文学づいて柳美里にころんだ



 勢いというものは恐ろしいもので、文学に縁のない私が、昨年の秋以来かなり物語に足を突っ込んでいる。きっかけは、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』である。さらに、内田春菊の対談集を読んだおかげで、岸田秀なるフロイト大好き人間を知った。それじゃ、というので手にしたのが『二十世紀を精神分析する』であり、そこで岸田氏が書評していたのが柳美里の本である。

 ここで、もう一つの偶然が重なる。テレビ番組の雑誌に柳美里のインタビュー記事が載っていたのである。本文は、さらっと読んで別に印象には残らなかったのだが、こんな読めない字の女性作家がいることを初めて認識した。芸能人ばかりが出てくる雑誌になぜ作家のインタビューが載ったのか不思議である。

 ダメ押しにもう一つの偶然。小さな本屋でぷらぷら見ていたら、仮面という文字が目に飛び込んできた。なにしろ「ガラスの仮面」に熱くなり、映画「マスク」の大ファンの私である。手に取らないわけがない。そしたら著者はなんと例の読めない字の作家ではないか。

 というわけで彼女の2冊の本を読むことになってしまったのだ。2冊目を読み終えた今、複雑な気分にとらわれている。

 最初に読んだのが、『水辺のゆりかご』である。彼女の自伝なのだが、私はこれをれっきとした小説として読んだ。あまりにも感情移入したために、書いてあることがすべて事実に思えてきた。それはともかく、複雑な家族関係なので系図をつけてくれたのがありがたかった。

 小学校を卒業するまでを描いた第1章「畳の下の海峡」では、ばかみたいな話だけど「やなぎ」がかわいそうになってしまった。どっぷり同情していた。そして彼女の母親に説教を垂れたくなり、そういえば後輩の家もパチンコ屋だったかなどと思い出にふけった。

 名門女子中学入学から高校を中退するまでの第2章「校庭の陽炎」では、有名な学校の実態を見聞してただへーと感心していた。なんとかカウンセラーのような人に出会うチャンスを作れなかったのかなと、残念がることしきり。

 第3章「劇場の砂浜」は、劇団に入り劇作家になるまでである。

 一方、『仮面の国』は冒頭からびっくりしてしまった。これが同じ著者の本なのか。本当に本人が書いたものか。グループで書いているのじゃなかろうか。いろんな疑問がわいてきた。第4章の須磨区少年殺人事件にいたり、やっと本人が書いているらしいことが実感できた。

 なぜ拒否反応を示したか、考えてみた。おおむね第1章から第3章までは、目が痛くなるほど漢字と「、」が多用されている。それに小林よしのりに過剰反応して肩に力が入りすぎているからかもしれない。

 小見出しは過激だけど、読んでみたら納得することが多かった。それは、とくに児童虐待に関する記述と村上龍批判である。そして神戸の少年にひきつけられる理由をその文章力にあると分析する第7章がよく書けている。

 ずいぶん異なる2冊の本であったけど、柳美里という文章を読んだのは収穫であった。でも彼女には言いたいことがいくつもできてしまった。「朝日新聞」などのジャーナリズムや「ニュースステーション」などを批判しているのに、「朝まで生テレビ」や出版社を批判してないのは片手落ちだ。彼女には、永六輔の言葉と、ただ酒は飲んじゃいけないという立川談志の言葉を贈りたい。

  • 水辺のゆりかご 柳美里 角川書店 1997 \1300+tax
     「月刊カドカワ」連載1995/6-96/9

  • 仮面の国 柳美里 新潮社 1998 \1400+tax
     「新潮45」連載1997/5-12,1998/2-4

  • 二十世紀を精神分析する 岸田秀 文芸春秋 1996
     史的唯幻論を中心に展開している雑文集

  • 正義・戦争・国家論 竹田青嗣、小林よしのり、橋爪大三郎 径書房 1997 NDC041 \1600+tax
     1997-03-08に12時間かけて行われた対話をまとめた本
(1999-01-11)
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