2004ホノルルマラソン                      T.K

2004年12月12日(日)ハワイ現地時間のAM5:00、第32回ホノルルマラソンのスタートが切られた。今年はかなり前方に陣取り、スターターの野口みずきがすぐソコに見える位置をキープ。スタートライン通過までのロスタイムは僅か24秒。例年だとスタートの花火が打ち上がるのを見上げながら、ゆっくりと歩き始めるのだが、今年は轟音を耳で聞くだけで花火を目にする余裕は殆どなかった。 後ろから押し寄せる人の波に飲み込まれないよう、前のランナーにぶつからないよう注意を払いながら、6度目のホノルルマラソンスタートラインを通過した。

この大会へ向けての準備は8月から始まっていた。フルマラソンの自己ベストは2003年3月の荒川市民マラソン以降遠ざかっていたので、今年こそは・・・!!の思いで、まずはLSDによる土台作りから始まった。激しい暑さに悩まされながらも、日陰の多い公園や早朝、夕暮れ時など比較的涼しい時間帯を選んで、ゆっくりと、少しでも長く走る事を心掛けた。練習のつもりで臨んだ
北海道マラソンでは、8月末としては絶好の気象条件(気温18度前後)に恵まれ、1km5分ペースでの完走に成功。暑さの残る9月はLSD的なランニングに終始。10月に入り涼しい日が増えてきて、さぁ走りこみと思いきや、毎週の様に訪れる台風で予定は少々崩れたが、それでも自身最高の月間400Km超えに成功。週末の30km走を中心にして距離を伸ばしていった。11月も基本は週末の30km走に焦点を置きハーフマラソン2レース(JBMA小田原マラソン丹沢湖マラソン)を刺激のに使って今日という日を迎えた。

ここまでのトレーニングに関しては、”やるだけの事はやった”と胸を張って言えるくらいの自信を持っている。しかしながら、”これだけやったのだから・・・何とかなる!”と言う自信は湧いて来ない。21ヶ月間も自己ベストから遠ざかっていたことが、引っ掛かっているのだと思う。”もう限界なんじゃないか?”と思う事もあったし、”これで駄目だったら記録狙いは諦めよう”と思う事もあった。でもスタートする瞬間、そんな事はどこかへ吹き飛んでいた自分を信じて走ってみよう! そういう気持に切り替わっていた。その切っ掛けは…

この日はAM1:00に起きた。スタート地点までの送迎バスがAM2:20に迎えに来る事になっていたので、落着いて準備をするために逆算するとそうなってしまった。スタート地点まで歩いて行けば30分。徒歩での移動を選択すれば、もう少し眠れそうだったが、今更、1時間早く起きても、1時間多く寝ても大して変わらないだろうと判断。また同じレースに出場する母や叔母の事を考えれば、少しでも移動距離を減らしてやるべきだと思いバスでの移動を選択したのだった。
※スタート地点までは約3km。レースは42kmだからこの距離を歩いてしまうと1日で45km移動する事になる。
フルマラソンをコントロールしきれるランナーにとってはアップ代わりに兆度良い距離かもしれないが、到底走り
とおす事ができない初心者にとっては僅か3kmでも馬鹿には出来ないと考えた。

そしてこの選択が自分にとって、良い方へ転がった。送迎バスは予定よりも早く到着。チームぴあの参加者が集まりお互いの健闘を誓い合う恒例のエイエイオーイベントまでかなり時間が余っていた。公園にはまだ静寂のひとときが漂っていた。これから大きなイベントが始まるとは思えないほど、静まりかえっていた。 この時までは、結果を過剰に意識していたせいか、いつものレースより少し苛立っていた。しかし、アラモアナ公園に到着して、ゆっくりとした、ひとときを過ごすなかで、ふかふかした芝生に寝転がって星空を眺めていたら、凄くリラックスした気分に変わってきた。求めている結果を手に入れられるのか不安だった気持が消え去り、これから始めるビッグイベントへ向けて、心の中からワクワクするような、そんな気持が湧いてきたのだ。 きっと今日は楽しい1日になる。そんな予感がしてきた。AM4:00、チームぴあのリーダー寛平ちゃんが登場し、エイエイオーイベントが行われ、その気持はさらに盛り上がってきた。 イベント終了後、解散して各自スタートラインへ・・・ トイレの混雑にも巻き込まれずじっくりとアップを開始。痛いところや張っているところがないか確認しながら、身体を温めていった。 そして軽く汗ばんできたところでアップを終え、他のメンバー達と合流して、スタートラインへ移動したのだった。

スタート直後、身体の軽さに気づいた。足取りが軽やかに感じられた。まだ若干の混雑があったが、例年に比べれば遥かに走りやすい。最初の1kmの表示を見つけた。5分30秒だった。ロスタイムが24秒あったので、実質5分/kmを少し超えるくらいのペース。走り始めのペースと
してはまずまずだが、4分30秒/kmを想定ペースにしているので、30秒以上の借金を作って
しまったことになる。焦らず少しづつ取り返していこう。。。と自分をなだめた。

今回はナイキ製のペースカリキュレーターというリストバンドをはめて走った。これは予め目標タイムを指定するとホノルルマラソンのコース特性に合わせたマイル毎のペース配分をプリントしてくれる優れもので、エントリー会場にあるナイキブースで作成してくれる。高低差が考慮されているので、平坦部分は少し速く走るように計算されているし、上り坂はペースが落ちても良いようになっている非常に頼もしい代物なのだが、誤算が・・・それは字が小さい事。静止している状態なら読みとることができる程度の文字サイズなのだが、走りながらとなると全く読み取れない。しかもスタートから2時間くらいはまだ日が上っていないので薄暗い状態。結局明るくなっても走りながらでは読み取れず、全く役に立たなかった。残念。

まあそんなことはほっておいて、レースの方は非常に良い感じで進める事ができていた。アラモアナ公園に戻り(約5km)、ワイキキのメインストリートを気持良く走りぬけ、10kmに到達した時のタイムは何と45分2秒。想定ペース+2秒ということで、殆ど職人並み?のペース配分となっただがここで、あれがやってきた。左足裏側に訪れるつっぱり感のような違和感で、練習でもハーフマラソンでも常に悩まされてきたヤツだ。これがモンサラットアベニューの暗闇で襲ってきた。ただいつもと違うのは症状が軽い事。これまでに起きていた症状では走りのペースが10分間ほど大きく崩れたのだが、今回のはそれほどではなかった。さらにダイヤモンドヘッドの上り坂が救いの神となった。筋肉の使いどころが変わってきたせいか、その症状は、いつのまにか消え去っていたのだった。

ダイヤモンドヘッドのアップダウンをあっさりと超え、コースはカハラモールへと向かって行く。この付近は路面がやや荒れ気味。何度かバランスを崩しそうになったが、転倒するまでには至らなかった。体調は依然として好調。足の疲れもなければ、身体全体のだるさも無い。気になるのは、ハイウェイに上がってからの向かい風のみ… ハイウエィのガードを1度くぐり右に折れ、ホノルルマラソンのメインステージとなるハイウェイへ駆けあがった。

ん?風がない? 確かに風がない。 例年だとハイウェイに上がった瞬間、前方から吹きつける風に煽られ、人の壁を探すのに必死になるのだが、今年はその風が殆ど吹いていない。『これまでより少しタイムが早いからか?それとも今、風が止んでいるだけ?』色々な思考をめぐらすが、結局数キロ進んでも風は吹かず・・・ 今年は気象条件に恵まれているようだということに気づく。 でも、内心はまだ半信半疑で、そのうち強い風が吹き始めるんじゃないの?なんて疑いながら、走っていた。ハーフ地点の通過タイムは、1時間35分10秒。想定ペース+10秒
ということで、ここでも自分のペース感覚の鋭さ?に感心・・・ でも僅か10秒だが遅れ始めている事に間違いは無い。(というか貯金が全くない…)
ハーフ地点を過ぎると徐々に明るさが増して行った。時間にしてAM6:30を過ぎた頃。ハワイの日の出は割と遅く、太陽が水平線から完全に昇りきるのは7時前後。強い陽射しが気になりだすのはAM8:30〜9:00だから、このままのペースで走りきってしまえば暑さの問題は無い。ハーフ地点を過ぎても身体のほうは快調だった。体幹部を意識したフォーム作りが功を奏したのか、ただ単に走りこみの成果なのかさだかではないが、余裕を持って走れている事に変わりはない。まだ先が長いのでペースを吊り上げようと言う気持は湧かないが、このままのリズムなら最後まで行けてしまいそうな雰囲気は湧いてきた。『このままタメて、タメて、タメて、ダイヤモンドヘッドを上りきり、下り坂から一気にペースアップすれば、3時間10分は切れる!!』そんなシナリオを思い描いていた。
ハワイカイへ到達した。始めてホノルルマラソンに出場したときは、このハワイカイが物凄く遠く感じたもんだ。 もうここがゴールでもいいんじゃないかと思うくらいで、ここから地獄が始まった。生きて帰れるのか不安になるほど、辛かった。でも今は自分の走りをコントロールできている。ハワイカイに到達してこれほどの余裕があったことは今までに1度もない。『間違い無く調子は良い!ひょっとしたら、このまま苦しまずにゴールを迎えてしまうのではないか?』と思うほど、走りが楽だった。ハワイカイをぐるっと1周まわって、ハイウエイに戻ると、お揃いの赤い帽子を被ったチームぴあのメンバーとのすれ違いが始まる。合言葉を交わして、ニッコリ笑ってお互い励ましあう。ランナー同士にしか理解できない、このコンタクトにより、頑張ろうと言う気持が湧き上がってくる。赤い帽子を探すのに必死になっていたら30km地点に到達していた。通過タイムは2時間15分6秒想定タイム+6秒ということで、またしても完璧に近いペース配分だった。しかしこの時はまだ後ろに忍び寄る影の存在には気づいていなかった。
     
30km地点を過ぎて緩やかな上りにさしかかった。その時、影?は現れた。これまでの軽い足取りに陰りが見え始め、若干のキツさを感じ始めた時だった。その影はでんでんさんだった。ぴあの赤い帽子を探すのに必至になっていたら、突然並ばれた。でんでんさんとは同じ位置からスタートして1km通過くらいまでは、すぐ近くを走っていたのだが、その後見失って以来の再会だった。でんでんさんは去年のホノルルでもそうであったように、徐々にペースを上げていき30km付近でトップスピードに上がる後半型で、私は前半のペースを出きるだけ後半まで引っ張る持続型?(競馬的に解釈すると・・・) ということで、ここからはでんでんさんは益々ペースをあげていくんじゃないかなぁと思い、『どうぞ先へ行って下さい』と声を掛けてはみたが、『いやイカン。このままだと、自分のペースがズルズル下がってしまう。』と思いなおし、もう30km過ぎたんだから、ここはひとつムチ打ってでんでんさんに付いて行ってみようと決心する事にした。 脚の回転数を上げて、離されないように食いついた。35km手前の給水でアミノプロ(顆粒)の補給にもたつき20mくらい離されたが、これ以上離れないよう、必至に食い下がった。その間も続々とチームぴあ&サムズのメンバーとすれ違っていた。
     
正直言ってキツかった。身体がキツい事は間違いないのだが、それにも増して追いつこうと頑張っているのに、ちっとも距離が詰まらないことが精神的にきつかった。一度追いついてしまえば、ついていくのも少しは楽になるんじゃないかと思うのだが、どうしても20mほどの差が詰まらない。コースはハイウェイを降りてカハラの住宅街に差しかかっていた。残り7km、6km、5km・・・ 追っても追っても差は詰まらなかった。そうこうしているうちに、最後の難関であるダイヤモンドヘッドの上り坂を迎えてしまった。JBMA小田原マラソンの急坂を思いだし、視線を足下に落として、あごを引いて必至に上った。この坂をまともなペースで超えられた事は今までに一度もない。でも今日は違う。ペースは落ちてはいるのだろうが、間違いなく走っている。チタンテープなどでケアしていた脚の裏面の筋肉は、大丈夫だったが、太股前面の筋肉が突っ張ってきた。これ以上を負荷をかけると攣ってしまいそうなほど張ってきた。それでも諦めずにでんでんさんを追った。差は詰まらないが離されもしていない。
     
坂の頂上がみえてきた。すると、でんでんさんの背中が少しづつ大きくなってきた。自分のペースが上がったのか、でんでんさんのペースが落ちたのか、その時は分からなかったが、確実に迫ってきた。そして下り坂に入った時、追いついた。でんでんさんは苦痛に顔をゆがめていた。脚が思うように動かないようだった。(後で聞いた話しでは攣っていたとか…)

並んだ時に掛けられた言葉は『頑張って下さい!』だったような
(気がする) そしてでんでんさんの前に出た。思い描いていたシナリオではこの下り坂を一気にくだって、その勢いにのってカピオラニ公園の直線へ!! だった。 それに近いお膳立てはできていた。しかしこの時点で脚に限界が近づいていた。着地する1歩1歩の衝撃が棒のようになった脚にダイレクトに伝わってくる。でんでんさんは、うめくような声を上げてついてきた。 しばらく並走状態が続いた。お互いが同じ目標(3時間10分切り)に向って凌ぎあった。時間にしたら僅かだったかもしれないが、凄く長い間並んで走ったような気がする。

先に脚が止ったのは私のほうだった。でんでんさんは復活した。カピオラニ公園に入ると、その姿は、徐々に遠ざかって行った。あと少しだから・・・ 最後まで並んで・・・ と気持を奮い立たせてはみたものの、両足にその力は残っていなかった。 回復したと言うでんでんさんとは対称的に私の脚は、痙攣寸前まで追いこまれていた。 あと1kmなのに・・・
しかしまだホノルルマラソンは終わっていない。でんでんさんとのデッドヒートには遅れてしまったが、自己記録との戦いはまだ終わっていない。目標の3時間10分切りの可能性も途絶えた訳じゃない。カピオラニ公園ゴールへの花道、力尽きた脚を懸命に動かして走った。もうフォームも糞もない。ここまできたら気持だけ。右足の次に左足がこなくたって構わない。脚と腕が一緒に動いたって、身体が左に傾いていたって構いやしない。41kmまで自分をコントールして走ってきた。最後の1kmは本能のまま、必至に走った。少しづつ遠ざかって行くでんでんさんの背中をみつめ、少しでも近づこうと懸命に、もがいた。右太股前面の筋肉に強烈な張りが襲ってきた。『まずい、このままだと攣る!!』 痙攣の恐怖心に襲われ、ペースを僅かに緩めた。 でんでんさんの背中は遠ざかって行ったが、ゴールゲートは近づいてきた。
     
スタート時のピストルと同時に作動させたストップウォッチは、3時間10分30秒を表示していた。スタートまでのロスは何秒あったのだろう? せいぜい数十秒といったところか? だとしたらNETでも3時間10分は、経過した事になる。ゴールゲートはもう目の前に迫っていた。この時、目標タイムをクリヤできない事は分かっていた。でも気持はとても清々しかった。今回のホノルルマラソンに向けてやるだけの事はやり、この日もベストのレースをしてきた。ゴール1km前で力尽きた感じはあるが、それでもタイム的には崩れていない。力は出し尽くして残っている力はもう無いのだから、悔しさなんて湧いてくるはずが無い・・・ 思いきり手を広げてゴールラインを駆けぬけた。

ゴールタイムは、グロス:3時間10分56秒、ネット:3時間10分32秒(自己記録を3分40秒更新)ラップを分析してみると、
  スタート〜10km:45分2秒(4′30″02/kmペース)
  10km〜ハーフ:50分08秒(4′31″05/kmペース)
  ハーフ〜30km:39分56秒(4′29″13/kmペース)
  30km〜ゴール:55分26秒(4′32″73/kmペース)
と言った感じ。10km〜ハーフと30km〜ゴールの区間はいずれもダイヤモンドヘッドの山越があるのでほぼイーブンペースといったところだろうか。
 (感覚的にはラスト10kmは相当きつかったが)

今回はレース前、いくつかの段階的な目標を掲げていた。最高の目標としては、3時間10分を切る事で、これが達成できれば文句なし。次に自己ベストを更新する事。 これまでの自己ベスト(3時間14分)は条件の良い荒川市民マラソンだったのでこれを超える事ができるば、かなり満足。その次にホノルルマラソンでのベスト記録(3時間19分)を更新する事。同じレースでの最高記録を更新できれば、進歩していると言える? これが達成できれば、まあ納得。  ここまでが合格ラインで、これをクリヤできたら今後も記録更新を目指してランニングに取組んで行こうと決めていた。

がっ、もし、去年のタイム(3時間23分)を超えてしまうようならば、記録更新を目標にしたランニングからは身を引き、今後はファンランもしくは超長距離に踏出そうと考えていた。それは今年のトレーニングには自分自信満足していたし、現段階では目一杯の質量をこなしてきた自信があったからだ。去年は、ひと月前のマラソンにピークを持って行き、失敗して明らかに悪い状態での出場、おまけにレース中に腹痛を起こして戦意喪失。その記録すら超えられないようなら、これが限界と受け止めるべきだと思ったからだ。

そして結果は2つ目の目標クリヤ。自分の限界がまだ先にあることを実証できた。それにしても21ヶ月という期間は長かった。2003年の荒川以降、記録を狙って出場したフルマラソンは僅か3レース。東京国際女子記念市民マラソンでは脱水症状で25km関門収容。1ヶ月後のホノルルでは立て直しがきかず凡走。3ヶ月間試行錯誤して挑んだ荒川でも奮わず・・・ レースとしてはたった3レースだけだがその全てに、それなりの期間を設け、多くの練習量を積み、やり遂げる覚悟を決めて、挑戦してきていたから、結果が出なかったのは本当にしんどかった。 
次の目標は2005年の荒川市民マラソン。記録が出たので1ヶ月は身体を休め、LSD的なスロージョグに徹し、1月中旬から走りこみを開始する予定。過去の実績からしてホノルルと荒川では5分近くのタイム差がある。(2003年:ホノルル3時間19分,荒川3時間14分、2004年:ホノルル3時間23分,荒川3時間19分)ホノルルと同じ状態で出れたら、3時間10分は切れそうなので、もとめる最高の目標を3時間5分に掲げて、練習に取組んで行こうと思う。 何はともあれ”サブスリーへ”が最終回にならずに済んで良かった・・・

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