インテリ・オタクの対談



 リベラリストの宮台は、援交、教育、少年犯罪といそがしい。最近サブカル宣言したようだけど、あいかわらずダウナーにはなれないのかな。ところで私にはサブカルチャーの意味がよく分からないんだけど。

 『援交から革命へ』は、小説やマンガ作品の巻末に収録される解説、映画のパンフレットに収録される解説を集めたものである。しかも解説を依頼した人のリアクションも一緒に載せている。なかなかのアイデアである。しかしこのタイトルはいただけない。
私たちが生きる世界は、自分の想像も及ばないような感じ方や振る舞い方をする人間たちで溢れている。そうした他者たちと共生するには「寛容さ」が必要になる。しかし言葉で言うのは簡単でも、それがいかに困難であるのかが分かるのが、セックスの領域なのだ。
 寛容さから敵討ちを考える私と、性に関心がおよぶ宮台とでは大きく志向が違う。そしてあれだけ物語を否定してきた彼が、「飽きのこないセックスというのは、日常との落差に巣食う物語にこそ秘密があると思うのです」と言いだした。

 『世紀末の作法』という本の写真を担当した吉永マサユキという写真家は、
「このひとはやっぱり学者だな」というのが、僕の正直な感想です。僕はかつて暴走族をやったり色々していましたが、実際に生きるか死ぬか、いつどうなるかわからない、刹那的な時間の中で生きたことのないような気がします。(中略)僕の生きてきた経験と照らし合わせるとリアリティを感じません。ひっかかってこないんです。
 そんな彼にとって、宮台はコギャルや援交に肩入れしすぎに見えるようだ。

 『少年たちはなぜ人を殺すのか』も、内容とタイトルがあっていない。この本は、脱社会的な存在として生まれてきてしまった人に、どうやって人を殺さないでいてもらおうか、に力点があるのだ。

 『AKIRA』、『寄生獣』、『経済ってそういうことだったのか会議』など、このホームページで取り上げている本も話題になっている。しかしなんといってもCocco(沖縄出身の歌手で、4年間の音楽活動にみずからピリオドを打った。)のところが目を引いた。活字の本で見たのは初めてだ。
(香山)なぜ最初から絶望しているのか。失恋したわけでも失業したわけでもない。でも、舞台に登場した瞬間、深く絶望して傷ついているのがこちらにも伝わってくる。順調にいっていて何かがあってそうなったというのなら解決の方法もあるけれど、あらかじめ絶望している人に対して、いったいどういう言葉をかけてあげればいいのか。今の若い人がそうしているように、その絶望に静かに共感を寄せているしかないのでしょうか。
 テレビではつまらないことばかり言っている香山リカだけど、少しは見直した。
(2001-11-03)