Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第138夜

『新聞に見る日本語の大疑問』に見る方言




 『新聞に見る日本語の大疑問』については別のコーナーで取り上げたが、ちょこちょこ
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と方言について触れられているので、こっちでも見てみようと思う。
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 こちらしか読んでない人のために解説すると、これは、毎日新聞校閲部が紙面で連載
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したコラムをまとめた本である。


 まずは、関西弁。
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なめとんのか、と毎日電話がかかる」という文が新聞に載る。「標準語ではちょっと出難
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いこの迫力」とある。
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 まずケチをつけておく。何度も言うようだが、そう感じるのは関西弁話者だけである。
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東京の人が真の迫力を感じるとすれば、「なめてんのか」「馬鹿にしてんのか」でなくて
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はならない。「なめとんのか」で感じる迫力には、多分にエキゾチシズムが混じっている。
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文太アニィの「〜じゃけんのぉ」を聞いたときの感覚と似たようなもんである。
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 地元の新聞であっても、一般人の談話として秋田弁が載ることが少ないのは事実だ。
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全くないわけではないが、大阪弁の比ではない。
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 この文章は、ステロタイプの恐さに話が進んでいく。その通りである。そこには異論は
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ない。


 次は中々面白い。「め」の話。
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 ちょっと多い感じかなぁ、という時、「多め」と言う。この「め」は一応、「形容詞の語幹に
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つく」ことになっている。
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 しかし、「濃いめ」はどうだ。「濃い」は終止形もしくは連体形であって、語幹ではない。
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 その文章の筆者の出身地・広島では「濃い」を「こいい」と言うらしい。もし、「こい」が
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「濃い」の語幹であったならば、何も問題はないわけだ。「標準語の一定の規則からは
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み出す『例外』を、地方が当たり前のように受け入れるなんて、地方出身者にとって、な
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かなか痛快ではありませんか」。同感である。
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 何度も触れてきたが、方言は古い日本語の形を残していることが多い。「こいい」は、
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「濃い(濃し)」がもともと持っていた性質をなんらかの形で保持している可能性がある。
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 勿論、2 音では据わりが悪いので、本体の形容詞の方を 3 音に水増しするという手法
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を広島弁が採用した、という可能性もある。この場合は、方言の独自性が発揮された証
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拠となろう。「こいい」の活用形を書いてくれていないので、なんとも言えないが。


 「ら抜き」もある。
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 静岡県磐田近辺では「(例えば、『初日の出を』)見られる」を「見れれる」と言うらしい。
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これが新聞に載るときには「見られる」になってしまう。ここに迷いを感じる人がいる。
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 秋田では「見るにいい」となるので、ら抜き云々の問題は生じないが、「見られる」に
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置き換えられてしまうことに変わりは無い。
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 東京の人が「なぜ、見られる、来られると言えないのでしょうかね!」と憤慨している様
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子が描かれているが、そういうものである。自分のルールが正しいと思っているからと
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言って、一概に責められるものではない。


 方言と敬語の問題。
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 関西の人が他の地域でも自分の言葉を話すのは、敬語体系が整っているからではない
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か、という観察がある。東日本では敬語体系が貧弱なことはいつかも触れたが、これはちょっ
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と気がつかなかった。確かに、親しくない人の前でも話しやすいだろうと思う。
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 この文章の筆者は、「やっとかめだなも(名古屋弁)」が「久しぶりだね」になってしまう時
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に欠けてしまうぬくもりがあることを気にしている。気にするのは一部の人だけである。し
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つこいようだが。


 方言から離れるが、「逆単身赴任」。
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 これは、東京の人が別の土地に転勤してそこに家を建てたりした後で、東京に呼び戻さ
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れたため、家族を置いて東京に戻ることを言うらしい。
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 筆者はここで立ち止まる。なぜ「逆」なのだ
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 「逆」は「正」があることを前提とした言葉である。時として「逆セクハラ」のような非常に
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胡散臭い単語を生み出すことがある。男性から女性に対する嫌がらせが「セクハラ」の
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あるべき姿、正方向だなんて誰が決めたのだ。「逆ぎれ」も同様。
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 筆者は、「逆単身赴任」に東京一極集中のにおいを感じたのである。俺は、健全な感覚
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だと思う。


 正直言って、そんなことも知らんのか、と思うこともあって、ちょっと食い足りない面
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もあるのだが、中々面白い本である。東京書籍刊、ISBN4-487-79384-X、\1,500。



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第139夜「形容動詞−秋田弁講座プロジェクト−」

shuno@sam.hi-ho.ne.jp