目 次
音楽の恩恵を書くにあたって、皇太子ご夫妻のことを大きな柱の一つにさせていただきました。
1 あとがき
2 著者紹介
3 目 次
1 あとがき
「わたしの音楽物語」を書きたいと、以前から思っていました。
わたしは五歳の時、アメリカから帰国した軍人の父から「これからは空中戦の時代だ。耳を鍛えるために音楽をやれ」と厳命されました。幸い、空中戟の時代は終戦であっけなく終わり、わたしの耳が軍事使用される機会はありませんでしたが、あの命令でピアノを始めて以来、音楽は深く心の中に根ざし、片時も離れたことはありません。
勉強するより、仲間と音楽をやるために学校に行き、取り憑かれたように作曲した学生時代。社会人としての仕事と音楽を両立させようとサラリーマンになってからは、帰宅後、仕事で疲れた頭に鞭打ち、五線譜に向かいました。経営者になってからも、外国出張に向かう機内で機内食も一切断り、ひたすら曲想を練り、ゴルフ場でも突然浮かんだメロディーをスコアカードの裏に書き込む・・・。
新開のトピックス記事では「異色の経営者」「二足のわらじ」などと紹介されたこともありましたが、好きで始めたわたし自身にとって、音楽は実は趣味とか道楽というような生やさしいものではなくなり、仕事より苦痛に思えることもありました。
「会社の仕事からも音楽からも離れている時が最も気が休まる」などという複雑な境地に自分自身を追いやった面もあります。二足のわらじの内実は、必ずしもそう格好よくはいかないのです。
まあ、それでも今もって「音楽と仕事」の路線を維持し続けているのは、自分にだけしか書けない自分の曲を世に残さねばというわたしなりの義務感と、仕事を通して社会人としての自分の責任を果たそうという思いがあるからです。
「音楽について書さたい」と思ったことには、こうした苦労や愚痴も、少しは含まれますが、それよりももっとポジティブなことが中心です。陰陰とした葬送行進曲のような「音楽物語」では読む人もいないでしょうから・・・。
自分が作曲した曲が音になつて聞こえてくる時の感激、そしてこれらの曲のもたらす、他の人との心の交流。室内楽やオーケストラの演奏を通しての音楽仲間との和。そして最も重要な、音楽を通しての人との出会いなどです。
音楽は、わたしに実にたくさんのひとびととの出会いという贈り物をもたらしてくれました。
中でも、学生時代を過ごした学習院のOBオーケストラを通して皇太子さまとお会いする機会に恵まれ、たまたまわたしが殿下と同じビオラを演奏していたご禄で、室内楽をご一緒できたことは望外の幸せでした。両陛下の温かなお人柄や、音楽への深いご理解に接することができたのも音楽あってこそです。
それは、両殿下をはじめ皇室の方々にお会いしたり、音楽をご一緒するたびに、心洗われるような思いを何度もして、それをわたしなりに何とか表現したいと思ったからです。
きめ細かな思いやりと優しさ、そして上質のユーモア。それをわたしはいつも感じました。
新聞には皇族の公的な行事参加の記事が出ており、わたしはあまりすすんで読んだことはありませんが、週刊誌などには根拠のなさそうな皇室についての予測記事が時々出ているようです。しかし、そのどちらを読んでも、皇室ご一家の姿は分かりにくいのではないでしょうか。
わたしの周囲にいる若い人などでも、皇室のことについてはほとんど知らなかったり、誤解している人もいます。
音楽を通じたご緑をもとに、わたしのお会いした両陛下や両殿下に対するわたしの思いを、いろいろな人に知ってもらいたいと思いました。心に残ったことを淡々と書こうとつとめたつもりです。
興味本位な視点でなく、ご一家の素顔を紹介した記録があってもよいのではないかという思いもあります。それがこの本を書いた最大の動機です。
(もちろんわたしのご一家との接点は音楽が中心ですから、極めてお忙しいご公務や、文学やスポーツについてのご関心について書くことはできませんが・・)
わたしの「音楽物語」 のもう一つの柱は父のことです。
帝国陸軍の軍人だった父は、満州事変が起き、暗い戦争の時代に突入した時代にアメリカに交換将校として渡りました。あの時代にアメリカの軍人になった父は、上司のマッカサーの知遇を受け、彼に日米開戦の可能性についてズバリ質問したりします。すっかりアメリカにかぶれて帰国、東条英機陸相に「アメリカと戦うのは自殺行為だ」とねじ込んだ父は、異色の帝国陸軍将校だったといえるでしょう。
その父は戦後には、かつての米軍との人脈を駆使し、日本の救済のために一身をなげうって働きます。もちろん表に立つことが嫌いな照れ屋の父は、その裏方に徹していました。家に米軍の幹部を次々に招き、若いわたしはピアノを弾いて接待しました。
皇室の存続や、皇族から戦犯が出ることを最も恐れていた父は、高松宮邸にも出入りしており、米軍首脳が宮邸に招待された時、わたしはピアノを弾いたことがあります。
あの戦後の時代の特異な体験を通じて、音楽による融和を知りました。あれはわたしの音楽の原点だったかもしれません。
わたしも父に似て自己宣伝が嫌いなので、自叙伝的なものは、勧められても公にするつもりはありませんでしたが、以前からお知り合いだった時事通信の方のお勧めに従い、上梓することにしました。
さまざまなことを盛り込んだので、この本は少し欲張りな内容になったかもしれません。
「楽章」ごとの曲想は少し違っても、全体の主題は「音楽を通しての、魅せられた出会い」 のつもりで書きました。
1999年9月13日
鎌田勇
2 著者紹介
●かまた いさむ
1928年東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。作曲家、沖ユニシス前社長、学習院OBオーケストラ副団長。OBオーケストラを縁に皇太子と親交を結び、「皇室に最も近い民間人」の一人とされる。
3 目 次
音楽の聞こえる小さな家
ハーモニーに包まれた皇室の肖像
第1章 室内楽のハーモニー
1 ビオラとフルート 3
◇都内の、とある音楽室
◇華麗な李妃殿下のフルート
◇つつましやかさと気配り
2 皇太子さまと室内楽 21
◇コンサートのハプニング
◇殿下のいるオーケストラ
◇稲荷寿司と大福餅
◇「これは駄作」「ピアニストにあだ討ち」
3 皇太子さまのゴールイン 41
◇唯一の欠点は「皇太子であること」
◇「火花の散る」出会い
◇子持ちの「お妃候補」
4 うれしい知らせ 52
◇音楽の集いでのささやき
◇「考えを固めつつあります」
第2章 わたしの音楽、二つの人生
1 オーケストラの青春 63
◇軍事目的の音楽教育
◇音のないバイオリン
2 10年交響曲、音楽の贈り物 69
◇ビジネスと五線譜
◇音楽の「苦しさ」と「楽しさ」
第3章 優しく、華麗な音色
1 手作りの優しさ 85
◇「伴奏のひと」志願
◇魔法のスープ
2 温もりのある家族の音 98
◇御所の音楽会
◇音楽の聞こえる家
3 皇居、赤坂、軽井沢 124
◇陛下の後ろ姿
◇裏口から秋篠宮殿下
◇警備の人に気遣い
◇昭和の末、陛下の「鳥の歌」
第4章 追憶の宴、ピアノの音
1 賓客の質問 151
◇終戦直後の午餐
◇ジョークと音楽
2 陸軍中将の国際感覚 161
◇ジョークのかたまり
◇マッカーサーの銃
◇東条陸将への進言
3 焼け跡のピアノ 179
◇運命の日のパフォーマンス
◇鎌田機関、明るい「暗躍」
◇高松宮邸の晩餐
◇宮様首相のおじぎ
第5章 温かな拍手、心地よい残響
1 皇室の歳月 209
◇皇族のいる教室
◇臣籍降下といじめ
2 新たな時代、人々の中へ 214
◇初夏のコンサート
◇豊かな話題、もてなす心
◇多くの人に接したい
参考文献 225
あとがき 229