日本経済について具体的に考える村上春樹が社会的な事件に関心を寄せるのに対して、村上龍は金融・経済にとりつかれている。彼が編集長をつとめるジャパンメールメディア(JMM)というメールマガジンでは、雇用や為替市場や財政などについて本質的な疑問を投げかけている。 NHKスペシャル「失われた10年を問う」(5月7日放送)を見たときの衝撃が大きくて、しばらく心の整理がつかなかった。ほぼ同時に出版された本を読んでやっと書く気になれた。 書籍版では、番組でのナレーションと同じような原稿を冒頭に載せ、「21世紀日本の構想」懇談会が示すビジョンは空疎であると断じている。それにつづく第1部ではカルロス・ゴーンをはじめ6人と対談し、第2部のメール編では村上の問いとそれに対する読者からの答えをまとめている。 元大蔵省銀行局長の西村吉正は、日本には世界から人やお金が集まってこないという総合的な力の弱さを指摘する。 今に日本の金融の強さというのは、自分のお金の強さなんですよ。それは本当の意味での金融の強さではない。自分のお金だけではなくて、よそのお金も集まってこないといけない。よそのお金が集まってくるためには、他の国の人も日本という国を信頼し、日本のやり方に共感を覚えてくれないといけないということです。ある程度の尊敬、敬意を払われていない国は、金融についてもきっと一流にはなれないだろうと思います。マーケットの専門家であるピーター・タスカは、やはり銀行のことをよく知っている。 バブルのときの行動のルーツはイデオロギーにあるんです。日本のイデオロギーによると、金融は製造業のために存在している。それは極端に言えば、製造業の競争力の強化につながれば何をやってもいい、大企業にお金を安く供給できれば、何でもいいという考え方です。(中略)(ゼロ金利政策について)銀行が普通の人からお金をすくいあげて、それを大企業になるべく安く供給するシステムは、破綻に近づいても、ずっと続きました。マクロ経済学の専門家吉川洋は、あっさりと述べる。 経済というものはモノに関することですよね。しかし結局どういうモノを使って、どういう生活をしていくかというのは、それ自体ライフスタイルというか、その人の価値観の反映でしょう。真打は、経済企画庁にいた森永卓郎だ。 60年代のビジョンが重化学工業化で、70年代のビジョンが知的集約化。だから70年の時点で「日本の大量生産型の経済システムではもうダメだ」というのは、役所も認識していたし、学者も認識していたんです。さらに80年代は、 何よりも象徴的だったのは、86年に「前川レポート」が出たことです。そこにはすでに、今の政府が言っているようなことは全部書いてあるのです。「経済構造を改革しなければいけない」、「市場原理主体の経済に変えていかなければいけない」と書いてあったのにもかかわらず、バブルが起こって、高度経済成長期と同じメカニズムで経済が回りはじめちゃったんです。そして銀行のあるべき姿とは、 金融自由化というのは銀行がコンビニになることなんです。どの国でもそうなのですが、金融が自由化された後というのは、銀行員の処遇と社会的地位というのが、コンビニの店員と一緒になるんです。だから銀行の支店長の年収は、コンビニの店長のそれと同じ。社会的地位も同じというふうにならざるを得ないのです。(中略)コンビニが銀行になっちゃっておしまい、というのがオチになると思いますが。私のコンビニ時給論を支持してくれる人がいるなんて思わなかった。しかも経済の専門家が。 メール編を読むと、たしかに金融や経済の専門家の話なので、私の知らないことをたくさん知っていて感心してしまう。しかしそこで感じるのは、ひどく表面的な話に終始しているということだ。本質論がないままに現象を多面的に語っているに過ぎない。そこで思い出すのは、五木寛之の「経済は経済学者には見えない」という言葉である。 NHKスペシャルでは、大学生に昔の日本の映像を見せている。彼らは高度成長以前あるいはその過程の映像を見ても自分の国のものだと認知できない。しかし70年代の映像は日本だと認知できた。このことは70年代から現在までの変化が非常に小さいということを示している。 改革改善が叫ばれてから現在まで解決されていないという現状を、村上氏は「失われた25年」と言い換えている。しかし通産省の「70年代のビジョン」が発表されたのが69年であるから「失われた30年」というほうが正確だろう。 番組の中で一番ショックを受けたのは、「無知は罪である」という言葉である。 銀行や企業は、土地神話が絶対的なものではない、ということを知らなかった。無知の知といえばかっこよく聞こえるが、やはり職業上の無知は罪である。まじめに間違ってしまったからといって免罪はできない。責任を取らない体制が、昔も今も続いている。それを変えるには、公の責任をきっちりと問うのが一番の近道だ。それと同時に伊丹万作のことばをもう一度思い返してみたい。
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