挨拶句の達人



「江戸時代にあまた排出した俳諧師の中で、流浪漂泊の神の歌を末世の相において体現した乞食の生き方をした芭蕉の作品にこそ、歌の魂が宿っていた」と高橋睦郎がほめていたので、嵐山光三郎『悪党芭蕉』を読んでみた。

「芭蕉は大山師」という芥川龍之介のことばから本書ははじまる。時代背景や弟子との関係から、スキャンダラスな芭蕉像をあぶりだす深読みの書だ。

5代将軍綱吉の治世、生類憐みの令とはうらはらに性的遊興気分が高まり、江戸では点取俳諧がはやる。それがエスカレートして俳諧賭博に発展し、幕府はこれを禁じた。文芸がギャンブルになった世界初の例だろう。けしからんと思っても、今だって小説コンクールに懸賞金はつきものだ。そのルーツは元禄の点取俳諧にある。

これまでにも芭蕉は忍者だという説はあったが、衆道だとか文学的極道だとかは初耳だった。
芭蕉には新人を育てるプロデューサー感覚がある。才能ある新人を見つけると、手ほどきをして、業俳として化けさせる腕があり、それが性癖でもあった。芭蕉は新人食いである。若いころ其角がそうであったし、杜国がそうであったし、酒堂もしかりだ。衆道好みの芭蕉だから、美男でしかも才が感じられる若者相手となる。そのため、芭蕉にみそめられた才人は、たとえば杜国のように、御領分追放の身となる例もある。杜国の流罪は、米の空売りであって直接、芭蕉が悪いわけではないが、そういった「危うい気配」を持っている若衆が芭蕉の好みである。(p257)
現在舞台で活躍する紫の君も似てるな。

芭蕉は発句の条件として、「出せ」と言われたらすぐに出す、結論を詠んではいけないと説いている。たとえば風景なら、後の人がつづけやすいように「残るところなく描写しつくしてはいけない」。

嵐山は、第8章で『猿蓑』歌仙の現代語訳を試みている。連句の約束事はよくわからないが、句と句の間に飛躍があることが見て取れる。つまり、前の五七五と、それを受ける七七とで、別のことがらを詠める。それで三十一文字だと冗長に感じるのか。十七文字のコンパクトさが潔い。この章を読んで、発句と俳句の定義の違いがやっと理解できた。

芥川のように山師ということばは思いつかなかったが、なんとなく感じてはいた。『奥の細道』は、旅から帰ってかなり時間をおいて書かれているし、ただ西行の足跡をたどっているだけのように思えるし。目の前の風景なんてそっちのけで、頭の中にある古典をなぞっているだけではないかと。

軽みだとか不易流行のような話はともかく、芭蕉とその門人たちの俳諧を読み解いてくれたので、人間芭蕉が前よりも身近なものとなった。
  • 悪党芭蕉 嵐山光三郎 新潮社 2006 NDC911.32 \1,575
     索引なし。せめて発句の索引くらいはつけてほしい。

(2007-05-23)