男の肖像



塩野 七生

文春文庫

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目 次

1. まえおき
2. カバーの言葉より
3. (本の)目次

4. 解 説

1. まえおき
 2001年のNHK大河ドラマは北条時宗でした。暮れに総集編を見ましたが、長谷川陽子さんに指摘され、「男の肖像」に書いているのを思いだし、改めて目を通しました。解説にもある通り、外国にも通じるリーダーとして、見直した次第です。

2. カバーの言葉より
 人間の顔は、時代を象徴する---。幸運と器量にめぐまれて、世界を揺るがせた歴史上の大人物たち、ペリクレス、アレクサンダー大王、カエサル、北条時宗、織田信長、西郷隆盛、ナポレオン、フランツ・ヨゼフ一世、毛沢東、チャーチルなどを、辛辣に優雅に描き、真のリーダーシップとは何かを問う。 豪華カラー版。 解説・井尻千男

3. 本の目次
ペリクレス ……………… 9
アレクサンダー大王…… 21
大カトー………………… 33
ユリウス・カエサル  …… 47
北条時宗……………… 59
織田信長……………… 71
千利休………………… 85
西郷隆盛……………… 97
ナポレオン…………… 109
フランツ・ヨゼフ一世 … 121
毛沢東 ……………… 135
コシモ・デ・メディチ  … 149
マーカス・アグリッパ … 167
チヤーチル …………  183

 解説 井尻千男…… 197

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4. 解 説   井尻千男(文芸評論家)
 塩野七生さんの作品を読んでいると、なるほど歴史は人間の博物館だったのだ、という思いをあらたにする。もちろんただの人間ではなく、ひとかどの人物、歴史をうごかし、歴史をいろどるほどの男たち、ときに女たちである。ここで私の思う人間の博物館というイメージは、あらゆるタイプの優れた人物が次つぎに現われるというほどの意味であり、もちろん博物館ゆきの化石的人物ということではない。だから逆に、塩野さんは博物館入りしたほどの人物を、斬れば血の出る生身の人間として救い出している、といってもいいのである。
 実はそこが人物論としては大事なポイントである。マイナーな人物をユニークに描くことと、一人で博物舘をつくって余りあるほどの大人物を描くこととの違いである。当然、マイナーといっても歴史に名をとどめるほどの人物であってみれば凡夫であるはずはないが、さいわいにしてあまり語られてはいないし、知る人は少ない。それに文書、文献の頼も少ないから作家としては想像力をたくましゅうできる。ところが超一級の人物ともなれば、定説に鎧われ、付け入り、斬り込む隙がなく、すでにあらゆる角度から語り尽くされている。作家としては自分の眼力によほどの自信がないと近づけない。
 ところがどうだ、この『男の肖像』に登場する十四人は、いずれも超一級の大人物ばかりである。私はまず塩野七生さんの作家としての勇気を讃えよう。そのことはこの男性論に限ったことでなく、他の諸作品においても同じことだ。人物にしても事件にしても、歴史年表に特筆大書されているものに真正面から正攻法で迫っていく。もとよりこれは勇気だけで出来ることではなく、眼力と芸あってのことである。
 その眼力と芸が、この本にちりばめられている。しかも、その眼力と芸が、ときに知にわたり、情にわたり、意にわたっているところがいい。男が男を語ったのではこうはいかない。女性が男性を語ってはじめて可能な知情意のバランスといっていいものである。
 女性が男性を語って陥りがちなことは、女性特有の好悪の感情を前面に出して、男性社会がつくり上げた評価をくつがえしてみせることだ。それはそれで男性論としては面白おかしくなることもあるが、結局のところ語るべき対象の男を語ったことにならないということになりがちだ。私が知情意のバランスをいうのはそのためである。
 そのことは十四人の男の肖像のどこをとってもいえるのだが、まずは日本の男性を語った文章から確認してみよう。登場する日本男子は北条時宗、織田信長、千利休、西郷隆盛の四人だが、それぞれにはっとさせられるところがある。
 北条時宗は二度にわたる蒙古襲来という未曾有の国難をしのいだ。今日の日本人の平均的解釈は神風に救われたという一行で片付けがちだが、そんなはずはない、というのが塩野さんの立場である。「ヨーロッパと中近東を旅していて驚くのは、モンゴルの影響のすさまじさである」と記したうえで、このモンゴル対策に一生を捧げた若き執権の胸中に想いをいたして次のように結ぶ。
 フビライが死ぬのは、この後(時宗の死後)十年を経た1294年である。時宗は、元軍来襲の風聞を聴きながら、死ぬしかなかったのである。

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 その彼の胸のうちは、どのようなものであったろう。33歳で燃えつきようとする男の胸中は、いかばかりであったろう。神国日本を、誰よりも信じていなかったのは、時宗ではなかったろうか。しかし、神風を喜ぶ民衆を、喜ぶがままにさせる有効さを知っていたのも、時宗だった。
 われわれは、ヨーロッパが狂信の十字軍時代を過ぎ、ようやくルネサンスの黎明に染まりはじめていた時代に、早くも醒めていながら実行力も兼ねそなえた男をもったのである。しかも、七百年後の欧米の大向うさえ、うならせることうけあいの男を。
 知情意の見事なアマルガム(合金)である。ユーラシア大陸を席巻したモンゴル、それを残虐と恐怖の神話のように語りついできたヨーロッパから見ると、「このモンゴルに征められながら、これを撃退した民族は日本人だけ」であり、「神風のおかげであったとしても、そのようなことに恐縮する必要はない。人事をつくして天命を待つ、という格言はなくても、欧米人だって、事業の成功はそれを行う人間の力量だけでは充分でなく、幸運というものに左右されることが多い、ということは誰でも知っている」のである。だから今日の欧米人に北条時宗がうけることは間違いないというわけだ。ついでにいえば「恐縮する必要はない」のエスプリは絶品である。
 文永・弘安の役を神風論で片付けるのは、歴史の後講釈の見本のようなものだが、塩野さんはそこから時宗を見事に救出したのである。「神国日本を、誰よりも信じていなかったのは、時宗ではなかったろうか」という一行の奥行きは深い。時宗の孤独の深さをしのばせる。
 知情意を兼ね備えた塩野さんではあるが、ときにはっとするようなエロティシズムがこぼれおちる。たとえば西郷隆盛。「一日西郷に接すれば、一日の愛生ず。三日接すれば、三日の愛生ず。親愛日に加わり、今は去るべくもあらず。ただ、死生をともにせんのみ」といったのは、西南戦争で死をともにした増田宋太郎(中津藩藩士)だが、この一句を知ったとき、塩野さんは「なぜかわからないが愕然とした」と記す。そして西郷の魅力を語って肉体に及ぶ。180センチ、百キロを超える体躯。

 ただ、この見事な西郷の肉体は、巨大なる体躯が与えがちの威圧感や緊張感とは、相いれないタイプの肉体ではなかったかと思う。それよりも、周囲にいる人びとを安心させるたぐいの、肉体ではなかったかと思う。西郷の肉体とは、彼独自の発想法とゆったりとした口調と、そして鹿児島弁で話されるために、労せずして人の心を溶かしてしまうユーモアなどと相まって、彼とまぢかに接する人びとの心を安らかにし、安らかになった心は自然に、「もうどうにもならない」心境に達し、「ただ、死生をともにせんのみ」に行きついてしまったのではないか。
 忘れてはならないことだが、人間の願望の最たるものは、安らかな死、につきる。この人の許で死ぬならば、死さえも甘く変るとなればどうだろう。私がもしもあの時代に生れていたならば、坂本竜馬あたりは他の女たちにまかせておいて、西郷隆盛に惚れたであろう。そして、田原坂あたりで、銃弾うけちゃったりして……。

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 西郷の魅力の究極をその肉体によって語るわけだが、ここではエロスとタナトスが手を携えて、危険と知りつつ危険に近づく実存の不思議さに及んでいる。こういう文章を味わっていると、セクシーな感覚の深化は、ただ感覚的な表現で達成されるものではなく、知的な営みの深さによってはじめて可能になるものだということがわかる。塩野七生さんの男性論の魅力はそういうところにある。一言でいえば、知的であることがセクシーなのである。
 アポロン像とヴィーナス像が象徴しているように、地中海文化の中心に、知的であることとセクシーであることの結合と、その洗練がある。この二つを相反するものと思いがちなのは、極東の島国の知識人の誤認にすぎないだろう。塩野七生さんの作品はどれをとっても、その底に流れるものは、アポロンの知とヴィーナスのエロスの結合と洗練というものだった。かの薔薇の花咲く古の島ロードス島でトルコ軍と闘う聖ヨハネ騎士団を描いた『ロードス島攻防記』に登場する若い騎士たちの美しさ、彼らもまた信仰あつい十字軍とはいえ、地中海文化特有の洗練されたエロスが横溢しているのである。死地におもむくときとて一刻として優美さを忘れない。
 そういう作品を読みながら、いつからか私は塩野七生さんのことを「地中海作家」とよぶことにしている。高貴なる精神と、通俗的なるエロスの微妙な重ねかたも、この地中海作家の得意技といえる。そこがユーモアの源泉でもある。さきに引用した文章でいえば、「坂本竜馬あたりは他の女たちにまかせておいて、西郷隆盛に惚れたであろう。そして、田原坂あたりで、銃弾うけちゃったりして……」というのがそれである。このおかしみはなんともいえない。その先で塩野さんは、「死生をともにせん」と思う男たちから西郷ドンを切り離すために、彼を「外国にでも連れ去るべきだった」といって笑わせる。
 私は笑いながらどきっとした。政治的死の本質を見抜いているな、と思えたからである。「死生をともにせん」という政治的情念は、恋愛に似ていて、切り離す以外にとどめようがないからである。そして、それが出来るのもまた女性しかいないのである。三島由紀夫の政治的自死を思い出してもいい。切り離し、連れ去る女性がいなかった。

 塩野さんはもう長くフィレンツェに住んでいるから、『男の肖像』にコシモ・デ・メディチが登場するのは当然である。彼は自分の別荘をアカデミア・プラトーニカ(プラトン・アカデミー)とよんで、古典学者を集めてギリシア古典期の研究のメッカにした。

 フィレンツェに住んでいると、コシモ・デ・メデイチの影を感じずにはいられない。五百年以上も昔に生きた人物なのに、フィレンツェの街を歩いているだけで、そこかしこに、この男の影を感じてしまう。
 コシモの巨大な画像が、街の最も目立つ場所にかかげられているわけではない。彼の銅像が街の中心の広場を占領しているわけでもない。現代に生きるわれわれにとっては幸いなことに、五百年昔のルネサンス人は、二十世紀の全体主義者の悪趣味はもち合わせていなかったようである。それでいて、彼の影は、五百年後の今日まで生きつづけた。もしかしたら、このように押しっけがましくなかったからこそ、生きつづけることができたのかもしれない。(中略)
 ほんとうのところは、彼なくしては花の都フィレンツェはなかったと言ってよいほどなのだが、それはあくまでも、ほんとうのところ、であるにすぎない。だが、学問や芸術というものは、ほんとうのところ、あたりでとどまるからこそ、その人の一生を越えて生きつづけられるものではないだろうか。

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 イタリア一の銀行家の彼は、美術品や古文書のコレクターであり、また芸術家たちのパトロンだった。フィレンツェ市民は彼のことを「祖国の父」とよび、塩野さんは街の「空気」をつくった人という。それ故に、「フィレンツェの街を歩いているだけで、そこかしこに、この男の影を感じてしまう」という表現になる。「影」という言葉は一見弱々しいが、この場合は最高の褒め言葉になっている。そこに発見がある。
 読者はここで、政治的権力による支配と、美意識ないしはスタイルによる影響力との対比に導かれる。どちらもまた男たちの夢である。政治的権力はすぐ忘れ去られ、学問や実の力は関心のない人にとってはないも同然である。そのないも同然の微妙さを「ほんとうのところ」という言葉に託している。
 この表現は、ほんとうのところ女性にとっての男とは何か、男性にとって女とは何か、という厄介なことにもつながっているのである。塩野さんがユリウス・カエサルを語るにあたって、カエサルが書くクレオパトラヘの手紙のかたちをとったのは、この政治家兼武将の事績だけではなく、愛をめぐるほんとうのところを書きたかったからだろう。
 ほんとうのところをもう少し延長していえば、歴史上の人物とはいえ、人物論を書いたり、小説を書いたりする営みは、どこか恋文をつづる行為に似ているのではないか。言葉というものの本質からして、生者と死者の区別は判然としない。気がつけば空間と時間を超えてしまっていたという錯覚とも至福ともつかぬ瞬間があるものだ。それが言葉の力であり、歴史小説を書く人のひそかなる楽しみというものだろう。私はこの『男の肖像』を読みながら、あるところでは、塩野さんの男たちへの恋文とも思えた。マルローの「空想の美術館」という観念をもじっていえば、これは塩野さんの「空想の男友だち」ということになるだろう。
 塩野さんが男女の機微を書いたエッセーに『男たちへ』(文芸春秋刊)というのがある。そのなかで、しばしば言葉の効用、嘘の効用ということを語っている。その二つが男と女の関係には不可欠だということである。愛の告白について次のようにいう。

 人間というものは、いかに心の中で思っていても、それを口にするかしないかで、以後の感情の展開がちがってくるものである。なぜなら、心の中で感じているうちは、自分の耳で聴くことはないのに反して、いったん口にすると、誰よりもまず自分が聴くことになる。つまり、言葉というはっきりした形になって、頭に入ってくるということだ。男は、絶対に、彼自身の頭脳を通過したことでないかぎり、彼自身の心に定着させない。
 だから、どれくらい真実がふくまれているかどうかは、問題ではないのである。口にして以降、真実がふくまれはじめてくるのだ。(「再び、嘘の効用について」)

 これは男女の形が言葉によってきまっていくという真実以上に、人間の心や精神の形もまた言葉を発することによってきまるという、恐ろしいほどの真実を語っている。人間の生というこのよるべなきものもまた言葉によって形づくられていくということである。
 塩野七生さんの文章には道徳臭はいっさいない。だが人間についての深い洞察を示すという意味で、塩野さんはヨーロッパの正統的なモラリスムにつらなる文章家である。

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[Last updated 12/31/2001]