Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第72夜

手話と方言




 世の中には自分の知らないことがたくさんあるもんだ。
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 知り合いに養護教諭をしている人がいて、その人から聞いた話だが、補聴器というの
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はオーダーメイドなんだそうである。
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 機械部分はもちろん大量生産なのだが、それを耳に乗せるための部分、これがオー
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ダーメイドらしい。
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 耳の形は千差万別だから、それにフィットさせないと、使ってる本人は違和感を覚える
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だろうし、簡単に落ちてきたりしても困るわけで、考えて見れば当たり前のことである。
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ひょっとしたら、子供が補聴器を使う場合は、成長に合わせて作り直す、ということがあ
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るのかもしれない。
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 そう言えば、歯の詰め物も、型を取ってから作る。これもオーダーメイドである。
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 いつもとは趣向を変えて、パラリンピックとか高校野球の開会式とかで、改めて関心を
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持った人がいるかもしれない「手話」の話。


 「シムコム」という手法があるそうだ。
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 これは "simultaneous communication" の略で、健聴者が介在する場合に使う。口でし
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ゃべりながら、逐次、その単語に対応する手話単語を並べていくものらしいのだが、これ
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は本来の意味での「手話」ではないのだそうだ。
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 "simultaneous" からの連想で考えると、同時通訳のような、間違っちゃいないけどわか
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りにくい、そういう感じなのだろうか。
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 テレビで手話のサークルを紹介しているのを見たことがあるが、今にして思えばあれは
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「シムコム」であった。あれを見た人は「手話」とはそう言うものだ、と思ってしまうであろう。
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実際、俺もそうだった。またメディアにしてやられた、と思った。


 専門家に言わせると、手話は只のジェスチャーではなく、補助手段でもなく、歴とした別の
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言語
なんだそうである。しかし、身振り手振りの延長線上にあるとなめてかかり、挫折する
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人は少なくないそうだ。
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 例えば、「つまらない」に相当する手話単語は「軽視する」「平気である」「この際〜してしま
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おう」という意味にも使われるそうである。「気持ちがそこにない」というのが中心的な意味な
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のであろう。英語の "tired" が「疲れた」という意味であると同時に「飽きた」「嫌になった」
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という意味も持っている、そういった違いを連想させる。
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 当然、万国共通ではなく(*1)、方言もある。


 方言が発生するのは、地理的(社会的)な条件の為に、人の交流がある程度、疎外され
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るからである。その障壁のおかげで人が集団を作るので、独自の体系が生まれる。それが
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方言であり、違いの程度が大きくなれば別の言語となる。
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 その事情は手話でも同じな訳である。
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 地理的な障壁は勿論あるが、それ以上に社会的な障壁が大きい。活動が制限されていた
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ので、お互いの交流に乏しい、という要因が加わる。
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 例えば、関東の手話と関西の手話とでは「名前」に相当する手話単語が異なるそうだし、大
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阪と京都でも「6」が違っていたそうだ。「黒」を示すのにも、墨をする動作をするか、髪の毛を
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さするか、という違いがあったという。
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 もちろん、近年は「全国標準語」の確立に向けて努力が行われているそうである。


 メディアが障害者問題を取り上げたがらないので(*2)、この分野については、そもそも情報
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が乏しいし、あっても、上述の「シムコム」の様に、間違っていたり、錯綜していたりする。こ
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の文章も、下に上げる参考文献だけを材料に書いたので、間違いがあるかもしれない。
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 この分野に踏み込むのが難しい、ということ自体が、そもそも問題ではないだろうか、と思っ
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たりもする。



参考文献
『日本語学』1994 年 2 月号(明治書院)特集「手話」
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『言語』1998 年 4 月号(大修館書店)特集「手話の世界」

*1:例えば、「私」という時は自分を指さす。これを勝手に解釈して、手話はジェスチャ
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 ーと同じで世界共通だろう、という人は多いそうだ。
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  「挨拶」に相当する手話単語は、アメリカでは、頭の辺りで手を振る、敬礼に似た動
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 作であるのに対して、日本では、胸元で握った両手を向かい合わせ、両方の人指し
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 指を内側に向けて倒す動作をする。これはお辞儀に起源がある。
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  この、倒す指も、昔は親指だったのが、親指が男性を示すことが多いところから、
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 性差別の問題もあって、人指し指に変更されたそうである。この辺の動きは、他の言
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 語と全く一緒である。
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  そう言えば、講演会の時、横に立っていた手話通訳者に「邪魔」と言ってのけた性
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 差別解消に熱心な学者先生、最近どうしてるかなぁ。


*2:オリンピックが「BS は全部や」ったのに対して、パラリンピックの方は深夜のダイ
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 ジェストのみであった。生中継はなかったと記憶している。
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  また、"Tarzan" という雑誌が障害者のスポーツを取り上げたとき、広告に表紙の
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 写真を掲載するのを拒んだ新聞社があったそうである(講談社刊・1998 年 3 月25
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 日号)。



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第73夜「『〜ある』の問題」

shuno@sam.hi-ho.ne.jp