトである。

 テイトはこの楽団について「メンバーの一人一人が音楽に対して考えと情感を持ち、自分の音色を作り出しています。殊に木管の奏者はすばらしく、誰が演奏しているのかすぐにわかるほど、自分の音楽を持っています。
極めて個性のあるオーケストラですからモーツァルトのような個性ある音楽が合います。どのオーケストラが演奏しているのか直ぐわかるということは大事なことです」と語っている。
 (出典 ライナー・ノート)

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3 内田光子とジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団
内田光子/指揮:ジェフリー・テイト−イギリス室内管弦楽団
モーツァルト/ピアノ協奏曲第26番『戴冠式』、27番
CD/フィリップス 28CD3195
LP/同      20PC3195
 このごろ、日本の演奏家のひいたCDで、私の気を惹くようなものが、つぎつぎと出てくる。私の気のせいだろうか。いや、そんなことはない。とうとう、日本にも、いろいろなタイプの音楽家で、おもしろい演奏をするのが、少しずつだが、出てくるようになったのだ。そのうちには、名人と呼ばれるような人も、出てくるかもしれない。
 そういった日本人の中で、内田光子がモーツァルトの協奏曲第26、27番を入れた盤をきいたので、今月は、これをとり上げる。
 これは、日本のピアニストがどうだこうだという以上に、単純に、そのものずばり、傑出した演奏になっている。
 全体として、申し分ないテンポで始まり、終る。音の一つ一つもきれいだが、それよりもっと快いのは、全体の流れの見事さである。楽々とひかれていて、しかも、きちんとめりはりがあり、空虚にひき流されたところがない。よく考えた末のことだからだ、ともいえようが、私はむしろ「表現の仕方は楽々と無理がないが、表現の内容は充実している」といいたい。こういえば、モーツァルトの音楽そのものみたいだが、そうなったのも、このひき方がひき手の内部にしっかり根を下したものだからだろう。
 注意してほしいが、私は何も「完成した演奏」と呼ぶのではない。そうではない。しかし、これはこれで、ピアニストだけでなく、この演奏に加わった音楽家たちにとって、自分にとって最高の演奏をするのに成功したという手ごたえを与える(この盤で、管弦楽を受けもっているのはイギリス室内管弦楽団で、ジェフリー・ティトが指揮している)。
 いうまでもなく、イギリス室内管弦楽団はベルリン・フィルやウィーン・フィルみたいな完成した合奏団ではない。むしろ、各人がそれぞれ腕達者な職人の集まりといった傾向が強い。だが、それがここではぴったりの特性を発揮する。その上にテイトがすごく良い。この演奏は、この指揮者と楽員たちなしには、あり得なかった名演である。
 音のとり方のせいか、ここでのオケは、どちらかというと高音域とバスとが耳につくようになっている。内声が聞えないのではないが、比較的控え目におさえられた演奏になっている。そうして、そのスタイルは、また、ピアノのそれでもあって、独奏者は、ソプラノ声部でまるで鳥のように囀ったり、自在にとんだり、あるいは、秋の夜の虫のように表情にみちた歌を歌ったり、それから−人間以外のほかの生物にどうやって類(たぐ)えたらいいか、ちょつとわからないような、秘めやかな苦しみと嘆きと、それから喜びの調べをかなでる。

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 こういうアナロジーは、私たち音楽文筆業者はとかくよく使うけれど、本当は誤解を招きやすいから軽率にやってはならないものだ。それは私も心得ているつもりだが、ここでのピアニストは、ただピアノをひいて、音を出している、美しく磨かれた響きを連ねているという以上の「何か」をやっているのは、どうしたって、きくものの耳から逃れることのできないものになっている。それくらい、モーツァルトの音楽は、このまれにみる表現的な演奏を身につけた女性の「心と肉体の最も深い内部」にまで、自分のものとしてとり入れられ、とけこまされたものになりきっているのである。彼女がひくのは、だから、モーツァルトの音楽であるというより、自分の歌なのだ。私がいうのは、そういう意味である。
 しかし、それは何も、彼女がモーツァルトに不忠実だということでは全然ない。ただ、彼女は、自分の感動に忠実に、時にはもう意識のコントロールを忘れたみたいになって、感興の赴くがままにひいている。それでいて、結局、モーツァルトになっている。何かの意欲が最初にあって、それを実現しょうと努力した結果、到達した状態というのとは、ちょつとちがうのである。
 ところで、途中で脱線した形になってしまったが、以上のように、ここの演奏では、オケもピアノもソプラノに重点がある一方で、バスは急所急所で、まるで水面下に潜っていたものが、時に応じて、急に水面上に顔を出してみせるかのような、心憎いばかりの巧妙さ−というか、何というか−で、きこえてくる。そういう場合、ある時はオケのバスが、ある時は独奏楽器のバスが、呼応しあうように、交代で歌うのをきく楽しさといったらない。
 そうでなくとも、オケとソロとが、これほどよく呼吸を合わせて、「モーツァルトをきかせている」のをきくのは、めったにないことである。お互いが相手のやり方を、呼吸を、完全に知りあっているというだけでなく、「こういう時はこうやるな」という手の内まですっかり知り、かつ、高く評価しあっているからこそ、生れてくる成果だろう。
 内田のピアノも見事であるが、オケの方も、時に堂々と、時にデリケートに、時に陽気に歌ってみたり、時に神妙な顔をしながら呟いてみたりしながら、演奏してけるのをきいていると、実に楽しくなる。私も、みんなの邪魔をしないよう小さくなっているから、どっかの楽器のいちばん隅に仲間入りさせてくれないかしら? と思ってしまう。
 内田という人は、ソロのソナタをひくのをきいていると−といっても、それはもう十年ぐらい前のことになるような気がする−何がどうなろうと、平板で退屈なピアノだけはひくまいと固く決心しているみたいで、あれこれ、実に緻密に考え、思いがけないようなものを工夫してきかせるといったところがあった。それをきいていて、私は、時々、少し煩わしい気になった。
「この人は、どうして、モーツァルトをこんなにいじりたがるのだろう? こんなにこまかいところまで表情をつけたり、強弱の対照を出したりしないと退屈になると思っているのかしら? ずいぶん、頭のよさそうな人なのに、いや、そういう人だから、かえって、いろいろいじらないと心配になるのかな」などと思っていたものである。

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 こんどのピアノ協奏曲をきいてみても、無表情にあっさりひき流してしまうところは、少しもない。その点は、相変らずだ。ただ、それでいて、これが外から考えて、音楽に変化をつけているというのでなくて、彼女が心から感じ、これはこうあってほしいと考えた、そのままが、歌になり、爽やかな音のおしゃべりになり、神妙な語りになるという具合になってきた。
 彼女の武器の一つは、強弱の対照のおもしろさだ。強くひいたあとで、同じパッセージを、つぎは弱くひく。これは前々からそうだったし、今度も、それがある。それにもかかわらず、今度のは、彼女の望み通りがひけてるというより、完全に、音楽になりきっている。音楽の論理と心情が、ぴったり一つにとけあった結果の強弱のコントラストになっている。
 それともう一つ。
 モーツァルトのピアノ協奏曲の第26番は、いわゆる『戴冠式』協奏曲であって、この曲では、左手は、いつものモーツァルトより、また一段とあっさり書いてある。こう、いっていいかどうか、ちょっと、躊躇するが、ともかく、右手と左手の分担の間にある違いが、いつもよりもっと大きくなっている。それが、さっきからくりかえし書いてきた、この人の右手でもって、本当に豊かな表情を思うがままに音にする抜群の能力に、特別、大きな活動の余地を与える。左手は、時に非常に重要になるけれど、概していえば、音階とか分散和音とかアルベルティ・バスとか、そういった、あんまり特性的でない書かれ方をしたもので、右手を応援したり、右手に応じたりする役割で、自足している趣きがある。そういうのをひいて、彼女は、独奏曲なら、もう少し工夫して何かやる欲求を感じるかもしれないのに、ここでは、あんまりその必要を感ぜずにすむ。というのも、ここでは、彼女のほかにオーケストラがいるからである。そのオーケストラがすごく「音楽的に」、独奏曲だったら内声とか左手とかで埋める部分を、豊かな音の流れでもって、きかせてくれるのである。だから、彼女は安心して、左手で遊んで−というと語弊があるけれど−いられる。気のせいか、左手が楽々と、のびのびとひいている状態が、何となく、目に浮かぶようだ。
 といっても、バスは別である。これも前に書いたが、バスは、オケと呼応したり、交代したりしながら、単純な終止形様式の低音を鳴らしたり、何かする。それが、また、何ともいえず、きれいな、自然な、しかも充分意味をもった鳴り方として、きこえてくるのである。
 もう一曲、第27番の方は、いわずと知れたモーツァルトの最後の協奏曲である。この曲は、開始の時からもう、前者とは違った音楽の風景を展開する。
 これが、テイトと内田の打合せの時、どう言葉で語られたか、私は知らない。だが、この出来上ったCDできくと、両者は共に、この曲の中に実にきびしく、そうして淋しいものが流れ出す。あの協奏曲の天才がこれをもって、この分野との最後の−そうして永遠の−別れをつげることになった音楽といった気持が、しみじみとした音の響きとなって流れてくるのである。

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 こう書くと、センチメンタルになる。演奏それ自体は、ちっとも感傷的ではないのである。しかし、ここでは、第一、第二楽章はいうに及ばず、歌曲『春への憧れ』と共通する主題をもった最終楽章のあの出だしでさえ、私たちがききなれた、弾むような喜びの光りはあんまり感じられない。
 私としては、この終楽章の出だしは、何十年も前、ルドルフ・ゼルキンが、まるで椅子から半分とび上るようにしてひいた、八分の六拍子の躍動感に支えられた演奏をきいて以来、どうしても、それ以上の感動を覚えたことがない。もしかしたら、年をとった今の私は、ほかに求める力を失ってしまったのかもしれない。だから、内田の弾き方が、それと違うといっても、いまさら、失望することもなければ、まして、これがいけないなどとは全く考えない。ただ、彼女−とティト−の演奏は、このK595の協奏曲を、始めから終りまで一貫して、「一つの大きなものの終りの始まりとして把えているのだな」と考えるだけである。これは、ほとんど、悲劇的といってもいいくらい、壮大な様式美に、到達しているひき方である。
 こういったものに対し、彼女が、『戴冠式』でも第27番でも、中間の緩徐楽章でみせている、こまかな即興的な装飾のつけ方は、私を喜ばせ、ほほ笑みを誘う。今から20年か、30年前になるだろう。かつて、フリードリヒ・グルダが始めて以来−その時は散々批判され、非難されたが−いろんな人たちがやり出し、今ではやらない人の方が少くなったくらいだが、内田のも、その中にあって、なかなか楽しくきかれる。自発的で、彼女自身が本当にそうやりたくてやっているという気持がよく出たひき方になっているからである。この楽しい遊びは緩徐楽章だけでなく、速い楽章にも、もちろん、たまにではあるが、出てくるが、それもよかった。もっとも、『戴冠式』のラルゲットでの即興的装飾では、これまできいたものでいうと、ペライアのそれが、私にはいちばん気にいっている。というより、ここでも私は、一度きいて以来、それが耳にしみこんでしまっていて、ちょっと困るほどなのだ。このほか、『戴冠式』では、カデンツァの全体が内田光子の自作のものだそうである。
 くりかえすが、ここでのテイトの指揮は本当に良い。錦上華を添えるとは正にこのことだろう。ソリストと気があっているという以上に、ぴったりであり、単に内声を埋めるといった狭い技術的な意味を超えて、演奏の全体をより充実したものにしているのである。テイトでは、いつか、−たしか別のオケだったと思うが−シューベルトのハ長調第九交響曲のCDをきいたことがあるが、それはこれが同じ人かと、ちょつと信じられないくらい、空虚な感じの演奏だった。あれは何が原因だったのかしら。むらのある人か。いずれにせよ、ここでの彼はすばらしい。よかつた。
[出典 吉田秀和著 「今日の演奏と演奏家」音楽の友社]

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[Last Updated 10/31/2001]