W池田「哲学とは自分で考えることである」と言っているのが池田晶子だ。著者紹介を読んで驚いた。1960年生まれで慶応の哲学科で学んだ人なのだ。しかもアカデミズムの住人ではなく、文筆業の人。また文章も既存の書籍には少なく、ホームページに多いタイプのそれである。 ソクラテス、田中美知太郎、ニーチェ、学者、サラリーマンなどをまな板にのせながら、「私」とは誰か、なにが「私」であるのか、という普遍的な主体による存在論的思考すなわち形而上学を説いていく。残念ながら私には半分も理解できないが。また彼女の好きな小林秀雄宛てに熱い想いを込めて手紙を書いているのだが、これはパスした。 私の目を引いたのは、養老孟司についての文章である。唯脳論を脳の話と思って読んでしまう人は、彼の言いたいことの半分を取り落としてしまうと、親切にも指摘してくれている。この文章はいつかもう一度読むことにしよう。 ベストセラー本『ソフィーの世界』をボロクソにけなしている。その理由は、「同じ哲学と呼ばれるのは胸くそ悪いので、身の潔白を証すため」である。そして「哲学と大衆社会とは、ものの見事に相容れない」と言い切る。中島義道と違い、死を恐れない彼女は何を言うにも歯切れがいい。すぱっと切ってくれる。 『ソフィーの世界』を翻訳した池田香代子は、もともとが文学畑の人なので、文章が上品だ。そして翻訳の作業を通して、古典哲学に目を開かれたらしい。『哲学のしずく』は、新聞の連載にていねいな注をつけて理解を助けてくれる。しかしパンチがない! 私の文章がそうでないことを願う。
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