あなたは敵討ちができますか?



 凶悪事件があるたびに、被害者の家族の気持ちに思いがおよぶ。そんなときある小説がふと頭に浮かんだ。作者は菊池寛だったように記憶しているが定かではない。テーマは殺人事件であった。

 犯人は死刑の宣告を受けるが、刑務所である宗教に入信することで、安らかな気持ちで死を迎える。しかし、殺された人の家族は殺人者が死を恐れながら苦しんで死んでいくことを望んでいた。そんなずれを描いた短編だ。読みすすむうちに司法制度が被害者側の心の救済になっていないことが明らかになる。このときは恨みを晴らすには敵討ちしかないと確信した。

 一方、時代劇などを見ていると反対の気持ちに支配された。長い間かたきを探しやっと見つけ、「いざ尋常に勝負」とか言ってとうとう相手を討ち取ると、周囲から「お見事!」なんていうせりふが飛んできたりする。敵討ちをしたほうも晴れ晴れとした顔をしている。しかし長年逃亡して苦しんだ人間をこんなにあっさり殺してしまっていいのだろうか、といつも疑問に思った。人を殺して罪悪感はないのだろうかと。

 そんな疑問に答えてくれる一つの作品を読んだ。ちょっと年のいった人なら誰でも知っている『笛吹童子』だ。これは1953年にNHKラジオで放送された連続放送劇で、後に小説化・映画化され、主題曲もヒットした。原作者は北村寿夫だが、私が読んだのは橋本治が半分以下に圧縮したものだ。この本、はっきり言って子供向け。漢字にルビは振ってあるし、分かりやすいように説明調の文がところどころにはさまっている。それでもおもしろくて、やめられなくなってしまった。

 子供向けの本だと勧善懲悪になってしまうのが常だが、『笛吹童子』はそうではない。悪の象徴のされこうべの面と、善の象徴である白鳥の面の対決を軸にストーリーが展開する。物語の最後で主人公の菊丸は、「悪の心を、ただおそろしいものとだけ思って、とんでもないまちがいをしていたのかもしれない」と考える。橋本治は本書の解説で「正義の力が悪を倒す、でも、その戦いは暴力の戦いではない」で述べている。

 そういえば薬師丸ひろ子主演の映画「セーラー服と機関銃」でも似たようなことがあった。本来は憎むべきはずの自分の子分を殺した悪徳刑事を許してしまうのだ。瀕死の重傷を負った刑事が電話をかけてきたときに、もうそれ以上しゃべるなと気づかう。敵の中に潜む良心を愛しているかのよう。そもそも彼女がやくざの親分になるのも、子分たちを見殺しにしたくなかったから。そんな母性をもつ役柄なのだ。

 キリスト教であれば、これを愛と呼ぶだろう。棟方志功なら、観音菩薩像で表現するかもしれない。そんな芸術で悪を倒すなんていう発想は、これだけ世知辛い世の中だからこそ必要なのかもしれない。人間、恨みという感情が一番忘れにくいものだと思う。そうであるからこそ復讐を超えなくちゃいけない。これが現代のテーマではなかろうか。
  • 笛吹童子 橋本治文 北村寿夫原作 岡田嘉夫絵 講談社 1998 痛快 世界の冒険文学 第7巻 NDC908 \1500+tax
     このシリーズには、宝島、鉄仮面、タイムマシン、水滸伝、真田十勇士などおなじみの作品が収められている。
(1999-11-22)