家を買いたい人へ



 昔はいろいろ物を買った時期もあるが、今はめったに買い物をしない。それでも昨年はパソコン、掃除機を買ったし、今年は家人が財布とキーホルダーをセットで買い換えた。どれも寿命がつきていたからだ。

 物を買うのには、ポリシーが必要だ。その源泉は美意識にある。そして美意識は暮らし方から生まれる。選ぶときの基準は、とくに家人の場合は一貫している。それは質実剛健かつ美しいものだ。私なら、コンパクトとか手触りなどが条件になる。機能的であることは物である以上当然だから、とくに条件にしていない。だからといって高価なら買えない。もうこれだけで買うべき品物はかぎられる。

 いわゆるブランド物には、とくに興味がない。上司にロレックスの時計を見せびらかされて、へーとしか思わなくても、かっこいい女の人がさりげなく銀のブローチを身につけているのを見ると、思わず目が吸い寄せられたりする。物ってそんなもんでしょう。

 マイカーを手に入れた人の証言によると、交渉の過程でお金に関する感覚がまひしてしまい、元に戻すのに苦労したそうだ。なにしろスーパーでより安いものを探して買っている人が、交渉を重ねるにつれ営業マンが15万円も値下げしてくるという体験をするのだから無理もない。

 今やパソコン1台が10万円で買える。ビデオなら3万円でおつりがくる時代だ。もし中古で100万円のクルマを買うなら、パソコン10台分の価値があるか考えてみよう。逆に言えば、クルマというものが自分にとってパソコン何台分の価値があるかを自問することになる。

 クルマといえば、ローンで買う人が多いようだが、これもばかばかしい。ローンなんてものは、経済が右肩上がりの時代に向くシステムだ。物を買うには、現金かカードの一括払いにかぎる。分割払いはやめておこう。リボルビング払いなど、自己破産へ一歩踏み出すようなものだ。

 家を買うならローンでもいいでしょ、と言う人がいたら、その人もちょっと思慮が足りない。会社を首になったらどうするの? それに家なんて、中古でないかぎり買うものではない。注文して建ててもらうものでしょ。現金で払えないのなら、家を建てるにはまだ早すぎる。それにせっかく広い家を建てても、子どもはすぐにいなくなってしまう。子どもが独立するまで待とう。夫婦2人で老後を過ごすために退職金で建てたっていいでしょ。

 マイホームを持とうとする人に、「買う家ではなくて、造る家を模索しよう」と呼びかける桂氏は次のように述べている。
 日本はあまりにも住宅が高すぎます。土地が高すぎます。建築費が高すぎます。家賃が高すぎます。不動産の手数料が高すぎます。税金が高すぎます。管理費が高価なわりにずさんです。なぜでしょうか。
 答えは簡単です。私たちを守るはずの行政が、生活者の暮らしをないがしろにして、群がる業者たちを保護しているからではないでしょうか。業者を保護すれば、居住者を保護できると考えているフシがどうもあるようです。
 最近、規制緩和と称して、安い建築費で住宅を建てようとする動きが、役所や業者の間からも出てきて、非常に結構なことのようにマスコミで報道されています。(中略)しかしそうやってできた家は、デザインや工期短縮が最優先で、改造も簡単にできないような家になってしまいます。はたしてそれが本当に安い家なのでしょうか。やはり金融技術論の延長上にあるとしか思えません。
 「家のことは妻に任せた、すべて妻が決めたんだ。その分俺は一生懸命働くから、今さら家族の家づくりなんて言われたって、困ってしまう」という考え方こそ、まさに「造る」ではなくて「買う」発想でしかありません。言い換えれば「金融」を買っているに過ぎません。業者にとっては美味しいカモです。
 家を買ってただの「支払マシン」になりたくない人は、『家族で家は建てられる!』をぜひ読まれたし。
  • 家族で家は建てられる! 桂博史 新潮社 1996 NDC527
(1999-10-18)