Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜
第133夜
TV の日本語で思う
ちょっと大上段に構えた話になってしまうのだが、いわゆる「方言の衰退」とかいうこ
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とを考えるとき、日本語全体のことを視野に入れる必要があるのではないか。もうちょ
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い具体的に言えば、いわゆる「日本語の乱れ」を別においといてもいいのか。
「乱れ」と言えば、常にやり玉に上がるのが、TV での日本語である。それもニュース。
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記者やディレクターのレポートは特に耳障りだ。あの状態を見る限り、人前で話すた
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めの訓練を受けているとは到底思えない。それでいいのか、と思うのだが、いいらしい。
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表現も「お前、普段から本読んでないだろ」と思わせるくらいひどいのだが、アクセン
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トはもっとひどい。
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ただ、アクセントには「ひどい」という断定をためらせる理由がある。直りにくいものな
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のである。その人が長期間にわたって慣れ親しんだ方言である可能性がないではない。
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それはそれとして、放送の場でんなことでいいのか、という気はするが、いいらしい。
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「詳しい内容については、こちらの電話番号でお聞きしてください」なんてのも聞いた。
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言ったのはアナウンサーだ。この辺はプロでなくても知ってるべきであって、その人の言
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語生活ってどんなんだろうと勘ぐってしまう。
さて、言語生活には規範意識というものがかかわってくる。
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つまり、既存のルールに従う気持ちが強いかどうか、だ。保守性と言い換えてもよい。
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言葉はコミュニケーションツールであって多数の人間の共有財産だから、自分だけが
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勝手なことをするとその役目を果たさない。だが、その一方で、最終的に通じりゃいいじゃ
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ん、というレベルもあるわけで、我々が使う言葉はその間を揺れ動いていると言える。
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で、後者のレベルの表現を文体の高い状況で使うと、最初に述べたような批判が起こ
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るわけだ。
その、保守的でない人が使う秋田弁は、当然のごとく、標準語を含む他の地域の方言
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と混ざって、あるいは影響を受けて、伝統的な秋田弁とは形が変わってしまう。
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ここまでは個人の問題だが、その先から影響が広くなり始める。
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秋田弁が秋田でしか通じない言葉だという事情が後押しするからである。
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使っている言葉の通用範囲が狭い、というのは使用者にとってはデメリットである。言
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葉を変えることでメリットが得られれば、保守的な人であっても、新しい表現を採用する
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ようになる。
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これが、方言が形を変える理由の一つだろうと思う。
流行語は新奇性が失われると使われなくなる。それが「流行語」の本質だからである。
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つまり、それぞれの単語や表現は、じきに消滅することをはじめから運命づけられている
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と言える。
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同様に、方言の「特定の地域でのみ使われる」という性質は、言語の「多数の人間の共
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有財産」という性質と相反するわけで、その結果、方言は変化せざるをえないのである。
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ノスタルジーはノスタルジーで理解できるのだが、昔と違うからって目くじらを立てても
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しょうがない。
「規範意識」などと言うと、それに従わないのが悪いのか、というニュアンスを感じる向
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きもあろうが、学術的な表現であって、善悪の話でないことは念を押しておく。
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新しい表現は常に生まれる。あっと言う間に消えていくものも多いが、ある程度の支持
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を得て勢力を広げていくものもごくわずかながらある。ときに伝統的な表現と摩擦を起こ
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すこともあるが、それもその言語の一面なんである。変化しなくなった言語は死ぬ。
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変化はバイタリティの証拠である。あまりキーキー言わない方が良い。
でも、やっぱり、ニュース番組のひどい日本語は許せないなぁ。
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