1 ドボルザーク 弦楽四重奏曲「アメリカ」ほか



ジュリアード弦楽四重奏団

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  目 次

1 タイトル、曲名、演奏者
 CDのタイトルと収録された曲をご紹介します。
2 CDの紹介
 ライナーノートに載っている、曲についての紹介です。
3 ジュリアード弦楽四重奏団
 吉田秀和氏による、このCDの演奏家についての解説です。

1 タイトルと曲名
30DC 716(STEREO) CBS SONY
ドヴォルザーク
弦楽四重奏曲第6番へ長調作品96 「アメリカ」
    1 第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロツポ・・・・・・・・・・・・・・・(7:13)
    2 第2楽章 レント・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(7:20)
    3 第3楽章 モルト・ヴィヴアーチェ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(3:47)
    4 第4楽章 ヴィヴアーチェ・マ・ノン・トロツポ・・・・・・・・・・・(5:31)

スメタナ
弦楽四重奏曲第1番ホ短調 「わが生涯より」
    5 第1楽章 アレグロ・ヴィヴォ・アパッショナート ・・・・・・・・(8:01)
    6 第2楽章 アレグロ・モデラート・アラ・ポルカ・・・・・・・・・・(5:36)
    7 第3楽章 ラールド・ソステヌート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(9:25)
    8 第4楽章 ヴィヴアーチェ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(6:18)

ジュリアード弦楽四重奏団
 ロバート・マン&アール・カーリス(ヴァイオリン)
 ラフェエル・ヒリヤー(ヴィオラ) クラウス・アダム(チェロ)

RECORDING DATA
 Produced by Richard Killough, Engineer:Fred Plaut & Raymond Woore
 DVORAK:Recorded at New York on Dec. 14, 15/1967
 SMETANA:Recordedat New York on Jan. 4, 5, 18, 19/1968

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2 CDの紹介

●ドヴォルザーク
弦楽四重奏曲第6番「アメリカ」
 ドヴォルザーク(1824-1884)がこの有名な四重奏曲を書いたのは、周知のように、ニューヨークに音楽学校長として赴任していた時期である。この直前に書かれた交響曲「新世界より」、この直後に書かれた弦楽五重奏曲変ホ長調などともに、独特な性格をもったものてある。これは、アメリカ合衆国における音楽体験が反映したものだといわれる。そして、ある程度は、アメリカ・インディアンや黒人の音楽との関連を示すものがある。しかし、それよりももっと強いのは、自国の民俗音楽なのである。アメリカにおける経験がかえって、民俗的なものを明確にしたともいえるであろう。
 たとえば、 5音音階の使用は、他の時期の作品でもある程度はみられる。しかし、アメリカ時代のものでは、その使用が組織的でもある。附点や逆附点の音形、あるいはシンコペーションは、アメリカ的としばしばいわれる。しかし、同じ程度にチェコ的ということも可能てあろう。持続低音や空虚5度の強調も、民俗的な要素である。もっとも、この「アメリカ」四重奏曲は、民俗性のためにすぐれているのではない。 4人のための室内楽にふさわしい各声部の独立が、こうした時代様式の中では実に見事に活かされていることも見逃してはなるまい。また、音量変化の方法が、彼の交響曲の場合のような直接的な方法ではなく、多様なニュアンスを与えるように作られていることも大さな魅力である。
 なお、この曲が作曲されたのは、チェコからの移民の多かったアイオワ州スピルヴィルである。1893年6月の8日から10日にかけてスケッチができ、総譜の形での完成は、第1楽章が同じ月の12〜15日、第2楽章15〜17日、第3楽章20日、第4楽章が20〜23日であった。作曲者自身、速くできたことを喜んでいる。

 第1楽章 Allegro ma non troppo
        4分の4拍子,へ長調
 スメタナの「わが生涯よリ」の冒頭と同じように、弦の波形の音形とチェロの持続の中で、ヴィオラで主題(D1)示される。

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 3小節目の附点の動機、 5小節目の終止の動機は、ともに、後で活用されるが、この主題全体が5音音階ででているのが特徴である。変ホ長調の弦楽5重奏曲にも共通して、ドヴォルザークは、次のような(D2)音階を用いている(音はへ長調に合わせた)。これは、下の方を長調の和声に、上の方を短調の和声にと、処理がうまくいく形である。

 次のイ短調の主題(D3)は、ヴァイオリンの2重奏の形になっているが、上の方の声部のト音が半音上がっていないために、民俗的な感じを与える。また、チェロがピッツィカートて、主音と属音を鳴らすのも、ショパンのマズルカの場合と同じく、民俗的な効果を与える。

 次のイ長調の主題(D4)もやはり上述の5音音階によっている。これはもっとも「アメリカ」らしい旋律といわれているが、リズム形もチェコの民族音楽には元来あるものだという。

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 第2楽章 Lento, 8分の6拍子,ニ短調
 旋律で有名なこの楽章でも、四重奏の各声部の関係はなかなか面白い。最初に、第1ヴァイオリンが歌い出す個所では、第2ヴァイオリンはシンコペーションの音形、ヴィオラは波形の動き、チェロは強拍だけのピッツィカートを奏いている。やがて、旋律がチェロに移れぱ、他の声部も音形を交換する。

 第3楽章 Molto vivace
         4分の3拍子,へ長調
 冒頭の主題(D5)は、基本的には5音音階である。これに続いて現われるヴァイオリンの高音(D6)は、卜ヴォルザークがスピルヴィルの囲りを散歩したときに聴いた鳥の声(D7)を用いたものだという。

 なお、冒頭の主題は短調の部分て、引き延ばされて使われている。

 第4楽章 Vivace ma non troppo
      へ長調, 4分の2拍子
 最初から附点とシンコペーションの音形が反復される。この形は変ホ長調の5重奏曲にもあるため、聴く人によっては、アメリカ・インディアンのリズムを模倣した部分だといわれる個所である。このロンドの主題も5音音階を基本にしていて、運動の面白味がある。そのため、静かにオルガンのように書かれる聖歌風の旋律が目立つのてあろう。

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●スメタナ
弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」
 オペラと交響詩の分野でチェコの国民音楽を明確にしたスメタナ(1824-1884)は、室内楽の分野にはあまり作品をのこさなかった。 1855年にピアノ三重奏曲を作ると、第2作まで20年以上もまたなけれぱならなかった。こうして1876年に作曲されたのが、このホ短調の弦楽四重奏曲であり、1882〜3年に作曲されたのが、最後の室内楽二短調の四重奏曲である。四重奏曲に対しては、ともに、 「わが生涯より」(2 meho Jivota)という名称が与えられていたが、今日では、普通、第1番だけがこの名で呼ばれている。
 さて、作品そのものは1876年12月29日に完成しているが、これが演奏され、さらに出版されるためには、かなりの時間が必要であった。たとえば1878年には、チェコのプラーハ室内楽協会がこの作品の演奏を断っている。理由は、「その様式が異なっていることと、さらってもだめな程の技術のむずかしさ」であった。しかし、結局はプラーハで翌年初演された。 1880年になると、スメタナの尊敬していたリストが、この曲の素晴らしい効果を伝えてきたし、1882年になると、パリでサン=サーンスが紹介したりして、作曲者にかなり慰めを与えることになった。
 さて、 「わが生涯より」という表題はどういう意味で付けられたのであろうか。上述のようにプラーハでの演奏が断わられた際に、スメタナは、著述家スルプ(Jos. Srb)という人に手紙を書き、その中でこの曲に対する態度を記すとととに標題楽的説明を与えている。これは、スメタナが交響詩「わが祖国」の作者であることを思えば当然かもしれない。
 まず、その中て、スメタナはこの曲を、音楽理論で教えるような通常の形式によってではなく、主題によって定められる形式によっているという。 「私は音によって、私の一生の流れを描こうとしたのてある。」
 第1楽章は、 「わが青春の芸術への愛」で、自分では定義も明確な表現もできない何ものかへの願望を示しているという。
 第2楽章は、舞踏好みの若い時代の快活さへの思い出である。そして、中間部(トリオ)で、彼が長い間を過した貴族的サークルの思い出を示そうとしたという。
 第3楽章は、 「後に私の貞淑な妻となった娘への初めての恋の幸わせを思い出させる。」
 第4楽章では、音楽における民族的な素材を扱う方法の発見と、その結果への喜こぴて始まる。しかし、聾が始まることにより、破局が次第に近づいていくさきが描かれる。
 以上のような作曲者の説明を参照しながら、各楽章の構成を簡単に記しておこう。

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 第1楽章  Allegro vivo appassionato
         4分の4拍子 ホ短調
 主和音の強奏に続いて、他の弦の和声的な伴奏にのって、 ヴィオラが旋律(S1)を奏き始める。とくに、最初の音形がホ音に入るのは意味があり、終楽章でこのホ音か聾の象徴として使われることになる。

 冒頭の楽器の配置法は、この楽章の特徴であり、ドヴォルザークにも使われている。また、チェロが同一音を延ぱす、いわゆる持続低音も非常によく使われている。

 第2楽章 Allegro moderato ala polka
         4分の2拍子,へ長調
 ポルカ風スケルツォで、途中に、ヴィオラ、第2ヴァイオリンに続いて、「トランペット風に」奏かれる分散和音的なひなぴた旋律S2, (S1と同様、1オク夕ヴ上げて記す)があらわれる。

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 第3楽章  Largo sostenuto
         8分の6拍子 変イ長調
 冒頭のチェロの導入できかれるように、こまかい音価による柔軟な動きと、各声部の独立した動きとが、単なる甘い旋律の楽章にならないようにしている。

 第4楽章 Vivace   4分の2拍子 ホ長調
 無窮動的な動きと民族的な旋律とで明るさを出してから、総休止に続いて、中声部のトレモロを伴なって、チェロに近いハ音、第1ヴァイオリンに高いホ音が鳴り続ける。これが聾の始まりてある(もっとも、これはホ短調に合わせたためて、彼が実際に感じた音は他の音だったという)。            〔解説/徳丸吉彦〕
 (出典 ライナー・ノート)

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3 ジュリアード弦楽四重奏団

   T

 先日ジュリアード弦楽四重奏団の演奏したドヴォルジャークの作品96のへ長調四重奏曲とスメタナのホ短調《わが生涯より》の四重奏曲とを入れたレコード(CS SONC10034)をきいて、感銘をうけた。むしろショックといった方がより正確だろう。これは超高度の正確さ、精密さを持った演奏だが、そういうものが存在すること自体は、現代の演奏の展開を考えれば、そう不思議がるにもあたらないことだ。だが、ジュリアードのこの精密さが同時に凄まじいダイナミックな迫力を生みだしているのであって、それはやはり、この演奏をきくものに、一つの趨勢の行きつく先というだけの傍観的な態度で捜するのをひどく困難にするていのものになってしまっている。
 私はこれをきき終えると、しかし、日本という国では、いずれ、これはすごいけれど、ドヴォルジャークやスメタナの持ち味、個人的様式とはかけはなれたものだ、といった種類の批評を受けずにはすまなかったのだろうな、と考えもした。こういう議論についての私の考え方は、すでに、いろいろな機会に書いてきたから、ここでは、そのままでは扱わないことにする。私は、要するに、作品とそれを創作した人間とを直線的に結びつけ、そこから演奏に唯一で不変の演奏様式があるかのように考えたり、それを演奏を判断する基準にするような、そういう考え方には、反対なのである。
 では、演奏家は、何をするのか?

    U

 このレコードがあんまりおもしろかったので、私は久しぶりジュリアード弦楽四重奏団のレコードをいろいろきいてみる興味に誘われた。その結果、私の手許に、ベートーヴェンの作品59《ラズモフスキー》の三曲と作品74の《ハープ》をまとめたもの(C OS681〜3C)、それからモーツァルトの《ハイドン・セット》の六曲(アメリカ盤 E BSC143の三枚)が集まった。どれも、私のはじめてきくものである。
 私は、まだ、その全部をきいたわけではない。時間がたりないというよりも、むしろ少し別の理由のためである。それはだんだんと書いてゆく。

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 ベートーヴェンの《ラズモフスキー》四重奏曲は、いずれおとらぬもの凄い作品である。傑作などという言葉では言いつくせないほどのものである。これは、私が言わなくとも、およそ音楽好きなら、皆知っている。だが、私に言わせていただけば、このジュリアードの演奏も、それに劣らず、凄絶な演奏で、これまた、名演などと呼んですまされるようなものではない。作品自体が、きき手に愉楽を与える罪のない《音楽の楽しみ》の域をはるかに突飛し、古典的節度や均整を大きくはみ出したものであるうえに、この演奏は音楽上の驚きで私をつぎつざと襲撃する。

 まず、精密な正格さ。と、それが生みだす表現の途方もない立体性。急激な変化、激しい対照。
 この種の例は、いくらでも挙げられるが、今は一番の第一楽章と第二楽章からそれぞれ一箇所ずつ楽譜をあげておくから、そこをきいていただきたい。

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 これは、もちろん、ベートーヴェンの作品にすでにあるものである。ベートーヴェンはここで《ヴァルトシュタイン・ソナタ》より《アパッショナータ・ソナタ》より、もっと、激烈なダイナミックな膨張と爆発、それから急激な縮少、あるいは方向転換の劇を、まきちらせるだけまきちらし、緩めこみ、刻みつけた。それは、もう、弦楽四重奏という素材の可能性をはるかに突破した、オーケストラを全く使わない一つの全く新しい交響楽的世界の誕生だった。だが、それを追求し、実現しようとするジュリアードの演奏も、まるでベートーヴェンの作品との白兵戦のような凄まじい肉薄戦の観を呈する。一つの音符、一つの表情記号といえども見逃されない、一つ一つがこの四人の弦楽奏者によって狙い撃ちされるのだ。しかも、そのテンポが実に速いのである。
 私は、これまで《ラズモフスキー》ではブダペスト四重奏団以上の名演をきいたことがないし、また、それ以上のものを自分の耳で経験することがあろうとは期待もしていなかった。しかし、ジュリアード四重奏団の演奏にくらべれば、ブダペスト四重奏団のは、ダイナミックな迫力という点では、もう完全に竣駕されてしまっている。この第一番でいえば、第一楽章のテンポもおそいし、第一、ダイナミックスの微細な変化が、音楽の流れ−呼吸、前進、躍動、飛翔、急降下といった動きとなって迫ってくる力は、とてもジュリアードのそれのように、精密で的確ではない。ただ、テンポの違いが、ブダペストの演奏により幅のひろい、ゆったりした流れを与えることは事実である。そこには、円熟した大家の落ちつきがあり、余裕が感じられる。
 それにしても、驚くべきことだ。ブダペストの演奏が、すでに、それまでのヨーロッパの室内楽団に馴れた耳と心には、機械的といってもよいくらいの、法外もない正確さと鋼鉄のような鋭さという印象で私たちを打ったのは、まだ20年にもならなかったのではなかったろうか? それが、ジュリアードの出現により、それと比較してみると、もう、こんなに落ちつきと成熟と節度をもった演奏としてきこえてくるようになるのである。

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    V

 節度、しかし、節度はたんにダイナミックスとかテンポとかの中庸からだけ生まれてくるのではない。私は、ジュリアード四重奏団の演奏と同時に、これはまたもっと若い人たちの組織した団体だというガルネリ四重奏団のレコードもきいた。(アメリカ盤 RCA VGS6415、五枚組で作品59の三曲のほか、74、95と、全部で五曲が収められている。) この人びとは、どうやらカサルス、それからことにルドルフ・ゼルキンやアレクサンダー・シュナイダーを中心とするマルポロー音楽祭の講習に参加する常連の若手演奏家が、四、五年前組織したごく若い団体らしい。この人たちの技術というのも、凄いものである。この団体が一つあるだけでも、その国の若い室内楽は世界の第一線に数え入れられるに、優に足りるだけの力をもつといわれるだろう。彼らの演奏、特に《ラズモフスキー》の第3番の終楽章のフーガ的無窮動の速さ、これはもう、未曽有のものである。こんなに速くて、しかも一糸乱れず、音楽の格調も正しい演奏は、ちょっと考えられない(あの賞めるとなると、やたら最上級の表現を惜しみなくまきちらしたトスカニーニがきいたら、何と言って、賞めたろう?)。
 だが、この人たちの演奏は、ジュリアードのそれのような鬼気迫る凄みというものを持っていない。私は、これは若さとか経験不足とかいうところからきたものではないと信じる。なるほど、スピードは凄いけれども、その中で彼らのやっていることは、比較的穏当な、バランスのとれたものである。私は、この演奏から、あまり驚きとかショックは覚えない。くりかえすが、それを果たすかれらの技術的能力は非常に高い。ことにチェロが非常に優秀のようにきこえる。それに比して第一ヴァイオリンが比較的薄い、そうして甘い音を出すように思われる。とにかく、これは注目すべき団体であるにちがいない。だから、テンポの適正なとり方は、もちろん、演奏の死活を制する重要事だが、それが節度を作るのではない。
 ブダペストはもちろん、ガルネリ四重奏団の演奏も、薄暗くした舞台の上で、まあ蝋燭とはいわないまでも、すっきりしたデザインのスタンドをおいて、その光の下で、室内楽を奏する寡囲気に全くそぐわないものではない。
 だが、ジュリアードはちがう。これはもう、そういう伝統的な雰囲気からはみ出たもの、そういうものをうけつけない演奏をする。伝統の破壊者?

   W

 そうすぐむきになるものでもない。伝統とは何か? もう一つ、具体的な例でみよう。

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 そう、ご存知のように、これは《ラズモフスキー》第2番の第2楽章、Molto Adagio、 si tratta questo pezzo conmolto di sentimento (モルト・アダージョのほかにベートーヴェンは「この楽章は心からの情感をこめて扱うように」と指定した)の主題の提示のすぐあとにくる。いわば主題の確保である。その主題楽想を受けもつ第二ヴァイオリンの歌わせ方。このリズムは三度くりかえされるが、同じようにくりかえすわけにはいかない。どうしても旋律の頂点を含む二番目のリズムの細腕にアクセントが置かれるのが自然である。ブダペスト四重奏団のレコードできくと、その上に、第二ヴァイオリンは、決して文字通りのグリッサンドではないにしろ、ちょっとポルタメントをかけた感じを作ってから、下降する。つまり三回出てくるこのリズムはfisを頂点に大きくあがって、それからcis-aと下行してgisに落ちつく。あの、かつては冷たいくらいに鋭い演奏様式と感じられていたブタペスト四重奏団でさえ、こうなのである。三日前の四重奏団、中でもレナー四重奏団をきいた方は、もちろん、ありありと思い出されるに違いない。実にねっとりした歌であり嘆きであった。
 しかし、ジュリアード四重奏団の演奏は、いってみれば、眉毛ひとつ動かさず、冷静にこれを弾いてしまう。彼らは、ベートーヴェンが、ここにエスプレッシヴォと表情記号を書きこんだのを見落としたのだろうか? そうではないらしい。そんなはずはないのであって、この曲、この楽章ひとつをとっても、彼らのダイナミック記号に対する忠実度は綿密、細心を極めている。それは、前に見たのと少しも変わらない。ここでも、ベートーヴェンの表情記号の指定は細密を極め、煩わしいくらいである。というより、ここでもまた、ベートーヴェンが、それまでの音楽の《自然な流れ》というものに批判的態度をとり、むしろ不自然で非音楽的とみられるはどの、革命的で独創的な自分の音楽の表現手段を獲得し、確保し、それをさらに尖鋭化しようと、断固たる決意を固めて、これらの作品を創作したことを、十二分に示している。

 それにしても、この楽章も、《ラズモフスキー》四重奏曲のほとんどすべての楽章と同様、何という偉大で深刻な音楽であることだろう!! これは当面の課題である演奏論の域をはみ出した、余計な感嘆と思われるかも知れないが、それでも私は書かずにはいられない。この楽章を久しぶりに心ゆくばかりきいている間、私は、胸がしぼられるような想いがした。崇高美というのは、こういう音楽に与えられるべきものだろう。私たちは、この音楽の流れに向かって心全体がひきつかまれ、絞られ、一点にまで凝集させられるような想いがする。と同時に、本当に優れた音楽はなぜ、こうもほとんど涙が出そうな、とでもいった種類の感激に私たちをひきずりこむのだろう? と思う。あれは、確かシューベルトだったはずだ『私は悲しくない音楽なんて知らない』といったのは。彼はきっと、この言葉で、センチメンタルな悲哀をいったのではなくて、はりつめた弓のように、心が一点に向かって集中されてゆくその動きの核心を言い当てようとしたに違いない。

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 ジュリアードの演奏は、エスプレッシヴォをエスプレッシヴォらしくひかないでいて、しかも、この感銘を与えるには全く充分の演奏になっているのである。これは、きき落としてはならないことだ、と私の中の私は答えるのだが、しかし、そうとだけもいえないのである。それくらい演奏のうけとられ方には、恐ろしいような、不確定の要素がある−断続とはいわないが‥‥。
 だが、私は、書き落としてはいけないだろう、それにもかかわらず、ジュリアード四重奏団の演奏には、時として、不透明な灰色のヴェールがかかることがあることを。きき手は、まるでガラス越しに戸外の風景をみるような気がする。それが、モーツァルトになると、もっとよくわかってくる。


 これは、ハイドン・セットの第一曲、K387卜長調の四重奏団の第一楽章の第15小節以下、第「第二ヴァイオリンの部分をぬき出したものである。このあと第二ヴァイオリンに半小節おくれてヴィオラが、一小節おくれてチェロが、第二ヴァイオリン同様の半音階的上昇のフレーズで入声してくる。その間、第一ヴァイオリンは上でh音を保持するのだが、こういう場合、どうしても、クレッシェンドしたくなるのが《自然》というものだろう。だが、ジュリアード四重奏団の演奏ではずっとpのままでいて、第二ヴァイオリンのh−a−g−fisと下降するとき、そのhにf記号がつく、そのときからはじめて音力が変わる。つまりフォルテに、というより正確にはmfになるのである。このあたりも、無機的で無気味な感じを与える。力の強そうな、しかし、自分の意志を持たない存在が、それまでじっと動かずにいたのに、急に立ち上がり、こちらに向かって歩いてくるような気がする。モーツァルトは、ベートーヴェンのように、あんなにしつこいほどのダイナミック記号を各小節、各音符につけたりはしない。しかし、ジュリアードの演奏をききながら譜面をみていると、そこには実に微細極まる光と陰がすでにまるで透し絵のように描かれているような気になってくる。

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 これも同じ楽章、ただし第二主題の途中、第三小節からの部分で、第一ヴァイオリンは、この間休止しているから、第二ヴァイオリン以下を書きぬいた。ダイナミック記号は第二主題の始まりにpとあっただけ、あとはご覧のごとく何もない。しかし当然、pのままで演奏される。だが、その問に、微妙な網細工のようなモチーフの織り方がある。またリズム、第三小節のヴィオラのシンコペーションとチェロの下降四度の二分音符および全体にみられるスラーとスタッカートの交替が特徴的であって、たとえばブダペスト四重奏田だと、これは全く均質の音だけのこまやかな動きになるのだが、ジュリアードでは、まるで微小極まる粒子たちが、この中で泳ぎ回り、運動の性質(方向や速度や)が変わるたび、ちがった色に染まるといった観を呈する。しかも、それは、楽譜の指定されたとおり、ダイナミックスの次元では全く動きのない世界の中での生起なのだ。いや、これは水鉢の中で動きまわる微細な有機物たちの姿を、外側からみるような観がある、といえば、私の感じはもっと正しく伝わるだろうか。いや、これは私の感じではない。そういう音の動きの世界がここに現出しているのである。
 こう書くと、私は、自分が誇張しているのではないかと不安になる。もしかしたら、そうかも知れない。しかし、表面的には何事もないようで、むしろ無表情に行なわれていると思う人もあるだろう。こういう演奏には、私を強く惹きつけると同時に、不安にさすものがある。それが、私が例にとったような箇所をはじめとして、彼らの演奏の全体を薄い白灰色の膜のように覆っている。

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そう、これはヴェーベルン出現以前のヴェーベルン的世界につながる演奏である。というより、そこから生まれてきた演奏である。ここでは、歴史は逆に歩いていて、モーツァルトがヴェーベルンをでなく、ヴェーベルンがモーツァルトを先どりするのである。
 努力して普通の言い方をすれば、ジュリアード四重奏団の演奏には、ベートーヴェンであれモーツァルトであれ、ヴェーベルンの演奏から彼らが修得し、獲得した表現手段上の資格が活用されているのである。周知のように、ヴェーベルンの作品は全面的セリー(serie integral)の音楽ではないが、しかし、音の数は極度に切りつづめられている一方で、各音のもつ音高、音強、持続、音質(レガートかスタッカートかといったアタックの種類とか、音色とか)、その一つ一つについて精密な規定を要求するための音楽になっている。そうして、このジュリアード四重奏団にはヴェーベルンについて、画期的な素晴らしいレコードのあることも、私が書くまでもないだろう(アメリカ盤 RCA KSC2522)。そういうヴェーベルンの演奏の研究に沈潜したものとすれば、ソプラノ声部の持続音は、たとえその下で何が起ころうと《自然》にクレッシエンドするのは許されまいし、ベートーヴェンのあの悲痛で崇高な歌もエスプレッシヴォと指定はされてあっても、ダイナミック記号のない以上(あれだけ、ほかの場所では書きこみの多いベートーヴェンのくせに)みだりにポルタメントや大きなヴィブラートをつけて、旋律の最高音を強調するのは正しくはないだろう。だが、また逆に、ダイナミック記号が数小節にわたり全然書きこんでなくとも、リズムの微妙なゆれ、スタッカートとレガートの交替等々があれば、それは音色の細かな変化を要求せずにおかないのである。また、これができるためには、四重奏団は並外れて高度の演奏能力を要する。その点でジュリアードに匹敵するものが、現在世界のどこにあるか、私は知らない。
 私は、ジュリアードの人びとが、どこまで意識的にこういう態度をとっているのか知らない。しかし、彼らの演奏が新しく、分析的なのは明らかにききとれる。その反面、ここにはまた、subito pianoの前でさえ、先行するフレーズとその弱音の前で小さな休止というか呼吸一つの休みをとるといった伝統的な演奏法を捨ててないのは、彼らが演奏について、たった一つの様式しか知らず、何も彼も、一つの態度で割り切ってしまうような単純な音楽家でないことを明示している。
 私はこの彼らのモーツァルトに、他に類のないほどひきつけられる。と同時に、私には六曲のセットをつぎつぎにきくような力は、とてもない。この一ヵ月の間に、私はト長調のほかにやっとニ短調を聞いただけである。
 これはもう、普通の意味での《室内楽の演奏》とはずいぶん違ったものである。ここまで無気味な光を放つ演奏を、とんでもないものとして弾劾する議論は理解できても、大した論理の用意もなしに簡単に否定できるような精神を、私は羨まないだろう。
[出典 吉田秀和著 「今日の演奏と演奏家」音楽の友社]

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[Last Updated 8/31/2001]